第0話 漆黒の夜、灰鷹は飛び立った Part4

〈2122年 5月4日 2:01AM 第二星片地球到達まで残り約72時間〉―オルランド―


「はぁ、はぁ……ここまで来れば、あとは――!」


 執務室から続く隠し通路を抜け、ようやく地下駐車場まで辿り着いた。ここまで来れば……流石にあの灰色の髪の青年も追っては来られないはずだ。

 というのも、地下駐車場ここの存在はオレとノアムしか知らない――マフィアの社会なんて裏切りの連続だ。自分の身を守るためには、仲間のことすら疑ってかからなければならない。だが、そうだとしても――オレはノアムのことだけは信じられる。アイツは、オレに嘘一つ吐けないような性格だからな。


「ふう……」


 赤の光沢が艶めくロクサスSLの前、つい安堵の息を漏らしてしまうが――ノアムを、ノアムを置いてきてしまった。その事実が今となって、オレの罪悪感の意識をきつく締め上げてくるようで――呼吸が途切れ途切れになってしまう。

 アイツはオレに、「オルランド様の敵はこのボクが食い止めて見せます。ですからどうか、ご安心ください」と、先の不安などおくびにも出さず気丈に宣言してきた。

 もちろんアイツの強さはオレが一番良く理解している。これまで数回、敵対するマフィアの異能力者とノアムとの戦闘を見てきたが――ノアムは圧倒的だった。相手の異能力を軽くいなして、それでいて八本のナイフを巧みに操り相手を追い込んでいき見事に仕留める。

 だからよっぽどのことがなければ、アイツはどんなヤツにだって負けることはないと思うのだが……今回は少し事情が違う。あの青年はオレたちのアジトに単身乗り込んできて、それでノアムと俺以外の構成員を抹殺してみせた。青年はそこまでの手練れだ。だから一抹の不安も抱いていないと言えば、嘘になるわけで――


「ノアム……」


 ああ、やっぱりアイツをオレの仕事に巻き込んでしまったことがすべての間違いの発端だったのだろうか。アイツを一家の構成員なんかにしなければ、そもそもあの日アイツを育児機関に預けていれば、今頃アイツは表社会でも成功して――いや、それでもノアムとの十年間をなかったことにはしたくはない。アイツはオレの…息子だから――


「悪い……ノアム。先に行かせてもらう」


 今オレが執務室に戻ったところで、オレがアイツにしてやれることは何もない。むしろ足手まといになるだろう。だから、ノアム。オレは先に行く。先に行って、例の場所で合流しよう。

 なに、一家はボロボロだが――オマエがいれば、それでいい。いっそ足を洗ったって構わない。だからどうか、無事にまた会おう。

 胸ポケットからキーを取り出して、ドアロック解除のボタンを――


――バゴンッッ!!


「っ、なっ!?」


 駐車場に木霊する、無機質な乾いた音――ちらとボンネットを見ると、そのちょうど中心に、銃弾が一発撃ち込まれているではないか。

 恐る恐る振り返ると、そこにいたのは――


「悪いな。取りあえずそのキーを捨ててはくれないか?」


 燃え殻のような髪、猛禽類のように眼光鋭い深紅の瞳。左手には拳銃、右手で血の滲む包帯が巻かれた右の太ももをさすっていて――そういう……ことなのか?ノアムは、ノアムはいったい――!


「そんな驚愕が張り付いたような顔しないでくれよ。あんた、一応マフィアのボスなんだろ?」


「…ああ、そうだな。なぁ、どうしてこの場所が――まさか、ノアムが……」


「ノアムっていうのは、あの燕尾服のことか?」


「その通りだ」


「あいつは…あの燕尾服は――サイゴまであんたに忠実だったよ。実はさ、どうせあんたがここに逃げ込むだろうとは予想がついていた。事前にこの屋敷を衛星からスキャンしてどうたらこうたらして……うむ…その事について俺も詳しくはないんだが、一応誰かにこの地下駐車場の存在について確認を取りたくてさ。けれどあの燕尾服は、結局サイゴまで答えてくれることはなかったよ」


 衛星?いったいこの青年はどこの一家に――いや、そんなことよりも。この青年……サイゴとか宣ったか?それはつまり、ノアムの……最期?

