第6章 満月は夢に気付けるか
☆翔
第25話 息苦しい日常
目を開ければそこにはいつだって同じ景色が広がっている。白いカーテン、白いベッド、白い壁と天井。鼻を突き刺す消毒液の匂い。俺の世界は狭く息苦しい、退屈なものだった。
発作が起きるから運動は禁止。定期的な診察は欠かせない。いつ何が起こるかわからないから、毎日を病室で過ごす。そして、薬を飲んで発作を予防する。
拡張型心筋症。それが俺の病名だった。生後数ヶ月で病気が見つかって、それ以来ずっと今みたいな生活だ。毎日病院で暮らしているのに、日に日に苦しくなって。院内学級を共に過ごした子は亡くなったり退院したりでずっと一緒にはいなくて。
ずっと外の世界に憧れていた。思う存分運動して、病院じゃなくて普通の家で暮らす。そんな、ありふれた日常に憧れていた。
思う存分走り回りたい。飛んだり跳ねたりしたい。色んな競技に挑戦したいし、人の手を借りずに移動したいし、階段の昇り降りもしてみたい。
温かなご飯を家族で囲みたい。薄味の病院食じゃなくて、お母さんの手料理が食べたい。ほかほか湯気の出る美味しそうなご飯が食べたい。
でも俺にはそんな、当たり前の日常すら求めるのは贅沢で。現実は、病室のベッドに縛られるだけの日々。何かに縛られて生きることの辛さが誰よりもよくわかるから、
『元々、十三歳になったら臓器移植のために死ぬはずだったんだ。それが、少し早まった。それだけだ』
俺がありふれた日常に憧れる裏側で苦しんでいる人がいるなんて知らなかった。俺の手術のために作られたデザイナーベビーがいたなんて知らなかった。知っていたら、こんな命……捨てていた。
目の前にいるのは、俺によく似た姿をした人。紫色の髪も琥珀色の目も顔つきも背丈も声音も、何もかもが同じ。まるで俺のクローンみたい。実際、デザイナーベビーとして作られたこの人は……遺伝的には俺のクローンなんだろうけど。
☆
退屈な日常を、変わらない日常を過ごし続けてどれくらいが過ぎただろう。院内学級の友達は、俺が生きている間に何人も入れ替わって、それまで仲良くしていた子について話すことがタブーになる。
去年の春、ついに心臓が限界を迎えた。薬を飲んで心不全を抑えていたけど、ついに薬が効かなくなった。
じっとしていても息苦しい。仰向けに寝るのが辛くて、どんなに落ち着かせようとしても呼吸は荒いまま。体の末端は青紫色、唇も紫色。たまに顔も紫色になる時がある。
補助人工心臓を使っても、良くて二年しかもたない。人工心臓を使ってる間に心筋がどれだけ良くなるかもわからない。そんな時に両親から言われたのは、俺の予想を超えた言葉だった。
「翔、心臓移植をしましょう」
「心臓、移植?」
「ドナーがね、見つかったのよ。翔に適合した、拒絶反応を起こしにくい心臓が」
「嘘だろ?」
「嘘じゃない。本当は、相手の子が十三歳になったら移植する予定だったんだけどね。そこまで待ってられないから……」
拡張型心筋症は医学の進んだ現代でも、最終手段は心臓移植だけ。発達した医学でも、補助人工心臓や薬物治療で心臓移植の時期を伸ばすことしか出来ない。けれど、心臓移植はそんな手軽なものじゃなかった。
臓器提供者は特例を除き十三歳以上でなければならない。心臓は脳死した人からしか提供されない。そして、俺と変わらない歳で脳死する人は限られている。いても、デザイナーベビーくらい。
デザイナーベビーは、臓器移植のためだけに作られた子供らしい。遺伝的にはクローンだけど、戸籍上は弟か妹になる。デザイナーベビーを用いた治療は成功率が高い代わりに高額治療で、保険も効かない。
それだけじゃない。脳死者が出たからといってその臓器が俺に合うかはわからないし、どんな心臓でもしばらくは薬を飲まなきゃいけないはず。それを知っていたからこそ、お母さんの言葉に疑問を持った。
手術する前から俺に合うかなんてわかるはずがない。こんな都合よく臓器提供者が現れるはずがない。なのに両親は口を揃えて言う。
「心臓移植すれば、もう苦しまなくていい」
「リハビリすれば、やりたかった運動も出来るようになる」
「今は手術の成功率も高いから心配するな」
俺は両親に導かれるまま、自分の幸運に感謝して手術を受けた。その臓器提供者が俺のためだけに作られたデザイナーベビーだったことも知らずに――。
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