第十話 風守 壱

のどかな農村の田園風景の中、晃志郎と堀田は歩いていく。

ちょうど田植えが終わったばかりのようで、水に満たされた田の稲は、まだまだひ弱な印象を受ける。

 日が頭の上にのぼり、昼時なのであろう。野良仕事を休み、畦で握り飯を食べている農民が、晃志郎たちの方を不思議そうに見ている。

 武家の晃志郎と、商人風の堀田が肩を並べて歩く姿は、異様に映るかもしれないが、『敵』に山道で姿を見られている以上、もはや取り繕っても無意味だ。

 集落の方へと歩いていく途中、そこから少し離れた山側に、一軒の家が見えた。

 みるからに倒壊しかかった廃屋で、藪に埋もれそうである。

「嫌な感じがする」

 晃志郎は、真昼の陽の光を浴びているにもかかわらず、薄暗いその家屋に眉を寄せた。

「……ありますね」

 堀田が小さい声で同意する。

「ちょっと、お尋ね申しますが」

 堀田は、握り飯を食らっている農夫に声をかけた。

「あちらは空き家ですか?」

「へい。もう随分と誰も住んでおりません」

「誰か出入りしたりはしていませんか?」

「いえ。近寄ると「たたる」ので、誰も寄りません。随分前から、お役人に何とかしてもらうようにはお願いしておりますが、いまだ、なんとも」

「たたる?」

 農夫は怯えた顔で頷いた。

「なにせ、二十年くらい前になりましょうか。あの家で、ひと死にがあったんですよ」

「ひと死に?」

「へい。あっしは小さかったので、あんまり詳しくはないンですがね。何人かがいっぺんに亡くなったらしいです。役人も来たようですが」

「役人も、ということは物取りとか?」

「さて。そのあたりは白金寺のご住職の方がお詳しいでしょう」

 堀田は礼を言って、晃志郎の方を向いた。

「行きたい、というお顔をしておられますね」

 にやり、と笑う。

「実成殿ほどじゃないが」

 晃志郎は笑みを返した。

「星蒼玉の気配があるのに、放置するわけにはいかん」

 廃屋は、民家の中ではかなり大きなものであった。

 ただし、すでに、柱は傾き、屋根はやぶれ放題である。

 家の周囲の草は伸び放題で、垣根として植えられていたであろう木がうっそうと生い茂り廃屋は今にも森に飲みこまれそうであった。

「ひどいな」

 晃志郎はまゆをひそめた。「たたる」と言われる原因が、しっかりとこの家にはある。

「不侵入(はいらず)の陣がある」

 晃志郎は、垣根を越えて草むらに入ると、身体全体に感じる違和感に気付いた。

「それより、深刻な呪術がありますね」

 先に足をすすめた堀田が眉をひそめた。

「虚冥がわずかに開いている。立ち入ると、呪詛がふりかかるようになっています」

「術者は、別人のようだ」

 晃志郎は辺りを見まわしながら、古びた家屋を見上げた。

「糸は、既に切れております。術だけが残っていますね」

 堀田はゆっくりと、小柄を抜いた。小柄の柄にキジが描かれている。

「照魔」

 家の軒下の土が淡く発光した。

「ご丁寧に、埋めてあるな」

 晃志郎は眉をひそめた。

「五つ玉の呪法だな。これは、面倒だ」

「さようで」

 晃志郎と堀田は手分けをして、家の周囲の土を掘り返し、穢れた星蒼玉の黒い石くれの回収をはじめた。

「中を見てくる」

 晃志郎は朽ち果てた家の傾いた戸を苦労して開いた。傾きかけた家の屋根は、ところどころ穴が開いているらしく、湿ったにおいがした。そして、僅かに残っている家具の上に埃が降り積もっている。

