第43話 本音との遭遇

 急に視界が暗くなる。代わりに、心地いい温もりが優しく体を包み込んだ。耳元で聞こえる吐息に体が熱くなる。何をされたのかに気付くのに、少し時間がかかった。


 咽び泣く声がした。温かな液体が私の肩を少しずつ濡らしていく。背中に回された指は少しずつその力を増していく。密着しているせいかな。衣服越しなのに、けいちゃんの鼓動がやけにはっきりと聞こえる。


 今まで、ずっと堪えていたんだ。辛いことも苦しいことも悲しいことも、全部全部一人で我慢してたんだ。慧ちゃん、本当はずっと、こうして泣きたかったんだ。そして慧ちゃんが泣けなかったのは……私が弱かったからなんだ。


 慧ちゃんの背にそっと手を回した。そして、嗚咽する慧ちゃんの背中を優しく撫でる。でも理由は聞かない。慧ちゃんの口から言葉が出てくるまで、私はただ待つだけ。


「死んで欲しくなかった。陽向ひなたも、父ちゃんも、母ちゃんも。みんなみんな、死なないで欲しかった。本当は、泣きたかった」


 私も同じだよ。身近な人が死ぬのは嫌だよね。本当は泣きたかったよね。辛かったよね。


「スカイボードが怖かった。慎重に飛べば飛ぶほど、失敗して落ちた時のことを考えるようになったから」


 それは私のせいだよね。私が怪我したから、慎重に飛ぶようになったんだよね。もうトリックを失敗しないように、誰も怪我させないようにって。


「響を守りたくて。守るためには死にたくなくて。そう思ったらどんどん飛ぶのが怖くなって。……陽向が死んだら、次は僕かもって思って。そしたら、今まで以上に飛ぶのが怖くなって、飛べなくなった」


 誰だって死にたくないよ。陽向君もおじさんもスカイボードから転落して死んだもんね。次は自分もスカイボードから落ちるんじゃないかって、死ぬんじゃないかって、色んなこと考えちゃうよね。


「スカイボードに乗ると、陽向の声が聞こえるんだ。『助けて』って、僕に呼びかけてるんだ。その声が怖くて、あの日を思い出すと苦しくて……」

「泣いていいよ。慧ちゃん、私が左目を失明してから、一回も泣かなかったもんね。泣いていいんだよ? 私には、弱いところも見せてよ」


 背中に慧ちゃんの指が食い込んで少し痛い。駆け足な心拍は少しも速度を落とさない。今までヘラヘラした作り笑いで隠してきた慧ちゃんの闇は、こんなにも大きく深い。


 その涙を止めさせたのは私だ。無理に笑わせたのも私。守られてばっかりで、慧ちゃんの抱えていた本心に気付かなかった、向き合おうとしなかった。だから……私には、慧ちゃんの涙も痛みも受け止める義務がある。


「猫語をやめたら、弱いところが出そうで。毎日必死に、猫語と笑顔で心を殺してた。響に心配かけたくなくて、響を笑わせたくて」

「うん」

「本当の僕を見せたら嫌われそうで。本当の僕を見せるのが怖くて、ずっと隠してた」


 知ってるよ。そうかなって思ってた。おかしな話し方は、私を笑わせるため。ヘラヘラした作り笑いはみんなに心配をかけないため。だけど……作り笑いを見せる度に、不安になったんだよ。


 私が見たいのは無理してでも笑ってる作り笑いじゃないの。喜怒哀楽全部を見せる慧ちゃんが見たい。心から笑った時の、太陽みたいに眩しい笑顔を見たい。作り笑いじゃ意味ないんだよ?


「ずっと笑ってたら、他の感情をどう表したらいいのかわからなくなった。それを隠すためにまた笑って。笑えば笑うほど笑顔以外作れなくなって。負のループがずっと続くんだ」


 いつも笑ってるから、どうして笑ってるんだろうって思ってた。おじさんとおばさんが死んだ時も笑ってたっけ。おじさんの遺品を身につけて「似合うかにゃ?」って笑いかけて。


 あの時から壊れ始めてたんだ。笑う以外出来なくなってたんだ。そうまでして笑わせて、無理させて、慧ちゃんを壊して……私は迷惑しかかけてない。


「でも」


 慧ちゃんの顔が急に離れていく。明るくなった視界に映る見慣れた顔は、いつもより少し大人びて見える。


「響がいたから頑張れた。響がいなかったら多分、壊れてた。いつだって響は僕の、道標だった」


 私が慧ちゃんを壊したのに、どうしてそんなことを言うの? 私は、慧ちゃんを壊しただけ。道標じゃなくて、全ての元凶なのに。


「……こんな僕のそばに、これからもいてくれますか?」


 潤んだ金色の瞳で見つめられる。答えなんて、最初から決まってるのに。答える代わりに、私から慧ちゃんに抱きついた――。

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