第2話 贖罪の少年
朝見た悪夢を消し去るために、少し乱雑に身支度をしてリビングに向かう。リビングと言っても、僕の部屋と廊下で繋がっているだけの、ただの共用スペースだ。
廊下に出ると、味噌汁の香りが漂ってきた。リビングの方へと耳をすませば、リビングに隣接する形で配置された台所から電子レンジのチンという音が聞こえてくる。
大丈夫。今日もいつも通りに振る舞えば大丈夫。そう言い聞かせて、ニッコリ笑顔を作る。
「
「響、おはようにゃ」
「ふふっ。ご飯、出来てるよ。今日はご飯のお供、何にする?」
「何があるにゃ?」
「うーんと……ふりかけが2種類、キムチ、海苔、醤油、漬物、があるかな」
「なら、僕ちんはキムチがいいにゃ」
「わかった。じゃあ、座って待ってて」
セミロングの茶髪をハーフアップに結いた響が、僕に気づいて笑顔を見せた。だけどその前髪の下に見えているのは、痛々しい眼帯。その姿をあまり見たくなくて、つい視線を逸らしてしまう。
僕が奪った左目。その痛々しい姿は間違いなく僕のせいで。だから僕は、響の病院に付き添うし、響には逆らえない。響のために生きて、響に尽くすことが僕なりの
眼帯で左目を覆った響が、ご飯と味噌汁とキムチを運んできた。響も僕と同じようにキムチでご飯を食べるらしい。無言のまま両手を合わせて「いただきます」と心の中で唱える。
「ねぇ、響。出発は何時の予定にゃ?」
わざとらしい、ちょっと高めの声。語尾に「にゃ」をつけた、ふざけた話し方。でも響も僕も、その口調について指摘することはない。これが僕達にとっての「当たり前」だから。
「10時に家を出る予定だよ。花屋さんにも行きたいから」
「もう、そんな時期なんだにゃ。了解にゃ」
「了解って……慧ちゃん、働かなくていいの?」
響の言葉にドキリとした。お金が無いわけじゃない。働き口がないわけじゃない。ただ、僕が弱いだけ。
僕の表情の変化に気づいたのかな。響の漆黒の目が僕を射抜く。右目しかないのに、その眼差しに負けそうになる。それくらい、右目の放つ眼差しは力強い。
「慧ちゃんの職業、なんだっけ?」
「……スカイボード、選手」
「今の貯金は?」
「まだ何百万か残ってるんじゃないかにゃ」
「じゃあ、その貯金が無くなるまで何もしないの?」
「そんなつもりは――」
「慧ちゃん、あの日を境に飛ばなくなったよね。スカイボードで空を飛ぶのが大好きだった慧ちゃんはどこに行ったの?」
響のまっすぐな眼差しが、言葉が、僕の心に突き刺さる。きっと響はそれを全部知った上で僕に言ってるんだ。
わかってるよ。でも、飛べない。ううん、飛びたくない。今は、昔みたいに楽しくは空を飛べない。スカイボードに乗りたくても乗れないんだ。そんなこと、響には言えないけど。
「まだあの日のこと、気にしてるの?」
響の言葉に僕は何も返せない。気にしてるのかって、気にするに決まってる。だってあの日、僕の目の前で人が墜落したんだ。しかも墜落した人は……。
「あの事故は慧ちゃんのせいじゃないでしょう?」
スカイボードのトリックに失敗した。運悪く非常用のパラシュートが開かなかった。傍から見ればただの運の悪い人だと思う。だけど、誰がなんと言おうと、あいつにスカイボードを教えたのは僕なんだ。
僕がスカイボードを教えなかったら、あいつはスカイボードで空を飛ばなかった。パラシュートの異常とかも、僕がもっとしっかり点検していたら気付けたかもしれない。
選手としてはあるまじき「たられば」を考えて、その度に悔やむ。あの日、僕が選択を間違えなかったら。そしたら今でもあいつは生きていて僕の隣で、響の隣で笑っていたはずなんだ。
「慧ちゃんのことだから、スカイボードを教えた自分のせいって思ってるんでしょ?」
その通り。僕はあの日からずっと自分を責め続けてる。あいつの月命日と響の通院日はいつだって一緒で。響に付き添う時は決まって憂鬱な気分になる。
僕に憧れてスカイボードを始める人なんて数えきれないほどいた。だけどあいつはそこら辺のファンと違った。あいつは、僕と響の幼馴染だったんだ。
僕のせいで人が一人死んだ。顔も名前も知らないファンじゃなくて、幼い頃から一緒にいた幼馴染が死んだ。僕がスカイボードをするでこれ以上誰かが傷つくのは見たくない。
「ねぇ、慧ちゃ――」
「安心するにゃ。響のことは僕ちんが責任を持って守るのにゃ」
「そういうことを言いたいんじゃ――」
「ちゃんとまた飛ぶにゃ。だから、安心してにゃ、響。それと僕ちん、ちょーっと用事思い出したから一旦部屋に戻るにゃ」
響の言いたいことを遮って、むりやり会話を打ち切る。わざとらしい話し方でヘラヘラするのが精一杯。これ以上響と会話をしたらボロが出そうで、急いで朝食を口にかき入れる。そして、食器を流し台に置いてから逃げるように部屋に閉じこもった。
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