第10章 新月は空を見るか

☆陽向

第46話 憂鬱な日常

 夏の熱気が少し落ち着いて、ちょっと涼しい風が吹き始めた頃。けいが響の呪縛から解放されたのか、翔にトリックを教え始めた。俺に教えた時と同じように、屋内練習からのスタートだ。


 いきなり空で練習したって落ちるのが目に見えてるからな。まずは室内で、床にマットを敷いた状態で数センチ浮いてみる。そしてその状態でトリックを練習するんだ。


 本格的な練習が始まった頃のこと。練習後に、翔が妙なことを響に切り出した。チラチラと横目で、同じ空間にいる俺の透き通った体を見ながら。


陽向ひなたに聞きたいこと、ある?」

「……たくさん、あるよ」

「そんなに?」

「うん。一年以上気付けなかった、陽向君の不自然な死に方について、色々聞きたいよ。『結果的に慧ちゃんを苦しめてなにをしたかったの?』って、問い詰めたいよ?」


 響の言葉がグサリと胸に突き刺さる。俺がスカイボードで空を飛んだことの不自然さに気付いたらしい。そらそうか。あの日、初めてスカイボードで空を飛んだからな。


 「結果的に慧を苦しめた」って言葉もその通りだし。事故死でもして俺の事をバッサリ諦めてもらおうと思ってけど、そう上手くいくはずもなく。目の前で転落したことが、余計に慧を傷つけた。


 本当は違う。事故死をして、「まだ生きてるかも」なんて淡い期待をしないでもらおうとした。帰ってこない人を待つのが一番苦しいから。慧達には、そんな思いさせたくなかったから。それが結果的にこんなに苦しめるハメになるなんて、俺は予想すらしてなかったんだ。


「だってよ?」

「……翔君?」

「あ、いや、ただの独り言。気にしないで」

「本当に? 何か隠してそうだなー」

「そんなことないって。あ、俺、砂月さんに呼ばれてたの忘れてた。サンドムーンに行ってきます」


 翔の馬鹿。響や慧に俺は見えないのに、響の目の前で俺の事をガン見するな。不自然だし怪しまれる。どんなに翔に見られても俺は、一番姿を見せたい奴の前に姿を見せられない。だから、困ったような目で俺を見つめるな。


 砂月でも翔でもない。俺は、慧の前に姿を現したかった。そしたら俺の口から話せる。俺があの日、スカイボードに乗っていたことも。どうしてあの死に方を選んだのかも。何もかも全部、俺の口から説明出来るのに。


 実体のないことがもどかしい。こんな体でこの世に残るくらいならいっそ、消えてしまいたい。触れない、見てもらえない、声も届かない。この状態で、何をしろって言うんだよ。


 小説に出てくる幽霊みたく怪奇現象を起こせるわけじゃない。慧の家とサンドムーンを何度行ったり来たりしても何も変わらない。このよのありとあらゆる物は体をすり抜けるし、人の体でさえすり抜ける。きっと、物語のように誰かに取りくことさえ、俺には出来ない。


 どうして俺はまだここにいるんだろう。翔と砂月にしか見つけてもらえないし声も届かないのに。慧に声も姿も届けられないのに。俺が一番謝るべきなのは、他の誰でもなく慧なのに。言葉を伝えたいのは、他の誰でもなく慧なのに。


「もどかしいな、この体」


 思わず独り言が口から飛び出す。


 デザイナーベビーとして、翔のスペアとして生まれて。翔に心臓を捧げるためだけに生きて、死んで。死んだ後は透き通った体のせいで思うようにいかなくて。なぁ、神様。本当にいるなら、あとどれくらい俺を縛りつければ気が済むのか、教えてくれよ。


 俺の「やり残したこと」が終わるまで、このままなのかよ。確かに未練残して死んだよ。本当は死にたくなんてなかった。もっと生きたかった。本当なら、今慧のそばにいるのは、翔じゃなくて俺だったのに。


 デザイナーベビーじゃなかったら、普通の子供として出会えたんだ。死なずに済んだ。俺との思い出があるせいで慧達が苦しむこともなかった。神様がいるなら言ってやりたい。あとどれくらい、俺を苦しめれば気が済むんだって。


 慧を怖がらせるつもりは無かった。慧が空を飛べなくなることも、一年以上も俺の事を引きずることも、想定外だった。俺はただ……。


「陽向君。慧ちゃんね、少しずつ、向き合い始めたよ」


 知ってるよ、響。俺はずっとそばにいるんだ。慧が変わり始めたこと、そばで見てるんだ。慧が空を飛ぶ恐怖に打ち勝とうとしてもがいてるのは、誰よりも知ってる。その相談を受けたの、一度や二度じゃないから。


 そっか。慧、響に言えたんだ。空を飛ぶのが怖いって。飛びたいけど、落ちるのが怖いって。思ってたこと、ちゃんと伝えられたのか。


「俺はもう、要らないかな」


 呟いたって誰にも聞こえないのに、声に出さずにはいられない。


 昔、慧の相談相手は俺だった。響に関することも、スカイボードを乗る上で感じていた恐怖も、ヘラヘラした笑顔の裏に隠している感情も。泣きこそしなかったけど、慧の相談相手は俺だったんだ。


 慧。お前は今、何を思ってる? もう笑顔の仮面は外したか?


 この声はもう、慧には届かない――。

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