幕間1 ♯3

〈2122年 5月17日 10:20AM〉

―ソノミ―


 雲一つない快晴の空。心地よい風が頬を撫でる。

 この女神の噴水像の前に来てからもう既に30分。

 けれどもう15分も待てば――グラウがここにやってくる。


「ふわぁっ………」


 昨日は珍しく依頼が早く終わり、10時台に床に就いた。それなのに……とても眠い。

 よく眠れなかった理由は――いわゆる「遠足前日症候群」、次の日に楽しいことがあるとわくわくして眠れないあれだ。

 まぁ、今回の場合は「遊園地前日症候群」か?いや、遊園地が楽しみだったと言うよりは――グラウと一緒に遊園地に行くことが楽しみで眠れなかった。だから……「デート前日症候群」と名付けるのが正確だろうか。


「うむぅ………」


 噴水の水面には、いつもと違う私が映る。

 黒い布地の上衣にタイトなスカート。腰に刀と青鬼の面を括り付けた私の面影は、そこにはほとんど感じられない。

 けれど……とても不安に満ちた表情で、今にもその繕いは崩れてしまいそう。

 だって、仕方ないだろ?私、こういうのは初めてなのだから。


「でも……こんな顔をしていたら――ネルケに叱られてしまうっ!」


 自分の頬をパシンと叩いて気合いを入れ直す。

 ネルケに言われたじゃないか。自分に自信を持てって。

 だから、頑張らないといけない。

 あいつの厚意に報いるためにも。ここまでの努力を水の泡にしないためにも。

 そう、私の未知の戦いは――二日前から既に始まっていたんだ。



 それは二日前のこと。

 事務所での一件の後、気もそぞろに依頼をこなしたが……よく考えれば、かなり危険な事をしたなと反省している。油断大敵だと言うのにな。

 そして帰ってきた我が家。私は、玄関とリビングとの間を行ったり来たりしていた――遊園地に何を着ていけば良いかとか、すっぴんで良いのかとか……そんな甘ったれたことで頭を悩ませながら。

 そんな迷える子羊の元に――彼女からのチャットが届いた。


―ENIL―

ネルケ:どうだった、私のプレゼント?気に入ってくれた(*’ω’*)?

ソノミ:それは……ああ。とても嬉しかったぞ。けれどよ、ネルケ。危うくグラウに逃げられるところだったぞ(既読)

ネルケ:逃げられる?あっ!確かにグラウの性格からしたら、「遊園地なんて行きたくない!」とか拒否反応を示しそうかも……(´д⊂)

ソノミ:でも、なんとか約束を取り付けた

 そこまで入力して、私はふと思い浮かんだ。

 彼女なら、私に協力してくれるのではないかと。

 いや、違うか――私が頼れるのは彼女しかいないのではないかと、ようやく気が付いたんだ。


―ENIL―

ソノミ:でも、なんとか約束を取り付けた。それでなんだが……(既読)

ネルケ:おめでとう、よくやったわね、ソノミ!で、「それで」って、なぁに(´・ω・)?

ソノミ:遊園地……どうすれば良い?(既読)

ネルケ:どうすれば(´・ω・`)?

ソノミ:だから……何を着ていけば良いと思う?(既読)

ネルケ:そういうことね!うふふ(*‘∀‘)!

ソノミ:お前……人の気も知らずに笑いやがって!やっぱりお前なんかに頼らなかったほうが良かったか?(既読)

ネルケ:怒らないで、ソノミ!違うの!あなたがわたしを頼ってくれたことが嬉しいの(*´▽`*)!

ソノミ:嬉しい?(既読)

ネルケ:うん!だってソノミはわたしにとっても一番親しい友達だから、そんなあなたに頼られるのが嬉しいの(●´ω`●)!

 ネルケの奴、私のことを“一番親しい友達”って……まっ、まぁ、私も確かにそう思っている。

 ネルケは大切な友達。彼女のためになら命を投げ出せる。

それくらい私はあいつのことを愛している。多分それは、家族愛に近い形で。


―ENIL―

ソノミ:それで、お前、ファッションには明るいよな?(既読)

ネルケ:そうね……別にそこまでではないけれど、流石に遊園地にジャージで行くことはしないかな(´・ω・)?

ソノミ:ぐっ!あの時は仕方ないだろ!争奪戦が終わってすぐだったし、12時間の空の旅も待ち受けていた。だからあんな格好をしていたんだよ!(既読)

ネルケ:うん、そうよね。(´>ω<`)それでソノミ、今部屋にある服を見せてくれる(。´・ω・)?

 そんな流れになるとは薄々感じていた。

 だが……クローゼットを開きたくはなかった。

 そこには悲痛な現実が広がっていることは私は知っていた――デートという死地に赴くに相応しい衣服など、1着も持ち合わせていなかったのだ。


―ENIL―

ソノミ:〔画像を送信〕

ネルケ:あの、ソノミ……本当に持っている服はこれだけ?

