幕間1 ♯2
〈2122年 5月15日 9:50AM〉
―ソノミ―
「それで、“大事な連絡”って何だよ?大したことじゃなかったら……わかっているよな?」
おんぼろのソファに深々と座り、頭を捻って軽く睨みを利かせると――白髪交じりの髪をした背広の男は、バネがイカレた首振り人形の様に何度も首を縦に振った。
なんとも情けなくへこへこしているラウゼだが、これでも私なんかよりずっと年上。加えてこいつは“元
そんな目上の立場の人間に、小娘風情が容赦なくガンを飛ばすなど無礼千万――?一般的にはそう。しかし、この男が私にしてきた数々の悪行を鑑みれば……きっと世論も私の味方をしてくれるはずだ。
当時16才の寄る辺なき少女に、この男は何と言ったか?騙された私も悪いのだが――「僕の組織は福利厚生が充実している」とか「高い給料を支払うよ」とか……こいつはそんな甘言をいくつも並べ立て、そして私をP&Lに加入させた。
それが実際どうだったか?休暇はろくにないわ、“何々手当”など一切ないわ、こんなに働いているのに給料は雀の涙とか――こいつの正体は、邪智に長けたペテン師野郎だ!
ほんと……私とグラウに寝首を掻かれないようにせいぜい用心しとけよ、お前。
「えっと……ソノミ君。詳細については、グラウ君の到着まで待っていてくれるかな?」
「グラウの……?」
そうか、あいつも呼び出されていたのか。と言うことは……やはりネルケのプレゼント関連?いや、あいつと二人での任務の線もまだ捨てきれないか。
でも……それはそれで悪くはないな。ここのところグラウとは別行動が続いていて、かれこれ一週間以上彼の顔を見てはいない。だから、少しでも同じ時間を過ごせるなら……それでも私は十分幸せだ。
グラウの到着まではまだ時間がかかりそうだよな。暇つぶしに、スマホでも弄っているとするか。
「ソノミちゃん、今日は何を飲むかしら?」
そう思い、スカートのポケットからスマホを取り出そうとしたところで――ラウゼの隣でデスクワークに勤しんでいた、赤茶色のポニーテールのオフィスレディが立ち上がり、私とは反対側のソファへと礼儀正しく腰掛けた。
「そうだな……“缶に入った煎茶”」
「HeyTea!ね。わかったわ」
ミレイナは冷蔵庫へと向かい、中から緑色の包装のペットボトルを手に取った。それからコップへとお茶を注ぎ、私の元へと運んできてくれた――私の大好きな煎餅と共に。
「わざわざ悪いな」
「良いのよ。あたしには、れくらいしか出来ないから」
「いや……ミレイナにはいつも助けられている」
コップを傾けて唇を濡らし、話を続ける。
「お前の後方支援がなければ、私たちは何度も窮地に陥っていたことだろう」
凄腕のハッカー、ミレイナ。彼女は任務で必要となる情報を調べ上げ、それを私たちに提供してくれている。
そう、彼女がいるからこそ、私たちは現地で不自由なく行動出来るのだ。
「いいえ。あたしがしていることなんて、たいしたことないわ。ソノミちゃんとグラウくんが頑張ってくれているからこそ、今のP&Lがあるのよ」
如才ない受け答えもまた、彼女の美点の一つ。
さて……早速煎餅の包み紙を破り、パクリ。
「パリっ、ボリっ……それにしても、お前に対してこの男は――」
「それ以上はもう勘弁してあげて、ソノミちゃん!」
ミレイナが言うなら……仕方ない。もっと愚痴をたらたらぶちまけてやりたいところだが、今日の所は勘弁してやるとしよう。
しかし、やはり美味しいな。この食欲をそそる香り、口に広がるさっぱりとしたしょっぱさ。醤油煎餅こそ、煎餅界の王様なのではないだろうか。
――ぎぎぃぃっっっ
「失礼するぞ……って、ソノミもいたのか」
建て付けの悪い扉が開かれ、事務所に入ってきたのは――灰色の髪をした、ルビーの瞳の男。
私がよく知る普段の彼は、紺色のコートに黒のスキニーというイメージ。しかし今日は、白を基調とした生地に黒い花が描かれた柄シャツ、細身のジーンズというコーデ。
彼の被服なんて、今まで気にもしなかったが――案外こいつ、洒落た格好をしているよな。
体型に合った服を選んでいるし、こいつ自体スタイルが良いし……そもそも素材からカッコ良いし。
それに対し私は――
「私がいたら不満か、グラウ?」
「いや……久々に後輩の顔を見れて嬉しいぞ、俺は」
こいつ、歯の浮く様な台詞をド直球に言いやがって……素直に喜びそうになったじゃないか。
「で、ラウゼ。結局何の用事で呼び出したんだ?」
ぷいっとそっぽを向いた私なんかに目もくれず、気が付けばグラウはラウゼの元へと直行していた。もう少し私に構ってくれよ、寂しいだろうが。
「うん。二人とも揃ったことだから話を始めようか――コホンっ!!」
わざとらしく大きく咳払いをし、ラウゼは胸ポケットからチケットを二枚取り出し――
「君たち二人に――ここに行くことを命じる!」
それをデスクへと叩きつけた。何やらファンシーな絵柄が描かれているが、いったい何のチケットだろうか?
