第1話 出会いの夜、撫子は甘い香りを漂わせて…… Part5

〈2122年 5月7日 1:29AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約23時間〉―グラウ―


 10分という時間は短いか、それとも長いか?この問いにはいくつもの答えが存在するだろうが、俺は取りあえず二つの答えが思い浮かんだ。


 まず一つ目の答えは“人による”、だ。例えば、若い人間と高齢の人間とを比較してみるとする。世には、「大人になると時間の経過が早くなる」という言説が存在する。確かに俺も、ガキの頃に比べればずっと一日が短くなったような気がするし、これに関連して“ジャネーの法則”というものがある。その法則と言うのは……まぁ、簡単に言ってしまえば、「生涯のある時点における心理的な時間の長さは年齢に反比例する」というものだ。この法則に従うと、20代近くには人生の半分が過ぎてしまっているということになるそうだが……「人の生は光陰矢の如し」、というわけだな。

 とまぁ、この第一の答えからすれば、たぶん若い人間は10分を比較的長く感じるだろうし、高齢の人間は10分が刹那のように感じる、という結論が導き出せそうだ。


 しかしながら体感の時間を年齢という尺度のみで考えるのは不足があるだろう。そこで二つ目の答えは“その時々による”、だ。これの例は、何か通信販売を注文して待っている時のあれだ。荷物が到着するのを待つ一日は、何故か他の一日よりずっと長く感じてしまう。この法則に名称はないが、名付けるなら……そう、“待ち遠しいときは時間が遅くて、嫌なことの最中は時間が無限に感じる法則”、だな。


「はぁ……」


 思わず嘆息。しかしその嘆きは、空しくも誰に拾われることもなく土の中へと還っていく……


 先の10分という時間は長いか短いか、それの俺の今まさにこの時の回答は――長い、それこそ、もう一時間待っているんじゃないかというぐらいにだ。

 折角出来た隙間時間なのだから、仲間たちとたわいない話でもしていれば良いのかもしれない。しかし俺たち三人を支配する空気は、まるで沈黙を遵守しろと言わんばかりに重っ苦しくて仕方がない。


 ソノミ。彼女は身じろぎ一つせず、依然として柱に寄りかかったまま。その青の瞳を閉じて、まるで瞑想をしているようだ。


 ゼン。彼は縁側に仰向けで寝ている。たった数分前は元気に起きていたはずなのに――ずずず……といびきが聞こえてくる。いくら何でも不用心が過ぎるのではないだろうか。


 そして俺はというと……時間を効率的に潰そうと、気を逸らすことに専念。行儀良く縁側に座って背筋をピンと伸ばし、その左手にはスマートフォンを握り、右手は画面を弾くフリック――読書タイムだ。


 『異能力者と人間の未来』、著クルト・イステル。日本に来る前日に購入しポチり、それからずっと読み続けている学術書。内容はそのタイトルの通り、世界における異能力者と人間・・との不平等社会の現状、そして予期される大革命について痛烈に記されている。

 中でも興味深いのは、やはり大革命の章であろう。数年、もしくはまもなく、異能力者の地位と人間・・との地位が逆転する――まぁ、わからなくもない。むしろ論理的に考えた場合、現状の社会のバランスは“変”だと言えるであろう。

 確かに人間・・……非異能力者と異能力者とでは、非異能力者の人口の方が圧倒的に多い。故にマジョリティー大多数たる非異能力者を中心に世界の秩序が形作られている。しかし、だ。もしも異能力者が束になり、そして一斉に非異能力者に襲いかかった場合――数だけが物を言うわけではなくなる。たぶん五割超えの確立で……異能力者が勝利するであろう。


 ここでクルトは、異能力者中心の世界へと至るための二つの方策を提案する。一つ目は異能力規制法の撤廃、二つ目は異能力者の指導者――王という存在を求める……あまりにも急進的ラディカル過ぎるというのが、俺の感想だ。

 異能力規制法。これは、異能力者と非異能力者との間で賛否が二分される。前者はそれを悪法と呼び、後者はそれを良法と呼ぶ。それもそうだ。その内容は異能力者の差別の肯定なのだから。しかし物の見方によっては、この法があるからこそ、異能力者の暴力性は押さえ込まれているとも――


「時間だ」


 画面に映し出された文字列から少し目線を移動。スマートフォンが指し示した時刻は1:35AM。俺たちの集合予定時刻ぴったり。

 なるほど。どうやらソノミは正確な時計を体内に有しているようだ。


「うっ、うう……ふあぁ、あ。結局来てないんすか、先輩方?」


 ゼンは寝ぼけ眼を指で擦りながら、欠伸を一つ。


「残念ながら、な」


 スマートフォンの画面をオフにし、束の間の休息の時間は終了だ。ボディバックにそれをしまい、右足を上に足を組み直す。


「もしかして、っすけど……その人、ここに来る前にへばっちゃったんすかね?」


 ゼンが言わんとしていることは、壬生神社の険しい石段の前に上りきるのを挫折した――などではないだろう。壬生神社まで至る前に事切れた。ゼンはその可能性を指摘している。


