第5話 皐月の夜は更け、月光は満ち…… Part2

〈―ネルケの回顧―〉


 わたしはね、自分で言うのは自慢がましく聞こえるかも知れないけれど――とある大企業の一人娘だったの。

 父はたった一代で財を築きあげたような敏腕社長で、母はその第一秘書を務めていた。二人に上下関係があるのはわかるわよね――?そう、いわゆるできちゃった結婚。そのせいか、二人の結婚生活は順調にはいかなかった。

 わたしが物心が芽生えた頃に二人は離婚したの。そして運が良かったのか悪かったのか、わたしは父に引き取られたわ。


 それでも、わたしはとても恵まれた環境で育てられたわ。いわゆる豪邸でね。温泉にプール、食堂に図書室……使用人も数十人はいたわ。

 平日は学校帰りに毎日習い事に行かせもらえた。夜には専属の家庭教師が授業を受けさせてくれて。頭脳明晰、スポーツ万能……って、客観的な評価よ?そうしてわたしは父の理想通りの完璧な少女に育てられたの。

 父はいつも仕事に追われていて、平日は顔を合わせる機会はなかったわ。けれど休日はわたしを各界の有力者たちが集うパーティへと連れて行ってくれた。でも……退屈だったわ。同年代の子たちもいたのだけれど、みんなわたしを見て逃げ出していったから。その子たちはきっと……父がどういう人物なのか、親から教えられていたんだと思う。


 父は……欲しいものならどんな手段を使ってでも必ず手に入れる人だった。“野心家”と言えば聞こえは良いけれど、“狼心狗肺”と表現する方が似つかわしいかもしれない。

 とにかく手段を選ぶ人ではなかったの。だから汚れたことを平気でしていた。敵対企業の要人をヘッドハンティングしたり、自分に異議を唱えるような社員がいれば即座に首を切ったり――首を切るって、解雇Fireじゃなくて本当にDecapitationよ。裏社会とも密な関係にあってね……きっと、多くの人たちの恨みを買っていたんだと思う。


 それはある日のこと――父が平日にもかかわらず屋敷に帰ってきたことがあったの……とある男の人を連れてね。その人は眼鏡をかけていて清潔な身なりをした、知的な雰囲気の人だった。たぶん20代の後半ぐらいだったかしら。

 父はわたしを応接室に呼んで、その人と二人きりにしたの。それで、その人と色々とお話ししたわ。その中でとある事実に気が付いた――その人は、父の企業が次に合併する相手の社長だったってね。

 それから父は部屋に戻ってきてわたしに告げたの――わたしはその人と結婚することになるって。


 驚いたわ。わたしは当時まだ12歳なのよ?それなのに結婚だなんて……頭の整理が出来なくなったわ。父は早く愛を誓うように催促してきたけれど……その人はわたしに時間をくれた。だから一人ベランダに出て、星を眺めながら一人物思いに更けたわ。

 結婚だなんて、いったいどういうことなのかわからなかった。「いつかわたしもするんだ」、というぐらいにしかね。でも、心の何処かでは期待していたの――白馬の王子様と結婚することを。けれど諦めなくてはならなかった。父の言うことは絶対だもの。


 そして覚悟を決めたの。だから応接室に戻って、婚姻を受け容れると宣言した。そうしたら二人とも喜んでくれて。わたしは父とその人を見て、「これで良かった」のだと自分に何度も言い聞かせた――浮かない顔が一つ鏡に反射していたのだけれどね。

 それから自分の部屋に戻って横になったのだけれど、なかなか寝付けなかったわ。わたしはまだ……幼かった。自分が下した決断の意味を理解するには時間が必要だった。でも、疲れちゃって……そのまま眠りについたの。


 けれどその夜――物音で目が覚めたの。廊下の方から足音が近づいてきて、それからギィーっと音をたてながらわたしの部屋の扉が開かれた。そして部屋に入ってきたのは――その婚約者だった。