 あまりの埃に思わず手ぬぐいで、鼻と口を塞いだ。

「不侵入の陣は、解かぬほうがよさそうだな」

 晃志郎はひとりごちた。

 たとえ、虚冥を取り除いたところで、この廃屋は危険なことには変わりない。

 玄関を入ってすぐの台所は、それなりに大きなものだ。放置されたままの陶器の皿からみて、この家の住人がかなり裕福であったことが想像できる。

 分厚い埃の被った畳は、この家に何者も入らないでいる証拠だ。

 そして、常ならば、廃屋に住まうであろう生物の影もない。蜘蛛の巣ひとつないのである。

 腐った床板に注意しながら、晃志郎は家屋の中ほどの座敷で、淡い光を見つけた。

 床の間におかれた、立派な壺である。埃をかぶってはいたが、かなり高価なものであろう。

「基本に忠実なことで」

 晃志郎は呟いて、壺の中に手を伸ばし、黒い石くれをさぐりあてた。

 手のひらにのせた石くれは、血を吸って穢れている。

「さて、中はこれくらいか」

 晃志郎はため息をつき、もう一度、部屋の中を見まわす。

 薄暗い部屋は、雨漏りの形跡はあれど、ひとや獣に荒らされた気配はまったくない。家財道具は、家の大きさの割には多くない。ひとが複数住んでいた気配はある。

 ふと、埃をかぶった長持が目についた。

 埃をよけながら、ゆっくりとふたを開けると、産着と思われる小さな着物が入っていた。

「赤子もいたのか?」

 肌をヒリヒリと刺す虚冥の感触の中で、晃志郎は眉間にしわをよせる。

「そうだとしたら……嫌な話だ」

 外で名を呼ぶ堀田に応えながら、晃志郎は肩をすくめた。



「そろったな」

 中庭の草を引き抜き、露出させた大地に陣を描く。

「私がいたしましょう」

 堀田が、陣の中に、丁寧に黒い石を並べた。

 小柄を額に当て、瞼を閉じる。

「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」

 堀田は静かに九字を斬った。まばゆい光が生まれ、すうっと虚冥の気配が消えていく。

「さすがだな」

「糸の切れた術をやぶるのは、造作もない事です」

 清めた美しい星蒼玉を拾い上げ、堀田は微笑する。

「しかも、かなり効力は落ちております。とはいえ、放置するには危険なシロモノでしたが」

「そうだな。ひとが死んだというのは、完全に呪殺だろう……しかし、役人が来たというわりに、放置とは、訳ありだな」

 晃志郎は、廃屋となった家を見上げる。

「かなり裕福な人間が住んでいたようだが」

「ずいぶんと訳ありな、かおりがしますね」

 堀田が苦い顔で頷く。

「白金寺で、話を聞かねばなりませんね」

 晃志郎に、否はない。

「白金寺というのは、どんな寺か知っているのか?」

「あまり知りませんねえ。私もすべての寺社を把握しているわけではありませんし」

 堀田はそう言って苦笑した。

「金山家ゆかりといえば、虎金寺でしたが、昨今は、つながりを断っていたようですし、風守では、秋虎大社が封魔だけでなく、最近は魂鎮めも例外的に行っているという噂で、風守に大きな寺はないという印象です」