「おいおい……あんた、気でも触れたか?」
「至って正常だよ!ソノミ君もグラウ君も、ここの所僕への当たりが強くないかい?」
「「自業自得だろ!」」
示し合わせたように私とグラウの言葉が重なった。
それはそうと、ここからでは結局何のチケットなのかが確認出来ない。私も二人の方に向かい、チケットを一枚手に取り……って、これは――ディーゾンネ遊園地のチケット!しかも、終日アトラクション乗り放題の権利まで付いているじゃないか!!
この遊園地は事務所から小一時間の所にある。いつだかその前を通りかかったことがあったが、平日にも関わらず親子連れと……カップルで賑わっていたよな。
「……ラウゼ。俺たちはつい先日地獄と化した遊園地で死闘を演じたんだぜ?それなのに、これは当てつけか?」
「いや、準備したのは僕ではないから文句を言われても……あっ」
準備したのはラウゼではない、か。と言うことは――やはり、これがネルケのプレゼントとやらか。
「おい、あんたじゃないならいったい誰が準備したんだ?」
グラウが獲物を狙う鷹の様な眼光で脅すせいで、ラウゼの顔は真っ青。ラウゼも、ネルケからのプレゼントだと素直に白状すれば良いのに。
「そっ、それは………」
いや、待てよ。もしかしてだが……ラウゼの奴、ネルケに「わたしからだと明かさないで」とでも釘を刺されているのか?
見当違いの可能性はあるが……仕方ない。ラウゼを救ってやるか。
「グラウ。それで、お前はどう思うんだ、遊園地?」
グラウは一度溜息を吐いて、それからなんとも気怠そうな表情を私に向けてきた。
「行かない」
「……えっ?お前っ、今なんて?」
「絶対に行かない。行くわけがないだろ」
ちょっと待てよ!お前、「行かない」って何だよ!!
「ラウゼ、二つ質問させろ」
「答えられる範囲内でなら」
動揺する私を尻目に、グラウは改めてラウゼへと向きなおった。
「今P&Lは繁忙期を迎えている。一日に最低一件以上依頼をこなしているような状況だ。それなのに、どうして唐突に休暇なんだ?本当にそんな余裕があるのか?」
「ああ、依頼については気にしないでくれて構わないよ」
「気にするな、か……あんた、何か隠してないか?」
グラウの鋭い指摘に、ラウゼの表情が翳った。図星と言うことか。
「まっ、まぁ、別に隠しているわけではないのだけれどね。現状それを二人に伝えるのはまだ早くて。今はお試し期間なんだ」
「お試し期間?」
「おっと、これ以上は話せないよ」
謎が謎を呼ぶ様な核心の見えぬ言動に、私はちんぷんかんぷんだ。
そしてグラウはと言うと、「どうせ追求したところで、どうせラウゼは答えない」と諦めたらしく、どうやら次の質問に移るようだ。
「二つ目。俺たちに遊園地に行ってこいということは、すなわち俺たちに休暇を与えるってことだよな?」
「そうだとも。束の間の休暇で申し訳ないけれどね」
「なら――別に、わざわざ遊園地に行けと指定される覚えはないのだが?」
おいおい待てよ、この流れは……不味くないか?
