第3話 泣いた青鬼 Part4
〈2122年 5月7日 9:13AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約15時間〉
―ソノミ―
奇妙な空だ。もう午前9時だというのに空は白むことはなく、かつ夜空というには青白すぎて、星は一つたりとも輝いてはいない。
私はひたすら兄様の元へと駆け続けた。幸いなことに、私を妨害してくる者は誰一人としていなかった。どうやら運は私に味方してくれたようだ。
オフィスビル群。高層ビルが建ち並ぶこの場所は、普段は多くのサラリーマンが仕事に勤しんでいるのだろうが――今は人っ子一人いない、がらんどうのよう。当然蛍光灯は一つも点いてはおらず、恐ろしいくらいに静まりかえっていて、まるでこの世界にただ一人取り残されたのではないかと不安になる。
もう少し、あと少しで目的の場所――兄様は、この先におられるはずだ。
彩奥市――思い返せば、私は一度ここに来たことがあった。まだ私が8歳だったころ、多忙な父様が時間を見つけて、兄様と私をモアナ遊園地へと連れていってくださった。
父様は厳格なお方。けれどあの日の父様は――とても優しかった。私が乗りたいアトラクションの全てに乗せてくれたし、食べたいと言った物、欲しいと言った物を全て買い与えてくれた。
特に遊園地で印象深かった出来事は……お化け屋敷に行ったときのことだ。父様は外でお待ちになり、私と兄様の二人きりでお化け屋敷の中へと入っていった。
恥ずかしいが、あの頃の私は怖がりだった。そのお化けが偽物であるなんてことをわかるはずもなく、私は途中で泣きじゃくって歩けなくなってしまった。
そんな私を兄様はあやしてくれて……けれど私は泣き止まず。兄様はわざわざ私を背負いになって、出口へ向かってくださった。
兄様と私は、歳が6も違う。兄様はとても賢くて、そして素晴らしい武人。稽古で相手を務めても、私は一度たりとも兄様へ竹刀が届いたことはなかった。
そんな兄様のことを、父様は甚く誇りに思っておられた。御都家の後継者として、兄様はげに相応しい。きっと父様はそう思われていたのであろう。
しかし兄様は成人して間もなくして――何処かへお消えになってしまった。いや、何処かの組織に雇われたというのが正確なのだが、その組織の名前を兄様は私には教えてはくださらなかった。
けれど兄様はお変わりにはならなかった。兄様は屋敷へと帰ってきてくださる度に、私の欲しいものを何でも買ってくださって、そして武芸の指南もしてくださった。
兄様のことを、私は誰よりも尊敬している。私はずっと、兄様の背中を追いかけてきた。私の刀は全て兄様の模倣であって、到底兄様に及びはしない。それでも、いつの日か兄様と肩を並べられるようになんて――そんな淡い希望は、全て夢幻の如く消えさってしまった。
「どうしてなのですか、兄様……」
あの日の記憶が鮮明に蘇る。あの凄惨な光景が、あの鼓膜を震わせた音が、あの鼻腔を刺激した臭いが……あの深い絶望が。思い返すだけで吐きだしてしまいそうになる。この歩みを止めたくなる。
何度も何度も忘れようとした。けれどそんなことは出来なくて、私は幾度となく涙を流して。でも私は誓ったのだ――もう、泣かないと。もう一度兄様に会って、あの日の真実を知るまでは――
「――ったく、本当にここ、法治国家日本だよな?つい昨日まではあんなに平和に過ごしていたのにさ、今やあっちこっちでドンパチやって」
「あくまで結界の中だけの話だがな。しかし、
不意に聞こえてきた声に、咄嗟にビルの隙間へと身を隠す。そしてこっそり覗いて見ると……青い陣羽織、背中の“毘”の文字。間違いない――毘沙門の兵士だ。
両手に握りしめるは
どうしたものか。奥の方にも複数兵士がいるではないか。これでは誰か一人に見つかれば、芋づる式に兵士がやってくるかもしれない。
一人二人……五人程度なら骨を折ることもないだろうが、毘沙門は兵士の数が多いと聞いた。非異能力者ならまだしも、彼らの異能力者を呼ばれてしまっては、私は為す術がなくなってしまうかもしれない。
用事があるのは兄様だけ。他の毘沙門の兵士たちに用はない。どうする?どうすれば確実に兄様の元へと行ける?最善の策は……うむ、そうだな。
