第6話 勝利の美酒にはまだ早い Part6

〈2122年 5月8日 3:17PM〉

―スクリム―


「はぁ……」


 屋敷まで続くレンガ道を、一人でとぼとぼと歩いている。

 歩いていれば、少しくらいこの退屈も満たされると思ったんだけれど……むしろ気が滅入るばかりだよ。誰かと話している時はそんなことはないのに、一人でいると自分のことを色々と考えてしまう。


「もう!ミノもビーザもこんな時に別件なんてさ……ほんと、タイミングが悪いよね!」


 争奪戦も終わっちゃったし、この先当分の間は面白いことが一つもない。これからオレを待っているのは、次期テウフェルの首領ボスとしての仕事――その大半がデスクワークって言うのが、オレの最大の悩みの種。

 正直堪えきれないよ。だって一日中書類に目を通して、部下に指示を出してなんて……オレはそんなことより身体を動かしている方が好きなの!

 争奪戦で結構戦いはしたよ?それでも正直不完全燃焼気味なんだよ。灰鷹の陽動を買って出て、100人近くの世界防衛軍WGの兵士たちと戦ったのは結構スリリングだったけれど……非異能力者なんかじゃ、オレの相手は務まらない。いくら束になってかかってこようが、結局は有象無象に過ぎないってわけ。

 そう考えると、あの時の判断は……間違っていたのかも。陽動はミノとビーザに任せて、オレは灰鷹に着いて行った方がより面白かったんじゃないかな?そうしたらほぼ確実に異能力者に遭遇していただろうし、万一そうでなかったとしても……灰鷹を襲えば良かったわけだし。


 まっ、過ぎたことを悔やんでも仕方がないよね。この欲求不満は、何れ時間が穴埋めしてくれるよね?

 それに……親父をあんまり心配させるのも難だしね。わかっているよ、オレは何れテウフェルを継ぐ身だ。その時が来るまでには、それに相応しい人間になって見せるから。

 でも、それまでは――もう少しやんちゃさせてもらうよ、お・や・じ!


「――お姉さぁん、今暇ぁ?」


 ん?なんだろ……路地裏の方から、やけにイヤらしい男の声が聞こえてきたけれど?


「俺たちと、良いことしようや!」


 良いこと、ね。それっていったい何のことかなぁ――なんて、惚けている場合じゃなさそうかな?


「――そう、良いことね。ところで貴方たちは……何者なの?」


 湿っぽい男の声に続いて聞こえたのは――陰鬱な路地裏の空気を浄化する、心を揺さぶりぞくぞくさせるような蠱惑的な声音。

 今のが……男たちからちょっかいをかけられているお姉さんの声、なんだよね?


「俺たち?俺たちは……そう、テウフェル!ヨーロッパ一のマフィア、テウフェルの幹部だ!」


「そっ、そうだ!お姉さんだって知っているだろ?オレら、すっごい恐ろしいんだぜぇ?」


 へぇ……テウフェルね。ヨーロッパ一のマフィアの、それも幹部なんて大層なご身分だねぇ。

 ふふっ、ふふふっ……!そんな法螺を吹いてさ――ちょっと、お仕置きが必要かな?


「もちろんテウフェルのことは知っているけれど……まぁ、誰でもいいのだけれど」


「お姉さん、それじゃあ俺たちに着いてきてくれや」


「ここからそう遠くないし、お礼は弾むぜっ!」


 こっそり、こっそりと近づいて、ダストボックスの側面を背に現場を確認っと。

 ガリガリで無精髭を生やした男と、スキンヘッドで恰幅の良い男。どちらも黄ばんだ服を着て、清潔感が一切ない。うん、一目瞭然!こんな奴、うちの幹部なわけがないじゃん。


 そしてあの後ろ姿――フードの付いた肩出しオフショルの黒のモッズコートに……上衣トップスで隠れちゃって、下衣ボトムスは見えないや。流石に何も履いていないなんてことは……ないよね?それとここから見えるのは、左右長さの違うシースルーの黒ソックス、そして膝丈のブーツ。

