第1章 第一次星片争奪戦~日本編~

第0話 漆黒の夜、灰鷹は飛び立った Part1

〈2122年 5月4日 1:21AM 第二星片地球到達まで残り約72時間〉

     ―ライムグリーンの髪をした執事服の青年―


――カラン

 ウィスキーが注がれたグラスの中で、氷が既に溶け始めていた。

 執務室へ続く、木製で両開きの重厚な扉の前。一人ふうっ、と息を吐いた。それは主人の前で粗相がないようにと、ボク自身に活を入れるため――よし!扉をコンコンと二回ノックし、そして声を上げる。


「オルランド様、ウィスキーをお持ちしました!」


「おお、待っていたぞ、ノアム。入れ」


 扉の向こうから、ドスのきいた声が返ってきた――オルランド様の声だ。


「失礼します」


 左手はグラスを乗せたトレイで手が塞がっているので、右手で金のハンドルを握り、扉を開いた。ふわりと優しい光が天井に吊されたシャンデリアからボクへと降り注ぎ、そしてむせかえりそうなタバコの臭いがボクの鼻腔を執拗に攻め立ててきた。

 部屋に足を踏み入れたボクを真っ先に迎えたのは、牙を剥き出しにし、眼光鋭く獲物を威嚇するバーバリライオン。もちろん彼は剥製であるわけだが、しかし未だに百獣の王たる威厳に満ち溢れている。そしてそのまま正面へと視線を移動すると、ニスが照り輝く縦幅3mほどの長さのローテーブル、そしてそれを挟む形に黒皮のソファが左右に配置されている。右側に腰掛けるのはスキンヘッドのヴァレリオさん、赤のソフトモヒカンをしたエンリコさん。左側に腰掛けるのはヴァレリオさんとエンリコさんの兄貴分にあたる、七三分けが特徴的なカルロさん。今日はお三方がオルランド様の身辺警護にあたっておられるようです。どうやら今は……トランプに興じてられているようですが。

 そして執務室の最奥。プレジデントデスクにもたれかかり、窓の外、渺茫たる夜の海を眺めておられる、青い背広に黒のスカーフを巻かれた御仁。その人こそボクの主――オルランド・アマート様、その人。

 ボクは急ぎオルランド様の元へと駆け寄ります。そしてプレジデントデスクの上へ、余計な物音を立てないようにと慎重にグラスを置きます。


「すまないな、ノアム。毎回ご苦労」


「いいえ、滅相もございません。これがボクの勤めでございますから」


 これでボクの仕事は一段落です。あとは執務室の外で待機し、オルランド様がグラスを空にされたころに回収に向かうのみ――


「まぁ、待て、ノアム。少し話でもしないか?」


「えっ…ボクと……ですか?」


 執務室を後にしようと踵を返したボクの肩にオルランド様の手が触れました。突然のことで少し身体がビクリとしてしまいましたが…オルランド様はお気づきになってしまわれたでしょうか?でも、驚くくらいに珍しいことなのです。オルランド様がわざわざボクなんかとお話をされるなんて。

 オルランド様はグラスを左手で掴み、そしてぐいっと一息に飲み干されました。空のグラスをデスクへと置くと、再び窓の向こうを眺められ、そしてボクをその隣へと招いてくださいました。ボクはオルランド様の隣へと向かい、同じように窓の外を眺めます。

 目に映るのは夜の海、そして反射して移るオルランド様とボクの姿。やはり自分の姿が目に映ると、この空間で一番浮いた存在であることを痛感させられます。オルランド様を含め皆様は背広というその道らしい・・・・・・格好をされています。しかしボクは燕尾服に白手袋。そしてこの中で圧倒的にボクは年齢が低い。そんなボクがオルランド様の隣に並び立つなんて、大変恐れ多くて心臓の鼓動が速まるのを感じます。


「オマエに出会ってからもう十年になるな」


「はい。とても有意義な時間時間でした」


 振り返ればあっという間でした。ボクがオルランド様に出会った…という表現は少し不足がありますね。ボクがオルランド様に拾われたあの時から、ボクの運命の歯車は動き出したのです。あの日、もしオルランド様に拾われていなければ――そんな“もしも”を想像することに意味なんてありません。しかし、時々ベッドの中で考えてしまうことがあるのです……でも、あれやこれやと思考を巡らせたところで、やはりオルランド様に拾われたことこそが一番幸せだったという結論にたどり着くのです。


