第36話 それは一つの悲劇
何が起きたのか、すぐにはわからなかった。遊具にいる子供達は楽しそうに声を上げ、ベンチに座る老人達は何も気付かない。噴水は絶えず音を立てている。そんなありふれた光景の中で、それは起きた。
僕の真横には昴さんがいる。昴さんの腕が僕の首を守ろうとして、血を流していた。防ぎきれなかった刃物は、お母様がくれたマフラーによって動きを止めている。
僕の目の前には、見たことの無い人がいた。口元を黒いマスクで覆い、髪はオールバックに。いかにも現代の若者風のその人は、僕と首目掛けて刃物を振り下ろしてきた。
「い、いま……今、何が……」
僕が驚いている間にも、昴さんが左手首で刃物を受け止める。刃は皮膚に深々と刺さり、見てるだけで痛々しい。襲撃犯がわざとらしく舌打ちをする。
「仕込みマフラーかよ」
「あなた、何者ですか?」
「聞かれて答えるような馬鹿がこんな襲撃をするとでも?」
「……この方の正体を知っている、と。ならば、生かしておけませんね」
僕のマフラーが重たいのは、マフラーに細工がされているから。両親は死んでもまだ、僕のことをこうして護ってくれる。まるで、僕に「生きろ」と告げているかのように。
僕の隣では、昴さんの右手が小さく動いている。金色の瞳で襲撃犯を睨みつけながら、その右手は腰の辺りをまさぐる。カチリと小さな音が聞こえた。ロケットペンダントが胸の辺りで揺れる。
「僕が隙を作ります。その間に逃げてください」
耳元で囁かれた、昴さんの言葉。余裕そうな顔をしているけどその声は震えていた。体の影に隠された右手は、黒い何かを握っている。
『逃げるってどこへ?』
出かかった言葉をすんでのところで飲み込む。代わりに、お父様から託された短刀に手を伸ばす。器用に片手で鞘を抜けば、汚れ一つない綺麗な刃が姿を見せる。
お母様は仕込みマフラーをくれた。誰かに首を襲われても生き延びるように。お父様は短刀をくれた。きっと、こうやって誰かに襲われた時に戦えるように。生きるために戦う。それが最善の選択に思えたんだ。
けれど昴さんが小さく首を左右に振る。その右手が鋭く胸元に上げられた。右手で握っていた何かを両手で握り、微かに指を動かす。その刹那、耳が痛くなるような破裂音が公園に響いた。
昴さんが握っていたのは拳銃。銃弾が襲撃犯の胸を呆気なく貫通し、小さな穴を開ける。けれども、銃声と同時に襲撃犯の刃物が昴さんの首を切りつける。拳銃を握っていた昴さんは、その攻撃を防げない。
「動きますよ」
たった一発の銃弾で襲撃犯が地面に崩れ落ちる。その一瞬の隙に、昴さんが僕の手を引いた。
昴さんのネイビーのスカイボード。僕と昴さんはそれに乗って、すぐに上空へと逃げる。襲撃された場所に居続けることは危険だからだ。
だけど、スカイボードを操縦する昴さんの首からは絶えず血が流れている。流れた血は首を伝い、衣服に赤い染みを広げていく。このままじゃ良くないことくらい、僕にだってわかる。
「昴さん……」
僕が呼びかけると、昴さんが僕の手にスカイボードのリモコンを握らせてくる。その顔は青白く、強ばっている。額につけたゴーグルだけが、太陽の光を強く反射していた。
「……君が無事に生きられるように。このお守りをあげましょう。気休めかもしれませんが、きっと君を守ってくれます」
それは突然のことだった。僕にスカイボードのリモコンを託した昴さんは、それまで身につけていたロケットペンダントを外して僕の首にかける。微かな重みがマフラー越しに伝わってきた。
このロケットペンダントは、昴さんが大切にしてたもの。ロケットの部分には息子さん――慧の写真が納められている。家族写真を納めたそのロケットペンダントを、昴さんはいつも「お守り」と言っていたんだ。
「昴さん?」
「このお守りを持って、あの場所へ。しばらくすれば、新しい護衛官が迎えに来るはずです。慧も馬鹿じゃない。護衛官のことはわかるでしょう」
「そんな、最期みたいなこと――」
「僕は……そんなに長く、持ちそうに、ありません。僕の家の場所、わかりますか?」
少しずつ、昴さんの声が弱々しくなっていく。お守りを託したのも、リモコンを託したのも、目的地まで生きられるかわからないからで。だとしたら昴さんは……。
「わかるよ」
「よかった……。お守りは、いつか……必要なくなったら、慧に、渡して……くだ、さい」
僕は昴さんの家に行ったことがある。場所も知ってる。スカイボードに乗って一人で行くことも出来る。それを知ると、昴さんが小さく笑った。
淡い水色の髪が風に揺れる。金色の瞳が潤んでいるのはきっと気のせいじゃない。スカイボードの上でその体が前後左右にふらつく。
周囲に広がる青い空。ふらつく体がスカイボードの上で倒れ、そのまま地面に向かって落ちそうになる。咄嗟に手を掴もうとしたけど、伸ばした手は弾かれた。「掴むな」と言われている気がして、一瞬だけ手を引く。その一瞬が全てだった。
昴さんの体がスカイボードから地面に向かって頭から落ちていく。一瞬止めた手を再び伸ばしても、その体には届かない。昴さんの体は僕の目の前で、血を流しながら落下していく。それが、僕の見た昴さんの最期だった――。
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