 あのお姉さんが蠱惑的な声の持ち主ってことで間違いないね。


「お礼ね。それは何でも良いのかしら?」


「あんまり多額は出せないよ、へへっ!」


 オレ知っているよ。そもそも金なんて出す気はないんだろ、オマエら。

 猫被っているようだけれど、その下の野獣の本性がバレバレ。お姉さんを手籠めにして、用が済んだら捨てるだけ。


「そう。別に私、お金になんて興味ないわ」


「それじゃあいったい何が欲しいんだ?それとも何かをして欲しいってか?」


 今すぐスマホで警察を呼ぶっていうのもあり。けれど、そんなことはしないよ。それじゃあ手遅れになるかもしれないし、何より――オレ自身が納得出来ないから。

 テウフェルの名を騙ったことも腹立たしいけれど――それ以上に、女性を手玉に取ろうなんてその性根が気にくわない。

 正義のヒーローの真似事をするつもりはないよ。オレはただ、自分が思った通りに行動するだけさ!


「それじゃあ約束して。貴方たちの用事が済んだら、私のことを――」


「そこまでだよ!」


 ダストボックスに身を隠すことを止めて、三人へと近づいて行く。


「何者だ、てめぇっッ!」


「くそガキがぁ、邪魔するんじゃねぇ~~よぉっ!!」


 くそガキ……まぁ、確かにぃ、オレまだぴっちぴっちの18歳だけれどさぁ。ガキって言い方はちょっとイラッとくるかなぁ。


「貴方……」


 そしてお姉さんもオレの方へ振り返って………んんっ!!?

 それはとても美しい髪――淡い紫色をして、毛先に向かっていく程グラデーションが強くなっている。前髪で左目が隠されていて、確認出来る右の瞳は琥珀色。その表情は何処か虚ろ気で、そしてなんてミスティックなオーラをお姉さんは漂わせているのだろうか。

 灰鷹が連れていた二人も確かに綺麗だったけれど……この人も一切引けを取ってはいない。いや、むしろオレは――この人ドストライクなんだけれど!!


「何?私を舐め回す様に見て、鼻の下を伸ばして。もしかして、貴方――」


「なっ、何でもない!」


 いっけね!こんな状況だっていうのに、完全にお姉さんに見惚れちゃってた。

 頬を両手でと叩いて気合いを入れ直す。そしてビシッと、男たちを人差し指で差す!


「えっと、テウフェルの幹部さん?こんな時間から悪事を働くなんて、随分と大胆な事をするね」


「時間なんて関係ねぇ~よ。オレたちは好き勝手に生きているんだよ!」


「そういう自由も確かにあるかも。でも……人様に迷惑をかける自由は、いくらテウフェルの幹部にだってないはずだよ」


 まっ、テウフェルの首領ボスの息子にはあるけれどね!これからも灰鷹にちょっかいをかけるつもりだから、今後ともよろしく――!!なんてことを考えていたら、いつの間にかガリガリの男が顔をしかめ、オレのことを鋭く睨んできていた。


「ガキ風情が……俺たちに講釈垂れるってか?」


 続いて恰幅の良い男が気色ばんで……うわっ、すっごい剣呑な雰囲気!


「調子乗ってんじゃねぇ~ぞっっ?!痛い目見たくなければ、さっさとママの所に帰りなっッ!!」


 そんな二人の恐ろしい・・・・啖呵を聞いてオレは――もう、堪えられそうにないや!


「ふっ、ふふふっ!ははははっ!!」


「「なっ、何がおかしいっ!?」」


「ママなんてとっくの昔に他界しちゃっているけれどさ、パパは今も元気に生きているよ。親父はさ、すっごく優しくて、すっごく厳しくて、そしてすっごく怖い――テウフェルの首領ボスをやっているんだ」


「………はっ?」


 オレの大胆告白が信用ならないからか、ガリガリ男が怪訝な視線を向けてくる。


「別に信じてくれようが信じてくれまいがどっちでも構わないけれど……一応、自己紹介!オレはテウフェル家の首領ボスデルモンド・テウフェルの一人息子、スクリム・テウフェル。以後、お見知りおきを!!」


 ガリガリ男の方は反応が薄いけれど……恰幅の良い男の方は顔面を真っ青にして動揺している様子。


「おっ、おい……」


「兄弟、何をびびっている。こいつの言っていることはどうせブラフだ」


 疑り深いなぁ。かといって、信じてもらう根拠も提示出来ないんだけれどね。


「貴方……そう、テウフェルの」


「どうしたの、お姉さん?」


「いいえ」


 お姉さんからの視線を感じて流し目したけれど、直ぐにそっぽを向かれてしまった。なんだか無愛想な人だなぁ。もうちょっとオレに構ってくれても良くない?

 まぁ、それは――この男たちを倒してからのお楽しみってことで!


「ガキ……最後の警告だ。今すぐこの場から立ち去れ。さもなくば――」


「オレを殺す?それとも……焼いたり、煮たり?うん。オレに勝ったら、オレのことを好きにして良いよ。自分より強い奴には最大の敬意を払う。けれど――」


 携帯していたペットボトルを取り出し、キャップを開けて一気に飲み干す。


「こんな時に、何悠長に水を飲んでやがる?」


「こっちの事情!ふうっ……三下風情に払う敬意は一つもない。テウフェルの名を騙ったこと、お姉さんに手を出したこと――たっぷり反省させてあげるよ!」


 空になったペットボトルを男たちに投げつけ――カコンと、ガリガリ男の額に激突。


「うけるっ!今のが避けられないの?」


「っ……!てめぇっ!」


 ガリガリ男は最早殺気を隠すつもりがないみたい。ナイフを取り出して、ぶんぶん振り回している。


「お姉さん。ちょっと待っていて!」


「…………」


 けれどお姉さんからは何も言葉は返ってこない。オレのことなんて何処吹く風って感じなのかな?

 でも、それで構わないさ――オレのカッコ良いところ、今からみせてあげるから!


「ガキ風情が……いくぜ、兄弟っ!!」


「おう、兄弟っ!!」


 恰幅の良い男が先行し、その後ろにガリガリの男が続いて襲いかかってくる。

見るからに腕力ありそうだし、恰幅の良い男に殴られたら、痛いじゃ済まないだろうね。それにナイフなんかで刺された日には、オレもぽっくり逝っちゃうだろうね。

 そんな彼らのことを恐れる――?もしそうなら、悪魔テウフェルの名折れも良いとろだ!


「喰らいやがれっッッ!?」


 恰幅の良い男が腰を捻り右腕を引いて――鈍重なる拳を放ってくる。けれど――遅いっ!


「ふっ!」


 その拳を右手で掴む。やっぱり結構なパワーだ。でも、このくらいじゃなきゃ張り合いがないかな!


「ちょっと痛いけれど、我慢してね!」


 いつまでもこのままってわけにはいかない。恰幅の良い男の拳を、手首の間接の限界を無視して時計回りに捻っていく。


「いっ、てェっ!」


 それに堪えかねた恰幅の良い男が怯み体勢を崩した――絶好のチャンス到来っ!

 左脚を軸に右足を抱えるように回転し、円を描く様にそのがら空きの土手っ腹へと回し蹴りをお見舞いする!


「ぐふうっッッ!!?」


 恰幅の良い男は吹っ飛んでいき――ゴミ袋の山へと激突した。そして衝撃で袋が避けたようで……ここまでぷうんと臭いが漂ってきた。


「てっ、てめぇっッ!」


 兄弟がやられたことで、ガリガリ男は怒り心頭のご様子。それはまさに猪突猛進。オレをその鋭利なナイフの餌食にしようと、刺突を繰り返してくる。


「よっと!」


 でも、甘いよ!そのくらいのスピードなら、オレでも軽く見切ることが出来る。

 なんてガリガリ男は無鉄砲なんだろうか――?なんて思うけれど、つい数日前までのオレは、むしろガリガリ男と同じ立場だった。

 けれどオレは――灰鷹の戦い方を見て学んだんだ。一手先、二手先のことだけじゃない……三手先、四手先、自分の勝利までの道のりを頭に思い描いた上で戦う。そういう冷静さが、あの時のオレには不足していた。


「はぁっ、くっ……!」


 ガリガリ男の息が切れてきた。うん、狙った通り。それじゃあここからはオレの番だ!


