第2章 満月は決断する

☆翔

第6話 声に惹かれて

 あてもなく道を歩く。木々の少ない、高層ビルやマンションの並ぶ街。殺風景で、どこに行っても大差ないはずの景色。なのになんでか、胸の奥の方が熱くなる。


 去年までは満足に見れなかった街並み。病院の真っ白で無機質な空間に比べれば全然マシだ。なのに、トーキョーの街並みに慣れてくると、何かが物足りなくなってくる。


 トーキョーの街並みはつまらない。申し訳程度にある公園や樹木はやけに整っていて、整頓され過ぎているところが逆に気持ち悪い。遊具だって規則正しく並んでいて、どこの公園にも同じ遊具が並んでいて、統一されているせいか無個性に感じる。少なくとも俺は好きじゃない。


 作られた自然と、新時代の象徴の高層ビルと。アスファルトに覆われた地面に自動運転の車達。それは、どこの街でも同じはずだった。無個性な街並みは東日本のどこに行っても同じだ。なのに――。


「どうしてこんなに懐かしく思うんだろうな」


 ちょうど一年前、大きな手術を受けた。それまではまともに外に出られなかったし、学校にも通えなかったし、トーキョーの街を歩くなんてこともしていない。だから、今歩いている街並みを知っているはずがない。


 だけど俺は知ってる。アスファルトで覆われた、造られた街並みを。今歩いている土地を。あと少し進めば、何年も前に一人の女の子が左目を失った現場に辿り着く。面識のないその女の子のことも何が起きたかも、どうしてか俺はいる。


 一年前に心臓移植の手術を受けてからだ。俺の中に、知らないはずなのに知っている物事が増えた。実際には見たことの無いものを懐かしく思ったり、昔は興味を持たなかったものがやけに気になったり。この奇妙な感覚の正体を知りたくて。ここ数ヶ月は、懐かしいと感じた土地を歩いて回っている。


 心臓移植の時に、移植元の心臓の記憶を引き継ぐことがある。そんな都市伝説がある。もひこれがドナーの記憶ってやつなら、教えて欲しい。どうして俺は「何か」をやり残したような気持ちになるのかを。


 誰かのやり残した「忘れ物」を達成するために。俺は、懐かしいと感じた物事をただただ追いかける――。



 道路に沿って作られた歩道。歩道には常緑樹が等間隔で規則正しく植えられている。道路を走るのはAIが自動運転する車ばかり。空を見上げれば、スカイボードとかいう奇妙な乗り物が空を飛んでいる。


 スカイボードを見ると、どうしてか胸の奥がザワザワする。スケボーによく似たデッキ、タイヤの代わりについた四つのプロペラ、デッキに積まれた軽量エンジン。何が面白いのかわからないのに、スカイボードに体が吸い寄せられるような感覚になる。


 実際に乗ったことはない。こうして自分の目でスカイボードを見ることが出来るようになったのは、ここ数ヶ月の話。それなのにどうしてかスカイボードを見ると懐かしい気持ちになって、「乗りたい」と強く思う。俺の中の何かが呼びかけるんだ。スカイボードに乗れって。


けいー! 気をつけて帰るんだよー!」

「わかってるにゃー!」


 それは、ありふれた高層マンションの一つだった。マンションの一階に作られた小さなお店。その入口での出来事。なんてことの無い店員と客の会話。なのに、不思議と耳をすませる俺がいる。


 聞き覚えのある声だった。聞いたことのある名前だった。遠くから見える姿に、なぜか懐かしさを感じる。あの人の声を聞くのも、姿を見るのも、今日が初めてのはずなのにな。気がつけば俺の足は、声の主に向かって歩き出していた。


あいつに伝えなきゃ』


 心臓の鼓動が少し早くなって、誰かの声が聞こえる。俺の体なのに、俺が俺でなくなるような奇妙な感覚がある。俺は何に懐かしさを感じているんだ。知らないことがもどかしい。


あいつにまた空を飛んでほしい』


 聞こえるはずのない声が、誰かの声が、どこからか聞こえてくる。だけどどんなに辺りを見回しても誰もいない。代わりに、心臓がドクンドクンと鼓動を速めて、その存在を主張してくる。


あいつのそばにいたい』


 うるさい、うるさい。心臓の拍動も、俺によく似た誰かの声も、全部うるさい。俺は俺で他の誰でもないのに。どうして他の誰かの意思が出てくるんだよ。俺が俺じゃないみたいだ。このまま心臓の主に負けるのはなんか嫌だ。


 知りたい。この違和感の正体を知りたい。心臓に刻まれた記憶を、誰かがやり残したことを、知りたい。その好奇心だけが俺を突き動かしている。違和感の正体を知れば、心臓の主に勝てる気がして。それが、全ての始まりだった。

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