第34話 伝えたくない想い

 キョートからトーキョーへの道は遠い。車で境界のギリギリまで移動して、そこから徒歩で移動。それでも、身を守りながら慎重に移動するとなると、一ヶ月くらいかかる。


 僕が十一歳の誕生日を迎えた日。僕と両親は、けいの両親――昴さんと光さんに守られて、トーキョーへの移動を始めた。境界のギリギリまで車で移動して、その日だけは宿に泊まる。その後はトーキョーまで野宿になる。この移動が、僕の全てを変えてしまった。



 トーキョーとキョートの間には、難所がある。現代では珍しい天然の森だ、西と東の境界にあるそれは、広範囲に渡って存在する。森を抜ければ、トーキョーに入るための関所がある。トーキョーまで後少しという位置にあるこの森が、旅人には難所になる。


 群生する常緑樹は身を隠すのに最適だ。自分達が身を隠すのはもちろん、犯罪者が身を隠すのも簡単。森の中は安全なように見えて、実は一番危険な場所だったりする。


 森の入口にさしかかった所で、昴さんが口を開いた。淡い水色の髪と額につけたゴーグルが太陽の光を優しく反射している。その隣で慧のお母様――光さんは真剣な顔をしている。


「ここから二手に分かれましょう。砂月様は僕と一緒に。お二方はそちらの光と一緒に。今晩から分かれて移動し、別々の経路でトーキョーを目指します」


 昴さんの言葉は、僕には死刑宣告と同じくらい重く響いた。


 キョートから森までは、特に何事も無かった。この広い森を抜ければトーキョー。関所まで向かえばあとは、トーキョーで暮らすだけ。なのに、どうしてこのタイミングで別れなければいけないのか、僕には理解できない。


「砂月」

「お母様?」

「……これから、寒くなるわ。このマフラーを首に巻きなさい」


 両親と別れることを昴さんに告げられると、お母様が僕にマフラーを差し出した。深緑色のマフラーは大きめに作られていて、今の僕には不格好だ。深緑色の毛糸を編んで作ったらしく、編目が少し不揃い。


「お母様。これ、大きいよ?」

「その方が長く使えるでしょ? さぁ、首に巻いて」


 そのマフラーは毛糸で作られたにしては少し重くて、ちょっと硬い。けれど首に巻き付けると、意外にもしっくりきた。


 お父様は神妙な顔で僕に近付いてきて、何かを手に握らせる。僕と同じコケシ頭が、少しだけ寂しく思えた。鼻筋の通った色白の顔は、僕じゃなくて僕の手元を見ている。


「何かあったら、これで身を守るんだ。大丈夫。砂月なら、大丈夫。……こんなことに巻き込んで、すまへんな」


 お父様から手渡されたのは、一本の短刀だ。柄も鞘もシンプルなデザインのそれは、掌に乗せられるとずしりと重い。その重さが、この短刀が本物であることを実感させる。


 お母様とお父様の餞別せんべつは、たった今用意されたものには思えないもの。特にお母様のくれたマフラーは、作るのに時間がかかると思う。もしかして、二人は僕と別れることを知っていた、のかな。スーっと背筋が寒くなるのを感じる。


「昴さん。子供の足で森を抜けるのには、どれくらいかかりますか?」

「大人でも警戒しながら一ヶ月かかるなで……長く見積って二ヶ月、といったところでしょうか」

「わかりました。二ヶ月、ですね。します」


 お父様の言葉に違和感を覚える。僕がトーキョーに行くまでの期間を聞いたのはどうしてなの。どうにかって、お父様は何をするつもりなの。僕の知らないところで何が起きてるの。


 誰もはっきりと言葉にしない。どうして僕と両親が別れる必要があるのかも。別行動になる両親が何をするかも。どうして昴さん以外のみんなが悲しそうな顔をしているのかも。


「大丈夫よ、砂月。離れ離れになっても、お母さん達は遠くから見守ってるから」

「何があっても振り返るんやないで、砂月」


 お母様もお父様の声に嫌な予感がした。お母様ともお父様とも、これで会えなくなるんじゃないかって。本当はお母様もお父様も、トーキョーには来ないんじゃないかって。


「ホンマに来るんよね。二人共、ホンマにトーキョー来るんよね? ……僕、待っとるから。ずっとずっと、お父様とお母様のこと、待っとるから。せやから……絶対にトーキョーに来てな? そんで、三人でトーキョーで暮らすんや。約束やで」


 嫌な予感をかき消すように言葉を紡ぐ。お父様とお母様が少し無理した笑顔を見せた。「約束や」と、お父様の口が動く。だけど、そんな二人の反応で、僕はなんとなく察してしまった。


「昴さん、行こ」


 気付いたけど、その答えを口にはしない。口にしちゃいけない。僕は、気付いていないフリをしなきゃいけない。だから、昴さんのことを急かす。そして両親に背を向けた。


 これ以上一緒にいたら、僕が答えに気付いたことを知られてしまう。僕は、表情が顔に出やすいから。


「待っとるよ。僕、いい子で待っとるで。せやから、はよトーキョーに来てな?」


 僕からの最後の言葉は、若干鼻声になった。もう後ろは振り返らない。泣き顔を見せたくなくて。昴さんの手を引っ張って森の中を歩いていく。両親と離れたせいか、森の中がすごく怖く思える。



 嫌な予感が的中したのは、僕達がバラバラになってから三ヶ月後のことだった――。

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