 先程と様子が違うことは一目瞭然だった。だから気分が悪いのかと心配になってその人に近づいた――それが間違いだなんて思いもせずにね。

 その人は鼻息を荒げ、わたしに舐めるように視線を上下してきたと思えば――わたしをベッドへと突き飛ばした。流石にわたしも身の危険を感じたわ。だから逃げだそうとしたのだけれど、上にのしかかられた。子供の力なんかじゃ成人男性に力比べで勝るわけがない。だから大声を上げようとしたのだけれど……直ぐに口を塞がれてしまったわ。

 その人がわたしに言ったことを今でも覚えている――「パーティで一度キミを見た時から、ボクはずっとキミの事が好きだったんだ!」。

人の恋愛観をどうこういうつもりはないわ。でもその人は狂っていた・・・・・とはっきり言える。だって12歳のわたしのことを愛の対象を通り越して――性の対象として見ていたのだから。

 わたしは絶望した――ここでわたしの花撫子は散るのだと。幼いながらに、わたしはその人に全てを奪われようとしていることはわかっていた。だからもう自分を捨ててしまおう思った瞬間――窓がパリンと割れたの。


 そして入ってきたのは――灰色の髪、赤い瞳をした少年だった。顔つきはまだあどけなくって、きっと同い年ぐらいだってことは直ぐにわかったわ。

 そう。わたしの最大の危機を救ってくれたのは――白馬の王子様あなただったのよ!


 あなたはわたしからその人を引き剥がして、そしてわたしに惨劇が見えないようにと背を向けた上で引き金を絞った。

 その後あなたはまるで何事もなかったようにわたしの部屋を後にしていった。わたしのことなんて一切目もくれずにね。対してわたしはその場に凍り付いていたわ。銃声なんて聞いたことはないし、ましてや人が殺される瞬間に立ち会ったことなんてそれまで一度たりともなかったのよ?あのたった数分間の出来事は、本当に強烈そのものだったわ。

 でも、いったいあなたが何をしに屋敷を進んで行ったのかが気になって、わたしはあなたのあとを追いかけていった。そして辿り着いたのは父の書斎だった。そこで目にしたのは――額に風穴を開けられ、目を見開いたまま絶命した哀れな大企業の社長わたしの父だった。


 肉親がこの世を去った時に感じるのは深い悲しみだと思っていた。けれどね、わたしの場合はそうではなかったわ。

 父にとっては娘のわたしさえも、自分がのしあがるための“道具”……“商品”でしかなかった。父は多くのものをわたしに与えてくれたけれど……それは必ずしもわたしの望むものとは一致はしていなかった。それらはきっと父にとってみれば、わたしを“完璧な商品”にするための必要経費でしかなかったのでしょうね。

 何不自由ない生活を提供してくれた父に不満を抱くなんて、わたしもわがままよね。でもね……本当の自分わたしを押し殺し、誰かの望む自分わたしであり続けることって、とても辛いことなのよ。

 鳥籠の外……果てしない大空に飛びたくても、わたしにはドアを開くだけの力はない。与えられた餌を啄なければ、次の日は餌をもらえない。自由に鳴いてみれば、わたしは翼を傷つけられる。

 わかっていたわ――父がわたしに暴力を振るっていたことは。でもあくまでわたしは“商品”だから……他人が見てわかるところには傷を負わせず、目に見えない所に傷を負わせて。それでもわたしはどうすることも出来なかったから、それを暴力じゃないって思い込もうと必死に努力していた。

 けれどもう……限界だった。わたしはいつも壊れてしまいそうだった。いえ、違うわね。いっそのこと完全に壊れてしまえば楽になるかなって、そんな破滅を望むわたしもいたわ。


 そんなわたしにとって桎梏でしかなかった父は、あなたによって亡き者となった。

 あなたにはとても感謝しているのよ、グラウ。あなたのお陰でわたしの身体は綺麗なまま、こうして純潔を保つことが出来たのだから。

 それに、あなたはわたしに自由をくれたの。今度は何をするにしてもわたしの思うがまま。もう翼を傷つける心配もない。

 都合の良いことに、わたしにはたくさんのお金が残された。でもそれは、父が築いた汚れたお金。だから必要な分だけ残して、あとは父の企業の時期社長にプレゼントしてあげたわ。後腐れがないようにね。


