第0話 漆黒の夜、灰鷹は飛び立った Part3

〈オルランドの回顧〉


 ノアム。アイツはアマートの一構成員…いや、格好から言えばオレの執事であって、そして――俺の息子と言っても過言ではない存在である。


 アイツに出会ったのは、10年と2ヶ月も前のこと。かなり長い時間が経てども、当時の記憶たちは今もなお鮮明なまま俺の脳裏に焼き付いている。


 その頃のオレはまだ、グラッシー家の鉄砲玉に過ぎない存在であった。日夜敵対するマフィアのアジトを襲っては、銃弾の雨あられに歓迎され……それでもなんとか生還しての繰り返しであった。


 それは何の変哲もない一日の終わり。兄貴と共に、行きつけのバーから出ようとしていた――まさにその時だ。ゆらゆらとよろめきながら、そして力尽きたかのようにゴミ袋の山に倒れ込んだガキがいた。『放っておけ』。兄貴は言った。弟のオレにとって、兄貴の言うことは絶対。だからオレは、きっとそいつの親がそのガキを見つけ出すであろうことを期待して、バーから立ち去ったというわけだ。

 だが、わかってはいた――まともな親であったのなら、マフィアが跋扈しているような所に自分の子供を行かせるわけはないって。故にそのガキの親は…まともなやつじゃあないことは明白であった。

オレは、一度はアパートに帰りはした。けれどそのガキのことが気になって、気が付けばそのゴミ袋の山の前に立っていた。そうしたら――未だにガキは、そこに倒れていやがった。


『おい!大丈夫か、ガキっッ!!』


『うっ、うぅ……』


 ガキは女の子と見間違うほど端正な顔立ちをしていた。しかしガキはその頬を真っ赤に染め、ひどい熱にうなされていた。


 ガキの介抱なんて、子育てとは無縁のオレにはわかるわけはねぇ。でも、兎にも角にもそいつをアパートまで連れ帰って、オレのベッドの上で寝かせてやったんだ。

 しかし、人生って言うのは帳尻合わせがうまい。その次の日は、ちょうど良くオレの休暇であった。だからそいつの額に当てた濡れたタオルを交換してやったり、ネットの情報を参考にしながらなんとかお粥を作ってやったり、そいつをつきっきりで介抱してやったわけだ。


 あの時のオレは――損得勘定なんてなかったんだろうな。ただ可愛そうだから、そのガキを助けたいと思った。きっとこいつは捨てられた子供であることは明白。だから、おのずと…憐憫の情が湧いてしまったんだろうな。


『……ここは…あなたは……?』


 窓から差し込む光は、夕暮れの色をしていた。だが、その日を返上してガキの看病にあたった甲斐があった。ようやくガキは上半身を起こして、まともに口が聞ける状態になってくれた。

 オレは名乗った。『オルランド・アマート。しがないマフィアの人間だ』と。そしてオレも会話のキャッチボールのために、ガキに名前を問い尋ねたんだが……ガキは目を伏せ、口ごもってしまった。対人恐怖症の反応?いや、そいつは違うな。ガキの反応は、いつだかのオレに空目するほどに似ていて――名前すら、そのガキにはなかったんだろうな。


『じゃあ、オレが名前をくれてやる。そうだな………ノアム。聖書由来の名前だ。それ以上の意味はない』


 そいつには、せめてオレと違って真っ当な生き方をしてほしい。だから、柄でもないのにいつだか囓った聖書なんかから名前を拝借させてもらった。


 そしたらノアムは白い歯を見せニカっと笑ってみせて――


『ノアム…ボクは……ノアム!』


 大層喜んでくれたんだ。

 子供っていうのは、みんな魔法使いなのかもしれない。オレははじめ、ガキの世話なんてごめんだと思っていた。だからノアムの体調が回復し次第、アイツを政府の育児機関に預けようと思った。それなのに、ノアムの屈託のない笑顔を見てしまったが最後――オレはノアムを手放したくないと思ってしまった。それが果たして間違いだったのか…それとも正解だったのか。今となってもわからないわけだが――


