第21話 自分のために飛べ

 夜、ありふれた高層マンションの一つ、けいと響が暮らす部屋に入り込む。実体のない今だから壁や扉をすり抜けて無断で侵入出来るけど、生きている頃だったらこれは犯罪になる気がする。


 慧と響が暮らす部屋は3LDK。3つある部屋のうち、玄関に一番近い部屋が慧の部屋。この体になってから、俺が死んでから、何度この部屋に出入りしただろう。


 壁に貼られたスカイボード関連のポスター。戸棚にしまわれた数え切れない程のトロフィー。部屋の隅には、乗れないくせに毎晩充電しているプライベート用のスカイボードがある。慧はそんな自室で、部屋の隅にある仏壇に向かって正座していた。


 仏壇に飾られているのは見たことの無い男女の写真。男性の方は雰囲気とか髪色が慧に似てる。女性の方は目だけが慧に似てる。


『父ちゃんと母ちゃんは、西の方のすごーい一族の末裔まつえいを守って死んだんだにゃ』


 いつだったか慧が語っていたことを思い出した。慧の両親はもう、死んでいたな。慧がいつも額に付けているゴーグルは、父親の遺品だって聞いたことがある。


「父ちゃん、母ちゃん。僕、どうしたらいいんだろう。スカイボード、教えるの怖いよ。もう、あいつみたいに教えた子が死ぬの、嫌なんだ」


 慧が珍しく猫語じゃないまともな口調で話してる。両目は潤んでるし涙声だけど、でも絶対聞き間違えじゃない。慧の奴、普通に話すことも出来たのかよ。


 慧がいつもより低いトーンで話していることに驚きつつも耳をすます。どうやら慧は響と砂月の前では、猫語を話して声のトーンを明るくして、無理に元気に振る舞っているらしい。こりゃ重症だな。


「なぁ、慧」


 仏壇と向き合う小さな背中に声をかける。だけど俺の声にその体が反応することは無い。わかっていたことだけど、声が届かないのはやっぱり辛いな。


 慧の教え方が悪いせいじゃない。俺はあの日、わざと事故を装って死んだんだ。顔も知らない兄に心臓を渡すために死んだんだ。そう伝えられたらどれほど楽になれるだろう。


 慧が責める必要はないんだ。俺が隠し事をしてただけ。臆病だっただけ。そして、いつか必ず来る別れが怖かっただけ。


「僕はもう、身近な人は誰一人死なせたくないんだ。事故で死ぬのなんて認めない。……なんで死んだんだよ。陽向ひなたのバカ」


 バカはこっちのセリフだ、バカ。俺が死んだくらいで自分を責めるな。俺は自由自在に、楽しそうに空を飛ぶお前に憧れてたんだ。だからこそ思う。


 楽しくないなら飛ぶのなんか辞めちまえ。過去に囚われて苦しそうに飛ぶお前を見てるのは辛いんだ。俺だけじゃないさ。響も砂月も、きっとあいつだって同じことを思ってる。


「慧。今は、本当に心から飛びたいって思ってるのか?」


 聞こえないとわかっているのに問いかけずにはいられない。仏壇の方を向いたままの慧の背中にそっと手を伸ばす。伸ばした手は音もなく慧の体をすり抜けた。


 触れたくても触れられない。話したくても声が届かない。そして、目の前に姿を見せてやりたくても、慧の視界に俺は映らない。それが悔しくて悲しくて、慧から視線を逸らす。


「ごめんにゃ、陽向。僕ちん、約束を何一つ守れてないにゃ」


 慧の言葉に思わずハッとした。部屋で充電中のスカイボードに目をやれば、プライベート用のオレンジ色のデッキが眩しい。その上にはいくつもの星のステッカーが貼られている。その中に1つ、気になるものを見つけた。


 黄色い星のステッカーから薄らと透けて見える、赤い翼。鳥を模したその翼は「空に向かって羽ばたく」ためのもの。赤色は人を惹きつける、活発で情熱的なイメージ。その翼には文字が刻まれている。


「FLY for Yourself」


 誰のためでもなく自分のために飛べ。そんな意味を込めたその言葉は、俺と慧で話し合って決めた。ある約束と共に、俺達は同じステッカーを作り上げたんだ。


 慧。約束を思い出せ。ステッカーに目を向けろ。俺と交わした会話は約束は……まだ有効か?

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