第1話 出会いの夜、撫子は甘い香りを漂わせて…… Part2

〈2122年 5月6日 11:45PM 第二星片日本到達まで残り約30分〉―グラウ―


 針山商事。敏腕社長と名高い針山健一がこの大企業は、彩奥市の北西部に本社を構えている。地上45階建て、地下3階。この超高層ビルは彩奥市のランドマークにもなっている。


 真下から見上げたところでその最上階を目にすることが出来ない程の高さのこのビルには、毎日6000人もの社員が出社してくる。これに加え食堂のスタッフ、社内のショップ店員なども含めれば……少なくとも6200名程が針山商事本社ビルに常時勤務していることになるだろう。


 その多くの働き手たちの中でも最も重労働と噂されるのは――清掃スタッフだ。本社ビルでは5名の清掃スタッフを外部から雇っているのだが……たった5名でこの規模の建物を隅々清掃するのはかなり酷な仕事であるのは明白であろう。

 しかし、長きに渡りこのビルはその5名の清掃員の不断の努力により清潔に保たれてきたのだから驚かずにはいられないのだが――清掃員スタッフたちに悲劇が訪れた。


 それは今から二日前のこと。過労が祟ったのか清掃員3名が同時に体調不良を訴え、そして休暇を申し入れしたのだ。5名でさえ45+3階層を清掃するのがやっとのことであったというのに、わずか2人では手が回るわけがない。

 猫の手も借りたい状況に陥った本社ビル清掃部門。その窮地を脱するために清掃スタッフのリーダーは、人事部に3名が復帰するまでの間、臨時の清掃アルバイトを募集するように要請したのであった。


 そして昨日。募集が始まると同時に一人の溌剌とした若者が名乗りを挙げた。若者は即日採用され、軽い研修を受けた後、実際に清掃作業にあたることとなった。まだ不慣れながらにリーダーとサブリーダから手ほどきを受けた若者は、徐々に清掃作業の経験値を獲得していくのであった。


 それから一夜明けた今日。なんと就業時間はたった3時間――それはこの針山商事に限った話ではない。彩奥市の全ての企業、そして学校、各種公的機関に共通してだ。理由はもちろん――星片が彩奥市に落ちてくるためだ。まぁ、日本政府はこのことを秘匿して、「彩奥市に爆破テロの予告があった」とか法螺を吹いていたけれど。

 午前中に彩奥市の就労者・就学者が退避させられ、午後3時までには住民たちの退去も完了された。午後4時からは青い服の警察官が市内に人が残っていないか捜索を開始し、午後6時からは突撃銃アサルトライフルを背負った迷彩服の自衛官たちも市内にちらほら見えるようになった。


「はうっ、はう、ぱくり………ふぅ」


 午前中に売店で購入しておいた『本格派たまごサンド』208円(税込み224円。ただし割引されて204円)を頂いたが――うん、なかなかのものだ。ぷりっとした白身、クリーミーな黄身、そしてマヨネーズが主張しすぎないあたりポイントが高い。そしてパンも薄すぎず、厚すぎず。この点についても賞賛に値しよう。


 しかし日本人は和やかだと言うが――少なくとも俺が出会った人たちは、確かに心根が優しい人ばかりであった。特に今日の仕事終わり、更衣室において清掃スタッフ五人そろって着替えを開始し始めた時、俺は腹痛を訴えてトイレへと駆け込んだ。まぁ、トイレにいれば誰もやっては来ないだろうと高をくくっていたのだが――なんと俺の入っていた個室のドアがノックされたのだ。その事態に思わず変な声が漏れ出しそうになったものだ。

 それは知った声だった。清掃リーダー。彼には申し訳ないがリーダー、リーダー呼んでいたから名前は覚えてはいないんだが……わざわざ俺を心配してトイレまでやって来てくれたんだから、あの人も大概お人好しだろう。その厚意は大変ありがたかったし、人間も捨てたものじゃないと心も温かくなった。しかしてそこで素直に扉を開くわけにはいかない。俺はリーダーを先に帰るようになんとか説得し、そして人生最長記録のトイレ滞在時間は幕を閉じるのであった。


