最終章 スカイボード
☆砂月
第51話 砂の月は何を語る
「……僕、今なら空を飛べる気がするんだ」
猫語を止めた
なんてことはない。ただ、
「もう、怖くない?」
「うん。今ならきっと、陽向の声は聞こえない。あの叫びの意味を知れたから、陽向が僕を恨んでないって知れたから。だから僕は……空に向かうよ」
あんなに苦しんでいたのが嘘みたいに、晴れ晴れした表情を見せる。額に身につけたゴーグルと柔らかく太陽光を反射する淡い水色の髪。僕にはその姿が、昴さんに重なって見える。
眩しい笑顔を見せるその首元には、古びたロケットペンダントが一つ。昴さんの遺品だったそれは今、僕ではなく慧のことを守っている。きっと昴さんも空から見守ってる、今の慧の姿を。
昴さん。慧には……慧には、明かしてもいいかな。僕のこと、どこまで話していいのかな。僕のことを知ったら慧は、昴さんみたいに自分を犠牲にして人を守るかもしれないよね。
「ねぇ、砂月」
「何?」
「さっきの、砂月がしたんでしょ?」
その言葉は突然だった。電柱に供えられた、見慣れた赤い花束。その前で小さく拳を握りながら。少し目線を逸らしながら、悲しそうな顔で笑うんだ。
一年前から陽向の姿は見えていた。それでもこのタイミングまで口を出さずにいたのは……翔がいなかったから、かもしれない。目の前に翔が現れて初めて、動こうとした。最初から見えていたなんて知ったら、慧はどう思うだろう。
本当はここまで介入するつもりじゃなかった。こんなところで能力を披露する気はなかった。陽向の姿が見えても何もしなかったのは、翔にも陽向が見えると知ってからようやく動いたのは……。
「砂月も、僕から離れていくの?」
カンの鋭い幼馴染を誤魔化すのは難しいみたいだ。慧、君はちょっと、カンが鋭すぎるよ。
「砂月、西の方のすごーい一族の末裔なんでしょ? 父ちゃんが言ってたもん。砂月はすごい力があるんだって」
「昴さんが?」
「うん。だからこそ、砂月のこと、守らなきゃいけないんだって」
僕には幽霊が見える。陰陽師とやらの血を継いでいるのか、ちょっとした術の類も使えて。だけど、力を披露することは僕の身元を明らかにすることと同じで。だから、あまり使いたくなかったし、視界に入る幽霊の存在を認めたくなかった。認めたら、助けたくなっちゃうから。
手を出したのは……慧が困っていたから、陽向が苦しんでいたから、翔が悩んでいたから、響が慧を助けたがっていたから。慧達は孤独だったはずの僕に初めて出来た友達で。だからこそ、助けたかったんだ。それがどんなに危険なことでも、これ以上黙って見ていることは出来なかった。
「砂月、大丈夫なの?」
そうか、慧は恐れているんだ。周りの人が自分から離れていくのを恐れてるんだ。陽向みたいにある日突然いなくなるんじゃないかって心配なんだ。
「大丈夫だよ。いざって時は身を守るから。だから――」
「大丈夫じゃない! 砂月は、いつもそうやって無理して笑う。それ、ダメ」
「……どうして? 慧の両親を殺したのは僕なのに」
「砂月は悪くないって前も言った。スカイボードから落ちるのは今も怖いよ? だけどそれよりも、身近な人がこれ以上いなくなる方が怖い」
僕は、慧にとって身近な人なんだね。それを知れただけで、今は十分だ。
「いなくならないでよ」
「……僕が一ヶ所に留まると犠牲者が出る。もっと早く決断を――」
「なら、僕が父ちゃんの代わりに守る。僕、父ちゃんみたいな護衛官に、ヒーローになるから。僕が砂月を守るから」
護衛官はそんな簡単になれないよ。スカイボード以上に死の恐怖が付きまとう。実際に命を落とすこともある。僕に、そこまでの価値はないよ。慧の命まで僕に賭ける必要はない。
「もう一度空を飛ぶから。死の恐怖、克服するから。そしたら、僕が砂月を守るから」
「なんでそんなに必死なの?」
「砂月が大切な人だから」
大切な人、の響きになんとも言えない気持ちになる。
「砂月がどんな存在になっても、変わらないよ。僕と響も、砂月の友達のままだよ」
「僕が何の末裔か知ってて言ってるの?」
「うん。父ちゃんから全部聞いてたから。父ちゃんが死んだ日も砂月と一緒にいたから。だから、知ってるよ」
「それでも考えは変えない、と」
慧ってバカだよね。他人の死を自分のせいにして苦しんで。周りに求められて、自分も望んで、スカイボードを手放さない。そして今度は自ら、もっと死の危険が付きまとう選択肢を選ぶ。
「だから、離れないでよ。この町から出ていかないでよ。『サンドムーン』を続けてよ」
僕の血筋を知っていても、その能力と裏で起きてる権力争いのことは知らないだろうな。僕がどうして皇居じゃなくてこの町に住んでいるのかも、どうして命を狙われているのかも。
いつか争いが落ち着いたら、僕は皇居に行く。そしたらもう、私的な理由で外に出られなくなるし、慧達にもきっと会えない。僕に残された自由な時間はあとどれくらいなんだろう。
「サンドムーン」をずっと続けることも、ずっと慧達のそばにいることも出来ない。だから、離れるなら今が最善だ。慧のことが心残りだったけど、もうできることも無いから。
ロケットペンダントは慧に托した。陽向の声も届けた。僕の罪滅ぼしはここまで。罪滅ぼしが終わったらもう、この町に残る理由はない。
「せめて、僕が飛ぶのを見てから、いなくなって。いなくなる時は僕達に声をかけて。約束」
僕が思いを口に出さなくても、慧は言いたいことをなんとなく感じ取ってくれる。だから、僕が離れていくのを知って、それを止められないと知って。泣きそうな顔で小指を立てた右手を僕に差し出してきた。
約束、するよ。いなくなる時は声をかける。声をかけてからいなくなる。そして、何らかの形で連絡しよう。慧達が泣かないように。
「いいよ」
長さの違う小指が絡まる。眩い太陽光がそれを、照らし出してくれた。頭上を見れば、境界のない空がどこまでも果てしなく広がっている。きっとこの空は、僕がどこに行っても、僕達を繋げてくれる。そんな気がした――。
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