☆慧

第56話 スカイボード上の約束

 窓から眺める空はやけに綺麗。今日のトーキョーの空は青く澄んでいる。絶好のスカイボード日和だ。ああ、早く空を飛びたい。


「あうあー」

陽向ひなた君、パパの邪魔しちゃダメ」

「うー」


 最近になってハイハイを覚えたばかりの息子は、どんな時でも僕にベッタリで。少しでも移動しようものなら、あどけない声を上げてハイハイして追いかけてくる。陽向と同じ名前にしたのはきっと、この子が陽向に似てたから。


 僕と響の子供なのに、髪色は紫。紫色は遺伝的に滅多に現れない。将来自分で色を選ぶならわかるけど、生まれた時から紫色の髪ってのは初めてだ。瞳も琥珀色。見た目だけなら陽向によく似てる。


 もしかしたら僕との子じゃないかもしれない。そんなことを思ってDNAを調べたこともある。結果は、紛れもなく僕と響の子供だったけど。だからこそ思うんだ。もしかしたらこの子こそ本当に、陽向の生まれ変わりなのかなって。


「慧さん、早くテレビつけて」

「え、なんで?」

「今日、皇位継承の儀が中継される日だろ? というか慧さん、護衛官として出勤する日じゃね?」


 いつの間に起きてきたんだろ。翔が背後から声をかけてくる。居候のくせに、最近じゃすっかり生意気な口をきくようになった。いや、最初から生意気なとこはあったか。


 砂月に代わって「サンドムーン」を引き継いだ翔は、いつからか一緒に暮らすようになっていた。最初の頃こそ多少は遠慮してたけど、最近じゃ平気で人をこき使うようになって……。


「慧ちゃん。時間、平気なの?」

「え?」


 響に言われて、慌ててスマホを見る。時間は午前九時。待ち合わせの時間まであと三十分。うん、行けなくはない。


「この顔は間違いなく時間ギリギリでしょ、絶対」

「いや、スカイボードで全力疾走すれば間に合うにゃ」

「『間に合うにゃ』じゃないし! 話してる間があるなら行けよ! 砂月さんが待ってるんだろ?」


 今日はトーキョーで、皇位継承の儀がある。次に即位する皇族のための儀式。今日の儀式で即位する皇族は……幼馴染の砂月だ。皇族争いを生き延びた砂月は、ついに天皇としてトーキョーの頂点に君臨する。


 父ちゃんと母ちゃんが守った砂月。その正体は、父ちゃんが先に教えてくれてた。僕達を守るために一旦町を離れて、その後は護衛官と一緒にトーキョーの各地を転々とする生活をしていたみたい。一番最後に会ったのは、息子の陽向が生まれた時。砂月ってば、息子に会うためだけに、しばらく同じ場所に滞在してたっけ。


「失礼のないようにね? 幼馴染とはいえ、今は天皇様なんだから。ちゃんと敬語使うのよ?」

「響まで! 僕のことなんだと思ってるの」

「……肝心なところが抜けてる、猫系男子?」


 抜けてるって酷いよ。僕だって敬語くらい使えるもん。もういい年だし、砂月がただの幼馴染じゃなくて天皇様になったなら、ちゃんと敬語で話すよ。それくらいの分別はある。


 でも、遅れるわけにはいかないよね。小さくため息をついてから、陽向の頭を優しく撫でる。響の体をギュッてして、翔にはデコピンを。これが、僕の朝の日課。日課を終えると、ゴーグルを身につけた。さあ行こう、砂月の元へ――。





 遠目からでもすぐにわかるコケシ頭。首には昔と変わらない深緑色のマフラーを巻いている。僕の姿に、漆黒の目が優しく細められた。


「慧!」


 ちゃんとスカイボードから降りて、小脇に抱える。ゴーグルは持ってきた鞄の中に。さすがに関係者の前、天皇様の前じゃ昔みたいな格好はダメだからね。


 砂月が近付いてきたらまずひざまずく。足の角度に気をつけて、砂月の顔を見上げた。久々に見る幼馴染は、面影のそ残しているけど、昔よりずっと大人びている。


 細長いシュッとした顔、色白の肌、ひょろひょろしたモヤシみたいな体つき。昔話に出てくる執事が着ているような、特徴的なシルエットの燕尾服。


 寂しそうに笑うその顔に、少し悔しい思いがした。笑顔の下には皇族特有の悩みを抱えているんだよね。砂月のことだからきっと、僕を見ると父ちゃんと母ちゃんのことも過ぎっちゃう。そして苦笑いをしちゃう。


「本日の護衛を担当します、柊慧です」

「やめてよ」

「スカイボード、狙撃に自信がありますので、陛下は安心して背中を預けてください」

「やめてってば。僕と慧の仲でしょ?」

「今は! 私は護衛官。陛下はトーキョーの頂点に君臨するお方。もう、昔とは違います」

「やめて。慧達は、今まで通りに接してよ。お願いだから」


 信頼出来る人が少ないのって辛いよね。立場上警戒しなきゃいけない。いつ狙われるかもわからない。そんな存在なんだ、砂月は。だからこそ……。


このまま」

「慧?」

「意味、陛下ならわかりますよね?」


 表向きは護衛官と護衛対象だから。僕達がただの幼馴染に戻れるのは、あの場所だけ。「サンドムーン」と、スカイボードの上だけ。


 決めたんだ。翔がサンドムーンを守って。僕が砂月のことを護衛官として守って。大切な場所でだけは、今の立場を忘れて昔のように接しよう。帰る場所、自由になれる場所。それが今の砂月には必要だから。


「……時間です。さあ、一緒にスカイボードに乗って」

「慧と一緒に乗るの、久しぶりだな」


 スカイボードのアクセルを押せば、プロペラ音とエンジン音が僕達の会話を遮る。僕は、この瞬間を待ってた。


「僕が砂月を守るから。僕達は、砂月の自由になれる場所を作って待ってるから」

「うん」

「だから、いつでも帰ってきて。お忍びで帰ってきてよ。僕達は、砂月のための場所を守るから。陽向も、息子の方の陽向も、響に翔も。みんなみんな、待ってるから」

「うん」

「いつもの場所なら、変わらない関係でいられるから。でもそれ以外はダメ。僕達が捕まっちゃうし、砂月もそれを望んでないでしょ?」


 天皇様には敬語を使う。天皇様は偉い人だから、普通の人みたいに接しちゃいけない。きっと砂月には生きにくい世界だろうな。だから、僕達が砂月のために場所を作るんだ。


「一緒だよ、これからも。約束」


 僕が進行方向を見ながら言うと、背中に砂月の体が密着した。少し背中が濡れている気がするのはきっと、気のせいじゃない。砂月の両手が僕の腰に回される。そんな砂月の左の小指に、僕の左の小指を優しく絡めた。


 色々あったよね。陽向が死んで、僕が飛べなくなって。響と砂月には僕に対する罪悪感を抱かせた。翔は、陽向の存在に苦しんで。そんな色々を一緒に乗り越えてきた仲間だからこそ……これからも一緒にいたいんだ。


「ありがとう」


 砂月の声に、監視の目を避けて小さく頷く。スカイボードが繋げた奇妙な縁。大丈夫、スカイボードがあれば、僕達は無敵だもん。色々乗り越えてきたんだ。これからだって、大丈夫。



 目の前に広がる青い空。僕達に吹き付ける風。遠くから、死んでしまった陽向が僕達のことを見守ってるような、そんな気がした――。

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スカイボード 暁烏雫月 @ciel2121

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