「痛くても泣かないでよ?」


 オレを突き刺そうと伸ばしてきた右腕を掴み後ろに引っ張る。ガリガリ男はオレの不意の攻勢に体幹を崩し、オレはその隙を突きガリガリ男の服の襟を掴んで――


「飛んでけっっ!!」


 恰幅の良い男の方へと投げ飛ばす。

 それにしても体重が軽い。ちゃんとご飯食べているのかな?腹が減っては戦はできないよ?


「ぐおぁっ!?」


「ぐふっ!!」


 ガリガリ男は恰幅の良い男へと激突。二人ともなんとも情けない声を上げて――これにて一件落着かな?


「ふうっ……」


 手を叩き合わせ、付着した汚れを落とす。うん。この程度の相手に、わざわざ水を飲む必要もなかったね。


「お姉さん、無事?」


 近づいて顔を覗いて見たけれど……恐ろしいくらいに表情に変化がない。

 でも、良かった。これでお姉さんを守ることが出来たよね?


「――まだね」


「……えっ?」


 「まだね」?えっと……何がまだなの?オレにはわからないんだけれど――


「くそガキぃィィ……死ねやッッッ!!!」


「ふえっ!?」


 突如鼓膜をつんざいた激情渦巻く怒声。その震源地へと振り返ると――ガリガリの男が足を震わせながら立ち上がり、黒い拳銃を構えていた。

 どうしてチンピラ風情が拳銃を持っているのかは知らないけれど……なるほど、とっておきを残しておいたってわけか。確かにそれなら、一番確実にオレのことを仕留められるね。

 銃口は既にオレに向けられている。ガリガリ男はあと引き金を絞るだけでオレを殺すことが出来る。今更逃げても遅いかな?


「ふっ、ふふふっ……!俺たちに喧嘩をふっかけてきたのが間違いだったな。くそガキ……これで、終わりだッ!」


 躊躇い一つなく、ガリガリ男は――引き金を絞った。

 乾いた銃声が路地裏に木霊し、硝煙銃口から噴き出す。弾丸は慈悲なんて覚えず、オレ目掛けて猛スピードで駆けてくる。


 あまりにも状況が酷似しているせいか――ふと灰鷹との戦いを思い出した。

 振り返ってみればすっごい楽しい戦いだった。途中灰鷹の異能力の弱さに失望したけれど、灰鷹は直ぐに名誉挽回してみせた。

 灰鷹の強さの秘訣は、銃の腕前、運動神経、頭の回転の速さ。そのどれもが並外れていているからこそ、下の下の異能力であったとしても灰鷹はオレを打ち負かしたんだ。


 オレは初めて憧れた。あんな風に戦ってみたいと思った。だからオレは灰鷹に最大限の敬意を払うし、構ってもらうためにもちょっかいをかけに行くことだろう。

 けれど、オマエはそれに比べてどうだ?オマエはあの奇人の足下にも及ばない。ただ単に拳銃の性能に頼りっきりで、自分の力で解決しようって意思を感じない。


「だから――オマエなんかに殺されてたまるかよ!」


 手を伸ばし、思い描く。

 オレが欲するは、弾丸からオレを守ってくれるシールド。厚さはそこそこで、一発防げればそれで充分……うん、こんな感じで良いかな!


「それじゃあ、刮目しなっ!」


 異能力の発動を思念し――この場の気温が急降下。凍てつく冷気が地面から這い上がり、無色透明の壁がオレの目の前に出現する。


「はあっ!?んなっ!!?」


 間もなく弾丸が氷壁に激突。キュルキュルキュルと音を立て砕け散ってくが――弾丸はオレへと届くことはなく、壁にめり込むという哀れな最期を迎えた。


「というわけで、これに懲りたら二度と悪事を働かないこと。特にテウフェルの名を無断で利用するなんて言語道断!もしも本物の幹部に見つかっていたら、ガチでバラバラにされて海に投げ捨てられていたかも知れないよ?」


