第38話 確かにいた君へ

 あれは僕が九歳の時のこと。母ちゃんは任務に出たまま帰ってこなくて。父ちゃんは一度帰っては来たけど、「護衛対象に会ってくる」の言葉を最後に帰ってこなくなって。


 一人で家にいると落ち着かなくて、響の家に入り浸っていたのを覚えてる。父ちゃんと母ちゃんの任務がいかに危険かを理解してるから。頭の片隅に過ぎった嫌な予感を、必死に気のせいだと思い込もうとした。


 スカイボードに夢中になっていればきっと帰ってくる。いい子にしてればきっと帰ってくる。帰ってきたら、家族三人でご飯を食べるんだ。そう、何度も自分に言い聞かせて。心の奥底ではわかっていた現実に向き合おうとしなかった。向き合いたくなかった。


 けど一日が終わる時には決まって家に帰って、一人で両親の帰りを待つ。誰かの家に泊まるのが嫌だったわけじゃないけど。自宅だと、僅かに両親の温もりを感じられたから。



 その日、響の家に行こうとしていると、インターホンが虚しい音を奏でた。呼び出しに応じてモニターを見てみると、ダンボール箱を抱えた配達員の姿がある。


ひいらぎけいさんにお届けものです」


 そう言って渡されたのは大きめの段ボール箱一つ。送り主は「東日本警察庁附属皇宮警察本部」。父ちゃんと母ちゃんが所属する、勤務先の名前だ。見覚えのある名前に、体の芯が冷えていく。


 配達員が帰ると、震える手で段ボール箱を開く。真っ先に目に飛び込んできたのは、僕宛の封筒だった。封筒を取り出して封を切る手は震えていて、上手く動いてくれない。開封するまでに何度も封筒を落とした。


 やっとの思いで封を切って中身を取り出す。薄っぺらい封筒から出てきたのは、三枚の薄い紙切れだった。そしてそこに書かれていたのは――。


「柊光は護衛対象を守って、境界の森で死亡しました。職場に保管していた遺品をお返しいたします」

「柊昴は護衛対象を守り、スカイボードから転落死しました。回収した遺品と職場で保管していたをお返しいたします」

「遺族の方々へ。護衛官の遺体は契約により、こちらで保管します。お返しする遺品は当方で返還しても問題ないと確認されたもののみです。他の遺品は任務の性質上、返還出来ません。ご了承ください」


 読み上げる声が震えるのがわかった。読んだだけで背筋が冷たくなる。身体中から熱が奪われるような感覚に襲われる。


 父ちゃんと母ちゃんは、皇族とかいうすごい一族の末裔を守る人だった。その任務の性質上、遺体は返還出来ないし、護衛対象を特定されるような遺品は返還されない。頭ではわかっていても、そう簡単に納得なんて出来ないよ。


 父ちゃんと母ちゃんが死ぬはずない。二人共強いもん。そう思いながら段ボールを開けて中身を確認した。だけど、段ボールの中から出てきたのは見慣れたものばっかりで……。


 真っ先に目についたのは、憧れていた父ちゃんの遺品だった。レンズや紐に血のついたゴーグル。父ちゃんの愛用してたスカイボード。父ちゃんが職場に置いていたらしいスカイボードの部品。


 次に目についたのは母ちゃんの遺品。母ちゃんは境界の森で死んで、身につけていたもののほとんどは回収出来なかったらしい。だから、職場に残っていた遺品しかない。母ちゃんの遺品は驚くほど少なかった。


 僕が欲しがってた、スカイボード選手のポスターが数枚。スカイボードのメンテナンスキット。そしてそのどれもに「慧君へ」と手描きのメモが貼られている。それとは別に、僕宛の封筒が一つ。


「慧君へ。お誕生日おめでとう。もう十歳だね。スカイボードが大好きなやんちゃな子に育ったね。お母さんは、慧君が元気でいてくれることが嬉しいです。色々なことがあったけど、お母さんもお父さんも慧君の味方だからね」


 それは、もうすぐ来るはずだった僕の誕生日に向けたもの。誕生日に家族三人でお祝いするはずだったのに、もうそれは叶わない。母ちゃんが用意していた誕生日プレゼントを、こういう形で知りたくはなかったな。


 全身の力が抜けていくのを感じた。呆気ないほど簡単に膝が床に崩れ落ちる。視線の高さに、遺品の入ったダンボール箱があった。嫌でも視界に入ってくる血のついたゴーグルに、胃が痛い。


 胃の痛みを掻き消すかのように、ぐったりした体にむちを打ってダンボール箱を漁る。どんなに必死に漁っても、見覚えのある銀色のロケットペンダントは出てこない。父ちゃんがいつも持ち歩いていたはずの「お守り」は遺品に入っていなかった。


「お守りなんて、嘘じゃん。……嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき」


 父ちゃんは僕の写真をお守り代わりに持ち歩いていた。けど、それを持っていてと父ちゃんは死んだ。お守りなんて嘘なんだ。だけど父ちゃんが最期まで守ったであろう誰かを恨む気にもなれなくて。


 恨んだのは、お守りにすらなれない僕の弱さ。最期まで立派だった父ちゃんへの憧れと、護衛対象への複雑な気持ち。


 羨ましくて、ちょっぴり憎くて、でも護衛対象はちっとも悪くはなくて。悲しいはずなのに涙なんて少しも出ない。代わりに、僕の中から何かが抜け落ちたみたいな妙な感覚に襲われる。


 外から異常なほど短い間隔で連打されるインターホンの音が、僕を現実に引き戻していく。……ああ、響が僕を呼んでいる。響のために、僕は今日も笑わなきゃ。響を笑わせなきゃ。


 プツリと切れてしまいそうな心の糸を必死で繋ぎ止める。そして立ち上がるのが精一杯だった。


 父ちゃん、母ちゃん。大丈夫だよ。僕は笑えるから。今日も明日も明後日もずっとずっと、響のために笑って生きるから。だから、大丈夫。大丈夫。


 心の中で紡いだ言葉は、もう誰の耳にも届かない――。

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