第27話 自分のために生きろ

 空を翔けるネイビーのデッキ。下半身の長さと同じ全長を持つそのデッキが、青空の下にふわりと浮かんだ。四つのプロペラが独特の音を立てて動く。


 デッキの上で中腰になるは淡い水色の髪をした少年。ゴーグルの奥から見える金色の瞳は、進行方向の遥か先にあるゴールを見据えている。


 左足がデッキを蹴り上げ、右のつま先がデッキに縦と横の回転を加える。デッキが縦二回転横三回転を決めると同時に少年もデッキの上で宙返り。その動きに少しうねった髪が揺れた。


 体に磁石が入っているのかと思うほどに、体から離れようとしないスカイボード。上空にいるという恐怖を感じさせない、スカイボード上で繰り広げられるアクロバット。


 予測不能な走りは見ているだけでワクワクする。上昇も下降もトリックのタイミングも、何もかもが予測不能。華麗で大胆だけど無駄のない動きは思い浮かべるだけでワクワクする。


 ――あれ、俺、けい選手の走りを生で見たことなかったよな。なんで、見たことの無いはずの走りをいるんだろう。


「俺も、見たい」


 見たことの無い走りに対して、言うはずのない言葉が口から零れる。砂月さんと陽向ひなたの目が大きく見開かれた。


「お前、見たことないだろ!」

「仕方ないだろ。あんたの話聞いたら頭に過ぎったんだよ、幼い慧選手が飛んでる姿が」


 頭に浮かんできた淡い水色の髪をした少年は、間違いなく慧選手。でも俺がそれを実際に見たことは無い。となると今浮かんだワンシーンは、誰かが見た慧選手の姿だ。


 心臓移植によってドナーの記憶が移ることがある。この都市伝説は、これまで何度も証明されようとして、失敗してきたもの。だけど俺は、この都市伝説は真実だと思う。多分俺が思い描いた慧選手は、陽向の記憶だから。


「心臓が弱くて、どんなに憧れても外に出られなかった。心臓移植を決めたのもデザイナーベビーを選んだのも両親だ。幼い俺には選ぶ権利もなかった」

「俺だって、権利はなかったよ」

「俺の体、好きにしていいぜ。あんたにはその権利がある。俺なんかよりあんたの方がよっぽど、生きるべきだ。俺と違って、家族や医師以外に繋がりがあるんだからさ」


 慧選手は響さんの怪我をきっかけに飛び方が変わって、陽向の死をきっかけにスカイボードに乗らなくなった。響さんの方は分からないけど、陽向の死は俺のせいだ。俺が強い心臓を持っていたら――。


「取り憑いたって変わらないよ。俺が死んだことも、俺と翔が別人ってことも、何も変わらない」

「でも……」

「苦しんだ分、これからを楽しめばいい。俺の見れなかった景色を見ればいい。あんたにはその権利がある。いいんだよ、俺は赤兎馬翔のスペアとして生まれたんだから。自殺とかされる方が困る」


 嘘つき。本当は誰よりも慧選手のそばにいたいくせに。本当は慧選手のこと誰よりも心配してるくせに。俺、知ってるんだ。俺が慧選手と話してた時、そこに陽向もいたこと。


 最初は似てるだけで追い出された。けど、今は家に上げてくれる。慧選手は俺に、陽向のこと沢山話してくれる。慧選手の顔を見ればわかるんだ。俺は、陽向の代わりにはなれないって。


 俺、生きてていいのかな。陽向を犠牲に持病を治して。慧選手、響さん、砂月さんから大切な人を奪い去って。俺にはそこまでして生かされる意味、あったのだろうか。


「いいんだよ。翔は、関係ない。俺達の問題だから。あんたは、自分のためにこれからを生きればいい」


 陽向の目が俺を見つめる。泣き顔と笑顔が混じったような複雑な表情で、俺を見ている。


「多分俺は、慧が昔みたいに自由に走るまで、消えないと思う。けどまあ、それまでどうにかするさ。もどかしいけど、誰よりも近くで見守れるからな」


 そんな気がしてた。陽向のやり残したことは、慧選手の走りを見ることだって、知ってた。


「あんたは……翔は、やりたいことないの?」


 陽向の言葉にドキリとする。人を犠牲にして生き延びた俺に、夢を見る権利なんてあるわけない。やりたいことなんて、物心がついた時から諦めてる。


「翔に夢はないのか?」


 俺の気持ちも知らずに同じことを問う陽向。だけどその質問にどう答えていいかわからなくて。アナログ時計が時を刻む音だけが俺達を包み込む。

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