 ヒンヤリとした氷壁に一差し指を触れて、最後の仕上げといく。

 パリパリパリ!氷壁に亀裂が走り、そして次の瞬間――氷は破片となって、吹き飛んでいく。


「はっ!?」


 路地裏に差し込んだ微光に、氷片はダイヤモンドの様に煌めく。そして氷片の激流は、ついに男たちを飲み込――まない。二人の頭上を掠め、そのまま世界へと解けていく。

 一つ一つでも結構痛いし、直撃したら確実に死ぬだろうね。オレは別に命をつもりなんてない。あくまで脅しになればそれで十分。


「あっ、あぁっ………」


 ガリガリ男は血の気が失せ、目を見開いて身体をガクブルとさせている。それなりにショッキングなことはしたから、当然と言えば当然の反応なのかな?


「はい!さっさと兄弟を連れてどっかに行って。じゃないと――次はぶち当てるよ?」


「あっ、ああ、わかった……!」


 ガリガリ男が気絶している恰幅の良い男を肩に担いで、一目散に何処かへ逃げていく。今度こそ一件落着……だよね?


「貴方、異能力者だったのね」


 振り返ると、お姉さんの顔が目の前に……って!ちょっと!!こんな超至近距離でまじまじ見られると、照れを隠せないんですけどっ!?


「顔が真っ赤。うぶなのね」


「っ!うっ、うるさい……かな?うちの組織はむさ苦しい連中ばかりだから、実は女性とあまり話したことがなかったり?」


「そう。だからそんなに挙動不審なのね」


 ギクリ!おっ、オレ……今そんなにキョドってるの?


 男だったら、年上だろうがどんな偉い奴だろうがいつもの調子を貫けるんだけれど……女の人となれば話が変わる。女の人慣れなんてしてないし、しかも一対一なんて……。


「まぁ、いいわ。それじゃあ――」


 お姉さんは振り返って――えっ、ちょっと!

 恩着せがましいかも知れないけれど、オレのことを労う言葉の一つもないの!?


「まっ、待って!」


 慌ててお姉さんの左の手首を掴む!

 ちょっと……強引過ぎたかな?あからさまに不機嫌そうな顔をしているし……。


「何?」


「えっと……その、何か忘れてない?ほら、オレ……一応お姉さんのこと救ったんだし……」


 睨まないでよ……オレ、そんなに強くは握ってないよ?


「それは貴方の主観でしょ?」


 オレの……主観?何、オレがお姉さんを救ったと自惚れているとでも言いたいわけ?


「……感謝こそされど、説教される覚えはないんだけれど?」


「別に私は……いえ、今回ばかりは、そうね」


 なんとなくだけれど、少しだけお姉さんの表情が緩んだ気がする。


結果的・・・に貴方に助けてもらったわけだし、一応感謝はするわ」


 なんかすっごい投げやりな言い方な気はするけれど、一応感謝してくれたから良しってことにしますか。全く釈然としないけれど。


「手、離してくれない?」


「あっ、ごめん……」


 いっけね、ずっとお姉さんの手首を掴みっぱなしだった。

 でも、それにしても細い腕だった。オレも痩せ型だけれど、女の人ってこんなに細いものなの?違うよね。お姉さんだからっぽいね――って!目を離した隙に速攻でいなくなろうとしているしっ!!


「あっ、あのさ……!名前、教えてくれない?」


「どうして?貴方が私の名前を知って何になると言うの?貴方の今後の人生で私とばったり出くわすことなんて、もう二度とないと思うけれど?」


 ぐうの音も出ない正論を振りかざさないでよ。オレの氷細工の心臓がパリンと割れちゃうじゃない。


「でも……ほら、減るものでもないでしょ?」


 何を言っているんだオレ!「どうしてそんな訳のわからない事を平気で口に出来るのか!」って、セルフツッコミを入れたくなってきた。


「……クライ」


「暗い?えっ、何が?」


「貴方は私を怒らせたいの?」


 あっ、お姉さん、暗……クライっていう名前なのね。

 クライ……もしかしてスペルは“cry”かな?そうだとしたら叫ぶとか泣くとかそういう意味だけれど、普通人に付ける名前じゃないよね。オレには本名を明かしたくないから、偽名を教えたのかな?まぁ、それでも今はお姉さんをそう呼ぶしかないよね。


「クライさん」


「クライで良い」


「それじゃあクライ。一つだけ頼んで良い?」


 クライが小首をかしげたことで前髪が揺れ――彼女の隠された左目がチラリと見えた。

 それはまるでレッドスピネルのような瞳。右の瞳が琥珀色をしていたことからするに、もしかして虹彩異色症オッドアイなのかな?

