第2話 沈黙の空、響くは銃声。あるいは…… Part1
〈2122年 5月7日 1:50AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約23時間〉
―グラウ―
「ッ!!?いきなり何のつもりだ、あんたっッ!?」
密着してきた彼女を勢いのままに突き飛ばす。そして即座にホルスターから拳銃を引き抜き、そのクリームの髪を巻き込みながら彼女の額に
彼女の生殺与奪は俺が握った。これでもう、彼女が変な気を起こすことはあるまい。そう、そのはずなのに……どうしてあんたは、そうも余裕そうなんだ?圧倒的優位にあるはずの俺が未だ焦りを感じて、窮地であるはずの彼女がにこぉと笑みを浮かべているというこの構図。変だ、何かがおかしい。いや、そうか。彼女はまだ、何らかの秘策を――
「何のつもり、ね。そうね……あなたと再会を果たしたことで、わたしのあなたへの恋の炎に薪がくべられた。要するに、あなたとキスをしたくて堪らなくなったということよ。だからわたしはその思いに従って行動に移した。それだけのことよ?」
「は?」と脊髄反射の速度で口から言葉が漏れ出した。
何を言っているのだろうか、この人は?意味がわからない。俺は、絶対にこの女性に出会ったことはないはずだ。故に、彼女から好意を向けられる謂れは一切ないはず。
故に彼女はきっと、俺のことを誰かと――
「あんたは人違いをしている。違うか?」
「人違い、ね……そんなこと…そんなことない!わたしが愛しているのはグラウ・ファルケ。目の前のあなただけ。あなたがわたしのことを覚えていないとしても、わたしはあなたのことを知っている」
声を荒らげる彼女。目を見開き、俺のことをしっかりと見据えてきた。
この様子じゃ、どうも嘘を吐いているようにも見えない。だが、彼女の言うことは――
「それはそうだろうな。俺たちの情報はラウゼの手によってあんたには渡っている。しかし、その逆、あんたの情報は俺たちには知らされていない」
「……むぅ、そういう意味じゃないんだけれど――って!」
彼女は忘れていたのだろうか。この場において数の優位にあるには俺たちの方。気を許せば、即座に包囲されることが必然の状況であったということを。
「次に変な行動をしてみろ。俺が引き金を絞るより先に、ソノミの刀があんたの頭を身体から切り落とすかもしれない。もしくは……ゼンのダガーが、あんたの心臓を潰してしまうかもしれない」
「……あくまで、わたしのことを歓迎してはくれないということね、グラウ?」
「当然だ。俺があんたに抱く感情はただ一つ――疑念だけだ」
先ほどまでは彼女の色香に惑わされ我を忘れかけていたが、今は違う。彼女は撫子ではなく薔薇。慎重に扱わねば、俺たちが血を流す。
「でもね、グラウ。あなたたちにわたしは殺せないわ」
「ほう?今の俺がそのように見えるというのなら、あんたの目は節穴だな」
俺は……殺す相手の性別なんて気にしない。その人物の身空も、立場も、年齢すら厭うことはない。俺は冷酷な殺人鬼。無駄な情けなど、不要だ。
「いいえ、わたしの言っていることは正しいわ。だってあなたは、わたしなんかよりずぅ~~っと、賢いから」
「賢い?あんたは俺のいったい何を知っているという。不学の人間に、そんな形容詞は似つかわしくない」
彼女は何やら考え事をするかのように、その細い顎へと右手の人差し指をあてた。
「じゃあ、こう訂正するわ。あなたは狡猾、邪知深い、鬼畜……どれが良い?」
「今度は俺のことをけなしているのか?まぁ、先の二つはあながち間違いでもないが……一番最後のだけは否定させてもらう」
「でも、あなたは実際そういう人よ。そう、あなたは利用できるものを全て利用するような神算鬼謀の人。そんなあなたにとって……わたしだって、その利用できる対象の一つ。そうでしょう?」
「………………」
見抜かれている、というのか?俺の今の思考が?いや、そんなわけ――