「休暇をくれると言うのなら、せめてその日ぐらい俺たちの好きにさせてくれ。俺は休日引きこもりたい。一歩も家から出たくないんだよ」
「出不精かよ、お前っ!」
「その通りだ。たっぷりと睡眠を取って、目が覚めたら録り溜めておいた映画を消化して……それで良いだろ、ラウゼ?」
「うぅむ……確かに、グラウ君の言うとおりか。このチケットはもったいないけれど……たまの休日ぐらい、君の好きにさせてあげるべきだね」
待て、待て、待てっ!そこは止めろよ、ラウゼっ!!お前、ネルケからチケットを託されたんだろ!?
どうする、どうする!?このままでは、遊園地行きが白紙になってしまう――!
「ソノミもそれで構わない――って、ソノミ?」
「っ!」
首をがむしゃらに横に振る。
いやだ、そんなの……絶対に嫌だ。
せっかくネルケにお膳立てしてもたったというのに、それを無下にするなんて――違う、それは第一の理由ではない。
これは私の我がままだ。私は――グラウと一緒に遊園地に行きたい!
もう二度と、こんなチャンスは訪れないかも知れない。だから、この機会を棒に振りたくないんだ!
「グラウ……一緒に行かないか、遊園地?」
「……珍しいな。ソノミがこういうのに乗り気だなんて」
グラウは不服そうな顔をしている。頑として遊園地に行きたくないのだろう。
それに、彼の言う通り、少し前の私だったら……一つ返事で、遊園地に行くなんて断っていただろうな。こんなチケット、真っ二つに引き裂いていたかも知れない。
「俺たちのガラじゃないだろ?俺たちは互いに、こういう所で素直に楽しめるような質ではないだろ?」
然り。それは紛れもない事実だ。
もしも私ではなくネルケとだったら……こいつも遊園地行きをあっさり承諾したかもしれない。彼女の人柄を考えれば、遊園地を二倍、三倍と楽しむことが出来るだろうから。
けれど私は……そういう場所ではっちゃけることが出来ない性格だ。だから、私と行っても、こいつはつまらない思いをするだけなのかもしれない。
でも、それでも――私は諦めたくない!
「それは……やってみなければ、わからないだろう?」
「ソノミ、どうしてそこまで遊園地に行くことにやけになっている?ソノミも休暇を求めているんじゃ――っ!」
グラウへと歩み寄って、彼の顔を両手でパシンと挟んだ。
「……なんのつもりだ?」
怪訝な目を向けられる。わかっているよ、おかしな行動をしていることぐらい。
「グラウ。今から私らしくないことを言う。だから、ちゃんと聞いておけ」
覚悟を決めろ、私。ここで退いては、必ず後悔する。今なんだ、一歩踏み出すときは。
何事もそうだ――やらないで後悔するより、やって後悔した方が良い!
「その……案外面白いかもしれないだろ。私とお前の二人っきりの……で、デートっていうのもっっ!!」
「っ!?そっ、ソノミ?」
顔が熱くて仕方がない。まさか、この私が“デート”なんて惚気た言葉を使う日が来るなんて。
でも、間違ってはいないだろ?男女二人っきりで、しかも遊園地なんだから!!
それで、グラウの反応は……おい!顔を逸らすなよ!!私の方が何倍も恥ずかしいんだからなっ!!
「――グラウくん。女の子にここまで言わせたんだから、行ってみてはどうかしら?」
「ミレイナ……!」
ソファでコーヒーを呑んでいた彼女が、私に助け船を出してくれた。
「………はぁ」
けれどグラウは溜息を吐いて……この反応、やはりダメか?こいつも私と同じで、結構強情な所があるから――
「それで、いつなんだ?」
「休暇がかい?明後日を予定しているよ」
「そうか……なら――」
グラウが私を真っ直ぐ見つめてきた。てっ、照れを隠せないから止めて欲しい……。
「ソノミ――明後日、遊園地で集合。それで良いか?」
「グラウっ!」
遊園地で集合って――グラウもその気になってくれたということだよな!!