兄様が本陣におられるというのなら、きっとこの方法が最良のはず。
諸刃の剣とも言えなくはない。もしも失敗すれば、私はこんなところで野垂れ死ぬかもしれない。けれど――私は賭けよう、この命を。
もう、こそこそと隠れる必要はない――
「……貴様っ、何者だ!」
先ほどの二人組の兵士が通りかかったところで、見つかるように…いや、見つけてくれるようにと一歩踏み出した。
即座に二つの銃口が私へと向けられる。けれど私は刀に手をかけない。両腕を挙げて、抵抗しないという意思を示す。
「この先に……兄さ…
二人の兵士が一瞬、はっという表情を見せた。この反応、どうやらあの
それなら――重畳だ。
「いるんだな?」
畳みかけるが返事はない。兵士は互いに目配せをし、そして一人の兵士が私の背後へと回りこんだ。これで、完全に退路が塞がれた形になった。
「……おい見ろよ、このお面!これって、まさか――」
背後へ回った兵士が、私の腰に括り付けていた青鬼の面に気が付いたようだ。
そうか、やはりこの面が私たちを繋ぐ鍵になったか。
赤鬼と青鬼。私たち兄妹に流れる、鬼の血。それは異能力に他ならないが、私たちが兄妹であることの証明。
「私の名前は……
「っ!?」
逆に警戒を強めてしまったのは理解している。突如、自分たちが知る人物の妹を名乗る者が現れたら、怪訝な目を向けるのも仕方ないことだろう。
「……本当、なのか?」
「ああ。頼む……流魂兄様に、会わせてはくれないか?」
誠心誠意、腰を曲げて懇願する。
要求出来る立場にないのはわかる。それでも私は、この一縷の希望に全てを託すしかない――
「……わかった。確認を取ろう。この子を見張っていてくれ」
「了解だ」
良かった。願いは通じたようだ。
正面で銃口を向けていた兵士が私の元を離れ、遠い所で通信端末を操作して誰かと通話を始めた。何を話しているのかは聞こえないが……兄様と、話しているのだろうか?
「どう見てもこのお面は流魂様のものと……うむ………」
後ろで私に銃口を突きつけている兵士が、何やら小言を漏らした。
当然だ。この面は同じ職人により作られたもの。唯一兄様の面と違うのは色だけだ。
「確認が取れた。銃を下ろせ」
間もなくして通信を終えた兵士が戻ってきた。
兄様……ありがとうございます。
「っ!?いいのか?」
「流魂様の命令だ」
「…わかった。悪かったな、銃を突きつけて」
銃口が離れ、二人の兵士の敵意もぱたりと消えた。
もしも――もしもこいつらに問答無用で襲われていたのなら、斬り捨てて進むこともやぶさかではなかった。しかしこうして無駄な命を散らすことなく済んだのだから、それが一番だ。
「オレに付いてきてください、苑巳様」
「ん……あぁ」
苑巳様、か。なんだか少し気持ち悪いな。敬称なんてものと、長らく無縁であったから。ここ最近はずっと、ソノミ、ソノミ、ソノミと……。でも、あの方が…親しみがこもっていて、私も嬉しかったんだがな。
兄様はこの先で待っておられる。あの日からもう、どれだけ年月が経っているのだろうか?私はきっと、この日のために生きてきたのであろう。
*
「ここでお待ちくださいとのことです、苑巳様」
「わかった」
兵士たちは私の返事を聞いて直ぐ、踵を返して来た道を戻っていった。
聳え立つビル群の間に、ポツンと出現した緑の楽園。入り口の看板には“エメラルド公園”と書かれていた。
公園の道に沿うように植樹されたクスノキやエンジュは青々として、それを見ていると疲労が次第に癒やされていく。奥の広場は芝生に覆われていて、自然の香りは心地よい。きっとここは、多忙なサラリーマンたちにとっての憩いの場であるに違いない。
けれど――一人ではやけに落ち着かない。あいつらに出会うまではずっと一人だった。だから孤独にはなれているはずなのに、私は――
いや、もうそんなことは忘れよう。ようやく兄様と再会出来るのだから。
いったいどんな顔をすれば良いのだろうか?こんな歳になっても、化粧もアクセサリーも何一つしてはいないから、子供扱いされてしまうだろうか?あの頃と比べれば背も伸びて、顔つきも変わったはずだから、私のことを苑巳だと気が付いてくださるだろうか?
