第3話 泣いた青鬼 Part6

〈2122年 5月7日 9:55AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約15時間〉

―ソノミ―


「僕の負け、か……」


 私の刀のきっさきが、数コンマ速く兄様の首元へと伸びていた。あと少し、ほんの数コンマ遅れていたならば――反対に、私が敗北していたことだろう。


「兄様……」


 目を瞑る兄様を見て、私は刀を鞘に収めた。兄様もそれから少しして納刀。

 そして何も持たないで私たちは向かい会う。


「苑巳、強くなったね。妹に抜かれるなんて、兄失格かな」


「そんなことはありません!兄様は立派なお方です!!」


「君の……いや、僕たちの家族を奪ったのが、この僕に他ならなくてもかい?」


「っ………!」


 言葉が上手く紡ぎだせない。

 私は兄様を恨んでいるのだろうか……?ああ、その通りだ。それを否定することはできない。兄様は、私の大切な者を全て奪っていった張本人なのだから。

 けれど兄様は、私の同じ血が流れる唯一の人でもある。そんな人のことを、憎もうとしても憎みきれるわけがない。


「苑巳、君には僕を殺す資格がある。僕は、君の全てを奪った悪鬼だ。君に罰せられるというのなら、何の後悔もない」


「そんな……兄様を殺すなんて、私には…無理です、絶対に!」


「苑巳っ!」


 兄様に手を引かれて――再びその胸に抱かれた。

 そこは日だまりように温くて、心が安まる場所。


「本当に良い妹をもったものだ。だけれど……だからこそ、君のことを巻き込みたくなかったのだけれどね」


「兄様……?」


 巻き込みたくない……いったい兄様は、何を仰っているのだろう?


「苑巳、僕もあの頃に戻りたいよ……。父様がいて、苑巳がいて。それだけで僕は幸せだった。それは決して嘘じゃない。僕の本心だ」


「それならばなぜ…どうしてあのようなことを………」


 あれ、おかしいな……。目頭が熱くて、声が震えてしまう。何かが頬を伝って落ちて…私、泣いているのか?

 ああ、ダメだな、私。もう泣かないって決めたのに。それも、兄様の前で――

 兄様に気が付かれてしまったのだろうか?兄様が優しく背中をさすってくださる。もう泣き虫ではないと言ったのに……ですが、ありがとうございます、兄様。


「苑巳、僕は――正規の毘沙門の人間じゃないんだ。本当に属しているのは、別な組織なんだよ」


「別な組織……?」


 兄様が毘沙門の異能力者として戦われていると知ったとき、確かに違和感があった。“御都家虐殺事件”の犯人が兄様であることは、私の思惑から外れ、結局調査の結果判明してしまっていた。そしてテレビ・新聞などのマスメディアを通して、兄様の名は“非道の殺人鬼”として世間で騒がれることになった。

 そして今もなお、兄様は未解決事件の犯人として指名手配されていたはず。それなのに日本政府直属の異能力者部隊、毘沙門の副将を務めておられるのは、何か変だなとは感じた。

 もしかしてだが……兄様がその真に属している組織とやらが、色々と裏で手引きでもしているということなのだろうか?


「その名を明かさないことには、何も説明出来ないね。その組織の名は――」


「――いやぁ、素晴らしいね、ルコンっ!これぞ兄妹愛・見せつけてくれるねっ!?」


「ん?」


「っ、君は――!」


 兄様の背後から聞こえてきた、幼げで、好奇に満ちた声。私にはその声の聞き覚えはないが、どうやら兄様は違うようだ。

 兄様は私から手を離して振り返り――その声の主から私を隠すようにと立ち塞がった。


 ちらりと見えたのは――ピンク色の髪をした少女であった。左目は赤色、右目は青色。いわゆる虹彩異色症オッドアイなのだろうか?猫のようにくりっとした、大きな瞳であった。

 そして彼女が身につけていたのは、まるで西洋の物語に登場する姫様のような、フリルやレースがふんだんにあしらわれた白と濃いピンクを基調としたドレス。俗に、ロリータ・ファッションというものだろう。どう見ても、こんな戦場に似つかわしい服には思えないのだが……。