「ここで殺すくらいなら、全てが終わった後に、ゼンくん、ソノミ…ちゃんと一緒に、わたしを数の暴力で始末すれば良い。だからわたしが怪しい異能力者であったとしても、ここで殺してしまうのは惜しい。だってあなたたちは今、猫の手も借りたいような状況なのだから」
まったくその通り。ぐうの音も出ない。
はぁ……彼女は読心術でも心得ているというのか?こうも人の考えを詳らかにされてしまっては――仕方ない。
「……そこまで見抜かれているというのなら……こうしよう」
彼女に俺の考えが筒抜けとなっている時点で、その手はもう通じないということだ。それはすまり――彼女の始末を決めるのは、今この時でなければいけないということ。
彼女が白か黒かを見抜くには……彼女という存在を象徴する、そのことさえ明らかになれば事足りるだろうか。
「一つだけ質問をさせてくれ。その返答よって、あんたの命運は決まる。ああ、嘘は吐かない方が良い。人っていうのは、意識的に嘘を隠すことが下手な生き物だからな」
彼女は悩む素振りも見せず口を開いてくる。
「いいわよ、グラウ。何でも聞いて?年齢、趣味、連絡先?それとも……正確なサイズ?」
右手でその膨らみのラインを撫でる仕草は、些か恥じらいがないのかとも思えるが……男としてはただ目のやり場に困る。
というか、気が付かれていたのか?視線を
だが、取り乱されるなよ、俺。この女性のことを数十秒後に手にかけるかもしれないのだから。
「……あんたの異能力はなんだ?」
「へぇ……とってもつまらないことを聞いてくるのね、グラウ。折角わたしのイケない秘密を知る機会だったのに、もったいない。でも、ちゃんと答えてあげるわ――」
小悪魔の様な笑みをしながら、彼女は続ける。
「高速移動。正確には時間を鈍化させるっていう異能力。具体的にはわたしを除く世界の速度を遅くしている、つまりわたしだけが普通の速度で動けるの。でもね、他の人から見ると、わたしが一瞬で移動しているように見えるみたいだから、高速移動ってことにしているの。どう?鈍化って言うよりも、高速移動って言った方がかっこいいでしょう?」
「やはり、か」
だいたい予想通りと言ったところ。俺はこの目で、然りと彼女のそれを見ていた。
あの時、俺と彼女との間には10メートルほどの距離があった。短い距離だ。とはいえそれを詰めるのには秒はかかる。けれども彼女は刹那の間に俺の目の前へと現れた。
この事実から推察するに、彼女の異能力の候補は縮地、瞬間移動、高速移動のいずれか。その内一つにまでは絞れなかったが、……なるほど、高速移動か。
彼女の紫の瞳は俺の目へとまっすぐ向いている。そんなこと、嘘を吐く人間が出来るはずがない。故に彼女が語る異能力の原理はたぶん、そのまま信用しても間違いないだろう。でも、そうだとしたら――俺たちの負け、か。
「ソノミ、ゼン。武装を解除しろ」
「はぁ?何言っているんだ、グラウ!」
二人に例を示すように拳銃をホルスターへとしまい、二人もそれにならって武器を納めた。これにて一件落着?いや――
俺の言葉を聞いてニコリと笑みを浮かべた彼女。対してソノミは納得いかないと叫ぶかのように声を荒らげてきた。ゼンは……まるで自分にはもうどうでも良いというように、口笛を吹き始めていた。
「グラウ、来いッ!」
ソノミがズシズシと近づいてきて、グワッと俺の左腕を掴んできた。そしてあまりに力強く引っ張るものだから、俺はその場でバランスを崩してしまう。しかしそんな俺のことなど関せず、ソノミは俺を彼女のものから遠ざけるようにと拝殿の裏まで引っ張っていく。そしてソノミは――胸ぐらを絞るかの如く掴んできた。
「グラウ、いったいどういうつもりだ?」
その瞳に宿る覇気は、男である俺に畏怖を覚えさせるほど……鬼の名は、伊達じゃないな。
「どうしてお前は銃口を近づけた時点で撃たなかった?どうして武器を下ろせなどとほざいた?まさかとは思うが、お前……あの女と、本当は知り合いだったりしないよな?」
疑われても当然といえば当然、か。何の説明もせずに一方的に事に始末をつけてしまったからな。
仕方ない。説明する他ないだろう。
「知らない、彼女のことなんて。俺とソノミとでは、彼女に関して所持する情報量に相違はない」
