☆慧

第54話 飛べない鳥は大空を舞う

 久々の浮遊感に少し胸が高鳴る。以前は死神の足音のように思えたプロペラ音も今は、ただのプロペラ音でしかない。もう、空を飛んでいても陽向ひなたの声は聞こえない。


 僕も陽向みたいにスカイボードから落ちるかもしれない。その時にパラシュートが開かないかもしれない。そんな不安と、助けを求めていた陽向を助けられなかった後悔と。それらに押しつぶされそうになってた。


 陽向の「助けて」は生きたかった証で、僕達のそばにいたかった証。そう思ったら、知ったら、心が少し軽くなった。僕は陽向を見捨てたわけじゃなかったって。僕が陽向を殺したわけじゃなかったって。そう思えたから。


 競技ウェアのポケットには、砂月から貰ったロケットペンダントが入ってる。中には僕が死ねない理由――響の写真を入れてある。大丈夫、僕のことは響が守ってくれる。陽向も砂月も翔も、守ってくれる。それに……。


「僕がスカイボード界にいるべきなら、こんなところで死なないはず」


 何度辞めようとしても戻ってきたこの世界。スカイボードは僕から離れてくれなかった。僕もスカイボードから離れられなかった。それに、僕にはメディアが「天才」って呼ぶだけのなにかがあるらしい。


「一番、ひいらぎけい。一番、柊慧」


 アナウンスが鳴ると体が一瞬縮こまる。スタートラインまで浮遊した。あとは、スタートの合図と同時に走るだけ。


 眼下に広がるはトーキョーの高層ビル群。頭上には撮影用ドローン。目の前には、何も無い空が果てしなく広がっている。まぁ、何もないようで、僕にはんだけど。


「三……二……一……スタート」


 アナウンスと同時に一気にアクセル全開。体を前に傾けて出来る限り加速する。風を切る音と体に吹き付ける風が気持ちいい。ゴーグル越しに見える視界は、とんでもなく綺麗で、どこか懐かしい。空の所々に、走っていい範囲を示すためのドローンが浮いている。


 ドローンは空に等間隔で配置されてる。昔はレーザーとか使ってたけど、目に良くないから中止。代わりに今はコースに沿って横に一定間隔ずつ規則的に並んだドローンが、見えないセンサーでコースアウトしてないか感知してる。


 ドローンが点在する様子は、星空に似てると思う。ドローンは星みたいに綺麗に輝いてないし、目の前に広がる空は夜空じゃなくて青空だけど。僕達はこのドローンが作る道を出来るだけショートカットして走るんだ。


 もう、迷わない。怪我させる人もいない。響のためでも陽向のためでもなく、僕自身のために走る。僕の、僕らしい、自由な走りをみんなに魅せる――。


 コースをショートカットするコツは基本的には一つだけ。ジャンプとかのトリックを使って、ドローンが描くコースを直線距離で移動する。簡単なようで難しい。


 ジャンプはリスクが高い。着地地点が少しズレればコースアウトで失格。トリックに失敗すれば転落として失格。きっと慣れない人には難しいんだろうけど……僕なら出来るよ。だって、風が示してくれるもん。大事なのは加速とデールを弾くタイミング。そしていかに風に乗れるか。


「おおっと柊選手、いきなりジャンプでコースをショートカットしたー! これまで休んでいたのが嘘みたいですね」


 ドローンが地上の実況中継を拾って音を拡散する。たかがショートカットで驚くなんて、勿体ない。ショートカットごときでそんなに驚くなら、もっと凄いもの、見せてあげる。


 デッキを前足で蹴ると同時に後ろ足をデッキから離す。リモコンを持たない左手はデッキをしっかりと掴む。そして離した後ろ足でデッキを蹴って加速。デッキに積まれたエンジンを踏台に二度目のジャンプをして、デッキの上に着地すれば完成だ。


「柊選手の代名詞、ケイスペシャルだ! オーリーノーズボーンとテールクラブを合わせ、さらにアレンジを加えてきたー」


 まだまだいくよ。スカイボードはトリックを決めたもん勝ち。僕は、誰にも負けない。僕は誰よりも自由に飛んでみせる。ねぇ、陽向、見てる?


 今度は後ろ足でデッキを弾いてボードを縦回転。それを前足を使って横に回転させる。着地は前足と後ろ足が交差するけど、それでいい。クロスフットインポッシブル――スケボーのトリックをスカイボードで実践しただけのものだ。


 エアー系もインポッシブル系もオーリー系もグラブ系も。今出来るトリック、出来る限り全部魅せる。次のトリックの予想なんてさせない。だからみんな、僕の走りを見てドキドキワクワクしてよ。


 風の示す道を辿って、風に乗ってトリックを決める。そうやってショートカットしながら、空を走る。誰にも真似できないトリックを決めて風に乗るのがサイコーに気持ちいい。


 オーリー系とグラブ系の合わせ、インポッシブル系。次はどのトリックを決めようか。ドローンが示すコースが近付いてくる。次の風の道も見える。決まってないのはトリックだけ。


「自由で予測不能なその走り、サイコーだな」


 遠くから、陽向の声が聞こえる。陽向も今頃、どこかで僕の走りを見てるかな。


 もう大丈夫だよ。何にも縛られないで空を飛ぶこと、思い出したから。死の恐怖も響や陽向への罪悪感も。もう僕を止められない。何もかも、この広い空の下じゃ関係ない。もう飛べるよ、走れるよ、スカイボードに乗れるよ。だから陽向は安心して。


 さぁ次は、どんなトリックを決めようか――。

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