 オレは真実を知りたいのか?その青年の口から紡がれる言葉を聞いて、我を失わずにいられるのか?それでも……知らなくてはならない。アイツの――父親として。


「オマエは……ノアムを、殺したのか?」


「……ああ、殺したよ。俺がこの手でな」


「ッ!!」


 ノアムが…ノアムが殺された――わかってはいた。ここに来たのがノアムではなく青年ではあった時点で。しかしそう簡単に現実を受け容れられなかった。だから“まだ生きている”という余地に縋り付いて、その事実から目を逸らそうとした。しかし、オレはもう……ノアムの死というクソッタレな現実から、逃れることは出来ないのだろう――


 ああ、今日という日がすべて嘘であって欲しい。オレはまた、異能力者にすべてを奪われるというのか?イタリア征服を開始するというこんな肝心な日に、すべて計画が破綻させられるというのか?


 いや、一家のことなんてどうでもいい。ノアムは、ノアムは……オレなんかよりずっと若い。これから先何十年と生きていくべき人間が、どうしてオレより早く死ななければならない?

 ノアムはオレの息子なんだ。血の繋がりもなければ、オレはアイツに父親らしいことは一切しなかったかもしれない。だが、確かにオレはアイツのことを大切に思っていた――

 そうか……やはりアイツを巻き込んだことは誤りだった、と。ひどい話だ。一つの誤りが、こうも凄惨な結末を招いてしてしまうことになるなんてな。


 キーを放り投げ、そして手を真上に伸ばす――こうして白旗を揚げるのはいつぶりだろうか。オレはまた、弱者に戻るのか?


「じゃあ次はボンネットにうつ伏せになってもらおうか。くれぐれも変な真似はしないでくれよ?少しでも長生きしたいというのならな」


 青年は人を脅しているというのに淡々とした抑揚の無い声をしている。このような立ち回りに慣れているのだろう。


 青年の命令に従う。だが――すべてが決したわけではない。青年がゆっくりと近づいてくる足音が聞こえる。

 このまま青年の好き勝手を許す?そんなはずはあるまい。オレはこの青年にノアムを、一家の構成員の命を奪われたのだ。生かしておくなど虫唾が走る。

 どうかノアム。力を貸してくれ。オマエの仇は、このオレが必ずとってみせるからな。


 背広の内ポケットの中。リボルバーには六発銃弾が込められている。それだけあれば、この青年を六回も殺せるはずだ。

 チャンスは一度きりだ。これを逃せば、あとは無い。タイミングは――今だッ!!


「死ねぇぇっっッッッ!!」


――破破破破破破ババババババンッッ!!

 身体を一気にひねり、それと同時に右手でリボルバーを引き抜いた。もう10メートルという距離まで青年は迫っていた。これほどまでに短い距離なら、ずぶの素人だって外すわけがない。

 忌まわしき青年よ、思い知れ。すべてを奪われた人間の最後のもがきをッッ!!


 銃弾はすべて青年へと駆け、そしてその心臓を――はッ!?


「甘いんだよ」


――破破破駕破破バババガババンッッ!!ンッッ!!


「はあっ!!ぐあはっッ!?」


 苦痛の声を上げたのは――オレの方だった。青年が放った七発目の銃弾、それがオレの右の掌に風穴を開けた。そして痛みに耐えきれずオレは、リボルバーを落としてしまった。青年はすかさずオレとの距離を詰めリボルバーを蹴り飛ばし、オレの反抗を咎めるが如く額へと銃口マズルを突きつけてきた。


「はぁ、はぁ、はぁ……何者だ、オマエ……その射撃の腕は………いったい……?ああ、そういう、ことか……」


 青年が成し遂げた偉業。それはきっと、どんな射撃の名手でなし得ないことであろう――青年はオレの銃弾目がけて自身も銃弾を放ち、そして見事に六発すべてを直撃させてみせた。証拠にひしゃげた銃弾が六発そこいらに転がっている。そんなことが出来るなんて――異能力でしかない、な。


「なぁ……オレを…いったいどうするつもりなんだ?」


「うん?殺すが?それが依頼だからな」


 随分にべもなく“殺す”なんて言葉を。そうか、やはりそうだよな。

 どうしたものか……この青年は多分、何の躊躇いもなく引き金を絞るであろう。


 だが、オレは――まだ、死にたくないなんて思ってしまっている。すべてを失ってもなお、無様に生きようなんて気持ちが捨てきれない。その理由は――そうだな、この青年に、少し興味が湧いたからか。