「もし本当にそうならば……この神社の周囲に、他の組織の連中がいることも考えられ得るな」


 腕を組みつつ、起こりうる可能性を頭の中で列挙していく。彼女はそもそもこの場所に来るつもりはなかった。俺たちの居場所を知る彼女が、その仲間を引き連れてこの場所に襲撃をかけようとしてくる。何にせよ――


「ネルケ・ローテは信用ならないヤツで確定したな。どうする、グラウ?」


 然り。ソノミの言う通りだ。

 日本には“五分前行動”という言葉がある。「予定時刻よりも5分早く、余裕を持って行動しろ」という教訓だ。それを遵守しろ、なんてことは思わない。ただ最低限、予定時刻に到着してくれれば良かった。そうすれば、彼女への疑いが増すこともなかったというのに……


 ラウゼより現地での指揮は俺に任されている。リーダーとして、決定を下さねばなるまい。


「ここを離れる。彼女が裏切り者であった場合にせよ、彼女が既に死亡している場合にせよ、ここに留まり続けるのは危険だ」


 彼女が既に死亡している場合……彼女の遺留品から俺たちの情報が抜き取られていることも想定される。まぁ、そのことを敢えて指摘しなくても、二人はわかってくれているであろう。


「よって彼女には秘匿していた第二集合地点へ向かい、その場所において改めて今後の作戦を確認する。以上。異議はあるか?」


「ないっすよ、グラウ先輩に従いますよ」


 ゼンはふっと笑って、親指をまっすぐ立てサムズアップてきた。


「右に同じく。それより、一刻も早くこの場所を離れるべきだろ?」


 ようやくソノミは柱から身体を離し、そして身体をほぐすように首を回し始めていた。


「そうだな。またあの石段地獄に足を運ばねばならないと思うと思いやられるが……下るとしよう」


 ボディバックを背負い、ホルダーベルトを調整……よし。

 俺を先頭に、ソノミとゼンが少し後ろ、左右に並んだ。第二集合地点はここから20分ほど離れたビルの屋上。もしも他の組織の襲撃を受け、俺たちがバラバラに分断された場合、そこを目指すことになっていたのだが……まさか、こんな理由のためにそこに向かわねばいかなくなるとはな………うん?


「なんだ、この匂い?」


「どうした、グラウ?」


 ふと、甘い香りが鼻腔をくすぐってきた。奥ゆかしく、ほのかに甘い匂い。

 この匂い、何処かで嗅いだことがあるような――ああ、そうだ。思い出した。

 昔、ユスに連れられて巨大な植物園に連れられていったことがある。その時だ。その時、俺はこの匂いと邂逅を果たしている――撫子。薄紅色をした、細く切れ込みのある花弁をした花。ここ日本では、“大和撫子”という言葉があるくらいに親しみをもたれている花だが……この境内の何処にもその花が咲いているのを見てはいない。それなのに、どうしてこの匂いが――


「あっ………」


 先ほどまでにはそこには誰もいなかったはずなのに――石段を上り終え、参道を少し先へと進んだところ。蒼青の光を一身に浴びる一人の女性。

 一度彼女を視界に捉えてからというもの、眼球が、彼女の情報をできる限り収集しようと激しく動き回って一地点に止まろうとはしない。


 そのアメジストの瞳は、まるで小動物のようにくりっとしている。鼻は小さいが形が良い。ピンクがかった唇は官能的で情を掻き立ててくる。顔の輪郭はまるで彫刻で作られたかのように完璧なライン。髪の色はクリーム色で、そのセミロングの髪をロープ編みのハーフアップにしている。

 彼女はたぶん、“美しい”、“綺麗”というよりも、むしろ“可愛い”という言葉の方が似つかわしい。しかし、それだけではない。

 身長は160cmくらいで細身。抜群のスタイルをしていて、出るところは出ていて、へっこむところはへっこんでいて……特にそこは、男の視線を半ば強制的に釘付けにさせる。D以上E以下ぐらい……はっ、何を良からぬことを考えているんだ、俺は!?