 オレはその瞳に吸い込まれるようだ。いろんな宝石を見てきたけれど、彼女の瞳ほど美しいものを見たことはない。なんて幻想的なんだ、なんて煌びやかなんだ。オレはその瞳に――恋をしてしまったかもしれない。


「何を私に頼みたいの?」


 っと……なかなかオレが話を先に進めないから、クライは急かすようにオレの額を人差し指で一回つついてきた。


「えっと……今オレが異能力を使ったこと、秘密にしてくれる?警察とかにバレたら、すっごい厄介なことになるから」


 オレの頼みを聞いてクライは――初めてニヤリと顔を歪ませてきた。

 でも、そんな表情もまた彼女に映えるなって……オレは心の中で感想を述べる。


「デルモンド・テウフェルの息子が異能力規制法違反で捕まる。それが明日の新聞の一面を飾ったら、なかなか滑稽だとは思わない?」


「それ、面白いのはクライだけだから!!」


「冗談よ」


 もしかしてだけどクライ……結構意地悪な性格している?


「それと、もう貴方に手首を掴まれたくないから、お礼に二つ忠告してあげる」


 そう言うとクライはオレとの距離を詰めてきて――オレの両肩に、彼女の両腕を乗せてきた。

 えっと……まず何からリアクションすれば良いのかわからないけれど――今、めぇ~~~ちゃっ良い匂いがする!品の良いアダルティなシトラスの香り。

 その匂いは多分、リラックス効果があるんだと思うけれど……でも、こんなに近くにこられたら、ドキドキの方が勝っちゃう!オレの心臓、今にも張り裂けそうなんだけれど!!


「一つ。私に惚れない方がいいわよ」


 ばっ、バレているの?いや、でも、「惚れちゃいました!」なんて言うのは負けた気がするし――!!


「ほっ、惚れてなんかいないし!!」


「そう、それは残念」


「えっ!?」



 もしかして脈ありだった!!?

「嘘。別にテウフェルの坊ちゃんなんかに惚れられても嬉しくないわ。本気にした?」


「本気になんかしてないしぃ~~っっ!」


 多分、今のオレ、顔真っ赤だよね。連続で嘘を吐いたことぐらい、多分クライにはお見通しなんだと思う。

 けれどさぁ、いくら年上だからってオレのことをからかい過ぎじゃない?と言っても……クライに一本取るなんて、今のオレには出来そうにない。たぶんだけれど、この人男の扱いに慣れているよね……経験豊富なんだろうなぁ。


「『経験豊富』だと思った?」


「なっ、なんでオレの考えていることわかるの?」


「顔にそう書いているから。ついでだから貴方の疑問に対する答えてげるけれど、私は処女ヴァージンよ」


「うへぇっ!?」


「貴方、いちいちリアクションがバカ正直すぎて……とてもからかい甲斐があるわね。でも、私に惚れない方が良いというのは本当よ。私、貴方なんかよりずっと年上だし、それに、私に関わると貴方に災いが降りかかるわ」