「オマエがいたからこそ、オレ達一家はここまで来ることが出来た……だから…ありがとうな、ノアム」


「おっ、オルランド様!」


 ああ、苦労が報われたとはまさにこの事なのでしょう!オルランド様に褒められている――この喜びは、幸甚と言う他ありません。

 確かに辛いことは多かったです。ここに至るまでボクは――多くの方を殺めてきました。でも、すべてはオルランド様と一家のため。そう心を鬼にして今日この日までやってきました。ボクはきっと神に呪われている。それでも、オルランド様のお役に立つことが出来た――


「だから、今日からもよろしく頼むな、ノアム」


「はい、もちろんです!不肖ノアム、この身、この心を尽くして、オルランド様と一家のさらなる繁栄にお役立ちしましょう!!」


 少し食い気味ながら、ボクは宣誓しました。オルランド様も朗らかな表情を浮かべ、ボクに発破をかけるように二回背中を叩いてくださりました。

 今日から。その言葉には大変重みがあります。そう、まさに今日からアマート一家は新天地へと赴くのです。

 イタリア征服。ここ地中海の都市レスパを手に入れたオルランド様がアマート家。その次なる目標はイタリア全域を手中に収めること。既にアマート家が他の組織から目をつけられていることは承知しています。ですが、四面楚歌というわけではありません。アマート家は既にフィンツィ家、ガリエ家と兄弟の盟約を結んでいます。しかしそれでも敵は数多、多くの強敵が待ち構えているのかもしれません。ですがボクの力で、その敵たちを……と、少し物思いにふけりすぎましたね。さて、空いたグラスを持って執務室をあとに――


――破破破バババンっッッッッッ!!

 鈍く、そして乾いた無機質な音が鼓膜を震わしました。これは――銃声っ!?

 距離にしておよそ数十メートル先、執務室の前の廊下でしょうか!?


「何事だ?!ヴァレリオ、エンリコ!」


「うっす!」

「了解っす、兄貴ッ!!」


 カルロさんたちがソファの下に隠したトンプソン銃を取り出し、扉へと背中を貼り付けます。そして――


「オマエら――扉を開けろっ!」


 オルランド様の指示で、扉は開かれました。そして視界に移ったのは一人の青年。彼は闖入者――?否、侵入者に他なりません。そのことは、青年の足下を見れば明らかです――大理石の床に臥したフランコさんとジーノさん。寝ている?そんなわけはありません……二人を中心に、今も広がり続けるどろりと粘着質の赤い海。それが何であるかなど、敢えて言葉にする必要はありません…状況から考えるに、この青年がお二人を殺害したことは明白でしょう。


「貴様ッ、何者だ!?」


 カルロさんが鋭い語気で青年に問いただしました。しかし青年は、顔色一つ変えること無く、じっとカルロさんを見返しました。

 その青年はルビーを埋め込んだような深紅の瞳をしています。鼻は筋が通っていて、顎は短い。顔つきはどことなく物憂い気な雰囲気を感じさせます。そして髪はタバコの吸い殻の様な灰色をして、クラウドマッシュの無造作ヘア。身長は175cmほどで見るからに痩せ型。上半身は白と黒の牛柄のピシッとした柄シャツに、その上に膝まであるモッズコートを着こなし、下半身は黒のスキニーにショートブーツというスタイル。背中にはどうやらボディバックを背負っているようで、コートに隠れた腰にはホルダーにしまわれた二丁の拳銃の撃鉄ハンマーがチラリと見えました。それが凶器ということで間違いなさそうです。


「あんたが…オルランド・アマートで間違いないな?」


 多分ボクと彼はそう歳が変わらないはず。年齢にしてまだ成人して間もないくらいのはずなのに、その声は少し掠れていて、そして凄みさえも感じられました。

 青年はカルロさんから視線を横にスライドさせ、執務室の中、オルランド様を凝視していました。青年はオルランド様に視線を向けている、ただそれだけだというのに…どうしてでしょうか?青年がおぞましく思え、背中に嫌な汗が流れました――急ぎ青年の視界からオルランド様を隠すように、青年とオルランド様との間に割って入ります。


「いい判断だ、燕尾服。あんたが動かなければ――即座にそいつを殺していただろうからさ」


 口角を少しつり上げ、怪しげに青年は笑いました。ゾクリと心臓が跳ねました――それがただのブラフでないことは明らかでしょう。この青年……ただ者ではない!


「ノアムッ!いいな、オルランド様のことはお前に任せる。こいつはおれたち三人が引き受けるッッ!」


「はいっ!」


 カルロさんがこちらに視線を送り、ボクは深く頷いて答えます。そしてヴァレリオさんとエンリコさんによって、扉が勢いよく閉じられました――

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