まくし立ててくるソノミの左右の肩を掴み、どうにか落ち着いてもらおうとするが……これといって効果はなし、と。
「ソノミ、俺が武装解除しろって言ったのは……俺たちでは、彼女に傷一つつけられないとわかったからだ」
「はぁ?お前は銃口を突きつけていて、ゼンと私もいるというのにか?」
「その通りだ。例えば、拳銃っていうのは引き金を絞れば直ぐに銃弾が発射される。それは疑いないことだろ?でも、正確にはその動作には僅かなラグがある。しかし俺たちはそのラグがあまりにも短いものだから、それを意識的に感じることは出来ない。だがな彼女にとっては……その一瞬は、あまりにも長すぎる」
「……ああ、なるほど。お前の言いたいこと、断片的にだがわかってきたきがする」
ソノミの手が俺の胸ぐらから離れていく。察しが良くて結構。流石はソノミと言ったところだ。
「俺の引き金を絞るという動作の間に、彼女は余裕で回避行動をとってくることだろう。いや、それだけじゃない。彼女の異能力は理論上、俺たちの体感数秒の内に、かなり遠くまで逃げることが可能だろうな。ということは、だ。彼女は今この時に至るまでに……幾度となく俺たち全員のことを殺すことが出来ていたはず。そうだろ?」
ソノミは少し悔しそうな表情を浮かべながら、ゆっくりと首を縦に振ってみせた。
彼女の高速移動の異能力は、俺の動体視力ではその残像しか捉えることが出来なかった。だから本気を出せば、俺たちは既に壊滅していたはず。しかしそれをしなかったということは――少しくらいは、彼女のことを信用しても良いのかもしれない。
「グラウ、それであの女をどうするつもりだ?」
「どうにも出来ない、というのが答えだろうな。三人でまとめてかかったところで、返り討ちにあうだけ。生き残れるとしたら……透明化が使えるゼンだけだろうな」
「もしもそうなれば……終わりだな、
「だから、彼女と共にこの争奪戦を戦うというのが結論だ。彼女の言う通り、猫の手も借りたいのが現状だ。まぁ、借りることになるのは、猫の手というよりもむしろ……獅子の手とでも言うべきか。もちろん、彼女に全幅の信頼を置くつもりはない。いつ彼女が俺たちへの裏切りの兆候を見せるかもわからないから。まぁ、そうなった時点で勝ち目がないから……彼女が白であることを願うばかりだな」
まったく、ラウゼはいったい何処であんな逸材を見つけてきたのだか。彼女がもしも敵として目の前に現れていたらなんて……想像もしたくない。だがそれは、裏を返せば強力な助っ人を獲得したということ。そのことは、俺たちにとってかなりプラスであることは間違いなかろう。
「……わかった。お前がそういうなら、彼女のことを味方であるとは認めよう。だがな――」
「だがな?」
「やつに惚れるなよ?」
「惚れる」……恋愛感情なんて露も無さそうなソノミの口からまさかそんな浮ついた言葉が聞こえる日がやって来るとはな。
「ソノミ、知っているか?恋心っていうのは意識的に芽生える者じゃない。自然に芽生えるもの――」
「あんっ?」
「俺が悪かった。許してくれ、ソノミ」
射貫くような視線。背筋が凍り付きそうなほどのその迫力の前には、俺の先輩としてのプライドは脆く崩れ去った。
「きっとやつは、私たちのリーダーであるお前をその手練手管で誘惑し、そして牙を抜いたところで一気に寝首を掻こうとしている。そうに違いない」
「……まぁ、そうだよな。彼女の好意は、きっと何か裏があるに――」
「グラウ先輩、ソノミ先輩っ!オレをあの人と二人っきりにしないでくださいよぉっ!!」
慌てた調子で現れたゼン。ああそうだった。ゼンを彼女の元に放置しっぱなしであったのだった。
でも珍しいな。ゼンがこうも萎縮した様子をみせるなんて。
「あの人、美人じゃないっすか?だからコマそうと思ったんすけど……あの人、完全にグラウ先輩しか眼中にないんすよっ!グラウ先輩にはメロメロなのに、あの人がオレに対して向けるのは、なんか憐れみに満ちた瞳で……なんなんすかっ!グラウ先輩、モテ期ってやつっすかッ!?」
