第40話 確かな希望を胸に
僕の目の前に立つ砂月は、年上のはずなのにどこか弱々しく見える。深緑色のマフラーを手でぎゅっと掴んで離さない。
床の上で正座して僕の顔色を伺う漆黒の瞳。黒いコケシ頭が蛍光灯の光を反射する。漆黒の目は、困ったように左右に揺れ動いて落ち着かない。
父ちゃんと母ちゃんが砂月とその家族を守るために死んだのなんて、ずっと前から知ってるよ。でも、誰も悪くない。砂月が僕に謝る必要なんてないんだよ。なのにどうして謝るの?
父ちゃんが「お守り」を砂月に托したのはよくわかった。けどそれは砂月のせいじゃないし、むしろ護衛対象だった砂月が持ってて安心してる。だって、殺し屋的な人の手に渡って欲しくないもん。砂月なら、大切に扱ってくれそうだから。
「あのさ、
「あのね、砂月」
僕のわざとらしい高めの声と、砂月の心地よいアルトの声が綺麗に重なる。それと同時に互いに口を閉じた。かと思えば同じタイミングで息を吸って口を開く。
「慧から話して」
「砂月から話すにゃ」
また、声が重なる。そんな小さなやり取りに嬉しくなるのは、最近落ち着かないことが多すぎたからなのかな。互いに目を合わせて小さく頷きあって、相手に順番を譲り合う。そんな些細なやり取りにホッとするのはなんでだろう。
「砂月は何も悪くないにゃ。父ちゃんが死んだのも母ちゃんが死んだのも、任務のせいだし。砂月恨むくらいなら、手を下した犯人を恨むにゃ」
最初に話したのは僕だった。僕の言葉が途切れるのを待ってから、砂月が小さく息を吸う。その右手はマフラーを握りしめたまま。砂月も、怖いんだ。
「ねぇ、慧。僕のわがままになるんだけどさ。もう一度、空を飛ばない? きっと昴さんもそれを望んでると思う。飛ぶのが怖いなら、死ぬのが怖いなら……このお守り、慧にあげる。だから、もう一度……もう一度、飛ぼうよ。僕も響も陽向も、慧を支えるから」
砂月が無理して笑顔を作る。その漆黒の目は、僕が手に握ったままの「お守り」に向いていた。父ちゃんが最期に砂月に托したそれは、見た目以上に重く感じる。
僕はスカイボードが大好きだ。スカイボードに乗って自由に空を飛ぶ、あの解放感と体に吹きつける風が大好きだ。だけど、今は飛ぶのが怖い。この恐怖はずっと前から存在していた。僕がそれに向き合わなかっただけ、気付かないフリをしていただけ。
『慧選手は、なんのために飛んでるの?』
たった数日前に翔に聞かれた言葉が頭を過ぎる。あの日、僕は「響のため」と即答した。あいつならきっと、今の僕を見て笑うんだろうな。「自分のために飛べよ。ステッカーの意味を思い出せ」って、僕に言うんだろうな。もうその声を聞くことはないけれど。
響の左目を奪ったあの日から、僕は響のために人生を捧げてきた。最初は贖罪のために、今は響が大好きだから。響のためを意識してから飛び方が変わって。飛び方を変えたら、気付かないフリをしていた恐怖が僕に忍び寄ってきた。
父ちゃんが死んだのは、スカイボードから落ちたから。陽向が死んだのも、スカイボードから落ちたから。身近な人が二人も死ぬと不安になる。次は僕が落ちるかもしれない。僕がいなくなったら、響はどうなるだろう。これ以上響を不幸にはしたくない。その思いだけが、僕を地面に縛り付けるんだ。
「……いよ」
「慧?」
「僕ちんだって……空、飛びたいよ! でも今は、飛ぶのが怖い。次死ぬのは僕かもしれない。死んだら、響を守れないにゃ!」
空を飛びたい。その気持ちを押さえつけるのは、「響を守りたい」なんていう僕のエゴ。響は僕がいなくても大丈夫だって、本当は知ってるんだ。知ってるけど、僕が勝手に響のそばにいたいだけ。
響も砂月も翔も、僕にもう一度空を飛んでほしいよね。そう思ってることは知ってるし、僕だって飛びたい。だけどもあと一歩を踏み出せないんだ。
父ちゃんなら、母ちゃんなら。きっと迷わず飛んだだろうな。父ちゃんなら僕みたいにヒヨったりしないんだろうな。父ちゃんなら――。
「昴さんも、似たようなこと言ってたよ。怖いけど、飛んで人を守るのが仕事だからって。守るために飛ぶ。飛ぶ時の恐怖を和らげるために、気休めの『お守り』を身につけてるんだって」
僕の心を読んだかのように、砂月が絶妙なタイミングで言葉を紡ぐ。紡がれた言葉は、僕の知らない父ちゃんについてで。少し複雑な気持ちになる。
父ちゃんも怖かったなんて信じられない。僕の知る父ちゃんはいつだって前向きで、どんな時も笑ってて、スカイボードに乗る恐怖なんて少しも感じさせない人だったから。
「だからこそ、この『お守り』は慧が持つべきだよ。もう僕には必要ない。今これを必要としているのは、慧だ」
砂月が、僕が握りしめたままのロケットペンダントを見てそう告げる。砂月の言葉に反応するように、ロケットが微かに左右に揺れ動いた。
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