 あの日から、わたしの人生は大きく変化したのだと思うわ。誰かの言いなりだったわたしは死んで、自分の意思で行動するわたしが生まれた。

 そして同時に――わたしは人生の目標も見つけたの。

 だからわたしは強くなろうとした。誰かに守ってもらってばかりの弱いわたしでは、きっと相手にしてもらえない。何処までも強く、むしろ守る立場になれるようにと、わたしは努力を惜しまなかったわ。


 ここまで言えば、わたしが追いかけてきたものの正体はわかるわよね?ええ、そうよ。あなたのことよ、グラウ――!



〈グラウ〉


「これがあなたのことを好きになるでの物語よ。本当はもう少し理由はあるのだけれど……どう、感想は?」


「感想と言われてもなぁ……」


 ここまで仔細に語られてしまっては、嫌でもあの日のことを思い出す。


「あんたの父親を狙って屋敷を屋根伝いに進んでいたら、突然下の階から異音が聞こえた。それでただ事じゃないと任務をそっちのけで向かってみれば……男が少女の服を破こうとしていた」


 あの時、少女ネルケの顔には諦めの色が浮かんでいて、瞳に今にも溢れ出しそうな程の涙を湛えていた。それを見れば同意の上で、というわけではないのは明らかであった。だから俺はその男を外道野郎だとみなし、殺害するに至った。


「あの男を撃ったことは後悔していない。しかし――」


 一輪の花を救った……とは、俺はあの日のことを記憶してはいなかった。俺にとっては、その後依頼主に「余計なことをするな!」と怒鳴られ、一銭たりとも報酬を支払われなかった散々な出来事であったとしか記憶されていない。でも確かあの時……ユスは依頼を失敗したのにかかわらず、俺のことを褒めてくれのだった。

 いや、その婚約者を殺害したことは対して重要じゃないだろう。今、俺とネルケの間に存在する重大な問題はむしろ――


「本当に俺を恨んではいないのか?俺は……あんたの親の仇だぞ?」


 彼女の父親を手にかけたことを、結果としてネルケは満足しているようだが、それで俺が許されるというわけではないだろう。俺が彼女の肉親を殺めたということは揺るがぬ事実なのだから。

 うん……?ネルケ、どうして頬を膨らませている?


「もう!何回言えばわかるのよ、グラウ!この分からず屋っ!!わたしはあなたのことを恨んでなんていないのっ!仮にあなたのことを恨んでいるなら、そんなやつにキスをしたりしないし、指もしゃぶらないし、膝枕もしてあげない!!それともあなたには、わたしがそんな安い女に見えているでも言うのかしらっ!?」


「いっ、いや!まったくそんな風には思ってはいない!!」


 癇癪を起こしたかのようにぷんぷんと迫られて、思わず目を白黒とさせてしまう。

 でも、ここまでの話を整理すると……ネルケのこれまでの一連の行為は、全てハニートラップではなく本心からしていたということになるよな……ん?待てよ。

 そうだとしたら――ネルケの俺に対する好意は真実なのか!?

 おいおい……冗談だろ?俺にはこんな美人から好意を向けられる資格なんてない。俺はただのろくでなしの外道風情だぞ。


「膝枕感謝するネルケ。少し新鮮な空気を吸いに行ってくる――」


「待って!」


 身体を起こして直ぐ、ネルケに右腕を握りしめられた。必死に振りほどこうとするが……くっ!どうして俺はネルケに力負けをしている!?


