第5話 思いに反して

 スカイボードの乗り方はそんなに複雑じゃないと、僕は思う。トリックだって、慣れちゃえば怖くないし、失敗するかもしれないって恐怖が逆にワクワクする。恐怖を乗り越えた先にある何かが、楽しい。


 アクセル、ブレーキを使った上昇下降の操作だけは手のひらにすっぽりと収まる小型のリモコンで行う。リモコンと言っても、かなり簡易的。昔流行った、長方形のテレビゲームのコントローラーを参考にしているらしい。


 アクセルとブレーキに一つずつ、色の違う丸いボタン。この二つのボタンを使って速度と高度を設定する。アクセルでプロペラを回転させれば、デッキは勝手に空に浮かんでいく。


 方向転換や前進後退は体重移動で出来る。進行方向に体重をかければ前進、左右に体を傾ければカーブ、進行方向と逆に体重をかければバック。体重移動だけで思うように動くスカイボードに乗るのは、すごく楽しい。


 上空で風を浴びる。頭上からギラギラ照らす太陽の熱と匂いは何物にも変えられない。プロペラの回る音を聞けば胸が高鳴るし、メンテナンスにどれほど時間を費やしても飽きることがない。スカイボードから見える景色は、他のどこから見る景色よりも綺麗で鮮やかだ。


 スカイボードには五個のジャイロスコープが搭載されていて、前後左右動かすのはそんなに難しくない。一昔前に流行ったらしいセグウェイと同じ原理だ。メンテナンスとかは複雑だけど。



 家から持ってきたスカイボードを床に置く。オレンジ色のデッキにそっと右足を乗せた。そのまま左足を乗せようとしたけど、左足は床にくっついたまま動いてくれない。足に重りがついたみたい。


 乗るのが怖いんじゃない。乗ろうとすると、あいつの顔が過ぎるだけ。僕は大丈夫って、自分に言い聞かせることしか出来ない。怖くない、怖くなかった。あいつが死ぬまでは、こんなに怖くなかったんだ、スカイボードに乗ることが。


「乗れる?」

「……大丈夫にゃ」

「無理しなくてもいいんだよ?」

「大丈夫にゃ」


 大丈夫なんて、嘘だった。大好きなスカイボードなのに。こんなにスカイボードに乗りたいのに。誰よりもスカイボードが大好きなのに。どんなに望んでも、体は思うように動いてはくれないんだ。


 目の前で落ちた幼馴染。あいつが死んだ日からしばらく、スカイボードに乗ってない。そのくせにメンテナンスだけはしっかりして。乗りたいって思ってるのに、乗れないし飛べなくて。


 視界に焼き付いて離れない。赤い血溜まりと不自然に折れ曲がったあいつの姿が、記憶から離れてくれないんだよ。


けい、無理しなくても――」

「大丈夫! ……大丈夫だから、ちょっと手を貸して欲しいにゃ」

「……わかった。肩を貸せばいい?」

「うん」


 つい声を荒らげたのは、僕が弱いから。声をかけた砂月のせいじゃない。声を荒らげて、なんでもないようにヘラヘラ笑う。そうやって自分を誤魔化すんだ。


 どうにか砂月の手を借りて左足ををスカイボードに乗せた。足の下には、頼るにはスカイボードのデッキがある。つま先でデッキをトントンと叩いてみたら、頼りがいのない軽い質感と音が聞こえてくる。


 スカイボードのリモコンは、いつだってポケットの中。すぐさまリモコンを取り出して手のひらに収めた。親指を使ってアクセルのボタンを長押しすれば、プロペラがゆっくりと回転を始める。


 プロペラの回転する音は聞き慣れていたはずなのに、今は物凄く恐ろしい音に聞こえる。これまでのプロペラ音がテンションの上がる音楽だとしたら、今のプロペラ音はまるで死神の忍び寄る足音みたい。


『助けて!』


 遠くから、あの日のあいつと同じ声が聞こえた気がして。一瞬、視界がぐにゃりと歪んだ。デッキが上がっていく浮遊感に恐怖を感じる。


 歪んだ視界が気味悪くて目を閉じる。耳から聞こえるのは、あいつの助けを呼ぶ声と不気味なプロペラ音だけ。僕の手から何かが抜き取られた。


「慧!」


 砂月の言葉で我に返る。目を開けるとそこは、見慣れた「サンドムーン」の店内試乗スペースだった。握っていたはずのリモコンは手の中から消えていて、僕のスカイボードは床に置かれたまま少しも浮いていない。


 状況を理解すると同時に温かい感触が僕の体を包み込む。


「乗るの、やめよっか」

「なんでにゃ?」

「いいから。慧、悪いことは言わない。やめよう。ゆっくり、昔の慧に戻っていこう」


 砂月が後ろから僕の体を抱きしめている。僕の胸元で組まれた砂月の両手。その中には、僕が持っていたはずのリモコンが握られている。


 今、僕、飛んだはずだよね。なんでリモコンを砂月が持っていて、スカイボードは浮いていないんだろう。僕は今、何をしたんだろう。


 状況がわからないまま砂月の方を見ると、砂月が小さく首を横に振って告げた。


「自分が何したのかわからない間は、あの事故を忘れられない間は、乗らない方がいいよ」


 砂月の表情と言葉が、僕の心を深く抉りとった――。

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