第49話 誰よりも空に焦がれ
死ぬことは決まってた。トーキョーじゃ、デザイナーベビーが臓器移植のために死ぬことは当たり前で。倫理観の問題なんてとっくの昔に話されなくなっていて。
最初は、どうせ死ぬなら誰ともかかわらないはずだった。
いざ死ぬってなった時、頭に過ぎったのは慧達とスカイボードだった。死ぬには楽しい思い出を残しすぎたんだ。慧達と長く過ごしすぎた、自分の立場をわきまえてなかった。今思えば、スカイボードから落ちて死ぬことを選んだのだって……。
「笑えてくる」
「慧達に変な期待を抱いてほしくない」だなんて、ただの建前だ。別にスカイボードにから落ちなくても、俺が死んだことをはっきりさせればいいだけだもんな。落ち方が悪ければ臓器も損傷するし。
それでも乗れないはずのスカイボードに乗ったのは……誰よりも俺が、空に憧れていたからだったんだ――。
「忘れないよ。一緒に見た空も、一緒にスカイボードの練習したことも、何もかも全部、忘れない。忘れられるはずがないもん」
空は自由の象徴だった。トーキョーに残された、数少ない整ってない遊び場で。西日本と東日本、どっちにも同じように広がる。どこまで進んでも行き止まりはない、境界もない、国も言語も人種も、何もかもを飛び越えて広がる自由な存在……。
空の下では、俺もただのガキでいられた。デザイナーベビーだってことも、翔のスペアだってことも、長くて十三歳までしか生きられないことも。青空の下でならどんなことも忘れられた。空の下でなら、俺は慧達と心の底から笑い合えたんだ。
慧達に俺の事、忘れて欲しくなかった。誰の記憶にも残りたくないって思いながらも、本当は、誰かの心に生き続けたかった。思い出が欲しかった。俺の人生を、他の誰でもない俺の意思で生きたかった。
スカイボードに乗ったのは、誰よりも空に焦がれたから。慧達との思い出だから。そして、上手く乗れないスカイボードに乗れば、翔のためじゃなく俺の意思で死んだことになると思ったから。
あの日スカイボードに乗ることを決めたのは俺だ。翔のために死ぬんじゃない。俺の意思で、トリックの一つもまともに決められないスカイボードに乗る。そして俺の意思でトリックに失敗して墜落する。
俺は、死ぬ瞬間まで俺でいたかった。スカイボードの上でなら俺は俺でいられた。スカイボードから落ちることは、翔のスペアだからでもデザイナーベビーだからでもなく、俺の意思で死ぬことを意味した。だから俺はあの日、無意識にスカイボードを選んだんだ。
『どうしてあの日あの瞬間、僕を見て助けを求めたの?』
そんなの、決まってる。答えなんて決まってる。助けを求める理由なんて、一つしかない。
「死ぬのが、怖かった。それが、助けを求めた理由だ」
誰だって死ぬのは怖い。死ぬってわかってても、どんなに覚悟してても、怖いものは怖い。いざ死ぬってなった時、スカイボードから落ちるのは勇気が必要だった。だからさ、俺はお前に救われたんだよ、慧。
死ぬ間際に慧に会えた。慧に助けを求められた。俺は慧に会えたから、俺のままで死ねた。死ぬ瞬間まで、俺は俺だった。デザイナーベビーでも翔のスペアでもなく、「
痛かった。怖かった。悔しかった、悲しかった、辛かった。苦しかった、逃げたかった、憎かった。泣きたかった、叫びたかった、吐き出したかった。俺は、他の誰でもない俺の人生を生きたかった。空みたいに自由に生きたかった、自由な存在になりたかった。
「陽向、最後、笑ってたよね。『助けて』なんて叫んでいたのに、僕が駆けつけた時には笑顔だった。ねぇ、どうして? 僕、今でもわからない。あの日、陽向は何を思ってたの?」
答えたい。伝えたい。俺ですらやっと気付いた答えを、この声を届けたい。そして言うんだ。俺は……慧に会えて、スカイボードに出会えて、幸せだったって。そして……慧に、また空を飛んで欲しいって。
どんなに強く思っても、願っても、叫んでも。この声が慧の耳に届くことはない。俺は砂月でも翔でもなくて、慧に言葉を伝えたいのに。慧の前に現れることが出来たら、声を届けることが出来たら……こんなに困ってはいないのに。
「やっと、やっとね。陽向のこと、少しずつ受け入れられるようになったよ。翔に会ってね、本当に陽向は死んだんだって、そう思うんだ」
声を伝えたい。だけどどんなに口を開いても、どんなに息を吸っても、どんなに声を出しても。一番届けたい人に届かないんだ。
勝手に造られて。臓器移植のためだけに生かされて、死んで。やっと解放されたと思ったら、こんな透き通った体で中途半端な形でこの世に留まって。そのくせに、慧に言葉を届けることすら叶わない。
神様ってやつは不公平だ。これ以上俺から自由を奪わないでくれよ。あとどれくらい、苦しめばいい。あとどれくらい苦しんだら、俺は楽になれる? 俺はただ、慧に言葉を伝えたいだけなのに。
一人でひっそり死んでいくはずだった俺を変えてくれた。モノトーンだった世界に色をつけてくれたのも、空の楽しさを教えてくれたのも、「もっと生きたい」って感じさせてくれたのも。全部お前だったんだよ、慧。俺は――。
「俺は! お前に救われたんだよ! 慧!」
生暖かい風が俺から慧に向かって吹き付ける。赤い花束に向けられていた慧の視線が、何故か俺の方に向いた。見えるはずないのに、聞こえるはずがないのに。慧の金色の瞳が俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「……ひ、なた? 陽向、そこにいるの?」
見えないはずなのに。聞こえないはずなのに。触れることも出来ないのに。慧の目が、声が、俺を捉える。季節外れの生暖かい風は、まだ俺から慧に向かって吹いていた――。
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