第50話 思いを乗せて
届くはずのない声だった。見えるはずのない姿だった。自分でも分かるくらい明らかに透き通った体。死んでから一年以上この世をさ迷って、俺の姿を認識したのはたったの二人だけ。
どんなに近くにいても、どれだけ大きな声を出しても。
「
いや、目が合ったのは気のせいか。キョロキョロと辺りを見渡して俺を探してるもんな。でも、俺の声は聞こえてる。聞こえてた。約一年ぶりに、まともに慧に言葉を届けられた。それは間違えがないらしくて。
俺から慧に向かって吹く生暖かい風。季節はもう秋から冬に変わろうとしてるのに、気温も下がってきているはずなのに。季節外れの生暖かい風は相変わらず吹いている。
「僕に救われた? 今、そう言ったよね、陽向」
そうだよ。スカイボードに出会えた。自由な空に憧れて、最期は空に近付くことが出来た。俺の閉じた世界をこじ開けたのは、お前なんだよ、慧。お前がいたから俺は、一人じゃなかった。死ぬ時は誰よりも自由で、孤独じゃなかった。
「どうせ死ぬんだから、誰の記憶にも残らないようにしようとしてた。そんな俺の閉じた世界をこじ開けて、たくさんの夢を見せてくれた。お前が俺を救ったんだよ、慧」
「陽向! 声だけじゃわからないよ。姿を見せてよ」
それは無理だろ。今俺の声が聞こえてるのだって奇跡的なことで。砂月や翔と違って俺の姿を見られない慧にはきっと……今起きている何かがなけりゃ、声の一つも届けられない。
「もっと生きたいって思ったよ。あの日、もう死ぬって時にお前を見て……もっと傍にいたい、生きたいって、思った。そしたらさ、口から『助けて』って言葉が零れたんだ」
「陽向……」
「こんな偶然、そう長くは続かないから簡単に伝えるぞ」
姿が見えないことを説明できなかった。そんなことに時間を割くくらいなら、本当に伝えたいことを言葉にしたい。俺の事はきっと
「死ぬのが怖かった。俺が死ぬことで誰かが傷つくのを見たくなかった。だけど、長くない命だなんてさ、言えなかったよ。大切だからこそ、言葉にして伝えられなかった」
「言ってよ! 言って欲しかったよ」
「お前の目の前で死んだのは想定外だった。俺のせいでトラウマになったよな。飛ぼうとする度に死が頭をよぎってたろ? 飛べなくなっちまってさ」
季節外れの生暖かい風は、まだ俺から慧に向かって吹いてる。風に乗って声が聞こえているのかな。まだ、慧の耳には俺の言葉が届いているらしい。
慧が死ぬのを恐れてること、知ってた。そのきっかけはきっと、砂月を守るために死んだ父親で。そして、響のそばにいたいからって死にたくなくて。カッコ悪い所を見せたくないからって一人で抱え込んで。
慧の父親が死んだのは、砂月のせいでも慧のせいでもない。砂月を狙うヤツらのせいだ。俺が死んだのは、翔のせいじゃなくてこの時代のデザイナーベビーの在り方が原因で。
生きてりゃいつか死ぬ。大切なのはいつ死ぬかでもどう死んだかでもなくて、死ぬまでをどう生きるかなんだ。少なくとも俺は、短い人生を精一杯楽しく生きられた。心残りは、慧達のそばにいられないことだけだ。
「『FLY for Yourself』」
生暖かい風が弱まり始めた。俺の言葉に、金色の目がこれでもかと大きく見開かれる。ああ、約束は忘れてなかったか。そうだよ、慧。俺との約束、一つあったよな。
お前はなんの為に空を飛ぶ?
俺のためなんて言うなよ。響のためなんて言うなよ。昔、最初に飛んだきっかけはなんだったよ。お前は、父親に憧れたから、父親と同じようになりたいから……だから、空を飛ぼうとしたんだろ?
誰かを守れるようになりたい。その気持ちを思い出せよ。飛びたいなら、死の恐怖を乗り越えろよ。お前の未来は長いだろ、慧。お前の心臓はまだ動いているだろ、慧。お前は俺と違って、好きなように好きなだけ生きられるんだ。勿体ないことすんなよ。
「大丈夫、なるようになる。お前には響も砂月も翔も……俺もいる。飛びたきゃ飛べ、余計なもんは全部忘れてな。自由に飛ぶ空は、どんな景色よりも綺麗だったぜ」
「陽向……」
「空から見てるから。お前は俺の分も空を飛べ。飛びたいなら、飛べ。お前の心臓はまだ動いてるだろ?」
生暖かい風が止まる。俺から慧に向かって吹いていた、不自然な風が止む。もう時間だ。そう、俺の中の何かが告げた。
「お前に会えてよかったよ。世界はこんなにも自由で、飛んでる間は余計なことを忘れられた。お前のおかげだ」
「陽向? ねぇ、陽向?」
「どうしてスカイボードを選んだ。どうして飛んだ。その答え、俺に教えてくれよ。そんで、俺の見れない景色を見てくれ」
「陽向? 声、聞こえないよ? ねぇ!」
気味悪い風が止むと、慧に俺の声が届かなくなった。あの風がなんだったのか。その答えはきっと……あいつが持ってる。俺達のことを影から見守っていたあいつが。
ほら、いつの間にかやってきたのか、あいつが姿を見せる。トーキョーに不相応なコケシ頭に、季節外れの深緑色のマフラー。見間違えるはずがない。
「お前、何をした?」
「……秘密。僕の一族に伝わる秘密だよ」
慧に向かって歩くその背中に問えば、振り向きもせずに淡々と答えやがる。
「慧、どうしたの?」
「砂月! 今、今ね……」
「どうしたの?」じゃないだろ。仕組んだのはお前のくせに、砂月。どうしてか分からないけど俺の姿が見えて。俺と会話が出来て。そんなお前が生み出したんだろ、今の奇跡。
砂月、お前は何者なんだ。ただの移民じゃないよな。じゃなきゃ、慧の父親はお前を守って死なない。
疑わしいのに、俺はお前を頼るしかできない。あとは頼んだぞ、砂月。俺は……成仏するまで、お前達のことをすぐ側で見守っているからさ。
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