幕間1 ♯4
〈2122年 5月17日 10:25AM〉
―グラウ―
「ふぅっ……やっと出られたな………」
寿司詰め状態のバスの車内から降りて、先ずは深呼吸。車内の淀んだ空気を全て吐き出し、屋外の新鮮な空気を肺に取り込む。
これでも結構早く家を出たと言うのに、集合時間かなりギリギリになってしまった。その理由は……俺の見積もりの甘さだろうな。
正直、平日の遊園地を嘗めていた。どうせ遊園地は閑散としているだろうと踏み、直通バスも俺ぐらいしか乗客はいないだろうと思っていたら――なんと店員オーバーで二本も見送るはめになった。
これなら金をケチらず、地下鉄の方が良かったかな?いや……それもなぁ。日本の地下鉄と違ってこっちの地下鉄は冷房がないから、5月とはいえ暑いんだよなぁ。
「人、人、人……ううっ……」
あまりの人の多さに圧倒されている。親子連れにカップル、若い学生集団からお年寄りまで、老若男女問わず多くの人種がここにごった返している。
正直……少し気分が悪い。俺は実のところ人混みが苦手なんだ。嫌でも視線を感じるし、周りの声が気になって仕方がない。
それは多分――俺の業なのだろう。奪ってきた命の数など、途方もなくてわからない。そんな俺だから、人に見られたり、人のこそこそ声を聞くと、なんだか後ろ指をさされているような気がして怖くなるんだ。悪いのは……俺だと言うのにな。
だから俺は休日はせめても引きこもる。誰の視線も感じず、そして誰の声も聞かずにいられる
「でも、折角遊園地に来たのだからな」
今日という日は二度とやって来ない。それに、休日引きこもってばっかりいると、ユスにも怒られるし――いいさ、ガラではないが遊園地を楽しむとしよう!
そのためにはまずは……形からだな。周りの人たちは皆、こぼれんばかりの笑みをしている。それは最愛の人たちと一緒にいるから、ここが遊園地という場だから……理由はそれぞれだけれど、俺もそれに倣うとしよう!
「うぅん……やっぱり無理かなぁ」
取り出したスマートフォンのブラックスクリーンに反射した俺は……なんとも引き攣った笑顔。ただ口角を上げただけで、目は完全に死んでいる。逆に恐ろしいな。
まぁ、それも仕方ないか――だって、遊園地にぼっちは疎外感が尋常じゃないのだから。
一刻もはやくソノミと合流しなければ。彼女だって一人なわけだし、きっと心細い思いをしているはず……って、類推するのはあまり良くないな。
そう――俺とソノミは、別な性格をしているのだから。
俺はずっと、ソノミと近しいところが多いかなと思っていた。ネルケと比ると、俺たちは落ち着き払っていて内向的。それにたまに毒を吐くところとかかなり似ているなと思っていたが、この遊園地行きを巡っての軽い言い争いで、俺とソノミの違いは明白なものとなった。
ソノミが遊園地のチケットを手にしたとき、彼女のことだからきっとそれを破り捨てるのではないかと俺は思っていた。しかし、むしろ彼女は「一緒に行かないか?」なんて言ってきたのだ。
でも、よくよく考えて見ると……彼女が「行きたい」と言い出したのは、何も変なことではないかも知れない。何故なら彼女は大人びてはいるが、しかしまだ19歳のうら若き少女なのだから。
そのくらいのお年頃であれば、本来映画館や遊園地、ビーチなどに行って青春を謳歌している頃だろう。そしてイケメンの彼氏を作って……どうしてだろうか?ソノミが男遊びしている所を想像したくない。
それはそうと……たまにはこういうのもありだよな。この機にソノミと親睦を深めれば、ゆくゆくの作戦における連携をより一層強化することに繋がるかもしれない。
けれどそう考えてみると……ソノミともっと休日の付き合いをするべきだったのかもしれないな。ファミレスで一緒に食事をしたり、ショッピングモールへ出かけたり……先輩失格かな、俺。ソノミは大切で可愛い後輩だと言うのに、先輩らしいこと一つもしてこなかった。
その埋め合わせを是非今日という日にさせてもらうとしよう。彼女の欲しい物なら何でも買ってあげよう。食べたいものなら何でも買ってあげよう。そう、彼女の先輩として!
