第1話 出会いの夜、撫子は甘い香りを漂わせて…… Part3
〈2122年 5月6日 11:57PM 第二星片日本到達まで残り約15分〉―グラウ―
「ふうっ……」
ようやく3本目……俺は今、終業時刻を迎えた
パルクールの真似事で目的地を目指すなど、面倒でかつ危険な方法であると自分でも理解している。しかし同時に、これこそが彩奥市に確実にたどり着ける方法だとも確信しているわけで――
言わずもがな、彩奥市は日本政府の防衛機構の手によって厳戒態勢が敷かれている。各種インフラは封鎖され、彩奥市への一般人の立ち入りは完全に制限されている。
しかしそんな中であっても、それこそ日本政府の異能力者部隊は何の問題もなく彩奥市に駐留し続けることが出来るであろうし、
といっても、ソノミと例の彼女がどういう方法で目的地へ向かっているのかは知らない。唯一知っているのは、ゼンがどうやったかのみ。
こと侵入においては、ゼンの異能力は最高クラスの有効性が発揮される。彼は――その姿を消せる。肉体のみならず、身につけている衣服、そのアクセサリーの類いまでも透明にしてしまう。だから彼はこんなまどろっこしいことをする必要などなく、ネズミ一匹すら通さないような封鎖網の中を悠然と正面突破出来たことだろう。
畢竟、俺に残されたのは――多少無茶だが、苦労さえすれば確実に到達出来る
「さて、次は……どうしたものか」
自分が現在いるビルと、そして飛び移る先とのビル。前者が後者より高いのであれば、そう飛び移ることには苦労はしない。しかし、その反対は――至難の業だ。
「はぁ…まったく、きついぜ……」
だが、うだうだしてもいられないのも事実。腹を括るしかない。
「よし!」
やることは変わらない。助走をつけ、
「くうっ……!!」
換気口にぶら下がり、なんとか地面へ落ちないように……と、やはり下を見るべきではなかった。余計に恐怖心が煽られただけじゃないか。
ボルダリングというスポーツがある。最低限の道具で、石や岩が埋め込まれた壁をよじ登るというスポーツだ。何回かあれをやったことがあったが……都会という名のジャングルで、それの実践をしなくてはいけなくなるとは夢にも思わなかった。
ただ一つの救いは、一定の間隔に換気口が並べられていることだ。腕だけで全体重を支えなければならないというわけではなく、一応足場も確保出来ている。
「ぐうっっ……ふうっ!」
一番てっぺんの換気口から力を振り絞って右手を伸ばし、ようやく屋上の縁へと手をかけることが出来た。それから身体を持ち上げて……その場に横になった。
「はぁっ、はぁっ、はぁ……」
呼吸が乱れている。無理もないな。身体への負担が凄まじかった。日頃からこういう訓練を続けていたあの頃だったら……もう少しマシな感じに上ってくることが出来ただろうな。
『グラウくん、急かすようで申し訳ないけれど――』
「残り5分。そうだろ?」
刻一刻とその時は迫っていた。別に、時計など見なくてもそれは明らかだ――仰ぎ見る漆黒の夜空、迫る一つの欠片が白く煌めいている。
「あと2本……よし!」
耳の横に手を置いて、足を上げて身体を折り曲げて――屈伸の力を利用して、跳ねるように起き上がる。残りは下るだけだ。そこまで苦労はしないだろう。
日本に来て数日。全てはこの時のための下準備だった。清掃スタッフのお三方に休暇を与えるところから始まり、かなり長い手間がかかったとはいえ……結果が良ければ、苦労は無駄にはならない。
「これで……終わりだッ!」
ようやく12本目のビルに辿り着いた。このビルこそ、星片が生み出す結界のギリギリ内側。
5月の日本は次第に暖かさが増すころ。激しい運動で、身体が火照ってしまっている・そんな時にはこれ――
