幕間1 ♯6

〈2122年 5月17日 1:21PM〉

―グラウ―


――ぐぐぐぐぅぅぅぅっ………。


 なんとも情けなく鳴いたのは、水不足なカエルか、はたまたやる気のないリャマか――いいや、俺のバカ正直なお腹の虫であった。

 空腹を叫ぶお腹の悲鳴なんて、一人でいる分には気になることはない。ただ今回は……隣の少女に言い訳しようがないほどの絶叫であった。まったく、自重してもらいたいものだ。


「お前……お腹空いていたんだな」


「異能力を使ってもいないのにこんなにお腹が空くなんて……情けない」


「時間も時間だからだろ。グラウ、ちょっとそこで待っていろ」


 ソノミが指さしたのは、ちょうど木陰になっているベンチ。というか……「待っていろ」?


「ソノミ、どこかに行くつもりか?」


「なに、ロッカーから荷物を取ってくるだけだ」


 そう告げてくるやいなや、彼女は濡れ羽色の三つに編まれたサイドテールを揺らしながら、遊園地入り口方面へと駆け出していった。

 やはり彼女は足が速い、もうあんな遠くまで行ってしまった。けれどそれもそのはず。彼女のおみ足は鬼脚だから……って!そんなに早く走っては、スカートがヒラリとめくれ上がって――!あっ、減速した。どうやら間一髪の所で、彼女もその事に気が付いたようだな。

 ソノミのスカートの下が見れなくて少し残念――?まさか……今の彼女はただ“走る”という動作だけで、周囲の男たちの視線を一身に集めている。そんな状況で下着を披露することになれば……彼女が何をしでかすかなんて、想像するに容易い。


「しかし、はぁ………」


 大きな疲労の溜息を一つ。

 これは、ソノミがいないからこそ吐ける溜息だ。もしも彼女に聞かれては、無駄に気を遣わせてしまうか、あるいは俺が遊園地を楽しんでいないのではないかと、邪推させてしまうかもしれない。


 普段依頼をこなしている時なんかより、今日の方がずっと疲弊している。そう、片や命がけで、片やたった平穏無事に二つのアトラクションに乗っただけだというのに。

 このように矛盾したことが起きている理由はもちろん――ソノミの存在に他ならない。

 いつも彼女が俺を疲れさせるなんてことはない。むしろ、彼女という存在ほど心強いものはない。二人っきりの任務の時とか、彼女におんぶにだっこであった記憶しかない。


 しかし、今日は違う。遊園地だから、ソノミがいつもと違う格好をしているから?もちろんそれもあるが、しかしその核心は――“デート”の三文字に尽きるのだ。

 二人でいるだけなら、俺はソノミのことを女性として意識することはないだろう。しかし“デート”と言われたことで、それに綻びが生じた。


 よって俺は今日、何度も何度も自分に「ソノミは後輩」であると言い聞かせた。それなのに――メリーゴーランドの一件が、必死に作り上げた “自制心”という名の防波堤を破壊した。要するに、「彼女の最もフェミニンな所を密着させられて、それでもなお心を明鏡止水に保てだなんて無理な話」という訳だ。

 俺だって健全な男子なわけで、内側に獣を飼い慣らしている。だからあの様なことをされては、危うく楔が千切れて獣が暴れ出してしまう。そして、「ソノミが俺に気があるのではないか?」と勘違いが起こりそうになる。


 でも、今は大丈夫だ。冷静に、ソノミの俺への施しは皆、先輩である俺を労うためのものだと理解している。

 だから俺はソノミのために……彼女に、「もう労いは必要ない」と言うべきなのかもしれない。彼女の厚意はありがたいが、それは俺なんかに安売りされるべき代物ではない。あの様な行為は本当に惚れた男にするべきなのであって、ただの先輩になどして良い行為じゃない。

 それに、俺のためにもだ。もしもこれ以上エスカレートされては――ネルケの時にはなんとか維持した誓約・・を、今度こそ本当に破りそうになってしまう。

 俺みたいな人の命を奪うことしか出来ない様な悪魔が、誰かに安らぎを求めてはならない……だよな、ユス?