「虎金寺ね……」

 晃志郎はその名を小さく呟いた。

「和良比にある、虎金寺は、無宿人のたまり場のようになっていて……羅刹党のねぐらになっていた」

 賭場があり、数多くの無宿人たちが出入りしていた。そして、穢れた星蒼玉を加工する職人や術者が身を潜めていた場所だ。

「そうなのですか?」

「そこで、俺は死にかけた」

 晃志郎は苦笑した。

「初耳です」

 堀田は顔をしかめた。

「そんなことがあったのであれば、それもあわせて教えてもらわねば。そうでなくとも、私は和良比の情報に疎いのに」

 ふうっと堀田はため息をつく。

「まさか、そのこと、なつめさまはご存知ないということはないのでありましょう?」

「……ああ。知っているはずだ」

 晃志郎の言葉に、堀田は呆れたように首を振った。

「晃志郎さまほどのかたが、後れをとったという事件があったのであれば、一大事ではないですか! のんきに鳴上村などで、宿屋の親父などしている場合ではない」

「実成殿」

 晃志郎は苦笑を浮かべる。

「大げさだ」

「いえ、大げさではありません。そもそも、あなたがた姉弟は、無茶をしすぎるのです」

 堀田はそう決めつけた。

「俺はともかく、なつめは無茶だとは思う。だが、なつめへの不満を俺にぶつけられても困る」

 晃志郎はポンと堀田の肩を叩いた。堀田の顔は不服そうなままだ。

「……それに、実成殿が、鳴上村にいるのは、なつめの命ではなく、寺社奉行からの命であろう? おちつけ」

 晃志郎の言葉に、堀田は深く息を吐いた。

「とりあえず、白金寺に行ってみましょう。事情を知っているかもしれません」

「そうだな」

 天の日は、やや傾き始めていた。



 白金寺は、小さなこじんまりとした寺であった。

 小さいが、よく手入れされた境内には、子供らが遊び、鐘つき堂もある。

 豊かとは言い難いが、境内の空気は澄んでいて、地域の信仰を集めている寺だというのがよくわかった。

「封魔四門の赤羽と申すが、ご住職に話を聞けないだろうか?」

 晃志郎は、庭を掃き清めていた小僧に声をかけた。

「封魔四門!」

 小僧が目を丸くして大慌てで和尚を呼びに行くのをみて、晃志郎は苦笑いを浮かべた。

 四門の人間が訪ねてくるなど、平和な寺では、仰天な出来事なのであろう。

 小僧は、いったん奥へ引っ込んだのち、ふたりを座敷へと案内した。

「お、お待たせいたしました」

 慌てて白髭の好々爺といういでたちの坊主が、奥の襖をひらいて頭を下げた。慌てて袈裟をつけたのであろう、肩からずれている。

 晃志郎は少し申し訳ない気分になった。

「白金寺を預かる霊仙(りょうぜん)と申します。四門さまが、このような寺にどのようなご用件で?」

「申し訳ないですね、突然に」

 晃志郎は、安心させるように穏やかな笑みを浮かべた。

「実は、ここに来る途中に見た、廃屋のことで、お伺いしたいのですが」

 びくり、と霊仙の身体が動いた。カタカタと身体が震えている。

「ど、どのようなことでありましょう?」

 まるで、悪事を問い詰められるのを覚悟したかのように、霊仙は怯えた目で晃志郎を見ている。

「安心してください。不侵入の陣を張った、霊仙殿の判断は正しいと、俺も思います」

 ふうっと見るからに力が霊仙から抜けた。

「そのご様子では、役人に依頼されて、陣を張られたわけではないのですね?」

「……はい」

 霊仙はこくりと頷いた。

「あの家は、ずっと放置されておりまして、ひとが入ると危険なので、私の一存で陣を張りました」

「いつから、あのような状態に?」

 晃志郎の問いに、霊仙はため息をついた。

「二十年ほど前になりましょうか。あの家で、二人のひとが死にまして」

「ふたり?」

「はい。男性と女性が、ひとりずつです」

 霊仙は頷いてから言葉を紡ぐのを迷うように目をまたたかせた。

「あの家の呪術は来る途中に解いてきた。あなたから聞いたとは誰にも言いませんから、安心して下さい……死因は、呪殺ですね?」

 霊仙は意を決したように口を開く。

「はい。実は、遺体は引き取り手がなく、こちらで弔いました。その際、取り調べに訪れた役人に、地域住民が怯えるからという理由で、死因を口止めされました。それに、家屋に呪術が残っていることを指摘しましたが、手を出すなと言われまして」

家に施された呪術は、霊仙の力では払いきれないものであり、役人の言葉の裏に暗黙の『脅し』を感じて、霊仙はそのまま二人を弔ったらしい。長年の秘密を吐露できた霊仙は、ほっとしたように表情が和らいだ。

「あの家には、誰が住んでいたのですか?」

「よくは存じません。かなり裕福な女性が使用人と四人で暮らしていたようです」

「四人?」

「はい。亡くなったのは、使用人ふたりです。ちょっとお待ちを」

霊仙は坊主を呼び、古い帳面を持って来させた。

「ああ、ありました」

 おそらくは日誌と思われる帳面をめくりながら、霊仙は指をさした。

 日付は、二十二年前の夏だ。『亀蔵、よね』という名が記されている。いずれも齢五十となっている。

「名前は、役人に聞きました。年は推定ですね」

 近所づきあいがほとんどなかったらしく、親しいものもいなかったので、確かめるすべもなかったらしい。遺体は無縁仏として埋葬されたとある。

「あとのふたりは?」

 晃志郎の問いに、霊仙は首を振った。

「事件がある数日前、夕方、籠があの家に入っていくのを見ましたので、主人の女性は事件の時、既にいなかったかもしれません」

 霊仙は記憶をたどるように顎に手を当て、髭をなでる。

「もうひとり女性の使用人、主に買い出し等を担当していたのはその女だったのですが……その女性もどうなったかはわかりません」

 霊仙はいくぶん目を細めた。

「役人は、彼女を疑っていたようですが、呪殺などという恐ろしいことをできるようなひとではありませんでした……ご無事であれば良いのですが。生きていおれば四十半ばでありましょう……おおそういえば」

 霊仙ははたと、膝をうつ。

「拙僧は仏像も彫っておるのですが、彼女に頼まれたことがございました」

「仏像?」

「はい。木彫りの小さな観音像ですよ」

 言いながら、霊仙は思い出したように先ほどの帳面を繰り、ぴたりと指を止めた。

「そうだ。ここにありますよ。須美、須美さんという名であった」

「須美?」

 晃志郎の胸がどくりと音を立てた。


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