 そんな年上なの?外見からは、いっても20代の前半の前半ぐらいにしか見えないけれど。


「災いって何?」


「これ以上話すつもりはないわ。二つ目」


 話を一方的に打ち切られてしまったけれど、クライの性格からしてこれ以上のことは聞き出せそうにないよね。


「――スクリム」


「!?」


 クライ……オレの名前を覚えていてくれたんだ。なんだか嬉しいし……名前を呼ばれただけだと言うのに、ドキッとしたよ。


「貴方の異能力は可能性を秘めている。貴方の氷の異能力を磨き上げれば、もしかしたら――魔女の願いを叶えられる日が来るかもしれないわね」


「魔女?」


 クライはそれから先を答える気がないようで、オレに背を向けて路地裏を去って行く。

 飄々とした性格の彼女を再び追いかけようと一歩踏み込んだけれど、オレは立ち止まることにした。きっとそれを彼女は望まないって事ぐらい、もうわかっているから。

 その代わりに――これだけは彼女に伝えたい。


「クライ。また何処かで、出会えたら良いな」


 もう出会うことはないと言った彼女。だけれど、生きている限り、その機会が一切ないだなんて決めつけることは出来ないだろう?


 クライは既に視界から消えかかっていたけれど、どうやらオレの言葉が届いたらしい。彼女は振り返って――ニコッと微笑み返してくれた。


 そしてオレは思った。彼女になら――惑わされて、落ちていくことになっても構わないって。



〈2122年 5月8日 4:44PM〉

―?―


「――ということがありました、教祖様」


 ステンドグラスから、極彩色の光が差し込む古びた教会の中。フードの付いた白装束の信徒が、教祖様・・・の前に跪く。

 教祖と呼ばれたその男は――漆黒の祭服に身を包んでいた。

 ふぁさふぁさふぁさ。教祖が頭を引っ掻き回すたびに、その白髪からふけが舞い落ちる。頭に被っている深紅の冠は、今にも床にずり落ちそうである。

 ぺちゃぺちゃぺちゃ。教祖が歩き回る度に、足の裏と床とが密着し、離れてを繰り返す。教祖は、靴というものが嫌いだった。


 なんとも粗末なみなり。汚らしくて、見るに堪えない。

 しかし気が狂ったかの様に動き回るこの男こそ――異能力者の抹殺を教義に掲げる、カルト教団の教祖に他ならない。


「ノウザが……ああ、ああっッッッ!!なんたることカッ!我らが同胞が……世界を救うべくして立ち上がった選ばれし異能力者サルワートルの命が喪われるなどド……」


 教祖は膝から崩れ落ち、何度となくその頭を薄汚れた床へと叩きつける。

 床が血で染まっていく――赤く、紅く、朱く。そして鈍い音が、何度も何度も教会に響き渡る。

 このままでは、教祖様が自らの頭蓋骨を砕いて天に召されてしまう。見かねた信徒は教祖の肩を掴み、その奇行を止めにかかる。


「教祖様、おやめください――」


「貴方に――そんなコトを言う資格はありませんネッ!」


 教祖は急に立ち上がり、そして信徒の首を右手で掴んだ。

 教祖の力は、骨張った腕からは想像もつかない程強力。信徒は、いとも容易く宙へと持ち上げられてしまう。


「おっ、おやめくださいっ!!」


 信徒が必死に紡ぐその言葉は、確かに教祖の鼓膜を振るわした。けれども、決してその心にまでは届きはしない。

 教祖は充血した瞳で信徒を蔑み、むしろ一層強くその喉を圧迫していく。


「ノウザが、そしてソノ親愛なる子らは喪われタ……。ソノ狼藉者こそが最たる悪デスが……どうしてアナタはのこのこと教会に帰ってきたのデスか?」


「そっ、それは……!ご報告のために……」


 信徒の顔が真っ赤に染まる。信徒の頭にはかれこれ数十秒の間、適切な量の血が回っていないのだ。


「……厚顔無恥も甚だしいのデスよッ!アナタがすべきことは、報告などではありませんでしたよネ?何としてもソノ異能力者を見つけ出し、ソノ首を持ち帰る。そうだったでしょウっッッ?!」