「あんたはもう……答えてはくれないか」


「何独り言ちているんだ?」


「いや、なんでもない。俺のことよりも、それは?」


 何処までか走ってきたはずなのに、先程と一切変らず涼しい顔のソノミ。そんな彼女が持ち帰ってきたのは、赤の花柄文様の風呂敷。中には一体何が?


「ふっ、これはな――」


 ソノミが身体が接するか接しないかというぐらいの真隣に座ってきて、気が一瞬邪に曇る。けれど深呼吸をしてなんとか気を落ち着ける。

 そんな俺を尻目に、彼女は風呂敷を膝の上にのせて、それの結び目を開き――姿を現したのは……竹のランチボックスが二つ?


「ほら、開けてみろよ」


 二段の上の方を受け取って、早速ご開帳――こっ、これは!


「サンドイッチか!」


 ふわっと小麦の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐっきて……ああ、堪らなく食欲がかきたてられる!


「お前に頼まれた通り、今回もまたおにぎりでもよかったのだが……。それしか作ることが出来ない女とは、思われたくなかったから――」


「ソノミ?」


「なっ、なんでもない!」


 ソノミが何を言いたかったのかよくわからないが……まぁ、良いか。

 そんなことより、一括りにサンドイッチと言っても、なかなかに種類に富んでいるな。オーソドックスな卵にハム、チーズ、ツナ……それと、なんだか物珍しい具材もちらほらと見える。


「結構早起きして作ったんだが、お前の口に合えば良いのだが」


 わざわざ今日という日のために――ソノミには感謝してもしきれないな。


「ありがとう、ソノミ。味わって食べるとしよう」


「ああ。ほら、おしぼりだ」


 わざわざおしぼりまで用意してきてくれるなんて、ソノミは本当に細かい所まで気が利く。先輩として誇らしい……なんて、図々しいにもほどがあるな。

 おしぼりで両手をしっかりと拭いて。


「いただきます」


「ああ、召し上がれ」


 先ずは何を頂くか。やはりここは――王道の卵サンドからといこうか。

 何度見ても黄色と白色のコントラストには心を奪われる……と、鑑賞はこれくらいにしておいて、それでは早速――!


「パクリ。はむはむ……うぅん、これは!」


「どっ、どうだ?」


 口腔内を席巻するは、ねっとりとした黄身と、ぷりっとした白身の食感。そして広がっていく味――最高の塩加減、胡椒は少々、マヨネーズの酸っぱさも適切な自己主張で、それに隠し味として微かな甘み……ほんのひとつまみ、砂糖が混ぜ合わせられているのだろうか?

 むむっ!噛み進めてようやく気が付いたが、どうやら食パンの裏側にまで細工が施されているようだ。これは多分、バターとマスタードが塗られていたみたいだな。

 王道は王道。しかし、ただゆで卵を潰して味付けて挟むだけの卵サンドでここまでのものを作り出すとは――


「流石はソノミだ。この卵サンド、俺が食べてきた史上一番に美味しいぞ!」


「そっ、そうか?それなら。良かった……」


 ソノミが「ふうっ」と吐いたのは、安堵の溜息だろうか?まさか、ソノミとあろう人が出来を心配していたのか?そんな必要一切ないというのに。

 しかし、ある意味悪魔的だな。もう二度と、コンビニで卵サンドを買えなくなってしまったではないか。その責任を取って、今後とも俺に卵サンドを作って欲しい……って、また不躾にも程があることを思い浮かべてしまったものだ。


「ほっ、ほら。卵サンド以外も食べてみれくれないか?」


「ちなみにソノミのお勧めは?」


「私の自身があるものか?それなら……これとかどうだ?」


 ソノミが指差したのは……不思議なサンドイッチ。何が他のサンドイッチと違うかと言うと、ブレッドが食パンではなくフランスパンであるという所。そして具材もまた風変わりだ。見た所……魚か?


