スカイボード

暁烏雫月

第1章 飛べない鳥は夢を見るか

☆慧

第1話 憂鬱な朝

 空を走るための板、スカイボード。スケボとスノボを足して二で割ったような板が、頭上で回転する。板の上で、ふわりと人が飛んだ。


 空中でボードを回転させることはそんなに難しくない。デッキの上でジャンプすることも、僕には簡単でも、他の人には難しい。ボードから足を離したら最後、上手く着地できるかとなると……スカイボードに慣れていない人はほぼ確実に失敗する。


 僕の視界の中で、宙を舞った人影はボードから足を踏み外した。着地失敗だ。上手く運転出来るようになるまでは空を飛ばない方がいいのに。でも大丈夫、がある。


 たとえ足を踏み外したとしても、地面に落ちる前にパラシュートを開けばいい。スカイボードのプレイヤーはいざって時に備えてパラシュートを背負っているんだから。今まさに目の前で地上へと急降下していく人影も同じことを考えた――はずだった。


「助けて!」


 頭上からあいつの悲痛な叫び声が聞こえてきた、気がした。空から落ちてくるあいつの姿は瞬きする間にも僕に、地面に近付いてくる。そしてそのまま――。


 ドサッ。


 嫌な音を立てて僕の目の前に墜落した人だった物。僕の方を見上げる顔は、目を見開いたまま身動き一つしない。目の前に広がる光景に、目を逸らして嘔吐おうとするのが精一杯だった。


 普通なら曲がらない方向に曲がった四肢。硬い地面に広がる赤い水溜まり。首に絡まる、空で開かなかったパラシュートのワイヤー。


 鼻を突き刺すような吐瀉物の臭いがした。近くで、エンジンが切れて派手な音を立てて墜落したスカイボードが見えた。サウナより暑い空気と耳障りなセミの鳴き声が、僕の悲鳴を打ち消していく……。





 ハッと目が覚めてタオルケットを投げ飛ばす。ドサリと鈍い音を立ててタオルケットは壁に命中した。荒い呼吸を無理やり落ち着かせて周囲に目をやる。


 壁に貼られた、お気に入りの選手のポスター。部屋の戸棚にしまわれた、数えきれない程のトロフィー。部屋の隅に置かれた仏壇。間違えようがない。ここは僕の部屋だ。


 カーテンの隙間から差し込む光が朝だと告げている。何も変わらない、憂鬱ゆううつで苦しいだけの今日がやってきた。やってきてしまった。また、新しい今日がやってきた。


「電気つけて」


 AIスピーカーに呼びかければ、あっという間に部屋が明るくなる。でも、どんなに部屋を明るくしても外から差し込む光を打ち消すことは出来ない。すっかり明るくなった部屋とカーテン越しに見える太陽の光が、僕には辛い。


 眩しさに最初は目をつぶる。少しして明るさの変化に目が慣れてくると、暗かった時には見えなかった物が見えてくる……。部屋の隅に放置された、見慣れた装置が視界に入ってきた。


 スケートボードと間違えそうな、足とはぼ同じ長さを持つ板。でもスケートボードと違って、タイヤの代わりに四つのプロペラが付いている。ドローンとスケートボードを合わせたようなその物体こそが、空飛ぶ板――スカイボードだ。


 最後にスカイボードで空を飛んだのはいつだろう。スカイボードで大会に出てたくさんのトロフィーを貰ったのに、今は飛ぼうという気持ちにもなれない。すっかり臆病になったな、僕。


「今日の予定は?」

「『響と病院へ行く』となっています」

「響と……病院……」


 AIスピーカーから返ってきた、僕が事前に登録したはずの今日の予定。それを改めて耳から聞くと、ずしりと胸が重くなる。


 響が病院に行く時は決まって、義眼の調整か、定期検診とカウンセリングだ。いつだって病院には僕が付き添う。それが僕と響の当たり前。響を支えるのは僕の義務だから。


 響には左目がない。その左目を奪ったきっかけになったのは、僕だ。響もも、僕のせいで何かを失った。失ってしまったんだ。


 響を守る。響のために稼いで、響に僕の人生全てを捧げる。それが僕に出来る唯一の償いだ。そしてそれが、僕の存在意義。僕が響を支えて、守って、笑わせる。そう何年も前に決めたから。


「響の付き添いじゃあ、笑わなきゃ。笑わせなきゃ。大丈夫、僕なら出来る」


 心の声を音にして言い聞かせてみた。大丈夫だと何度も自分に言い聞かせて、無理やり笑顔作る。今日も響を笑わせるために、僕はキャラを作っていく――。

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