☆響
第52話 雛鳥は巣立つ
空がオレンジ色に染まり始めた頃。
供えるのには不向きな赤い薔薇を九本。花言葉は「いつもあなたを想っています」。赤い薔薇は本数で意味が違うの。一本でも三本でも五本でも二十四本でもなくて、九本なの。
一目惚れだった。多分初恋だった。だけどあの人に抱いていた気持ちはただの「憧れ」で、
当時、現場は血の跡が残ってた。スカイボードの残骸が虚しく散らばっていたこと、覚えてる。スカイボードから人が転落したらしい。そんな噂話を何度も耳にした。
慧ちゃんは今まで以上に明るく振る舞うけどスカイボードに乗らなくなって、あの人のことを名前で呼ばなくなった。そんな慧ちゃんの前で仏花なんて買えなくて。月命日を通院日にして、病院の帰りに赤い薔薇の花束を買うことにした。
そして月命日の日になると、夕方にこっそり部屋を抜け出してここにやって来るんだ。電柱にポツリと供えられた赤い花束。それを見ながら、道行く人達が囁き合う。もう、陽向君の事故を知る人は私達しかいない。
「陽向君。元気ですか?」
呼びかけたい人に聞こえるはずがないのに、声をかける。もしかしたら慧ちゃんみたいに陽向君の声が聞こえるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら。
誰も寄せ付けようとしない雰囲気。周りの人との間に見えない壁を作っていた陽向君。その年相応じゃない姿と独りで何かを抱える姿が気になって。自分のことを話してくれないミステリアスなところに惹かれて。
最初は、ただ気になる子だった。誰も寄せ付けようとしないからかな。なんでかほっとけなくて。慧ちゃんが変わってからは、陽向君と慧ちゃんを重ね合わせるようになった。昔はわからなかったその理由、今ならわかる。
慧ちゃんも陽向君も、優しいんだ。周りの人を苦しめたくなくて、悲しませたくなくて。だから全部一人で抱え込んじゃうの。きっと私が陽向君に惹かれたのは、そんなところが慧ちゃんに似てたから。
「私も慧ちゃんも砂月君も。……きっと、翔君も。陽向君のこと、忘れない。ずっとずっと覚えてる」
私達の思い出の中には決まって陽向君がいる。日常を生きる上で思い出さない日はないくらいに。だから「いつもあなたを想っています」でいいの。
どんなに周りの人が忘れても、私達は陽向君を忘れない。思い出の中の陽向君を消させない。忘れてないよ、今月も覚えてるよ。その意味を、赤い薔薇の花束に込めて。
「響」
背後から聞こえる、聞きなれた声。ふざけた話し方をしていた時より幾分かトーンの下がったその声は、昔よりずっと大人びて聞こえる。だけどすぐに振り返ることは出来なかった。
慧ちゃんの自由な翼を私が奪ったの。陽向君に会って、慧ちゃんは少しだけ、走り方が変わったんだよ。陽向君に出会わなかったらきっと、慧ちゃんはもっと早く、飛べなくなったと思うの。
「陽向君。ありがとう」
慧ちゃんのそばにいてくれて。慧ちゃんのことを支えてくれて。そして、私達の誤解を解いてくれて。声だけでも意味があるんだよ。慧ちゃんの抱いていた苦しみを、和らげてくれたから。
きっと陽向君も悔しかったよね。慧ちゃんのことを苦しめたくなかったよね。死にたくなかっただろうし、本当はもっと一緒にいたかったよね。本当はもっともっと、自由に生きたかったよね。
最後にスカイボードに乗ったのは、空に近付きたかったから。誰よりも自由になりたかったのは陽向君なんだ。
電柱に向かって手を合わせる。そんな私の隣に、慧ちゃんがやってきた。額にはゴーグル、首にはロケットペンダント。笑い方がこの短期間で大人びた気がするのはきっと、気のせいじゃない。
「響。ちょっといい?」
「何?」
「……競技用のスカイボードのさ、カスタマイズ、お願いしたくて」
その言葉の意味にはすぐ気付けた。だけど想定外の言葉だったから、すぐに言葉が出てこない。
「陽向。今僕に出来るサイコーな走り、見せるよ。だから、楽しみにしてて」
私の言いたいことを察してかな。陽向君に向かって、頼もしい言葉が紡がれた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます