第9話 懐かしさを求めて
俺には奇妙な記憶がある。その場にいたはずがないのに断片的に覚えている、誰かの視点からの風景。「ドナーの記憶」なんて呼ばれているけど、実際は何一つ解明されていない。科学的根拠は何もない。
移植された人にすら、ドナーのことは教えてもらえない。どうしてもって粘れば年齢と血液型くらいは教えてくれる。だけどそれ以上は教えてくれない。普通ならそのまま、何の疑問も抱かずに、人並みの生活を送ろうとするんだろう。実際、そうやって生きてる人を何人も見てきた。
普通ならそのまま忘れるか、気にならない程度の違和感なのかもしれない。ドナーの記憶に鈍感なのかもしれないし、俺の心臓ほど何かを主張しないだけかもしれない。どうしてか、俺は忘れられなかった。ドナーの記憶と思われる「やり残したこと」に未練があるんだ。
手術前はスカイボードなんて知らなかった。
だから俺は、ドナーの記憶とやらを辿ってる。やり残したことを達成しないと落ち着かなくて。俺のために死んだ誰かへの罪滅ぼしのためにも、その「忘れ物」を終わらせてあげたくて。だって、その人は俺に心臓をくれることでその一生を終えたんだから。
「この店に何か用か?」
「なんかこの辺りの道を歩いていたら、初めてのはずなのに懐かしく感じちゃって。俺、慧選手みたいになるためにってスカイボードのお店探してたはずなのに」
「ここ、一応スカイボード専門店だぞ。慧選手御用達の、な」
嘘をついた。ドナーの記憶なんて、懐かしさを追い求めて散歩してるなんて、信じてもらえそうにないから。さっき慧選手を見た事も、なんとなく隠してしまう。「慧選手を見て懐かしく感じた」なんて言えない。
「お前、どこで慧を知ったんだ?」
「テレビ?」
「じゃ、そういうことにしといてやるよ。…………お前さ、慧のファンってことにして、この店に入らないか? 慧に会いたいなら、『慧にスカイボードを習いたい』とか『慧に弟子入りしたい』って理由の方が融通きくだろうし」
一瞬意味がわからなかった。慧選手は「サンドムーン」のオーナーの知り合いらしい。だとして、俺が慧選手にスカイボードを教わりたがっていると伝えて、何の意味があるんだろう。慧選手本人にならわかるけど、どうしてオーナーに伝えるんだ?
透き通った体の少年は、俺の表情で言いたいことを察したらしい。紫色の髪を搔き上げると、歯を見せて笑った。その姿が頼もしく感じるのは、どうしてだろう。
「この店、マイナーだけど慧の行きつけなんだよ。この地域では良くも悪くも知られてる。客は少ないけどな。で、オーナーも俺も慧の幼馴染。まぁ色々理由はあるけど、慧にまた空飛んでほしいのはみんな同じだからさ。多分、お前の姿を見たらオーナーは食いついてくるよ」
どうしてかは、聞かなくてもなんとなくわかる。俺が、この透き通った兄ちゃんと瓜二つだからだ。そして、慧選手が今飛んでいないのは何か理由があるらしいってこともなんとなく察した。慧選手が飛べなくなったきっかけにこの兄ちゃんが関わっているんだろう。きっと、俺の感じる懐かしさにも関わってる。
スカイボードになんて最初は興味なかった。だけど今は……乗りたい。慧選手に会いたい。慧選手にまた、空を飛んでほしい。慧選手に空を飛んでほしいって、俺の心臓も訴えてる。
本当は慧選手みたいになりたいんじゃない。違和感の正体を知りたいだけだ。スカイボードも慧選手も、心臓の感じた懐かしさを頼りに辿り着いただけ。でも、それでいい。
「一度だけ、慧に会ってほしい。そのあとは、好きにしろ。本当にスカイボードをやりたいなら……別の人、紹介してやるからさ」
「は?」
「どうしてここにたどり着いたのかは、今は聞かないでおいてやるよ。俺は、一度でいいから慧に会ってくれればそれでいいからな。……本当は何か違う理由があるんだろ?」
俺のついた嘘は呆気ないほど簡単に見透かされていた。俺のついた嘘を知った上で、慧選手に会ってほしいから深くは聞かない。この人は一体……。
「心臓に聞いてみな。これも何かの縁だ。一応名乗っといてやるか。……俺は、
すでに死んだ人間。その言葉が頭の中で、エコーのように何度も響いた――。
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