「グラウ、忘れてないわよね?」


「いったい何のことだ?まだ俺が忘れている過去でもあるのか?」


「違うわ――わたしの好意を二度も利用したことよ♪」


「……あ」


 はじめは団地で、次は神社で……確かに後先考えずにそんなことをしていたな、俺。

 だが今はそのツケを支払えるだけのお金はないし、プレゼント出来るような物も持ち合わせてはいない。


「結界の外に出たら、あんたが欲しい物をなんでも買ってやろう。それで良いか?」


 ネルケがニコリと満面の笑みを返してきた。よし、これでこの一件は片が付きそう――


「だ~~~めっ!!」


「っ!?どっ、どうしてだ?あんたのためなら金に糸目をつけるつもりはないぞ?」


「わたしがただの物なんかで満足すると思った――?残念!大半のお金は次期社長に譲ったけれど、それでもわたしは大金持ちに代わりはないのよ?だから大抵の物は簡単に手に入れることが出来る。でもね、わたしが今一番欲しいものは、どこにも売られてはいないのよっ!」


「おっ、おい!」


 腕を強く引っ張られ、半ば吹き飛ばされるかのように縁側へと押し倒された。そしてそのままネルケが俺に覆い被さってきて――俺の太ももの上に、ネルケの形の良い半月が押乗せられる。それから俺の胸へと彼女の双丘がむにりと押しつけられ――ダメだ、この体勢は流石にまずい!!


「今すぐに降りろ………手遅れになるっっ!!」


「わたしとしては手遅れになって欲しいのよ♪ふふふっ……据え膳食わぬは?」


「男の恥……って、何を言わせるっ!?」


 主導権は完全にネルケに握られてしまった。ネルケを突き返そうにも、身体をぴったり密着されているため、俺は身動きの一つすらとれない。

 こんなことをされれば、ネルケのことしか考えられなくなる。半月はほどよく引き締まっていて、双丘はマシュマロのように柔らかい。その美顔もまた息が吹きかかる程近く、撫子の匂いが鼻腔を蕩かしていく。


白馬の王子様グラウ……あなたはこのわたしのハートを射止めたの。だからその責任……とってくれるわよね?」


 有無を言わさぬ言の葉。ネルケの瑞々しいピンク色の唇が近づいてくる。

 今度こそはキスのみでは済まされない。ネルケがその先まで至ろうとしていることを見抜けない程俺は鈍感ではない。

 そのような淫らなことが許されないことはわかっている。しかしこれ程の美人ネルケに迫られて、節操を貫こうなんて無理な話だ。


 ああ、まるで……理性が溶けていくようだ――


「随分と楽しそうだな――――お前ら」


「「っ!?ソノミ!!?」」


 その和琴を撥で弾いたような雅ある声に、ソノミが俺たちの一部始終を目撃していたことにようやく気が付いた。

 ああ、俺はきっと忘れることはないだろう。忍装束を纏った美少女の、鬼よりも鬼ががった、鬼気迫るその鬼の形相を――


※※※※※

小話 あくまでR15だから……


グラウ:(ネルケに覆い被さられて)これ以上はダメだ、ネルケっ!


ネルケ:グラウだって満更でもないって顔しているじゃない!据え膳食わぬは?


グラウ:それはもう本編でやったネタだ!


ネルケ:ぐぬぅ~~~っ!本編ではあんな結末だったけれど、小話ならifをしてもいいんじゃないの?


グラウ:確かにそれもありだが……この物語はあくまでR15なんだよ


ネルケ:わたしたちは互いに20歳よ!


グラウ:俺たちの年齢は関係ない。R15は絶対の秩序のようなもの、俺たちはそれを犯してはならないんだ。だから俺はわざわざ“双丘”だの“半月”だの言葉を濁している。その努力を無駄にはしないでくれ


ネルケ:むぅ~~~っっ!!でもそれってあくまで、作者がR15なら「ここまでしか出来ない」と暫定的なラインを引いているだけであって、将来「まぁ、もっとやれるな!」と心変わりすることも有り得るわよね?


グラウ:……あんたはいったい何に期待している?


ネルケ:むしろ――期待していて欲しいと言っておくわ!


グラウ:期待していて欲しい……?誰に向けて言っているんだ?


ネルケ:うふふ……ひ・み・つ♪

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