 それからはマフィアの下っ端とノアムの保護者もどきの二足のわらじ。しかし、たぶん世の中のガキ連中に比べれば、ノアムはよっぽど手がかからない、ませガキだったんだろうな。オレがアパートに戻れば必ず労いの言葉をかけてくれたし、いつの間にか料理、洗濯、掃除と家事の全般をアイツはこなしてくれるようになっていた。

 本当は親のいないガキを助けようとしていたのに、いつの間にか立場は変わっていた。あいつが家のことを全部やってくれるおかげで、オレはグラッシー家での仕事のみに専念できて、オレはみるみるうちに幹部にまで上り詰めた。まぁ、それは……アイツをもっとまともな環境で生活させたくて、一刻も早く大金を得たいと思うようになった心境の変化も後押したのかもしれない。


 しかし、人生には必ず憂き目っていうのがあるようで――グラッシー家に、溜まりに溜まったツケを払わなければならない時が来ちまったわけだ。

 いつだって大事件が起こるのは、平凡な日常の延長線上。オレは親分と共に、今後のグラッシー家の予定を調整していた。そんな中、扉を乱暴に開け、血相を変えた構成員が部屋に飛び込んできて叫んだ――『異能両者が襲撃してきましたッ!!』と。


 オレだって、流石に異能力者については知っていた。とんでもない力を持った連中。人間じゃあない別な生物だって言う連中もいるようだ。しかし、奴らを組織に組み込んだマフィアなんて聞いたことがなかったし、実際に遭遇したのはその時が初めてとなった。


 奴は火炎を自由自在に飛ばしていた。ソファやら書類やら可燃性のものを引火させて、そこからアジトを火の海にしやがった。もちろんオレたちも奴に抵抗した。だが、十人がかりでトンプソンを斉射したところで、奴のもとへと到達するよりも先に、銃弾が燃え尽きちまう。人数は圧倒的だっていうのに、たった一人の異能力者にグラッシー家は蹂躙されていった。

 ふと意識を取り戻した時、親分はオレの隣で目玉をひん剥いて絶命していた。そして他の構成員たちも皆、あの世に逝ってしまった。残されたのはオレと……そしてその異能力者の二人であった。

 終わりか。そう強く意識した。その時オレは、どんなにひどく絶望に歪んだ顔をしていたのだろうか。異能力者は嘲笑し、そしてオレを靴底で踏みにじり始めた。大分一酸化炭素中毒が進んでいたせいか、オレはされるがまま、意識はただ遠のいていくばかり――


 後悔があるとすれば……ノアムを一人、残してしまうことであった。まだノアムは十代も前半。一人で生きていくには早すぎる。だからオレは、アイツの隣にまだいてやりたくて――


 そんな思いが幻となって――異能力者の背後、オレからよく見えるところに、ノアムはいつもの姿をして現れた。天使がノアムの姿をして現れたというんだから、神っていう存在も粋な計らいをしてくれる――いや、そうではなかった。それは幻想ではなく、ノアム本人であった。

 アイツはオレに一度も見せたことがないような冷酷で残忍な表情をして――その右肩の近くに、オレがアパートで調理用に使っていたナイフを浮かび上がらせていた。

 目を疑った。ノアムが、いったい何をしているのか一切理解が出来なかった。しかし、朦朧とした意識の中でも、これだけはハッキリと覚えている――ノアムは炎の異能力者に気が付かれないうちに、そのナイフで頸を貫いたということを。


 それからオレが目を覚ますと、燃えさかるアジトの前。オレはノアムに介抱をされていた。そしてアイツはオレに告げてきた。『ボクも、異能力者である』と。そして続けてノアムはオレに申し出た。『これから先は、ボクがオルランド様の力になる』と――


 グラッシー家が壊滅し、オレはすべてを失ったはずだった。しかしその日、オレは最大の武器を手に入れた。それはどこのマフィア、いや、それだけじゃない。世界にごまんと遍く組織の垂涎の代物――しかしそれは同時に、最愛の存在との関係性が崩壊してしまうことを意味していたことなど、あの時のオレには予見出来るわけもなくて――

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