ソノミ:そうだ(既読)

ネルケ:あなた――まっくろくろ〇〇なの?

ソノミ:多分くろ〇〇が混ざり込んでいても、保護色で気が付かないだろうな(既読)

 ネルケが私の服を見て、唖然としたであろうことは容易に想像がつく。

 だってあいつ、いつもは顔文字を多用しているというのに……この時ばかりはそれを忘れ、生の文章だけを送ってきていたのだから。


―ENIL―

ネルケ:ソノミ、明日は暇かしら?暇じゃないなんて言わないでよ!(゚Д゚)ノ

ソノミ:ああ。午前中なら空いているが?(既読)

ネルケ:それじゃあ、明日絶対に服を買ってきなさい!店員さんのおすすめでも、ネットの記事のおすすめでもなんでもいいから!あっ、もちろん黒単色はだめよ?そして夜にわたしに写真を送って(; ・`д・´)コーデはわたしが考えるから!!

ソノミ:えっと、具体的に何着買えばいい?(既読)

ネルケ:最低30は欲しいところだけれど(o・ω・o)?

ソノミ:30!?バっカかお前!?(既読)

ネルケ:バカじゃないわよ(`ε´)!むしろガラパゴスなのはソノミの方なんだからっ!でも、そうね……それなら、とりあえず上下5着ずつは買ってちょうだい(´・ω・)

ソノミ:ちなみに、1着あたりの予算は1,000円以下で良いか?(既読)

ネルケ:ハァ(っ ゚Д゚)?

ソノミ:服に1,000円以上払えって言うのかよ!?(既読)

ネルケ:ねぇ、ソノミ?グラウと二人っきりで遊園地に行くのよ?デートなのよ?ヽ(`ー´(@@;)ゝ

ソノミ:それは……わかっている(既読)

ネルケ:だったらケチってはだめよヾ(。`Д´。)ノ彡!服って、とても大事ものなのよ(。-`ω-)安いのは長く持たないし、やっぱり相手からもそれ相応の印象持たれる。良いものは長持ちするし、見栄えもするの。ソノミ、あなただってグラウの前で良い恰好したいでしょ?だからわたしに頼ってきたのよねヾ(゚ー゚ヾ)^?

ソノミ:それは…そうだが……(既読)

ネルケ:ならば奮発しなさい!金に糸目をつけずにね!具体的な金額は指定しないから、あとはあなたの気持ち次第よ(´ω`*)

ソノミ:……わかった。今日の内に店を調べておくとする(既読)

ネルケ:ええ、そうしてちょうだい。本当はわたしも服選びについていきたかったけれど……ソノミが明日買ってくる服に期待するわ(*^。^*)!


 そして昨日。私はガラでもなくスローファッションを中心に取り扱っているアパレルショップに行ってきたわけだ。

 店員さんは優しかったが……非常に押しが強かった。

まるで着せ替え人形の様に多種多様な服を着させられ、結局予算ギリギリの15着を買わせられてしまった。

 今月は……もやしを中心の生活になりそうだな。


―ENIL―

ソノミ:〔画像を送信〕

ソノミ:以上が私が買ってきた服だ。どうだ?(既読)

ネルケ:うん、可愛い服ばかりじゃない!結局真っ黒い服を買ってこないかって心配していたわ (*^▽^*)!

ソノミ:店員に止められなければ、そうしていただろうな(既読)

ネルケ:えぇ(‘Д’)……

ソノミ:しかしよ、ネルケ。最近の若い連中はこんな服を着ているんだな。恥ずかしくないのか?(既読)

ネルケ:ソノミ、あなた大人びているけれど、それでもまだ19歳の女の子なのよ!その反応はおかしいし、あなたも明日その恥ずかしい服を着るの゛(`ヘ´#)!

ソノミ:そうか……。でも、こんな私に似合うのか?(既読)

ネルケ:ソノミ、今すぐ鏡を見なさい(◎`ε´◎ )!

ソノミ:鏡?(既読)

 いきなり鏡なんて言われて、私は困惑した。

 けれど彼女に言われたとおり、私は洗面台の前へと立った。

 そこに映っていたのは――何処にでもいそうな、特にこれといった特徴もない凡庸な顔立ちをした少女。強いて言えば……濡れ羽色の長い髪と、青い瞳は特徴と言えるのだろうか。


―ENIL―

ネルケ:あなたはわたしから見て――超絶美少女なのよ(≧Д≦)!

ソノミ;そんなことはない(既読)

ネルケ;そんなことはあるの(`△´#)!良い、ソノミ?一番大事なのは主観なのよ!

