☆翔

第53話 満月は空を見る

 それは、気温の下がった十一月下旬のこと。俺はけい選手、砂月さん、響さんと一緒に青空の下にいた。これでもかと吹き付ける冷たい風が体を縮こまらせる。


「ひっさびさだなー」


 声高らかに笑うのは慧選手。その手にはネイビーのスカイボードが抱えられている。慧選手はスカイボードを二台持っているらしくて。競技用のスカイボードを間近で見るのは初めてだった。


 今日はスカイボードの大会が開かれる日。一年とちょっとの間休業していた天才、慧選手が復活する日でもある。慧選手への注目度が高いからだな。大きな大会じゃないのに、観覧席や関係者席にはカメラを構えた取材班の姿が目立つ。


 わかってる。みんな、空飛ぶ天才「柊慧」の復帰戦を見に来たんだ。慧選手がどうして飛べなくなったかは関係なくて。大切なのは「慧選手が再び空を飛ぶ」ってことで。それが、なんだかちょっと悔しい。


 今日この日のために新しくカスタマイズしたらしいスカイボード。慧選手本来のプレイスタイルに合わせて、プロペラもデッキシートもエンジンも、何もかもを調整し直したらしい。


 スカイボードに直接関わるのが初めての俺に、砂月さんが一から丁寧に教えてくれた。接客の仕方も、発注の仕方もレジ打ちも、慧選手がよく使うパーツも。これからに必要なことを全部教えてくれた。


「競技としてのスカイボードのルール、わかる?」


 突然声をかけてきたのは砂月さんだった。コケシ頭の下に少し寂しそうな笑みを浮かべてる。砂月さんは、この大会がが終わって少ししたらこの町を離れていくらしい。そう聞いたのは、最近の話だ。


「コース上でトリックを決めながらゴールを目指す。トリックの数に制限はない。トリックの点数とコースタイムで勝敗を競う。だろ?」

「その通り。ポイントはトリックの難易度と、コースをいかにショートカットして走るか、なんだ。加えてトリックをいかに成功させるかも大事になってくる」

「トリックの難易度にショートカット。度胸と位置把握のセンスが必要なんだな」

「そうだね。ま、そこら辺はいなくなるまでに教えるよ。だから……」

「『あとはよろしく』だろ? 大丈夫だよ。響さんも手伝ってくれるって言ってたし。砂月さんが戻ってくるまで、俺がサンドムーンを守るから」


 砂月さんが営んでいたスカイボード専門店「サンドムーン」。その経営を、俺が引き継ぐことになった。俺なんかがって思ったけど……陽向ひなたの記憶を持ってる俺だから、なのかもしれない。そう、無理やり自分を納得させた。


 どうせ義務教育は終わってて、やりたいことは特になかったんだ。両親に至っては「生きてさえいればいい」って感じだったし。陽向の代わりかもしれないけど、それでも……俺は俺の意思で、慧選手や砂月さん、響さんのそばにいたいって思ってる。


「慧はすごいぜ。ま、聞くより見た方が早いけど」


 俺のすぐ隣には、俺にそっくりな見た目をした陽向がいる。相変わらず透き通った体をしていて、俺と砂月さん以外の人には見えない。だけどたしかに、陽向はここにいる。


 一度だけ、慧選手には陽向の声が聞こえた時があったらしい。そしてその時の言葉が慧選手を変えた。慧選手の中に残っていた陽向への罪悪感を、少しの時間で消した。そのことをきっと、陽向は知らない。


「それにしてもまさか、本当に大会に出るとはな。砂月から聞いた時にはびっくりしたけど」

「……慧選手は乗りこえたから、陽向とのこと」

「そっか。もしかしたらだけどさ。……俺、慧の走りを見たら、成仏出来るかもしんないや」


 慧選手と響さんに怪しまれないように、出来るだけ声を抑えて陽向に応じる。俺の声に反応した陽向が呟いたのは、ちょっと寂しい言葉だった。


 会場付近の電柱。そこに備え付けられたスピーカーから微かなノイズが聞こえる。スピーカーから音が出る前兆だ。


「まもなく競技開始時間です。出場する選手は――」

「にゃー! 僕、トップバッターじゃん。行かなきゃ!」


 競技開始のアナウンスが響くと、それを遮るように聞こえる慧選手の声。突然の大声に驚いて見れば、慧選手は出番が近いのに、まだ俺達のそばにいた。ってなにしてんの、慧選手!


 慧選手は慌ててスカイボードを手にして移動しようとする。それを響さんが制して、パラシュートを手渡す。


 パラシュートはスカイボードに乗る上で絶対に必要なもの。もしパラシュート無しで飛んだら、トリックとかに失敗してスカイボードから落ちた時、間違いなく死ぬ。パラシュートの重要性を誰よりも知っているからか、慧選手は素直にそれを受け取った。


「みんな、空を見てて。僕がサイッコーの走り、見せるから。きっと、嫌なこと全部忘れるよ」


 慧選手、空を見ても慧選手の姿は見えないから。試合の様子は撮影用ドローンが映し出す映像で見るから。なんて、選手側の人間にはわからないか。


 慧選手が額に身につけていたゴーグルに手を伸ばす。そして、ゴーグルで目を覆った。首にロケットペンダントがあることを確認すると、嬉々とした表情で去っていく。


 慧選手の出番が待ち遠しくて、先に空を見上げてみた。


 どこまでも広がる青い空。雲一つない快晴で、絶好のスカイボード日和。空から直に姿を見せる太陽が眩しくて、直ぐに視線を空から逸らした。


 俺が見るのは、競技会場に設置されたモニター。そこに映し出される慧選手が見たい。大丈夫、慧選手なら飛べる。だって、誰よりも空を飛びたがってたし。俺達も陽向も、慧選手を守ってるから。だから大丈夫。



 競技用モニターには、スカイボードに乗ってふわりと宙に浮かぶ慧選手の様子が映し出された――。

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