 それから俺はビルが無人になったことを確認した後、20階の物置部屋へと忍び込んだ。流石はミレイナさんだ。確かにこの部屋には監視カメラが一台も設置されていなかった。ここは埃っぽいことを除けば、まぁまぁ快適に過ごせる空間ではあった。

 それでも何回か警備に当たっている警察官が見回りのためにこの部屋を訪れることがあったのだが……まぁ、物陰まで全てチェックしていたら、このビルはいくら時間があってもこのビル全体を見て回ることは出来ない。だから多少手抜きになるのは同情出来る。そういう訳でちょっと息を潜めれば軽くやりすごすことが出来たというわけだ。


「さて、と」


 パイプ椅子にかけておいた紺色のモッズコートを羽織り、デスクの下に隠しておいたボディバックを背負う。そしてホルスターベルトの位置を調整し――準備完了。


 物置部屋から先、目的地である屋上までには合計20の監視カメラが設置されている。だが、これについてもミレイナさんが事前に位置を割り出しておいてくれており、おおよその設置箇所は頭に入っている。

 監視カメラは、果たして侵入者を絶対見逃さない様な完全無欠の代物だろうか――否。それがカメラである以上死角が必ず存在する。監視カメラが移す範囲は扇状。ならばその真下は等閑、死角になるわけだ。

 扉を出てすぐ、階段付近の右の柱の付け根に監視カメラが一台。しかし左の柱の付け根には設置されてはいない。今回の場合右の柱に寄り添って歩く限り、こそこそすることなく堂々と歩けてしまう。これが仮に左側にも設置、つまり互いの死角を潰すように巧妙に取り付けられていたならば、俺は少なくともどちらか一台は破壊しなければならなくなっていただろう。その場合――映画においては監視カメラを破壊しても何も騒ぎにはならないが、監視カメラが破壊された時点で監視制御室へと映像が送られなくなる。そうなれば異常が発生したことは明らかであり、警備員が即座に駆けつける事態になるだろう。よって侵入において安易に監視カメラを破壊する行為は、こと現実においては止めておいた方が身のためだ。


 さて、21階、22階、23階、24階、そして25階と順調に進んでくることが出来た。しかし一つだけ問題が発生――屋上へと続く扉の手前、眼光鋭い警察官が一人、警杖を握りしめ仁王立ちしているではないか。

 ここに来て日本人の性格を恨みたくなる。日本人は生真面目だ。ただその場に突っ立っているという行為は想像以上に疲れる行為。他国では立ったまま寝ているような警備員もいるというのに……まったく、ご苦労なものだ。


 どのようにしてこの事態を切り抜けようか?彼はまだこちらには気が付いてはいない。まぁ、頭や心臓目がけて一発というのが一番手っ取り早いが――それは彼を殺害する理由にはならない。無闇な殺生は癖になる。だから、彼を直接狙うのは避けるべきであろう。

 うむ、彼を殺すことはなく無力化するには――そういえば日本人は平和ボケをしていると聞く。ならばそれを利用しよう。子供だましのような稚拙な策ではあるが、多分、これで十分に目的を果たすことが出来るであろう。


 左のホルスターの拳銃を右手で引き抜く。狙うは彼の頭――から数センチずらして、扉の窓――これで標準はオッケーだ狙い定めた


――銃撃バンッッ、窓が割れたパリンッ!!


「っ!?」


 望み通りの反応だ。窓が割れたことに注意を取られ、何が起こったのか確認のために後ろを振り向いてくれた――今だ!


 物陰から身を曝け出し、一気に距離を詰める。足音で気が付かれるだろうが構わない。振り返る前に――決める!