ソノミ:主観?何が言いたいんだ、お前?(既読)

ネルケ:自分を愛しなさい、ソノミ(・ω・)b。そうすることが大切なの。そうしなければ、いくら美少女であってもいずれ劣化していく(。>0<。)。でも、逆に自分への自身を持ち続ければ、むしろ綺麗になっていくのよ(‐^▽^‐)

ソノミ;はぁ?

ネルケ:わたしたちの戦いの腕に例えたら、あなたでもわかるかしら(・_・?)?

ソノミ:戦いの腕……一度自分の力量に疑問を持てば、そこから立ち直るのは難しい。次の戦いが怖くなるだろうし、進歩も止まる。むしろ、弱い自分に逆戻りしてしまう。(既読)

ネルケ:そういうことよ、ソノミ!自身を持ちなさい、ソノミ!あなたは才能に溢れた可愛い女の子!あなたなら、どんなことだって成し遂げられるわ(*´ω`*)!

ソノミ:ネルケ……(既読)

 彼女の言葉がとても嬉しかった。

 私、あまり褒められた経験なんてなかったから。しかも、容姿についてなんて、グラウの本気かどうかわからない言葉と、兄様のお世辞ぐらいで。


―ENIL―

ネルケ:一応コーデを考えたわ。こんな感じでどうかしら?

ネルケ:〔画像表示〕

ソノミ:これは……お前、敢えて一番恥ずかしい服を選んでないか?(既読)

ネルケ:だから恥ずかしくないってば( `―´)ノ!ソノミ、自身を持ちなさい!

ソノミ:そっ、そうか?わかった。この組み合わせでいくとする(既読)

ネルケ:うん、そうしてちょうだい。あっ、ソノミ、一つお願いしても良いかしら (。´・ω・)?

ソノミ:なんだ?(既読)

ネルケ:二人が遊園地を楽しんでいる証拠写真を撮ってきてくれるかしら (o・ω・o)?

ソノミ:証拠写真だ?(既読)

ネルケ:ツーショットね!グラウだけじゃなくてソノミも映っていて、二人とも笑っているやつ以外ダメね(*’ω’*)!

ソノミ:私とグラウが互いに笑っているだ……?無理難題を言いやがって……(既読)

ネルケ:あなたたち二人、あまり笑わないもんね……(^▽^;)。でも、せっかくのデートなんだから、思いっきり楽しんできて!それじゃあ頼んだわよ!ソノミ、d(@^∇゚)/ファイトッ♪

ソノミ:そこまで言われたら、わかった。それとネルケ……ありがとうな(既読)

ネルケ:(゚∇^d) グッ!!

「恥ずかしくない、恥ずかしくないと念を押されたが……やはり、滅茶苦茶恥ずかしい……」


 誰にも聞こえない様、小さな声で独り言つ。


 肩が露出した鮮やかな花柄のブラウス。世間ではこういう服を「オフショル」と言うようだが、そんな言葉は初めて聞いた。

 藍色のミニスカートは、膝さえ隠してくれない。まぁ、いつもそのぐらいの丈のものを履いているけれど……それはソックスを履いているから恥ずかしくなかっただけで、生足を露出するのは抵抗が凄まじい。

 というかこれ……風が吹いたり、激しく動いたらショーツが見えてしまいそう。あの女性店員は「むしろ誘惑しましょう!」などとほざいていたが……羞恥を考えれば普通履けたものじゃないだろ!!


 それに、今日はやけに視線を感じる――もしかして、香水を付けすぎたのだろうか?

 半日は過ごすからということで、ネルケの勧めに従いパルファムを選んだ。多分今はミドルノートぐらいの香り立ちだと思うが、自分では今どれくらい匂っているのかよくわからない。

 あるいは、この髪型が変なのか?ゆったりとした三つ編みのサイドテールなんて、私には小洒落過ぎていたか。やはりいつもの様に、単にポニーテールで来た方が良かったのだろうか。


 ああ、もうだめだ――落ち着かない!


 グラウに会うのがこれ程待ち遠しいなんて。

 けれど同時に、グラウに会うのがとても怖いんだ。


 矛盾しているのはわかっている。でも、あいつに今の私を見て欲しいという気持ちと、もしかしたらあいつにがっかりされるかもしれないという恐怖が、私の中でひしめき合っているんだ。

 今までグラウと顔を合わせることなんてなんとも思っていなかったのに、ここまでやってくるのにとても覚悟が必要だった。


 けれど……負けるな、私!今日こそ――私の気持ちを彼に伝える絶好の機会なんだ!!


「――悪い、待たせたか?えっと……ソノミ、だよな?」


 聞き慣れた彼の声に――私は条件反射で振り返った。

 ああ、どうやら私は結局……彼に今すぐにでも会いたかったみたいだ。


「グラウっ!」


 そして私は、彼の名を呼んだ。

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