「ぷはあっ!やっぱり俺はこの一本!ギブミエナジー!!」
これを飲むと、どこかからCMのBGMが聞こえてくるような気がして、ついつい宣伝文句を真似してしまう。
ほろ苦く、そしてほのかな甘酸っぱさ。炭酸飲料は、やはり疲れた身体には染み渡る。
『お疲れ様、グラウくん』
「ああ。だがこれから……だろ?」
まだ集合地点にすら着いてはいないのだ。これはあくまで、争奪戦への片道切符を獲得したというだけのこと。
『そうね。残り3分。大分、星片が近づいてきているみたいね』
ふと目を奪われた空はほんの数分前よりずっと眩しくて、ついつい手をかざしてしまうほど。しかしハッキングのプロのミレイナさんだ。きっとどこかに設置されたカメラを操作して、俺と同じ景色を見ているに違いない。
ギブミエナジーで疲労は少し回復したとはいえ、少しの間腰を休めたい。そうだな……あそこのベンチにでも腰掛けるとしよう。
「星片は隕石の一種。しかし
ふとミレイナさんから事前にもらっていた報告書の一文をそらんじた。でもあの文書を作成したのはミレイナさんではなくて……星片研究の第一人者たる
『そうね。でも、第一星片が落ちたのは太平洋上のど真ん中。陸に落ちた場合どういう反応を示すかは、実際に起こってみないことにはわからないわ』
とはいえミレイナさんも
『星片は落下の衝撃により、一定の範囲内に下界と隔絶させる結界を作り出す』
ミレイナさんが一息吐いて続ける。
『結界の内と外とではあらゆる物質の行き来が出来なくなる。内側の人間は結界が消えるまで外に脱出出来ないし、外側の人間も内側に入ることが出来ない。そして内外では電波すら届かなくなってしまう』
ミレイナさんによる通信での支援を受けることが出来るのも、ここまでということだな。
「結界を構成するのもその
『え~と、確か……ううん、
『ミレイナ君』
ミレイナさんがカンペを棒読みしていた所に、突如として会話に加わってきた円熟味のある声の男。その声の主こそ、世界で一番星片を知る人物なわけだが。
『詳しいことを知りたかったかな、グラウ君?ならば今度君が事務所に来たとき、是非ともご教授してさしあげよう!』
また熱のある興奮した声。今日でもう二度目――こりごりだ。
「謹んでお断り申し上げる」
関心はなくもない。しかしラウゼのことだ……数時間、いや、数十時間拘束されるかもしれない。そんなことに時間を盗られるくらいなら、家に帰ってベッドの上で横になっている方が有意義だ。
『相変わらず、にべもないね』
残念そうな声をしてきたところで、俺の心は揺らいだりはしない。
「俺がそういう性格だってこと、もうわかっているだろ?さて、そろそろ切るぜ」
光はより激しさを増していた。
異常。そう言った方が適切か。夜空はまるで、白昼の快晴の空のように煌々と照らされている。
『君への言葉はこれだけだ。頼んだぞ、グラウ君!』
『あなたたちならきっと成し遂げられるって信じているわ、グラウくん!』
こうも激励の言葉をかけられるのは……悪い気分ではないな。
「まぁ、できるだけあんたらの期待を裏切らないようにしてやるよ……うん?」
通信機の電源をオフにしたわけではないのに、ぷつりと通話が途切れてしまった。ミレイナさんたちが切ったとも考えられないし――これが例の、
「ッ!!?」
刹那――太陽を直視した時の様な眩しさが辺り一帯を包み込んで……俺はそれに耐えきれず、反射的に瞼をギュッと閉じた。それから直ぐ、どこかから地響きに似たゴゴゴゴッ!という轟音が響きだした。続けて暴風が吹き荒れ始め、身体が吹き飛ばされそうになり、柱になんとかしがみつく。
まずい――このままではビルから飛ばされてしまう!?それに鼓膜もぶち破られてしまいそうだ。早く、早く……収まってくれ!