っと、あまり喜びを顔にしては色々とバレてしまうから……ん?グラウ、どうして急にスマホを取り出したんだ?
やけに光沢があって、それって新品?と言うことは、もしかして――
「それがお前の新しいスマホか?」
「ああ、その通りだ。前のスマホのデータを全て失ったのは痛いが、やはりS11まで来ると機能の向上が凄くてな……と、ソノミ。良ければENILのIDを教えてくれないか?」
私のENILのIDを……よっ、喜んで教えるに決まっているだろ!
「もちろんだ!」
スマホを取り出し、ENILを起動して……私たちはIDの交換をする。
友達に追加された“グラウ”の名前。鷹のアイコンか……ふっ、おまえらしいな。
私から聞こうと思っていたのに、こうも簡単にグラウのIDを知ることになるなんて。ふふっ、先を越してやったぞ、ネルケ!
「それじゃあ、後はこっちで話そう。この後病院に行く予定があってな」
「そっ、そうか。お気を付けて」
「なんだか今日は変な口調だな、ソノミ」
「うっ、うるさい!」
仕方ないだろ……お前とデートの約束をした上で、連絡先まで交換して、それで喜ぶななんて無理な話だ!
「次に会うときは遊園地でということで。それで良いな、ソノミ?」
「ああっ!明後日、楽しみにしている!!」
グラウはチケットをボディバックにしまう。そして踵を返し、颯爽と事務所を去って行った。
「よかったわね、ソノミちゃん!」
「ああ、ミレイナ!」
思わず満面の笑みをしてしまったが……ミレイナに私のグラウへの気持ち、バレて……ないよな?
「そっ、その、ミレイナ……お前、私が今何を思っているかなんて、わかるはずないよな?」
「うふふっ!」
えっ、なんだその反応?いや、まさか――
「ソノミちゃん。あなた、恋する乙女の顔をしていたわよ?」
「……んなっ!?」
なんだよ、恋する乙女の顔って!でっ、でも、私もそんな表情……出来たんだ。
「若いって良いわね。まさに青春ね!」
「私もグラウもそんな歳ではない!」
何の気もなくそう言ったのだが……何故かミレイナの表情が一気に曇っていく。
「えっと、どうしたんだ、ミレイナ?」
「19歳にそんな事を言わてしまうと、なんだか自分が年増なんじゃないかと思えてきたわ……」
しまった……地雷を踏んでしまったようだ!今すぐ善後策を講じないと!!
「お前だって
「まだ……」
「しまっ――ミレイナ、お前はぴっちぴなガールだ!!そうだよな、ラウゼっ!?」
「こんな時に僕に話をふらないでくれよ、ソノミ君!悪いけれど、僕はその質問に答えられないよ。何故なら、ほら……僕がイエスと言っては、危険な臭いがしてしまうだろ?」
うっ……それもそうだ。ラウゼとミレイナとでも、親と子ぐらいの年が離れている。ここでラウゼが私の問いに首肯してしまっては、ラウゼは年下狙いの中年の親父という称号を獲得してしまう。
とてつもなく気まずい雰囲気だ……くそっ、ここは――!
「そっ、それじゃあ私も帰るっ!ラウゼ、私たちが不在の間の依頼の処理は任せたぞっ!!」
「うん。存分に楽しんできなさい」
「あっ、逃げるつもりね!ソノミちゃ――」
小走りで事務所から脱出。扉越しにミレイナの怨念がましい声が聞こえてくるが……聞かなかったことにしよう。
「グラウと二人っきりで遊園地、グラウとデート……よしっ!」
今からワクワクが止まらない。早く明後日になって欲しい!
でも……どうしよう。冷静に考えてみると……不安だらけだ。
私はデートに何を着ていけば良い?現地でどう振る舞えば良い?どうすれば……グラウに、一人の女として見てもらえる?
そんなこと、私にはわからないんだよ。だって、私は――
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