当たって砕けたのは自己責任なのだから、俺に八つ当たりされても困るんだがな……
「知らない。だいたい、考えてみろよ、ゼン。相手は得体の知れない女性なんだぞ?そんな人物に、わけもわからず好意を持たれて……素直に喜べると思うか?」
いや、これは強がりだ。女神の祝福を一身に受けたような美貌の持ち主である彼女に、なんであれ好意を向けられて……悪い気がしないわけはない。だがこの気持ちは、俺の胸の内に納めておくことにしよう。
「羨ましい……なんて、絶対言いませんからね」
肩を落とすゼン。その背中を
ソノミとゼンよりも一足早く拝殿の裏から戻ると、彼女はぽつねんと石段に腰掛け、宙にそのおみ足を遊ばせていた。
彼女の元へと近づいていくと……俺の足音に気が付いたのか、すぐに立ち上り俺の方へと向き直ってきた。それから彼女は、まるで俺を品定めするかのようにじろじろと覗き込んできて――その上目遣いに、改めてドキっとしてしまう。
「
棘のある言い方だ。仲間外れにされたことに不満があるのだろうな。
「ああそうだな、げふん」
あえて大きく咳払いをし、それから右手を差し出した。
「あんたもわかっているだろうが、俺たちはあんたのことを信用しきったわけではない。だが――」
「む~~~~っ!」
彼女がふくれっ面をして、露骨に不機嫌そうにしてくるが……その理由が俺にはわからない。
「あんた、あんたって、わたしは“あんた”って名前じゃない!わたしはネルケ・ローテ。これから仲間になるんだから、ネルケって名前でちゃんと呼んで?」
別に、彼女に対してのみ「あんた」と言っているわけではないのだが……彼女がそう言うのなら、仕方ない。
「ネルケ」
「よし!それでいいわ、ふふふ!!」
ただ名前を呼んだだけで、彼女は満開の花のような笑みを浮かべてきて――ダメだな、俺。つい彼女へと警戒を抱き続けねばならないことを忘れそうになる。
ソノミの言う通り、もしも彼女が俺に向けるその瞳が偽りのもので……彼女の美貌を駆使したハニートラップだというのなら、俺もゼンも、もうその罠に嵌まってしまっているのだろう。でも、それは俺たち二人だけが意志薄弱だから掛かったというわけではないはずだ。彼女の前では……男は無力でしかないだろう。
わかっている。彼女を信用しきってはならないことは。でもせめて、この一日、争奪戦が終わるまでは――
「俺たちをどうか勝利に導いて欲しい。短い間だが、よろしく頼む。ネルケ」
「ええ、もちろんよ。わたしが三人の勝利の女神になる。だから――愛しているわ、グラウ」
彼女の返答は文脈に沿っておらず、違和感しかないのだが――気が付けば、俺の右手に彼女の右手が握り返されていた。
ああ、そうか。俺もまだ、そういう表情が出来るのか――彼女の瞳に反射した俺の表情は、柄でもなく緩んで、ほんのりと笑みを浮かべていた。
※※※※※
小話 ネルケ・ローテは御しきれない
グラウ:未だよくわからないあんたへの理解を深めるために、加えていくつか質問させてもらう。と言っても、本編の様に堅っ苦しいやつじゃない。気軽に答えてくれ
ネルケ:オッケーよ!グラウの質問だったら何でも答えちゃう。意味は……わかるわよね?
グラウ:(うん?何を言ってるんだろうか、この人……?まぁ、いいか)あんたの好みのものは何だ?
ネルケ:やだ、恥ずかしい……でも、答えちゃう!グラウに決まってるわ!!
グラウ:(落ち着けっ、俺!この人は俺をからかって、その反応を見て楽しんでいるい違いない!!)こほん!……じゃあ、好きな色は?
ネルケ:
グラウ:わざわざドイツ語のルビが振られていたような気がするが……気にしないでおこう。それじゃあ……好きな食べ物は?
ネルケ:グラウ!
グラウ:そんな食べ物聞いたことはないが?
ネルケ:やだなぁ、グラウ。グラウのことよ?
グラウ:頭が痛くなりそうだな、その言い方……やはり、あんたの言うグラウっていうのは別なグラウであって、俺のことではないだろ?
ネルケ:
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