第9章 雛鳥は決意する

☆響

第42話 君に惹かれて

 けいちゃんが独りになった時、私は自分から進んで一緒に暮らすことを選んだ。慧ちゃんを独りにしちゃいけない。独りにしたら、慧ちゃんがいなくなっちゃう気がして。


 スカイボードの調整は慧ちゃんが怪我をしないために。ご飯を作るのも家事をするのも、慧ちゃんを死なせないために。私が好きなのは陽向君だった。だけど、陽向君と同じくらい、慧ちゃんも大切なんだ。


 慧ちゃんは優しいから、いつまでも昔のことを引きずってる。私が左目を失明したことに罪悪感を覚えて。罪滅ぼしのためにって、私を笑わせようとしたり私を守ろうとしたり。


 もう私のために生きなくていいよ。私のせいで自由に飛べないなら、飛ばなくていい。慧ちゃんは自分のために生きて欲しい。私ね、ずっと後悔してるんだよ?


 慧ちゃんから空を飛ぶための翼を奪ったのは、私なんじゃないかって。


 スカイボードを続けて欲しかったのは、慧ちゃんの走りを見たかったから。もっと慧ちゃんのそばにいたかったから。でもきっと半分くらいは……慧ちゃんからその翼を奪いたくなかったから。私の選択が逆に慧ちゃんを苦しめたかもしれないのにね。


「……お願いだからもう、自分のために生きてください。私を守らなくていいから。左目のことだって慧ちゃんのせいなんて思ったことないから。だから、もう私との約束を守らなくていいんだよ?」


 私の想いは、慧ちゃんにちゃんと届いたのかな?


「罪悪感なんかじゃない。僕は響が好きだ。今も昔も、響を笑わせたくて、響を守りたいって思ってる」


 久々に聞いた猫語じゃない慧ちゃんの言葉は、優しい響きを持っていた。いつかみたいな刺々しさはなくて。それが嬉しくて、気が付いたら私は、自分からその唇を奪いに行った。


 陽向君が死んでから気付いた。私は、慧ちゃんに死んで欲しくない。人生最後の日には、慧ちゃんと一緒にいたい。そう自覚してから、ずっとずっと、慧ちゃんが私を見てくれる日を待ってた。


 やっと私を見つけてくれたね、慧ちゃん。ずっとずっと待ってたよ。慧ちゃんが私を対等に見てくれる日を――。



 慧ちゃんはいつだって元気で、好奇心旺盛で。怖いことや難しいことに自分から挑んでいく。そんな人だった。私は、そんな慧ちゃんのことを影からそっと見守るだけ。


 淡い水色の髪、金色の瞳、猫みたいに掴みどころのない言動。スカイボードで名を上げるのもあっという間で、私には遠い存在に思えた。


 スカイボードを続けて欲しい。そう頼んだのは私。慧ちゃんの持つ自由奔放さを奪ってでもスカイボードに縛り付けたのは……罪悪感からでもいいから、私のそばにいてほしいから。


 スカイボードに乗る限り、慧ちゃんは私を忘れられない。スカイボードに乗る度に、私に怪我させたことを思い出すから。そして、その度に失敗しないようにと慎重な飛び方をするんだ。


「慧ちゃん、スカイボードを続けて! 辞めるなんて言わないでよ。私は、慧ちゃんが飛ぶ姿を見ていたい」

「わかったにゃ。響が望むなら、僕ちんはなんだってする。僕ちんが響を守るにゃ」


 私を笑わせようとして語尾に「にゃ」を付け始めた。一人称を「僕」から「僕ちん」に変えた。そして、スカイボードのプレイスタイルを変えた。それからだ、慧ちゃんが変わったのは。


 スカイボードに乗る時、目を輝かせなくなった。笑顔は真剣な顔に変わって、誰かを怪我させないことに細心の注意を払う。その窮屈な飛び方に、何度申し訳なく思っただろう。


 苦しんでるって知っていたのに、慧ちゃんに声をかけられなかったのは私が弱いから。約束を破棄したら、私のために飛ぶのを辞めるように言ったら、慧ちゃんが離れていくような気がして……結果的に縛り付けちゃったんだ。


 誰よりも自由だった慧ちゃん。その翼を奪ったのは私だ。慧ちゃんが私から奪ったと考えているものより、私が慧ちゃんから奪った物の方が大きい。そう思ってる。


『ねぇ、響。もう慧を解放しよう。もう一度飛びたがる慧に、響の架した鎖は重すぎる。もう、響のために空を飛ぶのは、やめさせようよ』


 翔君を紹介された日に砂月君から言われた言葉。それが今でも頭を過ぎる。私が縛りつけていたこと、砂月君はお見通しだったみたい。


 慧ちゃん、自由に飛ばなくなってから、飛ぶのが怖かったんだよね。いつか落ちて死ぬんじゃないかって。陽向君が死んでからは、次に死ぬのは自分じゃないかって。ずっと苦しんでたんだよね。気付かなくてごめん。


「飛ぶのが怖いなら、今度は私が守るから。私が、慧ちゃんを死なせないから。……今まで、縛り付けてごめんね、慧ちゃん」


 十年間言えずにいた言葉を紡ぐと、スッと体が軽くなった気がする。だけど気持ちに反して、顔は上手く笑顔を作れないの。どうしてかな。


「響は悪くないだろ。僕は、響が好きだから守りたかっただけだし。飛べなくなったのは、僕が弱いから。だから、響は悪くない」


 私の目の前で、綺麗な金色の瞳から数粒涙がこぼれ落ちる。だけどそれが見えたのは一瞬で。次の瞬間には私の視界が暗くなった――。

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