 だが彼女を構成する情報は、その被服についてのことも欠かせないであろう。頭部以外を全て覆い隠し、しかしうっすらとその柔肌を覗かせる黒色のそれは……その伸縮性がありそうな素材からするに、ボディストッキングか。その上に胸元からお尻までのラインに関してはは、紺色のライトプレートにより守られている。そして彼女は膝までの黒のブーツを履いていて――


「おい」

「っ!?」


 ダメだ。どうも落ち着きを失い、取り乱されている。ソノミに小突かれなければ、彼女を前に危うく呆然と立ちすくみ続けるところであった。

 でも……仕方ないだろう?誰だってそこに、絶世の花が咲いていたならば――それに目を奪われても仕方がないのだから。


 だが、彼女がもし、例の彼女と一致するのであれば……この思いは、全て断ち切る必要がある。その場合彼女は撫子というより、トゲの生えた薔薇。うかつに触れれば、血を流すのはこちらの方だ。


「あんたが……ネルケ・ローテ、か?」


 気を取り直し、毅然とした態度を作り上げる。未だ俺を悩ませる蠱惑的な匂いに抗いながら、こちらの疑念を悟られないように。


「ええ、そうよ」


 たった5文字の言葉が、彼女の薄い唇から発せられただけだというのに――まるで鼓膜が慰撫されたような、そんな甘い声。


 彼女はふとニコリと微笑んだ。

 ドキリと、俺の心臓が跳ねる――どうやら、抗えてはいないらしい。


「久しぶりね、グラウ――」


「はあっ?」


 しかし続けて紡がれたその言葉には、魅惑に先んじて疑惑の感情が芽生え出した。

 何を言っているのだろうか、この人は?「久しぶり」だなんて。俺たちは、今日この時が初対面だというのに。

 いや、俺が一方的に彼女との邂逅の記憶を忘れているだけ?そんなことがあるか。既に彼女と出会たことがあるとすれば……その記憶を、忘れることなど出来るはずがないだろうに。


 ああ、頭が混乱する――彼女は、嘘を吐いているはずなのだ。それなのに、どうしてそんな満面の笑みで見つめてくる?理解出来ない。結論を出せない。俺はもう、彼女の色香に飲み込まれてしまっているのか――ん?彼女が……消えた?

 不躾にも彼女を舐め回すようにして、彼女から視線を外すことなんて一秒たりともなかった。それなのに、彼女は突然その場から姿を消した。いや、違う。そうじゃない。彼女がしたのは――


「――愛しているわ、グラウっ!!」

「――――――――――――――っ!??」


 忽然と姿を消したはずの彼女が――ふわりと甘い風を起こしながら、俺の目の前に現れた。

 俺と彼女との間には10メートルと距離があったはず。しかし彼女は、ほんと刹那の間に俺の前に移動したのか?いや、そんなことはどうでも良い。


 彼女は今、なんと言った?


 その言の葉は、確かに俺の鼓膜を震わせた。そしてその意味は、そう難しくはない。それなのに――思考が、追いついてはくれない。


「ちゅっ」


 目の前に彼女の顔がある。頭は既にパンクしており、湧き上がった様々な感情でてんやわんやの阿鼻叫喚。でも、何か……何かが俺の唇に触れているような………えっ?

 少しずつ、感覚を取り戻していく。それと俺の頬が火傷を起こしたかのように、熱く、熱く。脳は沸騰して、頭のてっぺんからは蒸気が上がっているのではないだろうか。


 そんな致命的な状態に陥っても仕方がないだろう――?彼女のその柔らかい唇が、俺の唇と重なっているというのだから。


※※※※※

小話 そう読めない時代もありました


グラウ:ソノミ、くノ一。なんて読む?


ソノミ:バカにしているのか、グラウ。「くのいち」だろ?


グラウ:いや、その通りなんだが……初見じゃそう読めなくてな。「くのぉー」って、「ー」を伸ばし棒だと思っていたんだ


ソノミ:まぁ、ぱっと見読み辛さはあるかもしれないな(く+ノ+一=女なんて蘊蓄、披露しなくてもいいか)


グラウ:あと登山口。これはどうだ?


ソノミ:「とざんぐち」。お前……まさか――!


グラウ:そう。「のぼりやまぐち」だと、今でも時々間違うことがある。ほら、日本には山口っていう名字あるだろ?


ソノミ:確かに知り合いにいるが……じゃあ少し毛色が違うかもしれないが……美人局。なんて読む?


グラウ:はぁ?美人局だぁ……局ってつぼねって読むよな?


ソノミ:春日局とかは確かにそうだな


グラウ:うむ……「びじんのつぼね」?「びじんきょく」?


ソノミ:「つつもたせ」だ。意味は……自分で調べろ。不健全だからな。じゃあ次。行灯、どうだ?


グラウ:「ぎょうとう」?


ソノミ:「あんどん」だ。なるほどな……ふふ、お前、けっこう漢字が苦手なんだな


グラウ:そりゃあ、俺は日本人ではないからな。だが、一つ重大な問題があるとすれば――


ソノミ:すれば?


グラウ:これらは俺が読めなかった漢字ではなくて、作者が読めなかった漢字であるということだ


ソノミ:あっ………

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