 ノアム以上の実力がこの青年にはある。この青年がいれば、ともすれば昨日までのアマート家よりも戦力を増強出来るかもしれない。そうすれば、イタリア征服も容易に――これは裏切りではないんだ、ノアム。オマエだって、オレの幸せを願ってくれるだろう?だからどうか許して欲しい……利用するだけ利用して、この青年を殺すと約束するから。


「なぁ……オマエ、名前はなんて言うんだ?」


「どちらが質問して良い立場にあるか理解していないようだな――だが、別に名前ぐらいなら冥土の土産に教えてやろう……グラウ・ファルケ。それがオレの名前だ」


「グラウ・ファルケ……か」


 グラウ……灰色の、ファルケ……鷹。なんとも、偽名チックに聞こえる名前だが……それもそうか。敵に本名を明かすわけもないか。


「ではグラウ……オマエ、どこの組織に雇われた?」


「まだ質問するつもりか…はぁ……バラすわけないだろ。それはトップシークレットだ」


 組織はわからず、か。だがこれほどの異能力者を雇うということは、もしかしたらイタリアの外――まさかテウフェルか?世界最大規模のマフィアとなれば、これほどの実力者を雇うことも可能なのかもしれない。しかし、ヤツらに目をつけられるような真似をした覚えはないのだが――


 仕方ない。組織名は聞けずとも、彼ら殺し屋にとって一番大事なモノの話をすれば、きっとこの青年も籠絡出来るであろう。


「グラウ……いくらで雇われた?」


「雇われたっていうか……さぁ、いくらだろうな?直接俺に支払われているわけじゃないから、俺は知らない」


 仲介人がいるということか?それとも殺し屋組織にでも所属しているということだろうか?そのいずれにせよ――


「それならば手取りはいくらだ?」


「……はぁ…」


 グラウはため息を吐いて……何故だ?わからない。だが、俺に出来るのはこの機に畳みかけることだけだ。


「少なくとも手取りの倍額は出そう。二倍か?それとも三倍でも……オマエの望む額を用意してやる。数百万じゃあ足りないだろう?数千万でも物足りないか?ならば数億……兄弟に頼めば、きっと――」


「――くだらない」


 一蹴された、だと?沈黙を破りグラウが放った言葉には、鮮明に感情の色が描かれていて――怒声。その語気だけではない。その深紅の瞳の奥にも、静かな怒りが読み取れる。


「あんたらはいつだってそうだ。金ですべてを解決しようとする。そしてそれは毎回俺を苛立たせる――なぁ、教えてくれよ。あんたの命に、それほどの価値があるのか?」


「っ!?そっ、それは――」


「あるわけないんだよ、あんたらみたいなゲス野郎にはそんな価値なんてッ!!……っと、少し今の発言には誤りがあるな。価値がないのは俺もそうだ。俺も、そしてあんたらも、清く正しい表の世界の人間ではない。人を殺して金を得る悪人だ。俺は真っ当な生き方を知らない。この道でしか生きられないような社会のゴミだ。そんな人間に価値なんてあると思うか?はぁっ……」


 グラウはため息を漏らしながら、やれやれという感じに首を振っていた――それはこのオレが恐れを抱くほどの迫力のある剣幕であった。いったいこの青年は、どのような人生を歩んできたというのだろうか?きっとそれは、オレよりも悲惨で、過酷な――


「無駄話をしすぎたな。ああ、勘違いだけはしないでくれよ?俺は正義の味方ヒーローの真似事をしているわけではない。あんたを殺す理由は…金を積まれたから。ただそれだけだ。それじゃあ――」


「まっ、待てッ!オレの話を――!」


 こっ、このままではオレは殺される!?まずい、何か、話を――


―――バンっッッ…………



 それから2時間後。近所の住民の通報により、アマート家の屋敷に警察機関の捜査のメスが入ることになった。


 その日のイタリアのニュースは、マフィア一家アマート家襲撃事件で埋め尽くされた。被害者はアマート家がボス、オルランド・アマート以下10名の構成員。オルランド含め全員の遺体には共通して銃創が発見されたことから、凶器は銃器であると鑑識の結果判明した。

 しかし犯人については未だ特定がされてはいない。しかしアマート家の全員を相手にしながらも、一方的な殺戮が行われていたことから鑑みて、警察は本件を異能力者の犯行であると結論づけた。


 その後も事件の捜査の一環として連日に渡り、屋敷のあるレスパの住民への聞き込み調査が継続された。警察の質問に多くの住民はこう語った。「オルランド・アマートは殺されて当然の人間であった」と。

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