幕間1 ♯5

〈2122年 5月17日 11:21AM〉

―グラウ―


「ようやく俺たちの番だな」


 かれこれ40分近く列に並び、ついに俺たちの順番が回ってきた。

 ジェットコースター。これから俺たちは、鋭い角度で急カーブするレールの上を、このコースターに乗って猛スピードで駆けていくことになる。時には一回転したり、時には天地が逆転したまま進んだり。そのように普段は体験出来ないスリルを味わうのが、このアトラクションの醍醐味なのである。

 そして俺たちが乗るのは――なんとコースターの一番前。もちろんそれを狙っていた訳ではなく、順番でこうなってしまったのだ。果たしてそれが吉と出るか凶と出るかは、実際に動き出してからのお楽しみと言ったところか。


「ほら、ソノミ」


 俺が先に奥へと乗り込んで、ソノミへと右手を差し出す。


「悪いな」


 それに彼女の右手が重ねられて――ほんの一時間前の記憶がフラッシュバックする。

 彼女は不意に俺の手を握りしめると、その勢いのまま噴水からここまで走り抜けた。付いて間もなくして二つの手は離れていたけれど、それでも……待ち時間の間、ずっと彼女のその手の温もりが俺の手に残っていた。


 俺の手に比べ彼女の手はずっと小さい。けれどその手は“女性の柔らかい手”というよりか……皮膚が硬くなっていて、それに握りしめてくる力も男勝り。

 でも俺は――そんな彼女の手に、ふと安心を覚えたのだ。


 俺は彼女の人生の半分も知らない。その身空も彼女が語る範囲内でしか知っていないし、彼女がこれまでどれだけの苦労をしてきたかなんて、他人が推し量れるはずがない。

 しかし、確かに彼女の手は語っている――血の滲む様な努力をしてきたからこそ、ミト・ソノミは比類なき強さを手に入れたのだと。

 いつもと装いは違えども、やはりソノミはソノミだ。もしも今刺客に襲われても、彼女が一緒なら何も怖くはない。だから心穏やかに今日を生きることが出来る。まぁ……彼女のせい・・・・・で心の平穏が乱されているのもまた事実ではあるが。


「グラウ。お前、いつまで立っているんだ?」


「あっ、ああ。悪い」


 ソノミのことでついぼうっとしてしまっていた。他の客にも迷惑だし、さっさと腰を下ろさなければ。

 でも……また数時間は、彼女の手の温もりを忘れることが出きずに過ごさなければならないな。


「皆さぁん!それでは発車準備に入りまぁ~す!」


 男性スタッフの声がスピーカーから流れ出し、その数秒後ガチャンと安全バーが肩から降りてきた。


「しっかりバーを握っていてくださいねぇ~~!それでは、どうぞ楽しんできてくださいっ!!」


 これだけ安全バーが強力なら、それだけで十分落ちることはないと思うのだが……言われたとおりにするとしようか。


――プウぅぅゥゥゥゥッッッッ!!


 発車を知らせる音が鳴り、コースターがガタガタと動き出した。平坦な道はわずか数秒の内に終わりを告げ、俺たちを乗せたコースターは角度60度くらいの斜面を登り始める。


「うぅっ………」


「ソノミ?」


 それで、隣の少女はと言うと……俯いて、何やら表情を曇らせているではないか。もしかしてだがソノミ――本当はジェットコースターがあまり得意ではないのか?


「あっ、グラウ。別にジェットコースターが怖いわけじゃないぞ?」


 視線に気が付いたのか、ソノミが俺の予想を否定してきた。


「うん?それなら、どうしてそんな暗い表情をしている?」


 「それは……」と言葉を濁しながら、ソノミはそっぽを向いてしまった。けれども直ぐに正面を向いたかと思えば……どうして顔を赤らめているんだ?


「す、スカートが短すぎてだな……内ももから先がスースーするんだ」


「あぁ………」


 確かに彼女のミニスカートは、座ると太もものちょうど真ん中ぐらいまでしか丈がないし。それに脚を組むことも出来ないから、向かい風がダイレクトに隙間から侵入して……。

 隙間……いや、これ以上は考えるのは止めておこう。色々と邪な妄想が弾んでしまいそうだ。


「悪いな、ずけずけとセンシティブな事を聞いてしまって。俺の配慮が足らなかった」


「いっ、いや、お前は悪くない!このスカートを選んだあいつの……いや、それよりも――もうすぐ一番上に到達するな」


 “あいつ”と言うのが誰か気になるが……これ以上の詮索は止めておこう。

 たぶん後10秒もすればレールの頂上まで至り、そこからジェットコースターの真骨頂たる猛スピードの落下が開始される。

 目下の人々は皆、蟻の様だ。こうして人を見下ろしていると――ふと、ポーラのことを思い出した。彼女は翼をはためかせ、いつもこのような景色を見ているのだろうか。もしも双だというのなら、羨ましいと思わざるを得ないよな。

 後ろの何十人の客たちから、「きゃっ!きゃっ!」と声が聞こえてくる。それは落下を待望したり、この高さに恐怖したり……そういう種々雑多の感情が入り乱れ、コースターは浮ついた空気が蔓延しているのだが――


「ソノミ、あまりにも落ち着き過ぎじゃないか?」


 隣の少女に関しては……スカートにばかり意識が持って行かれているせいか、高度に関しては無反応。喜びや恐怖の色が一切無い、なんとも無色透明な表情をしている。

 ジェットコースターに乗る前、彼女が「こわい、グラウ!」みたいに狼狽して、いつもと違ったしおらしい一面を見せてくれることに、俺は多少なりとも期待していたが……少し残念だな。


「そういうお前もそうだろ、グラウ」


 確かに、まるで人ごとの様にソノミの事を「落ち着いている」と言ったが――それは俺も同じ。俺はきっとこんな時でも、普段と変らない仏頂面をしていることだろう。

 そしてついにコースターは頂上へ。同時に乗客たちのボルテージも極限まで高まり――


――ガガガガガガガガガっッッッッッッ!!


 コースターの急降下が始まる。

 頬を強打していく向かい風。あまりのスピードに身体が座席に押しつけられ、コースターが一回転したことで臓器も体内で跳ね上がる。

 「いやぁっ!」という黄色い声、「ひゅーっ!」という恍惚とした声。普段は冷静な人間だって、この時ばかりは奇声を上げても致し方なしであろう。

 何故なら人間は地に二本足で立つ動物である。そうである以上、この擬似的にも宙を舞うようなふわっとした感覚は、身体に違和感を覚えない方がおかしいだ。


「………うむ」


 そう強く確信しているのだが……その例外が約二名、このコースターに紛れ込んでいる。

 声一つあげず、微動だにしない俺とソノミ。傍から見れば恐怖に身体が凍り付いているとも思われるかも知れないが……そうではないんだ。

 呼吸を乱すことなく、顎を引いた姿勢を維持する。そうすることがジェットコースターにの売る絵の最適解であると知っているから、それを条件反射の様にやってしまっているだけなんだ。


 落下エネルギーで加速したコースターがまた山を登り、そして突き落とされ。何度も何度もそれを繰り返している内に、あっという間にコースターはスタート地点まで帰ってきた。


「皆さんお疲れ様で~す!」


 安全バーが浮き上がり、身体が開放感に包まれる。

 背筋を伸ばしてほっと一息。座席から立ち上がり、アトラクションの出口へと歩き出す。


「ソノミ、どうだった?」


 相変わらずスカートの丈が気になるのか、その裾を引っ張って伸ばそうとする隣の少女に問いを投げかけてみる。


「お前と同じだろうな――この程度ではびびれない。リアクションに困る」


 これでも最高速度89km/h、コース前兆1600m、最大射角100度のかなり攻め攻めのマシーンのはずなのだが……まぁ、俺たちは怖くないんだよな。


 なにせ俺たちは、P&Lに加入する際に受けた研修の中で、高所訓練としてスカイダイビングやウイングスーツによる飛行など……ジェットコースターなんかより、ずっと危険でスリリングなことを経験してきたのだ。

 例えばスカイダイビングなら、パラシュートを開けなければそのまま地面に叩きつけられる。ウイングスーツは身体一つで滑空するわけだから、一度コントロールを間違えばお空で己の終焉を悟ることになるだろう。

 それらと比べるとジェットコースターは、安全バーの存在が大きい。あれが身体を守ってくれている限り、俺たちは確実に生還することが出来る。そう考えると、絶叫する必要など何処にもないではないか。

 このような考えに至ってしまう以上、やはり俺たちは……。


「遊園地に向いていないの――」


「次に行くぞ、次っ!」


 俺がマイナスな発言をしようとしたのか察してか、言葉を重ねることでそれを遮ってきた。

 でも、そうだな――まだ結論を出すには早すぎるか。



「メリーゴーランドとか、もう何年も乗っていないな」


 最後に乗ったのは……8、9年近く前のことか?

 ユスに朝早くに叩き起こされて、目的地も告げないままにあいつは俺を車に乗せた。そして海に面した道路を風をビュンビュンと感じるほど小一時間爆走して辿り着いたのは、モアナやここ以上の敷地面積を誇る巨大な遊園地であった。

 俺が何もリクエストしないから、あいつは自分の乗りたいアトラクションにひっきりなしに連れ回して。当時まだ10歳ちょっとだった俺は流石に疲労困憊し、休憩しようとあいつに頼んだが……何故か、メリーゴーランドに連れて行かれたんだよな。

 「これで休憩になるだろ?」って、あいつはまるで真理を語る様に言い放った。そして俺だけ乗せられて、グルグルグルグルと回っている内に……確かそのまま眠りに就いたような記憶がある。その後どうなったのだったかな?


