第22話 赤い翼を携えて

 どれくらい前のことだろう。少なくとも俺が死ぬ前で、そんなに遠くない時期の思い出だ。砂月が俺達の街に来てからのことだったのははっきりと覚えてる。


 慧に連れてこられたのは、砂月が経営する「サンドムーン」だった。スカイボード専門店のステッカーコーナー。慧は俺の腕を引っ張って、そのコーナーまで連れていった。


 目の前にはズラリと並ぶスカイボード用のステッカー。ハートやキャンディーなんていう可愛らしいデザインから、狼や刀なんていうカッコいいデザインまで。色んな柄のステッカーが並んでいる。


 数あるデザインの中でも一際俺の目を引いたのは、鳥の片翼をモチーフにしたステッカーだった。空に向かって羽ばたくためのその翼は、スカイボードに最適なように思えたんだ。


「これ、いいな」

「どれどれ? 鳥の翼、かにゃ?」

「うん。これ、いい」

「色は赤、白、黒、青の四色みたいだにゃ。どの色がいいとかある?」

「赤、かな」

「じゃあ赤だにゃ。このお店、ステッカーに文字を入れることも出来るんだにゃ。ねぇねぇ、陽向。せっかくだしなにか言葉をいれない?」


 選んだのは赤い翼のステッカー。赤は情熱的なイメージで、強い色。だから、慧に似合うと思ったんだ。


 慧は響の怪我をきっかけに、楽しそうに飛ばなくなった。トリックに失敗して人を怪我させないように、真剣な顔になった。だけど、今のそのプレイスタイルはどこか窮屈そうで。


「なぁ、慧」

「なんにゃ?」

「……『FLY for Yourself』はどうだ?」

「……どういう意味にゃ?」

「『お前自身のために飛べ』って意味」

「僕ちんは充分、自分のために飛んでるけどにゃー」


 ステッカーに刻む文字を決めたのは俺だ。窮屈じゃない、初めて見た時のあの自由で華麗な走りを見たい。響が怪我する前の、昔の走りをしてほしい。


 周りのことなんて気にしない。失敗しても構わない。不可能に思える難しいトリックにもチャレンジして、本番ではビシッと決めてみせる。そんな自由奔放な走りがもう一度見たいんだ。願わくば、俺が死ぬ前に。


「失敗してもいいから、また難しい技に挑戦してみろよ」

「えー。僕ちん、自信ないにゃー」

「練習しなきゃ出来るもんも出来るようにならないだろ」

「でも、また怪我させたら――」

「なら、響の前でやらなきゃいい。一人で練習する分にはかまわないだろ?」


 慧は響が左眼を失ったことをきっかけに、プレイスタイルを変えた。難易度の高いトリックを駆使した挑戦的なプレイスタイルから、難易度の低いトリックをたくさん決める慎重なプレイスタイルに変えた。変えたのは他でもない響のため。


 プレイスタイルを変えてでもスカイボードを続けたのは、響に言われたからだ。俺がどんなに言っても聞かなかったのに、響の言葉には動揺してあっさりと従う。罪悪感からかと思ったけど、そういうわけでもないらしい。


「慧、最近つまらなそうだぜ? 昔の、楽しそうにトリック決めてたお前はどこいった?」

「……そう?」

「ああ。だから、約束してくれ」


 俺が慧の前に右手を差し出す。小指だけを立てる「指切りげんまん」という形にした。慧がそれに応じて、自分の小指を俺の小指に絡める。


「響のためとかスポンサーのためとかそういうのはどうでもいい。慧の走りは慧が決めろ。飛びたくないなら、スカイボードなんて辞めちまえ」

「陽向!」

「慧は何のために空を飛ぶ? どうしてスカイボードを選んだ? ステッカーを見て、自分に聞いてみろよ。そんで、いつかその答えを俺に教えてくれ」

「何それ」

「約束だ。俺との約束。ま、答えが出た時に俺がいなかったら、空に向かって答えを念じてくれよ。何があっても、俺は空からお前を見てっから」


 俺の言葉に、慧の目の色が変わる。笑顔が真顔に変わって、その金色の目が俺を真っ直ぐに見つめる。


「不吉なこと言うな。陽向はこれからも僕のそばにいるんだから!」

「いつ何が起こるかわかんないだろ?」

「わからなくない。僕が陽向を死なせない。陽向も響も砂月も、僕の周りの人はみんなみんな、不慮の事故でなんか死なせないんだからにゃ!」

「アホか。そんな簡単に防げたら誰も苦労しないっての」

「うるさい! 陽向のバカ!」


 少しでも死の気配を感じると、慧は頑なにそれを否定した。何に怯えてるのか、寿命以外では死なせないと何度も口にする。そんなだから、約束が慧に届いているのかはわからないし、俺の身の上話は出来なかった。


 あの時、慧を遮ってでも俺のことを伝えていたら何か変わっただろうか。そもそも俺と慧が関わったこと自体が間違えだったのだろうか。


 神様ってのがいるなら教えてくれよ。なんでこんな不完全な姿で俺をこの世に残したんだ。こんな姿じゃ、伝えたい事すら伝えたい奴に伝えられないじゃないか。


 慧に伝えさせてくれよ。「俺の死はお前のせいじゃない」って。「慧はもう、俺からも響からも解放されていいんだ」って。「何にも囚われず自由に生きろ」って……。


 なぁ、慧。もう一度俺との約束、思い出せよ。ステッカーの意味を、思い出してくれよ。自分のために生きてくれよ、慧――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る