「ピオン。君はここに来ないはずじゃなかったかな?組織は、この戦いに――」


 兄様が口にされた“ピオン”というのがこの少女の名前なのだろう。

 ピオンは、不躾にも食い気味に兄様の話に割って入る。


「ねぇ、ルコン。結界って良い場所だと思わない?何もかも有耶無耶になる。何人殺そうが、どれだけバラバラにしようが……それが明るみになることはない」


「何を言っている、ピオン?」


「わからない?キミはそんなに察しが悪い人じゃないだろ、ルコン。ボクはね――用済みになったオモチャを処分しに来たんだよっ!!」


 ピオンは目を見開いて――まるで悪魔のように甲高い声で笑い始めた。

 この少女、何処かおかしい。本能がそう訴えかけてくる。どうやら…静観している場合ではないようだ。


「兄様、お下がりください。この女、私が――」


 一歩手前に出て、刀に手を回す――けれど兄様が私の右肩を掴まれ、強引に後ろへと引き戻されてしまった。


「苑巳……逃げてくれ。出来るだけ遠くへ。キミの仲間たちのいる場所へ!」


「っ!何を仰るのですか、兄様っ!?兄様は左肩を負傷されております。ですが、私はまだまだ戦えます!私の力なら、今し方証明したはずではっ!!?」


 必死に訴えかける、けれど――兄様は首を横に振って、取り付く島もないご様子だなんて……。


「なるほどぉ。キミが例のソノミちゃんか。もちろんキミのことも知っているよ。キミはルコンが――」


「いい加減にしろッ、ピオンッッ!!」


 兄様の怒声がビルに木霊した――こんなに兄様が絶叫されているお姿なんて、初めて見たかもしれない。

 兄様は冷静沈着。並のことで感情を荒らげることはない。それなのにこのピオンという女は、兄様に激情を抱かせた。そんな女、放っておく訳には――


 焦る私の肩に、兄様の手が乗せられた。そして見上げると、兄様と視線が合った。


「苑巳。いいかい。君が今、何処の組織に所属しているのかはわからないけれど……どうか、この世界に蔓延る悪意の深淵には至らないで欲しい。彼らは、世界の秩序を我が物にしようとしている。今は息を潜め、虎視眈々とその時を待っているけれど…時間の問題だ。僕は、君に無事でいて欲しい、幸せになって欲しい。だから……どうか、このピオンたちには関わらないで欲しい」


「兄様?どういうことなのですかっ!?悪意の深淵って、この女は――」


 兄様は首を振って、何も答えてくださらない。


「……いくんだ、苑巳っ」


 とても辛い顔をされて…それでも、私は――!


「兄様っ!!」


「お願いだ、苑巳!最後の、兄の頼みだからっ!!」


「っ………!!」


 私は気が付けば駆けだしていた。

 そのような表情で、そこまで強く言われてしまっては――従わざるをえないじゃないですか!私は、あなたの妹だから――兄様の言いつけは、せめて守りたいから。



〈2122年 5月7日 10:02AM 第一次星片争奪戦終了まで残り約14時間〉

―流魂―


「大好きな妹ちゃんを無事に逃がせてよかったね、ルコン?」


「君たちに、最後の家族まで奪わせるつもりはないよ、ピオン」


「殺したのはキミ自身じゃないか」


「……………」


 指をさしてくるピオンに、僕は何も言い返すことは出来ない――あの時の僕は、によって自我喪失の状態にあった。けれどそれは言い訳で、父様と使用人たちを殺害し、苑巳まで手にかけようとしたのはこの僕に他ならないのだから。


「君は僕のことを用済みだと言ったけれど…実験は、既に終わったというのかい?博士からは、進捗は5割程度と聞いていたけれど……まさかとは思うけれど、対象を苑巳に――!!」