「皆さぁ~ん、お好きな馬にお乗りくださ~い!」


 お姉さんのなんとも甘い声で一斉に駆け出したのは――小学生か、それ以下ぐらいの歳の子供たち。それと保護者の方々。

 微笑ましい光景。回転木馬は無邪気な子供たちの声で満たされている――その中に夾雑物が二つ、景観の調和を阻害している。

 さて……子供たちが好きな馬に乗れたようだし、俺も乗るとするか。別にどれでも良いのだが……適当にこの白馬にするか。


「グラウ、どうしてそんな小さな馬に乗っているんだ?」


「うん?」


 別に、どの馬に乗っても良くないか?それに、小さいと言うが……これ、子供とその保護者とが一緒に乗れるぐらいのサイズはあるのだが?

 と言うか、ソノミの方こそ……どうしてそんな超巨大馬に乗っているんだ?大人二人が余裕で乗れるぐらいで、むしろ子供たち乗るには脚が高いから危険そうだ。うむ、もしかしてその馬は……?


「……乗れよ」


「いや、乗っているんだが?」


 答えて間もなくソノミがわなわなとし始めたが……俺、何か彼女の癪に障ることを言ったか?


「だからっ!同じ馬に乗れって言っているんだよ!!」


「……は?」


 いきなり何を言い出すんだよ、ソノミ?

 子供たちは既に全員馬に跨がっているから、俺たちが一人一馬に乗ったところで問題ないと思うのだがな。


「グラウ……そんなに私と一緒の馬に乗るのが嫌なのか?」


「っ!そう言われると……」


 嫌な訳はない。ただ、人目が気になるというか……くうっ。どうして俺が一緒に乗らないだけで、そんな悲しげな表情をするんだよ。見ているこっちが辛くなるじゃないか。はぁ……仕方ない。


「よっと」


 今の馬を下りて、ソノミの馬の方へと向かう。


「ふっ、お前が前な!」


 俺の到着により、まるでオモチャを買い与えられた子供の様に彼女の顔が一瞬で晴れ渡った。

 今日のソノミは、なんて言うか……いつもと違って表情がころころ変わったりするあたり、やけに素直だよな。

 その方が、可愛げがあって俺としては嬉しい訳だけれども。


「ああ、わかった」


 この馬、俺が跨がるのも結構きついじゃないか。絶対に脚を長くし過ぎているだろ!


「ほら、ソノミ」


 彼女に手を差し出して引き上げる。また手が触れた……大分慣れてきた?いや、まだ照れずにとはいかないな。


「それでは動きまぁ~す!」


 床が時計回りにゆっくりと回転を始める。そして馬たちもまた上下移動を開始する。

 俺たちはただ座っているだけという、なんとも単純なアトラクションである。先程のジェットコースターと比べれば、やはりかなり迫力を欠くものだ。

 そのせいか……今回もまた、なんだか眠くなってきたな――


「グラウ」


「っ!?そっ、ソノミ!??」


 後ろからソノミの手が伸びてきたと思ったら――俺の腹部でぎゅっと腕が結ばれた。そして彼女がピタッと身体を密着させてきたことで、ネルケと比べて大分小ぶりではあるが、確かにむにっと柔らかい感触が俺の背中へと押しつけられて――これって、ソノミのあれ……だよな?


「別に本物の馬の様に振り落とされるわけないのだから、こんな密着しなくても良いだろ!?」


「本物の馬だったら、素直に密着することを許してくれたのか?」


「……それは例えであってだな――!」


「でも、グラウ。考えて見ろよ。こんな高い馬から落ちたら危ないだろ?それとも……お前は、私が怪我することをお望みか?」


「そんなわけないだろ!」


「なら、終わるまで我慢することだなっ!」


 我慢って……ソノミ、俺が今何に耐えているか本当にわかっているのか?

 ソノミに抱きつかれているのを我慢しているのではない。そうではなくて……内側から激しく湧き上がってくる獣的な欲だからな。

 ネルケの時と違って、相手が後輩だから背徳感もアクセントとして加わっている。やめてくれよ、これ以上されたら手を出してしまう――理性が、脆く崩れ落ちてしまいそうなんだ。


「あっ、そうだ。ちょうど良い機会だし……」


 ソノミの右腕が離れて……ふうっ、少し抱擁が緩くなった。やっと胸をなで下ろすことが――って、右腕が戻ってきたと思えば……どうしてインカメラを俺に向けてくる?


「ちゃんと笑えよ?」


「……えっ?」


 抵抗する隙も与えられないままシャッターが切られ……たぶん今の一枚に写る俺は、相当素っ頓狂な顔をしているに違いない。


「証拠写真一枚目だ」


「証拠写真……?よくわからないが、後で消してくれよ?」


「絶対に嫌だ。ヘッダーにしてやる」


 彼女はスマートフォンをしまうと、再び俺の腹部へと腕を巻き付けてきて……今は、俺がどうにかなる寄りも早く、回転が止まってくと祈るばかりだ。


 いや、そもそもどうして彼女は今日、こんなに積極的なことをしてくるんだ?彼女からすれば俺なんてタダの先輩、良くてルコン兄の代わりでしかないはずだぞ。

 けれどソノミはガードが堅い性格だから、こんなことを誰にでもするとは思えないし――まさか、そういうことではないよな?

 争奪戦でのキスも、今回のアプローチだって特に深い意味はない。彼女なりに俺を労ってくれているに過ぎない……そうだよな、ソノミ?

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