「そっ、それは……」


 「無理だった」。信徒はそう叫ぼうとした。

 信徒は見たのだ――たった三人の異能力者によって、自らの同胞たち、そしてノウザさえもが葬られていったのを。

 あの三人に、自分一人では勝てるはずがない。そのことは明々白々であった。だから自分はその仇について報告するために、何としても生き延びねばならなかった。

 必死に身を隠した。そして命からがら彩奥市から抜け出した――その先の未来で、こんな酷い仕打ちが待っていることなんて露も知らないで。


「アナタのような間抜けがいるから、異能力者などに遅れをとるんデスよっッ!!」


「うぐっ、ううっ……」


 自分を待ち受けるのは死だ。自分は、間もなく教祖に殺される。

 こんなことならば――デウス・ウルトに入信するんじゃなかった。異能力者を嫌うだけなら、もっと他のやり方もあったじゃないか。

 けれど……もしも人生をやり直せたとしても、自分は同じ過ちを繰り返すのだろう。何故なら、あの頃の教祖様は――今とは違って、とても慈悲深いお方だったから。


「汝に、ドミヌスの裁きが下されんことヲ――」


 信徒はその言葉に、在りし日の教祖の姿を思い出し――黄昏の教会に、ボキリと鈍い音が木霊した。

 うなだれた信徒の遺体からは泡が吹き出してきた。教祖はそれを煩わしく思い、その場でぱっと手を離す。

 それから教祖は祭壇へと赴き、そこに置かれていた黄金の杯に注がれた赤い液体を一気に飲み干した。


ドミヌスよ、どうかノウザに魂の安らぎを与えんことヲ。そして親愛なるノウザ……ワタシはアナタに約束しよウ。アナタを殺めた冒涜者を必ず地獄に送ってみせようト。ええ、もちろん簡単には逝かせませン。ゆっくり、じっくり、なぶり殺すのデス。まずはこの世の濁穢で、ソノ者の腹を満たすことから始めましょウ。指の爪を一枚一枚剥ぎ、その20枚でネックレスを創りましょウ。それから全ての関節を破壊し、その美しき音色を我が子らに聞かせましょウ。そして目を抉り取り、炙り焼きにして食べてしまいましょウ。舌を引き抜くのは最後、絶叫を楽しむことを忘れてはなりませン。その前にプスリプスリと身体中に針を刺し、ソノ血を全て搾り取るのデス。きっとソノ血に……ドミヌスも喜悦なさるはずデス。ふっ、フフフ……はは、ふハハハハハハハハハッッッッ!!」


 一人宣誓する教祖の顔は――恍惚として、酷く歪んでいたのだった。


※※※※※

小話 実は日本旅行していたスクリムくん


スクリム:ミノ、ビーザっ!見ろよ、アレっ!金だぜ、金ピカだぜ、超ゴールドだぜ!!


ミノ:スクリム様、落ち着いてください


ビーザ:ガキじゃないんですから、少し慎みを――


スクリム:そんなん無理でしょ!超エモいんだもん!なぁなぁ、あれ、めっちゃほしいんだけれど!親父に頼めば買ってもらえないかな?


ミノ:スクリム様……世界遺産を購入したいなどと宣うのは、世界できっと貴方だけですよ


ビーザ:流石にデルモンド様でも世界遺産の購入を許可なさらないでしょうよ


ミノ:それにです、スクリム様。いくらなんでも罰当たりが過ぎます


スクリム:うぐぅっ……そこをなんとか!


ビーザ:(うん?どこからか紙が降ってきたな)何々……「実際にあったちょい怖い話」?


スクリム:どうしたの、ビーザ?


ビーザ:「それは中学生の頃、修学旅行で金閣寺を訪れた時のことでした。私は『わぁ~凄い』と金閣寺をうっとり見ていたのですが……二人の友達は退屈だったのか、少し行儀が悪かったのです。友達Aは飴を口から吐き出しそのまま放置し、友達Bは他の観光客の迷惑になるぐらい騒いでいました。そして地元に帰ってからと言うものの――友達Aは部活で足を骨折し、友達Bは自転車で縁石に突っ込んで大怪我をしました。やはりあそこには神様がいらっしゃって、人々の行いをよ~く見ているのだと、私はしみじみとかんじました」……何だこれ?


スクリム:こういう場所では悪いことはしない方が良いって教訓なのかな?そうか……オレも考えを改めるべきなのかな?


ミノ:スクリム様……ええ、その通りです(しかし、一体誰のエピソードだったのでしょうか?妙に現実味のある話でしたが……)

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