第39話 微かな悲しみを胸に

 いつの間に扉を開けたんだろう。僕は何をしてたんだろう。気が付くと僕の隣には響がいた。響の琥珀色の瞳が心配そうに僕の目を覗き込んでいた。


「――ちゃん。けいちゃん! 慧ちゃん、大丈夫?」


 あれからどれくらい時間が経ったんだろう。配達員の人はとっくにいなくなってて。気がついたら響が僕のことを心配そうに見つめてる。


 ああ、今日は響の所に行く約束だったんだっけ。遅れたから心配して迎えに来てくれたのかな。響は、その左目を奪ったはずの僕にとても優しい。僕のことを恨んだっておかしくないのに。


「慧ちゃん、しっかりして!」


 僕の周りにはやっぱり段ボール箱があって。開封済みの段ボール箱からは、父ちゃんと母ちゃんの遺品が顔を覗かせている。そっか。僕、さっきまで二人の遺品を確認してたんだっけ。


 ぼうっとしてたら頬に痛みが走る。慌てて我に返れば、響が僕の頬を叩いていた。なんでか響は涙目で。そんな響に僕は、これでもかと満面の笑みを浮かべてる。


「しっかりしてよ、慧ちゃん」

「ひ、びき?」

「慧ちゃん、おかしいよ」

「そうかにゃ?」

「ねぇ、なんで笑ってるの。……おじさんとおばさんが亡くなったのに、どうして慧ちゃんはそんなふうに笑っていられるの!」


 違うよ。笑うしか出来ないんだよ。僕は泣かないから、笑い続けるから、おかしな喋り方を続けるから、スカイボードも辞めないから。だから、響は笑ってて。響が笑ってくれることが、一番嬉しいんだ。


「慧ちゃん。泣いていいんだよ? 悲しまないと、前に進めないよ」

「何言ってるにゃ」

「慧ちゃん! 笑ってるからって誤魔化されないよ? 私の目は誤魔化せないんだから。私には、慧ちゃんがどんなに笑ってたって、心がどんなかわかるんだから」


 響の言葉でようやく気付いた。響はとっくに気付いてたんだ。僕の表情がどんなに笑っていても、その裏で違うことを考えているって。僕の笑顔は響を心配させないためだって。全部全部、見透かされていたんだ。


 でもごめん。それを知っても、僕は僕を変えられない。猫語で話して、ヘラヘラ笑って、明るいキャラを作って……。いつからか、それ以外を見せられなくなってた。本当の僕を見てもらう勇気は、まだない。


「泣こうよ。泣かなきゃ。こういう時くらい、泣いてよ……」

「大丈夫だにゃ。僕ちんは大丈夫だから――」

「大丈夫じゃない! 全然大丈夫じゃないよ。こういう時に泣けないのは、大丈夫じゃないんだよ?」


 「こういう時」は、家族が死んだ時、かな。父ちゃんと母ちゃんはいなくなった。でもそれは、帰ってこない時点で察してたから。いつかこんな日が来るって、物心ついた時からずっと覚悟してたから。


 悲しいよ、悔しいよ、憎いよ。だけどそれ以上に、「ついにこの日が来たか」って諦めの感情が強い。父ちゃんも母ちゃんも、いつだって笑ってた。だから、僕も笑う。どんな時でも笑っていればきっと、なんとかなる。


 ふと、段ボール箱に入ったままの遺品が目に付いた。父ちゃんの使ってたゴーグル、スカイボード、そしてスカイボードのパーツ。その一つ一つに、思い出がある。


 父ちゃんみたいなかっこいい人になりたくて、スカイボードを始めた。いつからか、父ちゃんみたいにスカイボードに乗って誰かを守りたいって思うようになって。いつからか、その誰かは響になっていた。


 響を守りたい。最初は右足を奪った罪悪感から。でも今は、罪悪感だけじゃなくて、他の気持ちから。いつか響に見合う男になるまで、この気持ちは伝えないけど。


「慧ちゃん?」


 遺品の山から父ちゃんのゴーグルを発掘する。血のついたそのゴーグルを、父ちゃんと同じように額につけてみた。たったそれだけなのに、父ちゃんと一緒にいるような不思議な気持ちになる。


 父ちゃんが使ってたネイビーのスカイボードを手にした。父ちゃんの体に合わせてセッティングされたスカイボードは、僕には少し大きい。だけど、そのスカイボードに乗ると、少し強くなれた気がする。


 父ちゃんが使ってたゴーグルとスカイボード。それらを身につけて、響に向かってピースする。いつもみたいにニコニコと笑顔を浮かべながら、響に聞いた。


「どう? 似合うかにゃ?」


 父ちゃんと母ちゃんがいなくて悲しい。でも、僕は泣いてなんかいられない。父ちゃんみたいなヒーローになるって決めたんだ、約束したんだ。何より――。


「似合ってるよ」

「ありがとう!」


 響の前で泣き顔も情けない姿も見せられない。僕は、響を守るって決めたから。約束してるから。だから、泣くくらいなら笑うんだ。父ちゃんも母ちゃんも、どんな時でも笑ってたから。僕も笑って、守りたい人の前では弱い所を見せたくたい。


 ゴーグルとスカイボードがあれば、父ちゃんと一緒にいる気持ちになる。母ちゃんが遺してくれたポスターを貼ればきっと、母ちゃんが見守ってくれる気持ちになる。


 僕は泣かないよ。笑って、猫語で話して、響を笑わせるんだ。いつか本当の僕を見せられるその日まで、僕はこのキャラを維持する。笑えば悲しみも憎しみも悔しさも全部、薄れていくから。


 頬を伝う一筋の涙を無かったことにして。負の感情にフタをして。僕は今日も響の前で笑うんだ。大丈夫、僕は父ちゃんと母ちゃんの子供だもん。僕は強いから、大丈夫。


 父ちゃん、母ちゃん。遠くから僕を見てて。僕、毎日笑って生きるから。守りたい人を、響を笑わせるから。だから今日だけは、一粒の涙だけは、許して。明日からはまた笑うから――。

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