「では、お勧めに従って……ぱくっ」


 そして口に押し寄せてきたのは、まろやかなバルサミコ酢の香り。続いてオリーブオイルと胡椒の妙。そしてこの魚の正体は――


「鯖か?」


「その通りだ。結構工夫したつもりなんだが……どうだ?」


「ふっ――美味しいに決まっているだり!」


 こんがりと焼かれた鯖の口の中でほろっと溶ける食感と、歯ごたえのあるフランスパンとのコンビネーションの何と素晴らしいことか!

 この鯖サンドは、創作サンドイッチに分類されるのだろうか。是非ともまた食べたいが……市販されていないしな。

 やはり、一家に一人ソノミが欲しい。彼女が毎食料理を作ってくれたら、どれだけ舌への慰めとなることか。


「まだまだあるから、一杯食べてくれよ?」


「ああ、そうさせてもらう!」


 ソノミが用意してきてくれたサンドイッチは、二人前を通り超して四人前ぐらいはありそうだ。けれど、これだけ美味しいんだ。余裕で食べきることが出来そうだな。



「ふうっ………」


 最高の昼飯であった。

 どのサンドイッチも平均以上……いや、最高レベルのものばかり。あっという間に完食してしまった。


「ほら、お茶だ」


「何から何まで悪いな」


 お湯が立つコップを受け取り、それを呷るゴクリ。ああ、緑茶が身体に染み渡る。

 けれどもこのやり取り……なんだか、まるで老夫婦の様だな。


「ソノミ。いつか俺たちの仕事が一つもなくなるような世の中になれば――」


「そんな世界が訪れると、お前は本当に思っているのか?」


「いや、ただのもしもの話だよ」


 社会というものは――古今東西、光が差し込む表の社会と、その光によって生み出された裏社会とが必ず存在するものだ。

 人間が善意だけで生きているというのなら、確かに表の社会だけが世界に広がっているのかもしれない。けれど実際は性善説なんて嘘っぱちで、人間には必ず悪意というものがある。

 例えば憎しみ、恨み、怒り……そういった影の一面を持たない人間など、この世に存在しない。そしてそのような負の感情の吹き溜まりこそ、裏社会に他ならないのだ。


 けれどここは遊園地というハッピーな場所だし……たまにはネガティブにならず、底抜けに明るいことを考えてみても良いのではと、俺も思った次第だ。


「で、お前はそんなお花畑みたいな世界で、いったいどうしようって言うんだ?」


「俺は何の取り柄もないから、職にあぶれるだろうが――」


「どうしてお前はそんなに自己評価低いんだよ!」


 ツッコミを入れられても、それは事実だしな。俺に出来ることと言えば……皿洗いか?


「ソノミなら、料理屋を開業出来そうだなと思ったんだ」


「この私が料理屋だぁ?」


 「どうしてそんなこと思うんだよ?」と言わんばかりに、ソノミが顔をしかめてきた。


「各種おにぎりを取りそろえたおにぎり専門店とか良いかなと思っていたが、サンドイッチ専門店も一興かなと。いや、ソノミは料理全般が得意そうだから、和食屋、洋食屋、中華屋……和洋中折衷の料理屋になるのか?」


「知るかよ!でも、確かに悪くないかもな。料理屋なら、今よりは気楽に過ごすことが出来そうだし」


「何を言っているだ、ソノミ?むしろ多忙になるに決まっているだろ」


「あん?」


「毎日長蛇の列が出来て、営業時間はずっと料理を作り続けなければいけないだろうな」


 ソノミの料理を一度味わえば、病みつきになること必至だろう。そうしてリピーターを獲得し、ネット上の評判から新規の客も獲得し……いつか世界中からお客がやってくることになること間違いなしだ。


「それなら……料理屋は開きたくないな」


「どうしてだ?それ程までに料理の腕があるのに、もったいない」


「私の料理の腕が本当にあるかは知らないが……一番大切な人に手料理を振る舞う暇もなくなるくらいなら、元も子もないだろ」


「一番大切な人……」


 なんだかソノミの顔が赤いが――ああ、そういうことか。大切な人って、ソノミは将来の旦那さんのことを言っているんだな。

 まったく、羨ましいものだ。その旦那とやらは、毎食ソノミの料理を食べることが出来るのだから。朝と夜はきっと彼女と一緒に、そして昼は職場で愛妻弁当を。ソノミの料理は美味しいだけでなく栄養価まで考えているから、無病息災は間違いないだろうな。