うん……?背後から聞こえてきた足跡……忘れない、覚えています。あなたは――
「まさか、こんなところで再会することになるとは思わなかったよ――苑巳」
聞こえてきた柔らかな声に、抱え込んできた多くの不安が溶けていく――
「にっ、兄様――!」
すぐさま駆け寄って、私は不躾ながら兄様の胸へと――顔をうずめた。
兄様の逞しい腕が私の背中へと伸びてきて、優しく抱擁してくださる。温かい……。そして確かにあの頃と変わることはない、お日様の香りに似た兄様の匂い。
「随分と成長したね、苑巳」
「はい、兄様!」
兄様の胸元にうずめていた顔を上げて、兄様のご尊顔を拝見する。
兄様の蒼の瞳が、私を優しく見つめてくださる。端正なお顔立ちはあの頃のまま。眉目秀麗とは、まさに兄様を形容するための言葉なのだろう。
「苑巳、君は随分と美しくなった。女性としての魅力を備えたように見えるよ」
「っ!?そっ、そんなことはありません」
例えそれがお世辞だとしても、私は心底嬉しい。あの兄様に褒められているなんて――
「……と、苑巳。君とゆっくり話していたいのだけれど…これでも僕、今は毘沙門の副将を務めているんだ。だからあまり長い間本陣を離れるわけにはいかなくてね。どうだい、苑巳も――」
「…………」
私は兄様の提案に、頷くことも首を振ることも出来なかった。
けれど兄様は私の様子を見て、その気持ちを察してくださったみたいだ。
「あまり乗り気じゃないね。それもそうか……」
私は兄様の妹。しかし、毘沙門という組織からすれば、私は招かれざる者であることに変わりはない。何せ……私は今、何処の組織に所属しているわけでもないのだから。
私は兄様の元から離れ、大きく息を吸いこんだ。
お時間がないと仰るのならば、今すぐ話さなければならない。私が何故、こうして兄様の元へとやって来たのかを。
「兄様……私は、兄様にもう一度会うために、これまでの時間を過ごしてきました」
「その刀に鬼の面……苑巳、戦いの道を進んできたというわけだね?」
兄様の視線は、私の腰に括り付けられた青鬼の面、そして刀へと向けられている。
「はい。手を…汚してきました。ですが、私にはこの道しかありませんでした。私は鬼として生きる。頼れるのはこの刀のみ。これ以外の別の道を進んでいたのであれば、きっとここに辿り着くことはなかったのだと思います」
今までどれだけの人を殺してきたのか、もう、覚えてはいない。それを数えていては、亡者たちの怨嗟の声に気が狂ってしまいそうで……。私は、命を奪ってきた者たちに対し、何か報えるほど強くはない。
その人間を殺すのは必要なことだから、仕方のないことだから。自分にそう言い聞かせて、この刀に血を啜らせてきた。
例えそれが、兄様にとって――私にとって望まれぬことであったとしても。
「戦場を駆け抜けてここまで辿り着いたということは、苑巳はもう、あの頃の泣き虫の苑巳ではないということだね?」
「……はい。私はもう、涙を流しません。兄様の妹であるという誇りが、私を強くしてくれました」
あの日から……鬼として生きると誓ったあの日から、私は心も身体もより一層強くせねばならなかった。これまでの鍛錬では兄様に追いつけないことは明らか。だから私は鍛錬の量を2倍にした。
血反吐を吐き、この身に刻まれる傷を増やしながらも、私は必死にもがき続けてきた。それでもなお、刀の極地には至っていない。けれど私は今――御都の名に恥じない
「苑巳……君が、僕の前にどうして現れたのか、その理由はわかっている。君が知りたいのは…一つ、だよね?」
頷いた。その通りだ。私が兄様に会いたかったのは、ただ一つ答えを聞くため。そうして真実を知って、またあの頃へと戻るため。
覚悟は出来た。だから――言葉を紡ごう。
「はい――兄様、何故…何故あの日……父様を、屋敷の人間を皆手にかけたのですかっ!?そして、どうして……私だけ、生かしたのですか……?」
兄様は目をお伏せになって、私と視線を合わせてはくださらない。
「そう…だよね。君が知りたいのはそのことだよね……」
「はい、そうです、兄様……」
沈黙が私と兄様の間に充満した。静かなことには慣れているのに、どうして今は、こんなにも沈黙に押しつぶされそうなのだろうか。
それからどれだけ時間が経っただろうか。兄様はようやく私と視線を合わせてくださった。
「……ごめん。苑巳に、あの日の真実を教えるわけにはいかない。もしそうすれば、君を巻き込んでしまうから」
「兄様……」
きっと答えてはくださらないだろうとは、あの静寂の中で薄々は感じていた。けれど改めてそれが兄様の声として聞こえてくると、やはりもの悲しくなってしまう。
けれど「巻き込んでしまう」とは……いったい?