さて、待ち合わせの女神の噴水は……あれか。
あの女神様の名なんては知らないが、先ずはその美しい造形を真っ先に讃えなければならない。噴水の中心に優麗に立つ彼女。その掲げた玉手からは、本来はなんてことはない循環水のはずなのに神聖さを感じられる恵みの水が滔々と湧き出している。
事前情報によると、どうやらコインを投げ彼女のその掌に乗せることが出来れば、何でも願い事が一つ叶うそうだ。が……なんと販売機のコインは一枚1万円もするそうで、だだの硬貨を投げる人ばかりとのこと。その結果噴水は小銭が大量に沈んでおり、一日でかなりの額になるそうだ。こっそり奪っていきたいなんて、邪なことを考えずにはいられない。
それで、俺の愛しき後輩は何処に……ん?なんだか、やけに男たちの視線を集めている後ろ姿の少女がいるな。
黒髪と言うなら、そこまで珍しくはないのだが……濡れ羽色の髪をした少女なんて、生まれてこの方一人しか会ったことがない。偶然そこに居合わせた別人か?いや、そんなわけ……ないよな。
だからあの少女こそ――俺の後輩、ミト・ソノミその人だ。
「まじかよ……」
唖然として――無意識の内に、俺の感想が口から漏れ出した。
ソノミは紛れもない美少女である。それはもちろん兄心からくる贔屓目とか抜きにして。俺の主観でなく、客観的に見てもそうだ。
その顔にはまだ年相応のあどけなさは残っているが、しかし彼女が美形であることは確かなこと。目はぱっちりとして大きく、目尻がきゅっとつり上がっているせいか、彼女はどこか猫の様な印象も受ける。きっと彼女が歳を重ねれば、まさに本物の“大和撫子”になることは間違いないだろう。
でも、俺の知る彼女は――もっと黒い。性格が腹黒とかじゃなく、その外面がだ。
彼女が任務の際に着ている忍装束は黒を基調としているし、争奪戦終わりの彼女は真っ黒なジャージ姿。それに、二日前に彼女が着ていたロングスカートもシャツも、一切容赦のない黒であった。
忍装束は例外としても、正直なところ、彼女の私服はかなりラフと言うか……あまり色気がないとは思っていた。けれど今日の彼女は違う。彼女に根ざした美少女としての真価が遺憾なく発揮されていて――心にさざ波が立ってしまっている。
どうしようか。
あぁ、でも……彼女をこれ以上待たせるのも申し訳ない。覚悟を決めるとしようか――
「悪い、待たせたか?えっと……ソノミ、だよな?」
「グラウっ!」
雅な声音が、俺の鼓膜を震わる――ああ、やはりソノミなんだな。
彼女が振り返り、スカートを押さえながら駆け寄ってくる。そしてふわりと巻き起こった風に俺は気が付く。彼女は今日、匂いも着飾っているということに。
彼女が転けたのを受け止め、結果として抱きしめてしまったことがあったが……あのとき、彼女から淡いサンダルウッドに似た香りは感じていた。
けれど今日は……たぶんグレープフルーツ、それにクランベリーを中心にした香水なのだろう。とても爽やかで心落ち着かせてくれるような香り。ソノミにぴったり似合っている。
「悪いな。待たせてしまって」
「いっ、いや!そんなに待っていない。それで……」
それなら良かった。あまり待たせてしまっていたのでは申し訳なかったから。
ところで、今日のソノミはやけにそわそわしているが……どうしたんだ?
「グラウ。その…この格好……変じゃないか?」
おいおい待ってくれよ、そう顔を赤らめて上目遣いをされると……さざ波が大波になるじゃないか!
まったく……ソノミも恐ろしい少女だ。ネルケは自分の美貌を熟知した上で、それを武器として使ってきたが、ソノミはその反対――彼女は自分の容姿の良さに気づいていない節がある。それにも関わらず自然と男を魅了してくるのだから……業の深さはネルケ以上かもしれないぞ、ソノミ。
けれど、落ち着けよ、俺!俺はソノミより年上、先輩なんだ。こういう時こそ大人の余裕を見せるべき。いつも通り、いつも通り……。
「似合っている。流石はソノミだ」
「にっ、似合っている……?」
「“超”を付けても良いな。普段のソノミからすれば少し意外だったが、むしろそう言う格好の方がソノミの可愛さが引き立つ。なんたってソノミはべっぴんさんだからな」
「………っ!!だっ、だから、息継ぎなしで歯の浮く様な台詞を並び立てるのはやめろよっ!どういう顔をすれば良いかわからなくなるだろうが、ばか……」
こんなやり取り前もあったよな。でも、何度でも俺は言うさ。何故ならソノミは可愛い可愛い後輩なのだから。
「ぐっ、グラウ。お前もかっ、カッコ……」
「カッコ?」
もごもご喋るせいで聞き取れなかったが、ソノミは何と言おうとしたのだろうか?
