第29話 願いと告白と

 そこは、庭付きの一戸建てなんていう高価な住居じゃなかった。ありふれた高層マンションの一つで、地価もそんなに高くない場所。その中の一つが、けい選手と響さんの家だ。


 最初こそ追い出されたけど、その後慧選手の中で何かがあったらしい。今では、スカイボードに関する知識を俺に話してくれる。そんな慧選手に案内されたのは、憧れていた慧選手の私室だった。


 壁に貼られたスカイボード関連のポスター。戸棚にしまわれた数え切れない程のトロフィー。部屋の隅には、雰囲気に合わない仏壇が一つ。仏壇に飾られている写真が陽向ひなたのものでないことに、少しだけ安心する。


「仏壇が気になるかにゃ?」


 初めて会った頃に比べてぎこちなさの減った笑顔が俺に向けられる。だけどその金色の目は捨てられた子猫みたいで。なんて言葉を返せばいいのかわからない。


「あれは、僕ちんの両親のだにゃ。父ちゃんと母ちゃんは、西から来たすごい一族を守って死んだにゃ。僕ちんの、スカイボードの原点でもあるにゃ」


 「西から来たすごい一族」と聞いて、何故か頭の中に砂月さんが浮かぶ。コケシ頭に漆黒の目、色白で鼻筋の通った美形の男性。その誰とも似つかぬ雰囲気が、頭の中に過ぎる。


「このゴーグルとそこのオレンジ色のスカイボードは、父ちゃんの遺品なんだ。スカイボードで空を飛んで、人を守る。父ちゃんは、そんな護衛官だった」


 慧選手がスカイボード以外のことをここまで話すのは初めてで、俺はその一語一句を逃さないように耳を澄ます。一度、どこかで似たような話を聞いた気がしたけど、多分気のせいだろう。


「立派な最期だったらしいにゃ。僕ちんの手元に返ってきたのは、スカイボードとゴーグルと、父ちゃんが使ってた銃だけ。遺体は出てこなかったにゃ」


 どう答えるのが正解なんだろう。困ったように視線を逸らすと、俺と同じように困った顔を見せる陽向の姿が視界に移る。いつのまに俺と一緒に慧選手の部屋に来ていたらしい。幽霊って便利だな。


「死んだのは誰のせいでもない。けれど、どうにも出来ない。遺された人は罪悪感に潰されそうになる。今なら、ちょっとだけ気持ちがわかるにゃ」

「罪悪感?」

「事故ってわかっていても、誰も悪くないって分かっていても。遺された側は辛いんだにゃ。僕ちんは、陽向に罪悪感 がある。僕ちんがスカイボードに誘わなかったら運命は変わったんじゃないかって、思ってる」


 違うよ。陽向はそうじゃなくても死んでた。俺が生きるために、俺に心臓を捧げるために。慧選手は陽向の死因が俺と知ったら、何を思うだろう。陽向の全てを知ったら何を思うだろう。


 俺がいなかったら、俺が健康だったら、陽向は死ななかった。だけど、陽向が作られることもなかった。陽向は俺がいなければ生まれなくて、俺は陽向が死ななかったら生きられなかった。


「スカイボードはね、父ちゃんに憧れて、始めたんだ。飛んでいたのも、父ちゃんみたいなカッコイイ人になりたかったから」


 慧選手の声のトーンが少し低くなる。照れくささからか、手でゴーグルの位置を微調整し始めた。


「響が怪我しても、父ちゃんと母ちゃんが死んでも……陽向が死んでも。僕ちんには、父ちゃんみたいになりたいって夢がある。だから、飛ぶことをやめない。スカイボードを諦められなかった。やめようとしたけど、飛ぶのもやめたくなっときがあったけど……でもね、父ちゃんに追いつくために、僕ちんは飛ぶんだよ」


 響さん、怪我したことがあるんだ。もしかして義足と関係あるのかな。慧選手は、これまでどんなことがあっても乗り越えて、スカイボードで空を走ってきたんだ。俺とは違って、明確な夢がある。それが少し羨ましい。


 俺は、どうして空を飛びたいんだろう。気が付いたら、スカイボードに惹かれていた。慧選手の走りに惹かれていた。俺はただ、懐かしい感覚に導かれてここまで来ただけだ。


『俺は……慧選手に飛んで欲しい。そして、慧選手と一緒に空を飛びたい』


 昨晩、陽向と砂月さんに宣言した言葉が頭を過ぎる。


 俺は、ただスカイボードを飛びたいんじゃない。慧選手の本当の走りをもう一度見たいんだ。そして、出来るなら俺が陽向の代わりを務めたい。それが、俺に出来るだから。


「……ずっと言えなかったことがある。俺、慧選手に言わなきゃいけないことがある」


 俺の言葉に、慧選手の顔が凍りついた。時間が止まったかのように、俺も慧選手も動かない。瞬きすらせずに互いを見つめる。息をするのが辛い。空気がやけに冷たく重く感じる。


「実は……陽向が死んだの、俺のせいなんだ」


 こらえきれなくて吐き出した本音は、思ってたよりも大きな声だった。

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