 ピオンは「ちっ、ちっ」と唇で音をたてて、首を横に振ってきた。


「安心しなよ。約束は約束だからね、ボクたちはキミにしか手を出したりはしないよ」


 「ふうっ」と安堵の溜息が自然に漏れた。良かった、苑巳にまで彼らの魔の手が差し迫っているのかと不安になった。

 けれど依然として気がかりなのは――


「それじゃあキミは、いったい何をしに来たというんだい?“オモチャ”とか言っていたけれど……それは、僕のことだろ?処分…僕を殺しに来たとでもいうのかい?」


「う~ん、どうだろうね?」


 女性が顎に人差し指を宛がう仕草はかわいらしさを感じる。けれどピオンがそれをやる分には、なんとも思えない気持ちになる。


「ボクが博士から聞いた情報だとさ、あとはキミがいなくても実験は完了するんだって。それに被験者は一応キミだけじゃないし、博士はボクたちの大事な大事なキーパーソンだからね。あの実験ばかりに時間を割いていてもらっては困るんだ。でね、博士は最後にこう言っていたよ。キミはもう――残滓に過ぎないってさぁっ!」


「っ!?」


 そんな、バカな!?博士は僕に、嘘を吐いておられたというのか?

 博士は組織の中で、唯一頼れる人物だったというのに……裏切られたというのか?


「そんな思い詰めた顔をしないでよルコン――興奮しちゃうじゃないか!」


「っ!?この変人が!!」


 目をこれでもかと見開いて、口角をつり上げるピオン。まさに悪魔の笑みだ。

 見た目は少し派手な服を着ている可愛げな少女。しかし彼女は内に小悪魔…いや、大悪魔を飼っている。

 彼女は歪んでいる。頭のネジが何本も抜けている。彼女はどこまでも非道で、残忍で、倫理観というものが欠如している。高笑いをしながら人を殺して、挙げ句の果てに亡骸を蹴り飛ばして遊ぶくらいに、イカれ狂っている!


「変人?変態の方が嬉しいけれど、どちらにせよ褒め言葉だよっ!!先に言っておくね。これでもボクは慈悲ぶか~いから、ボクはキミを殺したりはしないよ。だって、キミとはもう数年来の付き合いだろ?ボクだってキミを殺すのに抵抗を感じるのさ」


 そんなこと、真っ赤な嘘だ。彼女はボクと同じ境遇の友人を、気分が悪いというだけの理由で殺害した。だからきっとボクのことだって、彼女なら平気で殺せるはずだ。

 しかし何か引っかかる……“ボク”は、殺さない?まさか――


「キミは絞りカス。でも、カスはカスなりに再利用出来るじゃないかっ!だからさぁ、ルコン――せいぜいこのボクのことを楽しませてよっっ!!!」


 その歪みきった表情に背筋がぞくっと凍り付き――次の瞬間、ピオンはその場から消えていた。

 一瞬たりともピオンから視線を外しはしなかった。最大限の警戒をしていた。それなのに、視界から消えるなんて。そうだ。これこそ、ピオンの異能力――


 落ち着け。気配を探るんだ。先手を打てば、僕に勝ち目はある――そこだッ!!


「お・そ・い!!ほんと、キミはあの頃からなんも成長していないねっ!!」


「ぐうッ!!?」


 僕の刀がピオンに届くよりも先に、彼女によって僕の首元に注射針がぷすりと突き刺された。


「このッッ!!」


「当たらないよ?誰の攻撃だってね」


 反撃も失敗……あれ、急に気怠く、そして意識が朦朧として――この感覚は、あの時と同じ!?

 まずい、僕は、また同じ過ちを……うん?街灯の隣、あれは…苑、巳?どうして…逃げたはずでは……?


「おおっ、これは僥倖だねっ!毘沙門連中とと思っていたけれど、これならより一層面白いものが見られそうだっ!ルコン、ほらっ、キミがずっと大切に思ってきた妹ちゃんだよ!だからさ、はやく――目覚めなよ・・・・・っ!!ふふふ、あははははっっっっっ!!」


 あぁ、ダメだ。もう、意識が底へと消えていく。これでは…僕は再び、本物の鬼に――

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