「悪いなッ!」


 彼の頸を目がけて手刀を放ちシュパン――警察官はいとも容易く崩れ落ちたバタン

 一撃で意識を刈り取れたのは行幸。願わくば、彼に後遺症が残らんことを。


 彼には悪いが、目覚めまで見届けている余裕はない。さっそくドアノブを回し、扉を開けると――耳障りなほどの喧騒が、俺の鼓膜をスコールの様に激しく叩きつけてきた。

 しかしこれは……昨日までの都会の喧噪とはまた色合いが違う。事態の異様さに興味を惹かれ集結した一般人たちの猿山の様な騒がしさ、複数台のパトカーが奏でるサイレンの不協和音シンフォニー、その様子を必死に取材しようと声を張り上げる報道陣……誰も彼もが浮き足立っている。それなのに――彼、彼女らの誰一人としてこれから彩奥市で史上最悪の戦争星片争奪戦が起ころうとしていることを知らないのだから、まったく皮肉なことだ。


『無事に屋上に辿り着いたみたいね』


 左耳に差し込んだ通信端末から聞こえてきた落ち着き払った女性の声――ミレイナさんだ。


「あんたの事前情報のおかげだ。しかし……よくもまぁ、一企業の監視カメラの設置場所なんて割り出せたな。いったいどうやっているんだか……」


 通信を維持しつつ、屋上の縁パラペットへ。隣のビルとの距離は――目測するに3メートルほどか。隣のビルは本社ビルこちらよりも低い位置にあることを踏まえれば……ペットボトルが捨てられているあそこらへんから助走をつければ、問題なく飛び移れよう。


『うふふ、知りたい?』


 先ほどの声と違い、ミレイナさんの声が熱を帯びているように聞こえる。これは……地雷だな、と本能が訴えかけてきた。ミレイナさんが衒学しようと興奮して、目をキラキラ輝かせている姿を想像に難くない。


「遠慮しておく」


『むぅ…つれないわね、グラウくん』


 終始残念そうな声が返ってきたが、これ以上付き合ってやるほど俺は優しくない。

 うむ。ここでいいな。ここから全力で走ればいけるだろう。


「ふぅ……はぁ………」


 呼吸を繰り返し、つま先から指の先端まで、身体中に酸素を行き渡らせていく。それと同時に無駄な力を抜いて、身体をほぐす作業も行っていく――準備運動は大切だ。急に身体を本気フルで動かしては、筋肉を痛める可能性がグッと上がってしまう。それは身体が資本である俺達にとって大問題だ。だから些事で面倒であったとしても、準備運動を蔑ろにしてはならない。


「よし――!」


 クラウチングスタートやスタンディングスタートの様な堅苦しいフォームはとらず、自然な流れで走る動作へと以降する。腕を前後に振り、スピードを徐々に上げていく。そして縁に至ったところで思いっきりコンクリートの床を蹴り上げ――身体を宙へと放り出す。


 空を羽ばたく鳥たちは、その翼を広げて何処までも天を駆けていくことが出来る。しかし人間たちは――重力が絶対の掟としてのしかかる。きっと神様という存在は、人間が地上の覇者になることを許しても、空まで支配ことまでは許しはしなかったのだろう。

 みるみる落ちていく。抗えもせず、ただ下へ下へ。俺の鼓膜は風に襲われビュンビュンビュン、なんだか普段は気にもならない空気の臭いを強く感じる。ああ、足場がないことが、これほどまでに俺を不安にさせるとは。きっと人間は、古代より地面に足をつけることで心の平静を保ってきていたのであろう。


「よっッ、と!」


 隣のビルの縁より数メートル先へと着地。そして間髪入れずに前転をすることで脚への衝撃負担をなるべく軽減。

 よし、一本目はつつがなく飛び移ることが出来た。ところで――


「目標地点までのビルは残り何本ある?」


『12本ね。グラウくんなら余裕でしょう?』


「……俺はパルクールの達人じゃないんだ…勘弁してくれよ………」


 「はぁ…」と嘆息せずにはいられない。たった数秒間身体が寄る辺を失う感覚は、言うばかりなきほど壮絶であるのに……それを後12回繰り返さねばならないと思うと気骨が折れる。