 だからこそ、俺もルコン兄の代わりとして――その男が愛しきソノミの旦那となるに相応しいか、しっかりと見定めてやろう。ソノミほど器量が良く、なおかつ家事までこなせるようなほぼ・・完璧と言っても過言ではない女性に釣り合う男など、そう滅多にいるものではないだろう。もしも何処の馬の骨とも知らない男がソノミに近寄ってきたら、俺自ら追い払ってやる。

 もちろん、いくら下劣な男であっても、ソノミが心から愛しているというのなら……話は別かもしれないが。


「しかし、ふあぁぁっ………なんだか眠くなってきたな」


 疲れていたせいか、それとも食後だからか……非常に眠くて、上瞼と下瞼が仲良くくっつこうとしている。

 とは言え折角遊園地に来ているのだから、今眠るわけにはいかないよな。


「そうか、それなら……ほら、来いよ」


 ソノミが自らの膝の上をポンポンと叩いて……いったい何の合図だ?


「ソノミ?」


「……お前、そんなに嫌か?」


「悪い、ソノミ。嫌も何も、ソノミが何を意図しているのかがわからないんだが――」


「……っ!私の膝枕がだっッッ!!」


 その怒声は辺り一帯に響き渡り――周りの客たちの視線が俺とソノミに集中。それに気が付いた彼女は顔を真っ赤に染める。けれど続けて彼女が「コホン!」と大きく咳払いをしたことで、客たちの視線は回帰していった。

 いや、それよりも……ソノミが膝枕?えっ……本当に?


「お前は……やっぱり、ネルケの膝枕じゃなきゃ嫌か?こんな小娘風情の膝の上には、その頭を預けたくはないか?」


 確かに争奪戦の時、事の成り行きでネルケに膝枕をしてもらいはしたが……でも――


「いや、嫌なわけはない。でも……良いのか?俺なんかに膝枕を許して?」


「俺“なんか”とか言うな!バカっ!!」


「えっ?」


「あっ……と・に・か・くっ!お前は私の膝の上と、固いベンチの上。どっちで寝たいんだよ!?」


「それは……」


 答えなんて、もはや考えるまでもない――ソノミの膝枕の方が良いに決まっている。

 しかし、ネルケの時と同じく逡巡せずにはいられないだろう?ステレオタイプと指摘されるかも知れないが、俺の中であくまで膝枕という行為は……カップルがするものなのだ。

 だから、ただの先輩と後輩の関係の俺たちがするべきではない。それに、俺なんかが美少女ソノミに膝枕をしてもらうなんて申し訳がなさ過ぎる。


 あぁ、でも……今、この時だけは――


「悪い……頼む」


「ああ!あっ……ほら、来いよ」


 眠すぎて、正直そんな躊躇いがどうでも良くなってきた。

 ほぼ倒れるかのようにベンチに横になり、頭をソノミの膝の上に――程良く弾力があり反発し、けれど“枕”にはちょうど良い柔らかさもあって。それにネルケの時と違って直にソノミの柔肌だから……彼女の熱が伝わってきて、それに香水とは違う、微かに甘い匂いまでする。

 その全てが――俺にとって、堪らなく心地良いんだ。


「グラウ、どうだ?」


「月並みだが……最高だ」


「っ!ばか……」


 また「バカ」か……今日だけで何回言われたことか。

 でも……もう、意識を保つのは限界の様だ。遊園地に来たと言うのに、こうしてソノミに膝枕をしてもらって眠りに就こうとしていることに、一抹の罪悪感は感じているが――


「ソノミ……おやすみ………」


「ああ、グラウ。おやすみなさい――」

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これが僕らの異能世界《ディストピア》 多々良 汰々 @tataratata

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