「苑巳。何も、こんな緊張の糸が張り詰めた場所で再会を祝う必要はない。僕たちはまた、どこか落ち着いた場所で会えるだろう。苑巳にも仲間はいるのだろう?」
仲間、か……。グラウ、ゼン、そしてネルケ。三人は、私にとって大切な存在であった。けれど、もう――
「兄様――お逃げになるおつもり…ですか?大事なことは全てあなたの胸の中へと隠し、私へは何事もないように接する。それは、あの頃の弱い私を守ってくださるため。ですが、今の私は――あの頃から成長したのです!自分の身は、自分で守れます!それに、兄様のことだって――」
「苑巳」
兄様の低い声に、私ははっとした。
出過ぎたことを言ってしまった。私が兄様をお守りするなんて、分をわきまえていないにも程がある。
「ごめん、僕はこれで失礼するよ。将軍にも迷惑をかけているしね」
兄様は振り返りになった。
兄様の背中は語っている。「これ以上、会話を続けるつもりはない」と。
けれど私は――諦めるなんてこと、出来るはずがない。ずっとこの日のために生きてきた。折角掴んだ、またとないチャンスなんだ。本懐を遂げず終いだなんて、私は私を許せなくなる。
これ以上兄様を引き留めれば、迷惑をおかけすることになる。毘沙門も、きっと私のことを良くは思わないだろう。
でも、それでも――!
「兄様、言葉で解決出来ないと言うのであれば、私は――別の手段へと移ります」
まるで
「……どういう意味かを訊ねるのは…野暮かな?」
兄様の表情が険しくなっている。これは似様のお望みになっていないことなのかもしれない。それでも――私は左手で鞘を掴み、右手でその柄を撫でて――強く、より一層強く握りしめる。
「兄様は、私にとって最大の壁です。今でも兄様に一矢報いる自信など露もありません。ですが……そうやって、何事も行動に起こさない内に諦めることは止めました。挑まない限り、結果はわかりませんから」
これまで、何度も異能力者と戦う機会があった。その誰もが強敵で、挫けそうになったことはいくらでもある。けれども私は――負けることはなかった。負けられなかったから。
そうだ。いつも
例え今、
「君は一度も僕に勝ったことはない。それどころか、僕から一本も取ったことがない。だけれど……いいだろう。正直、将軍うんぬんは建前。毘沙門は一人欠けたぐらいで機能停止したりはしない。だから今は――妹の成長、しかと見定めさせてもらおうかっ!」
兄様も柄に触れた。
もう――私たちを遮るものは何もない!
「僕たち兄妹にとって、互いの思いを確認しあう一番の手段はこれ。だよね、苑巳?」
「はい、兄様。私はもう――兄様の誇れる妹となったことを、この刀で証明してみせますっ!!」
「うん。失望させてはくれるなよ……苑巳っ!」
※※※※※
小話 流魂の記憶の中のソノミPart1
流魂:最後に会った時から、君は随分と成長した。それも美人になったね、苑巳
ソノミ:兄様……そっ、そんなことはありません!私はまだまだ未熟で、美人だなんてっ!!
流魂:いいや、君は綺麗になったよ。ふふふ、思い出すな。君がまだ、十歳にもなっていなかった頃を
ソノミ:兄様?
流魂:僕が屋敷に帰る度に、苑巳は一番に出迎えてくれた。可愛かったなぁ、小さい身体で僕の荷物を部屋まで運んでくれるなんて言ってくれて
ソノミ:そっ、その……気恥ずかしいのですが……
流魂:あれは僕が高校生の時だったかな。修学旅行で三日間ぐらい屋敷を留守にしたことがあったね。僕は苑巳に修学旅行に行ってくることを告げずに出発したのだけれど……屋敷に帰った時、苑巳はわんわん泣いて出迎えてくれて。「兄様が何処かに行かれたのかと心配でしたぁっ!」って、駆け寄ってきてわんわん泣いてきたから、僕もついつい涙を流しそうになったよ
ソノミ:もうそろそろお止めに――
流魂:そんなソノミも19歳。いや、妹の成長というのは、本当に早く感じるものだね
ソノミ:流魂兄様――それは、親の立場の者のセリフです
流魂:えっ?
ソノミ:えっ?
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