 しかし愚痴っていても誰も助けてはくれない。頼れるのは俺のこの身体のみ。進まなければ明日はない。それに、大切な後輩二人ソノミとゼンと、そして例の彼女だって合流地点へ向かっているはず。俺だってあいつらを裏切るような真似は絶対にしたくはない。


「よし!」


 覚悟を決め、次に飛び移るビルとの距離を確認する作業に移る。道のりは長いくせに、時間はそこまで多くは残されてはいない。なるべくテキパキ飛び移ることを心がけるとしよう。


※※※※※

小話 What is 《異能力》?(Part1)


グラウ:小話……というよりも、今回は用語解説と言った方が適切かもしれない。だが作者は融通が利かない性格だから、このまま小話で押し通すつもりのようだ


ミレイナ:次回から主要キャラ――と、いけないいけない。あまりこういうワードは使わないようにとラウゼさんに言われていたんだったわ。とりあえず今回は、あたしとグラウくんの二人で解説を進めていくことになるわね


グラウ:そういうことだ。というわけで最初に紹介していくワードは――ずばり、異能力だ


ミレイナ:異能力にはルビは振られていないけれど、一応確認の意味を込めて。異能力は「いのうりょく」と読むわね


グラウ:国際秩序機関WWOは異能力規制法において、「普遍的な能力とは区別される、現代科学において説明することが困難な超常的な能力」と異能力を定義している。不勉強な俺にとって、この定義はわかりづらくてしかたがないな


ミレイナ:法律って極めて抽象的に書かれることが多いけれど、この定義はまさにその典型例ね。だからこれを少しずつ噛み砕いていきましょう。まず「普遍的な能力」という部分ね。これは呼吸するとか、歩くとか、走るとか泳ぐとか……そういうなんてことはない、ありきたりな能力のことを指しているわね。次に「現代科学では説明することが出来ない」の部分だけれど……これは読んで字の如くとしか言えないわね


グラウ:読んで字の如く?


ミレイナ:グラウくん、ランバート・ハウレーという人物の名前は聞いたことがあるかしら?


グラウ:ああ。“人類史上最初”の異能力者だな。確か…「異常なまでに脚力がある」とかいう異能力者だったよな?


ミレイナ:その通り!でも、彼はあまりにもありきたりの異能力というか……本当に異能力者だったのかすら最近の研究では怪しくなってきているわね。そもそも彼以前にも異能力に値するような摩訶不思議な能力を持った人が各地に既に出現していたとかいう議論もあるけれど……今回そういう事は割愛させていただきましょう


グラウ:まぁ、それでも少なくとも彼の登場から、えっと……もう30年も経っているわけだな


ミレイナ:そうなのよ!もう三十年も経っているのよ!!それなのに異能力は規制法に言う様に、「超常的な能力」であることにしか共通点を見いだせてはいないなんて、科学者の怠慢としか言えないわ!!!


グラウ:おっ、落ち着いてくれミレイナさん


ミレイナ:あら、ついつい熱くなってしまったわね……ごめんなさい


グラウ:しかしミレイナさん。異能力は神の御業のようなものから、どう考えても使えないようなくだらないものまで。人のためになるようなものから、危険なものまで。既に何百、何千といった種類の異能力が発見されているんだよな?


ミレイナ:ええ。身体能力を強化するとか、怪異の類いを呼び寄せるとか、果ては未来予知の異能力まで存在しているようね。けれどそれらもあくまで氷山の一角に過ぎないわ。きっと世界には、まだまだ未知の異能力を持った異能力者がいるはずね


グラウ:畢竟するに、異能力についてはまだまだ未解明の所も多い、と。まだまだ異能力については、現状判明している原理、それを行使する異能力者などについて説明をしていく必要があるが……ここは長々話すコーナーではないからな。いずれPart2をやるかもしれない。それじゃあ、また次回。よろしく頼む

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