「カッコ良い!今日のお前は抜群にカッコ良いっ!!」
「カッコ良い、か……ふっ、そう言ってもらえると嬉しいよ。ありがとう、ソノミ」
それがお世辞だということぐらいわかっている。けれど、そうだとしても嬉しな。ソノミに言われると。
でも、より一層申し訳なくなってきたな。彼女は相当お洒落をしてきてくれたのに、俺は白シャツの上に黒のライダース、いつもの黒スキニー。無難どころか、家にあったものを適当に組み合わせただけだ。
「いや、やっぱりお前は普段から……」
「うん?」
「なっ、なんでもない!」
プイッとそっぽを向かれてしまって……今日はまだ、一度も彼女と視線を合わせるに至っていない。
彼女が視線を逸らしてくるから――?いや、それだけじゃないな。俺もまた、彼女のことを直視出来ないでいる。
彼女が可愛らし過ぎて、というのが最大の理由。しかしそれと同時に、二日前に彼女が俺に言い放った“デート”の三文字がどうしても頭を過ぎってしまうのだ。
ダメだな、俺。彼女のことは後輩として見なければいけないのに――彼女を一人の女性として意識せずにはいられない。
「グラウ、それで……」
彼女が依然として何処か遠い所を向いたまま、しかし紙切れを一枚俺に差し出してきた。
「これは?」
「お前、私が乗りたいアトラクションをリストアップして来いって言ってただろ?」
「確かに。では、拝見させてもらう」
体験型アトラクション、ジェットコースター、メリーゴーランド、それに観覧車か。
「これなら……ジェットコースター、メリーゴーランド、昼飯の後体験型アトラクション、観覧車の順なら全て回れそうだな」
「流石はお前だな。よく一瞬で最も効率の良い周り方を導き出せる」
「大したことはない。園内の何処にアトラクションが配置されているかを把握していただけだ」
「だから、それが凄いんだろうが。私なんてまったく覚えてない。悪いな、お前頼りで」
ソノミは目を伏せ、申し訳ない顔を浮かべているが――ふっ、そんな顔をしないでくれよ。
「いいや、ソノミ。今日は存分に俺に頼ってくれ。ソノミに楽しんでもらうことが、今日の俺の最大の目標だから!」
「グラウ……ううんっ」
結構カッコ良いことを言ったつもりだったから、首を横に振られてしまうと、少ししょげそうなのだが?
「私だけじゃない――一緒に楽しもう!」
「ソノミ!?」
急に両手を握られて、ほんの数センチの所にソノミの顔がやって来た。
ニコリと白い歯を見せつけてきて――ドキリと心臓が激しく跳ねる。
「グラウは……嫌か、私と一緒は?」
「嫌なわけないっ!むしろ光栄だ!ソノミと一緒ならっ!!」
「そうか、それなら――早く行こう、グラウっ!」
「おっ、おい!」
左手は離れていったけれど、右手はより一層強く握りしめられる。そして彼女は走り出し、青鬼の片鱗たる圧倒的な力によって、俺は態勢を崩したまま否応なしに引っ張られていく。なんとか転けずに済んだから、それで良しとするべきなのだろうか?
直前に「俺に頼れ」と言ったばかりなのに……どう考えてもリードされているの俺の方だよな?男として不甲斐なさを感じずにはいられないのだが……。
それに今の俺たち、傍から見れば――カップルにしか見えないよな?
ああ、周りの男たちの嫉妬や憎悪の視線が突き刺さってくるようだ。でも、舌打ちだけは止めてくれよ。俺、そんなにメンタルが強くないんだよ。
けれど、悪いな。俺は決めたんだ。今日だけは、今日という日だけは――ソノミのことを一人の女性と見る……ソノミの彼氏面をするとな!
もちろん内心で思うだけで、それを本人に伝えるつもりはない。これはあくまで、俺の湧き上がった邪な心への哀れな慰め――要するに自慰だ。迷惑をかけるつもりはないから、どうか外道な先輩を許してくれよ、ソノミ。
と言うわけで、彼氏面1発目として……
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