「………終わった…のか?」
鼓膜が未だぐわんぐわんと壮絶な音を反響しているし、それに身体もどこかに吹き飛ばされていきそうな感覚のまま。視界も寝起きのように薄ぼんやりとしているが……先ほどのように世界が眩しくないことは直ぐにわかった。
「これが……結界の内部………」
先ほどまで見えていた夜空はそこにはなかった。
それは幻想的で、しかし薄気味悪さもかんじさせる。そんな空が、この空間一帯を包み込んでいた。
これは偽物の空。目に見えるのは宇宙ではなく、結界が生み出した皮膜でしかないのだ。それでも夜の様に暗くはある。しかし決定的に違うのは、皮膜の亀裂から差し込む青蒼の光が、月に代わって地上を照らしていることだ。そのため辺りは視界不良というほどの支障を来すことはなく、十分に何処に何があるのか視認出来る。
しかし……怖いくらい静かだ。自分の呼吸の音が鮮明に聞こえる。
風は吹いていない。気温は変わらない。特に都会の臭いも変わらないまま。
試しにギブミエナジーの空き缶を真上へと放り投げる――くるくると回転し、
「はぁ………」
この結界の内側にいるのは――ろくでもない連中ばかりだ。星片を目当てに集まった、強欲で卑しくて……それでいて人を何ら躊躇いもなく殺す、人でなしどもだ。
世界は平和になったと言われている。それは、イベリス内戦以降数十年は戦争が起こってはいないことを根拠に――バカげた話だ。戦争はドンパチやるだけが戦争なのではない。インターネットを介して、貿易によって……形は何であれ、争いのない世界など、人類史を通して一度も存在してはいない。全ての人間が平和で身の危険を感じずにいられるような
“星片は世界に希望をと新たな可能性をもたらした”という論文が、一時期世間を騒がしたことがある。果たして本当にそうだろうか――?否、それは物事の一側面しか捉えていない。
星片はあまりにも強力な効果を持ちすぎている。だから誰も彼もがそれを欲する。星片を誰が手に入れるか?それは机上で決められることではない。話し合いなどでは誰一人譲ることなく、平行線を辿るだけであろう。故に人間は、最も原始的で、そして哀れな手段に訴えてしまう――力だ。相手を力によりねじ伏せ、そして星片を手に入れる。
その結果戦争に繋がるのだ。あらゆる組織はこの舞台に多くの兵士を送り込み、綿密な作戦でもって星片の回収を目論む――しかし、それだけではこの戦争では勝利しえない。
異能力者。その存在があまりにも大きい。そのことは、非異能力者たちが異能力者と人間を別な生物だと叫び、異能力規制法において異能力者の異能力の行使を禁止したことからも明らかだ。そんな酷い差別をしておきながら、この戦争において異能力者は重宝されるのだから、皮肉としか言いようがないだろう。
普段の世界では、異能力規制法によって異能力をおおっぴらに行使することは禁止されている。しかしここではどうか?多分、そんな制限は反故のもの、異能力者は無制限に異能力を行使するだろう。
結界が消滅するまでは24時間。それまでに俺たちは星片を奪取する。どんなに卑怯であろうが構わない。だって俺たちは……たった4人しかいないのだから。
このミッションは今まで俺が経験してきた中で、最も過酷なものになることであろう。何ら犠牲もなしに、その偉業を成し遂げられるだろうか……いや、俺は――!
「ユス……どうか俺に、力を貸してくれ――」
胸に拳を当てて、何度も繰り返し祈りを捧げた。
※※※※※
小話 グラウくんは特別な訓練と許可をうけております
ミレイナ:グラウくん。歳上としてきみに言っておきたいことがあるんだよ!
グラウ:ん?なんだよ、藪から棒に?
ミレイナ:あたしのハッキングを「やれやれ、このアマが!」みたいに言っていたけれど――
グラウ:そんな口悪く言ってはいない。ただ、犯罪にはなるだろうとは思ったが――
ミレイナ:そう、それよ!グラウくんだって住居侵入罪を13件やっているじゃない!
グラウ:……仰山人を撃ってきた俺にそれを言うか?
ミレイナ:まぁ、グラウくんが真っ黒なことはわかっているけれど……でも、パルクールをあんなに堂々とやるのはどうかと思うわ!
グラウ:確かに、他の国のことは知らないが……日本でパルクールをするのはまずかったかもしれないな。他人の家に正当な理由がなく浸入すると、日本では刑法第130条によって住居侵入罪が成立し、3年以下の懲役または10万円以下の罰金が科される。(作者調べだと)パルクールによる住居侵入に同条が適用された判例は見つからなかったが……グレーであることは間違いないだろうな
ミレイナ:それにパルクールは(ネット上の動画を見れば明らかだけれど)危険がつきもの。何の考えなしに真似事をするのは非常に危険。だから本作品ではあくまでグラウくんだから13本飛び越えることが出来たという前提で、日本においてパルクールを誰彼がすることを推奨しているわけではなことをここに明記するわ
グラウ:といっても作者もパルクールを見るのが嫌いな訳じゃない。それにイギリスでスポーツとして認められたそうだし、オリンピックの競技にしようという活動も行われているそうだ。果たして今後日本でパルクールはどう認められているか……ふっ、楽しみだな。以上だ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます