第6話 勝利の美酒にはまだ早い Part2
〈2122年 5月8日 2:30AM〉
―グラウ―
「ご注文をお伺いします!」
今はもう夜中の2時半を過ぎた頃。それなのに店員さんは驚くほど明るく元気に俺たちに笑顔を振りまいてくれる。
「それじゃあ、俺はパエリアで」
「わたしはマルゲリータと……エスカルゴ!あと、ワインを二つお願いします!!」
待て。ワインを……二つ?一つはネルケが飲むのだろうが……まさかもう一つは俺に、ということか?もしもそうだと言うのなら――
「いや、ワインは一つで良い」
直ぐに訂正を入れる。すると、何故か反対側の席に座るネルケがムスッとした表情を作り、俺のことを睨み付けてきた。
「何を言っているの、グラウ?一緒に飲みましょうよ!」
「俺とソノミにはこれから約12時間に及ぶ長旅が待ち受けている。だから、今アルコールを摂取して酔っ払うわけにはいかないんだよ」
論理的な説明をし、ネルケも納得――なんて、彼女が一筋縄でいく女性でないことは、もう重々承知している。
ネルケは「いいえ!」と店員さんに再訂正し、そして俺へと向き直った。そして口角をつり上げ、にやりとイヤらしく微笑んできた。
「もしかしてグラウは……不調法なのかしら?」
「なっ!!」
俺は酒が飲めない訳では断じてない!幼い頃からあいつに仕込まれて……と、それももう時効の話か。
でも、ネルケの腹案はお見通しだ。ネルケは俺を挑発に乗せ、そしてこのまま注文を押し通そうとしている。
その企みに気が付いている以上、俺は冷静に対処する――否。このままネルケに下戸と侮られたままというのも、どうも釈然としないよなぁ!
「あっ、あのぉ………」
その申し訳なさそうな声に、店員さんが対応に困っていることにようやく気が付いた。
「すまない。ワインは二つで良い」
「やった!!」
「はい、かしこまりました。それで……奥の方は?」
俺とネルケが、視線をバチバチと交している中――その隣、一人メニューと睨めっこをする黒ジャージ姿の美少女が一人。
一緒に外食に行く機会がこれまであまりなかったが……ソノミ、もしかして優柔不断だったりするのだろうか?
「えっ、あっ、私か。私は……付かぬ事を伺うが、パスタは何がおすすめなんだ?」
「はい!当店一押しはトマトクリームスパスタです!!」
トマトクリーム……それも美味しそうだな。想像するだけで涎が溢れてしまいそう。
「トマト、赤色……悪い、もう少しまともな色のパスタはないのか?」
うん?何を言い出しているんだ、ソノミ?
「まっ、まともな色ですか……?そっ、その……どういう意味でしょうか?」
「今赤色を見たら、始末した奴らの流した血を思い出しそうで――うぷっ!いきなりなんだよ、グラウっ!私の口を塞ぐなよっ!!」
突如身を乗り出してソノミの口にマスクをしたという俺の行為に、店員さんは困惑。そして何故かネルケは、不満そうにぷくぅっと頬を膨らませている。
でも、しょうがないだろ。この少女……“始末した人間の血”などという、物騒極まりない言葉を宣うたのだから。
「どうか自分の発言に慎みをもってくれ、ソノミ」
「はぁ?何を言っているんだ、お前?はぁ、仕方ない。それじゃあイカスミパスタで。あとオレンジジュース」
「あっ、はい。かしこまりました!ご注文を確認いたします。パエリア一つ、マルゲリータ一つ、エスカルゴ一つ、イカスミパスタを一つ。お飲み物はワイン二つにオレンジジュース一つ。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「「「はい」」」
「それでは、少々お待ちくださいませ…………ふうっ」
あれだけ元気だった店員さんの顔は何処かやつれ、そして俺たちのテーブルから少し離れた所で溜息を漏らしたのをつい聞いてしまった。
悪いのは……俺たち三人だな。注文を決定してから呼び鈴を押すべきなのに、店員さんが来てからあれやこれやと騒ぎ、かなり迷惑をかけてしまう結果となった。出禁とかは……喰らいたくないかな。
打ち上げをしようと切り出したのは俺に他ならない。ただ、結界から抜け出すときにふと思い浮かんだだけで、事前にこの時間でも営業中の店を調べて来ていたわけではない。よって俺たちはあの公衆便所から数十分歩き続け、このファミレス“サンジェリア”を見つけ入店したという次第だ。
「で、まんまと乗せられるなんてお前らしくないな、グラウ?」
ソノミはテーブルに左肘をつき手の甲に頬を乗せながら、露骨に非難の目を俺に向けてきた。
「安心してくれ。俺はそんな簡単に酔っぱらったりはしない」
「言質は取ったからな。お前が飛行機の中で例え吐いたところで、私は知らないから――」
「そんなこと言って、どうせソノミはグラウに優しくしちゃうんでしょ?」
右肘でソノミを小突くクリーム髪の蠱惑の美人は、数時間前に比べれば露出は減った……いや、ストッキングから生足になったのだからむしろ増えたのか。あの際どい服も素晴らしいものだったが、その白ニットと超ショートパンツもまた眼福――なんて、口に出せたものではないが。
「まぁ……いっそ引っかけられるくらいなら、介抱してやらないこともないが………」
「うふっ、やっぱりそうね!流石はソノミ、素直にそう言えば良いのに!!」
「悪かったな、素直じゃなくてっ!!」
忌憚のない意見をぶつけ合えて、二人は本当に仲が良いようだ。いっそ二人の関係性が羨ましくさえ思えてくる。
「それより……ソノミ。今ちょうど時間あるし、
「ああ、そうだったな」
ネルケはピンク色のスマートフォンを、ソノミは青色のスマートフォンを取り出し、それぞれIDの交換をしている様子……って、ソノミ、確か
女性二人のやり取りに、俺は蚊帳の外に追い出される。暇だなぁ……店内でも眺めていることにするか。
こんなに遅い時間だというのに、店内には客がそこそこいる。ただ、その客たちというのは……ケバケバしいヘアスタイルにドレス姿をした女性を膝の上に乗せる、頭が後退し始めた恰幅の良い中年男性。室内にもかかわらずサングラスを外さない強面の男性……と、あまり健全とは言えない様な人種が、このファミレスにごった返している。
その中で一番和やかな雰囲気を漂わせているのは俺たちのはずだ。各人のファッションセンスはともかくとして、三人とも厳めしさとは無縁の私服を着ているのだから。しかし、実際最もヤバイ連中が誰かとなれば……俺たちに他ならないのだろうな。
「ん…………」
入店して以降、ずっと客の出入りを観察していたが……特に怪しい奴はなし、だな。
俺たちが星片を結界の外に持ち出したという情報は、きっと何処の組織にも広がっていることだろう。故に異能力規制法という建前を無視し、俺たちを襲撃してくるような連中の存在を警戒してはいたが……杞憂で済みそうかな。
仮にそうなったとしても、俺は拳銃をスーツケース奥深くにしまいこんでしまったから反撃の手段がない――なんてことはない。
レストランという場所は武器の宝庫だ。ナイフはもちろん、フォークだって人体に突き刺すことが出来るし、スプーンは目玉を抉り出すことに適した形状をしている。調味料も優秀だ。胡椒を顔面にぶちまければかなり隙を作れるし、レモン果汁は傷口に塗り込めば拷問に使える――とまぁ……穏やかな事を考えるのはこれくらいにしよう。料理がテーブルに運ばれてきたのだから。
「失礼します!」
先程の店員さんは数分の間に元気を取り戻してくれたようで、俺も一安心だ。
料理が乗せられたお皿が、次々とテーブルに並べられていく。その全てが食欲をそそる良い香りで……お腹の虫がうっかり鳴ってしまいそうだ。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「ああ」
「それでは、ごゆっくりお召し上がりください!」
一礼し、店員さんは足早に会計の方へと戻っていった。
卓上に並べられた多くの料理。早速口に運び……といきたいところだが――初めにやらねばならないことがある。
ワイングラスを右手に持ち、ネルケとソノミとそれぞれ視線を交す。
「グラウ、音頭はあなたに任せるわよ!」
「わかった……コホン!」
自分がリーダーに相応しい人間だとは思えない。俺はこの二人に、異能力者としても戦闘員としても劣っている。
それでも二人が俺にリーダーを任せてくれるというのなら、出来る限りの努力はするつもりだ。
「先ずは……24時間お疲れ様でした。この勝利は俺たち三人、そしてゼンがいたから成し得たもの。あと、テウフェルの連中の助力も大きいか」
もしもスクリムたちが駆けつけてくれなければ、俺たちは星片の在処を知らないまま、遊園地を途方もなく彷徨うことになっていただろう。そもそも遊園地内への侵入だって、彼らの陽動があったからこそ成功したようなものだ。感謝を、スクリム。
「ソノミ。色々あったが……やはり、ソノミがいなければ俺たちに締まりがない。これから先も、よろしく頼む」
「ああ。私はもう、何があってもお前らのことを絶対に裏切ったりなんかしない。この命、お前らのために尽くそう!」
ニッと笑った彼女の表情には、あの団地での憂いに苦しむ少女の面影は何処にもない。
「ネルケ。あんたとの出会いは強烈だったが――」
「あら、もっと強烈なことをして欲しい?」
「……どうかもう少し、淑女として相応しい言動と振る舞いを習得してくれ」
「むう~~~っ!何よそれっ!まるでわたしが淑女じゃないみたいじゃないっっ!!」
テーブルの下でネルケがおみ足をジタバタさせるせいで、俺の脛に何度も蹴りがかまされる。ひじょ~~に痛い。しかし今は……さっさと進行をしてしまおう。
「では、俺たちの勝利と生還を祝して――乾杯っ!」
「「乾杯っ!!」」
三つのグラスがコツンと小気味良い音を立てて共鳴した。そしてグイッとワインを口へと注ぎ込む。爽やかなアタック。それから程良い辛さ、ミディアムなボディ……余韻もこれ程長く続くとは。
「ファミレスで提供されるような安物のはずなのに、結構美味しいじゃないか」
「グラウは飲み物に関しては味覚音痴だから、正当な評価が出来ないんじゃないかと思っていたけれど……確かに美味しいわね!ちなみにこのワイン、名前は
「口づけか……」
口づけなんて言葉を一度思い浮かべてしまうと、意識せずとも、瞼の裏側に約一日前のあの光景が浮かび上がってくる。
俺とネルケは……言葉よりも先に唇を交した。あの唇の柔らかさ、温もり、彼女の匂い。一生、忘れられるはずがないだろうな。
「じと~~~~っっ!!」
「ソノミ、オレンジジュースは旨いか?」
「ちっ!逃げやがって……ああ美味しいよ。市販の奴よりはなっ!!」
そう言うと、ソノミはオレンジジュースをストローを通し猛烈なスピードで飲み干してしまった。
ソノミは19歳。まだお酒を嗜める年齢ではないが……それも後二ヶ月すれば解禁される。俺はどうも、ソノミは少女という印象が強過ぎて、彼女がお酒を飲むところなど全く想像つかないが……なんとなく、彼女はお酒に弱そうだという印象がある。
そう言えば日本にはDemon Slayerというお酒があると聞いたことがある。彼女がそれを飲んだら……本当に大変なことになるのだろうか?若干興味があるな。
「さてと」
目の前のパエリアは、サフランにより色づけされた黄色いご飯の上に、エビ、ムール貝、イカなどの海鮮食材が盛り付けられている。独特な風味が堪らない……では、頂くとしようか!
「はふ、はふ……あむ」
うん!口に広がる塩辛さ、それと海鮮食材たちの磯の香り……最高だ!ブイヨンが効いているためか、程良いコクを感じられる。うまみ成分も、これだけの食材が使われているため多分に含まれているようだ。それと、味自体には関係ないが、やはりパエリアは
スプーンが止まらない。もう半分も食べてしま……ん?
「ネルケ、エスカルゴはあんたが頼んだものだろ?どうして俺の方に皿を押してくる?」
「察しが悪いわねぇ……そんなの、決まっているじゃない!」
にこぉっと小悪魔チックな笑みを浮かべるネルケ。直感が訴えかけてきた――この人、これからろくでもないことを口にしそうである、と。
「女性が男性にエスカルゴを出す意味は一つ!今夜はオッケ――――もごごっ!?」
身を乗り出し、慌てて彼女の口を塞いだが……手遅れだったかな?
エスカルゴには肝機能を向上させる機能や、眼精疲労の回復といった効果がある。だが、ネルケが俺にエスカルゴを食べさせて狙っているのは、それらの効果のためではない。
エスカルゴには――性よ……精力増強効果がある。
そんな事……イカスミパスタで唇を黒く染める少女は知らなくて良い。そんな無駄痴識を蓄えた、ネルケや俺のような不健全な人間にはなって欲しくはない。
ソノミには聞かれないように、耳打ちで穏便に済ませることにしよう。
「いいか、ネルケ。さっきも言ったが、俺たちは後数時間後には飛行機に乗っているんだ……その中で大変な事になったらどうする?」
「それなら、行く前にわたしと――!」
「四匹もいるからな。俺とあんたで二匹ずつ。それで良いだろ?」
「むぅ、仕方ないわね!それじゃあ――」
ネルケがフォークを握ると、一匹を突き刺して――
「はい、あ~~ん!」
「っ!?」
俺の口の前へと運んできた。
それは親が子に対し口を開くようにと促す、あるいは……カップルがいちゃついてするものだ。繰り返すが、俺とネルケは仲間であってもそのような関係ではない。だから丁重にお断り申し上げるしか――
「は・や・く!」
そう急かされても……はぁ。
俺が何を言ったところで、彼女はどうせ聞いてはくれないだろう。仕方ない。これ以上厄介事になるのはごめんだ。覚悟を決めるとしよう。
「あん」
「はい!どう?」
まるで自分が料理を作ったかのようなどや顔をしてくるが、これ、厨房で作られたものだからな?
ガーリックバターの匂いが非常に食欲を掻き立てる。エスカルゴの食感は、例えるならサザエに近い。あの生きている姿からは口に入れたら溶けてしまうのではないかと想像してしまうが、実際は程良い歯ごたえといったところだ。
「チっッ!!」
「痛っ!?ソノミ?!」
エスカルゴを嚥下しようとした瞬間、俺の右足の甲を襲ったのは――ソノミの鬼脚。駄々をこねるだけのネルケの弱蹴りに比べ、ソノミの踏みつけには情け容赦が一切感じられない。
「なんだよ、いきなり!」
「いや、何でもない!何でもないからな、グラウッ!」
痛っ、痛っっ!!絶対何でもあるだろ、ソノミ!!
このままでは、俺の足の甲が破壊されてしまう。どうする?なんとかして彼女の猛攻を止めなくては――
「ソノミ。ほら、エスカルゴを食べるか?」
苦し紛れ。俺もネルケに倣い、エスカルゴをフォークで突き刺し、ソノミの黒い口元へと運んだ。
わかっている。こんなことをしたところで状況が好転しないことぐらい……って、え?
「あむ!はむはむ……なんだよ、カタツムリのくせに結構美味しいじゃないか」
「ソノ……ミ?」
彼女の名前を呼ぶと、ソノミは何故か頬を紅潮させてそっぽを向いてしまった。けれど、それと同時に怒濤の足技も止み……俺、もしかして救われたのか?
「あぁっ!ソノミばっかりずるいわ!!わたしにもあ~んして、グラウ!!」
「はぁ?」
「ほら、早く、早くっ!!」
どうせ俺がやるまで口を開き続けるだろうからな、この人は。まぁ、何が減るわけでもないし……やるとするか。
「ほら、ネルケ――」
「ぱくっ!もぐもぐ……美味しいわ、グラウ!」
だから……これは俺が作ったわけでもあんたが作ったわけでもなく、厨房の料理人が作ったものだからな!!
しかし、これではまるで……俺が美女と美少女の二人を餌付けしている気分だ。俺みたいな人間がこのよう真似をして、本当に許され――ん?
「コホン!」
「ごっほん!!」
「ごほっ、ごほっ!!」
あれ、どうして周囲の客が咳払いの合唱を――あっ……そういうことか。
会話のボリュームなど一切考えてはいなかったから、今のやり取りが周囲にもダダ漏れ。そして傍から見聞きすれば、俺……女性二人をコマす最低野郎にしか思えないな。
視線が突き刺さる……頭が痛くなってくる。俺は平穏無事に過ごしたかっただけなのに、二人と一緒にいると必ず何かしらのハプニングに巻き込まれてしまう。
でも――嫌じゃない。俺は二人と過ごすこの空気感が……何処か懐かしくて、とても温かな気持ちになるんだ。
「はむ……うっ………」
けれど――それとは対照的に、口に運んだパエリアは既に冷え切っていたが。
※※※※※
小話 コスパ最強!
グラウ:本編ではパエリアなどという豪勢なものを食したが、普段はもっと安いものを注文するな
ネルケ:(パエリアの値段なんて、せいぜい600円ちょっとよね……)いつもは何を頼んでいるの?
グラウ:ある所ではほうれん草のバターソテーを頼み、またある所ではミラ〇風ドリアを頼む。ふっ、驚くなよ。なんとどちらとも――ワンコインでお釣りが来る!!
ネルケ:えっ、えっと……(まさかグラウがそんなひもじい思いをしていたなんて。元令嬢として、グラウに奢ってもらうなんて真似、絶対に出来ないわね。だから、むしろわたしが――!)
ソノミ:ふむ……(節約志向なのはグラウらしい。しかしだ、あのグラウがそんな少量で満腹になるはずがない。それに、栄養が偏っているのもいただけない。ここは私が――!)
ネルケ:わたしが養ってあげるわ、グラウ!………えっ?
ソノミ:私が養ってやろう、グラウ!………あん?
ネルケ:ソノミぃ、あなた、今なんて言ったのかしら?
ソノミ:ネルケ、お前こそ私の真似をするなよ
グラウ:うっ、ううん?(なんで俺、二人からヒモにならないかと提案されているんだ……?)
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