第六話 熊田屋 中編
「沙夜が世話になったそうで、礼を申す」
案内された客間で、源内と若い男が晃志郎を待っていた。
「一献つけましょうね」と言って出ていった中年女性は、沙夜の母であろうか。面差しが似ていた。
「これは、沙夜の兄の
「赤羽晃志郎です。お言葉に甘え、お邪魔致しました」
「噂は聞いている。凄腕の封魔士だそうだな」
にやりと龍之介は笑った。精悍で意志の強そうな面立ち。齢は晃志郎と同じくらいであろう。女どもが騒ぎそうな好青年であるが、男から見ても、嫌味な感じがない。
「所詮、日銭稼ぎの何でも屋です。本職の水内家のかたにそんな風に言われると、どんな顔をしたらよいか悩みます」
ふすまがすうっと開いて、沙夜がお膳を手に入ってきた。
「何もございませんが……」
あぶった魚の干物に、青菜のお浸しがそえられている。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
「それで、沙夜を襲ったというのは、どのような輩だったのかの?」
源内は酒に手を伸ばしながら問うた。
「浪人が五人。様子から見て、誰かの指図を受けてのことだと思います。剣の腕はそれほどではありませんでしたが、煙玉を使いました」
晃志郎は沙夜に目をやった。沙夜は静かにお膳を整えると、すっと部屋の隅に座り、話を聞いている。
「水内さまの名を出しましたが、ひるむ様子はありませんでした。沙夜さまと知っていて、襲ったのだと思います」
「なるほどな」
源内と龍之介は顔を見合わせた。
「心当たりはおありになるのですか?」
晃志郎の問いに龍之介は苦笑した。
「あるといえば、ある。ないと言えばない」
ふう、とため息をつく。
「祖父も父も俺も役目がら、恨みを買いやすい。水内家のどこを恨んでいるのか、正直見当がつかん」
「今日、沙夜さまが湖龍寺に行かれたのは?」
「ああ。沙夜は寺で
「魂鎮め……」
虚冥に堕ちる強い執着や憎悪を力で散らす封魔の技ではなく、静かな祈りで想いの浄化を促す技のことで、封魔の技より広く使われている。特に武家の娘は魂鎮めの技を習得することが、花嫁修業のひとつでもある。
たいていの場合は形だけではあるが、十回ほど寺を訪れ、呪具を作り、祈り方を学ぶ。
晃志郎はそっと座っている沙夜を見た。
魂鎮めの修行がすめば、縁談に不自由することもなく、あっという間にどこぞの名家に嫁するに違いない。
「沙夜が本日、寺に行くことはかなりの人数の人間が知っておる。犯人を特定するのは難しい」
龍之介が首を振った。
「お家におうらみの線もあるでしょうが、沙夜さま自身が目的という可能性もあるのでは?」
晃志郎の言葉に沙夜は目を丸くした。
「私、ですか?」
「沙夜さまはお美しいですから」
お世辞でなく、本当にそう思う。美しい花を手折って自分のものにしたいと考える輩がいても不思議はない。
「まあ」
晃志郎は淡々と事実を述べたに過ぎなかったが、沙夜は顔を赤くしてうつむいた。
「しかし、そうだとするとますますわからん」
龍之介は眉をしかめた。
「沙夜はあと九回、寺に行かねばならぬ」
寺に行く日は十日に一度と決められていて、日付を変えることはよほどのことがない限りできない。術具の完成度を落とすことになりかねないからだ。そのことは襲撃者もよく知っていると思われた。
「駕籠を使われるか、護衛をお付けになるかなさったほうがよろしいかもしれませんね」
晃志郎がそういうと、源内と龍之介は顔を見合わせ、考え込んだ。
「お熱いうちにどうぞ」
ふすまがすうっと開いて、先ほどの中年女性が入ってきた。
「しおりさん、すまないね」
源内が熱燗を受け取ると嬉しそうに礼を述べる。
「赤羽さま、どうぞごゆっくりなさっていってくださいな」
にこやかに微笑むと、女性は沙夜に一緒に下がるように目くばせした。沙夜は晃志郎に一礼すると、そっと退出していった。
「沙夜のことは、父上にも相談するとして、だ。赤羽どの、今、ほかに仕事がなければ、少し手伝ってもらいたいのだが」
龍之介が真剣なまなざしで切り出す。
「どのような?」
「例の絵師を追っているが、どうにもうまくいかん」
「鳩屋の件ですね」
晃志郎は気まずい気持ちになった。
「俺がでしゃばらず、水内さまにお任せすべきだったかもしれません」
依頼された仕事は果たしたとは思う。だが、肝心な呪術者は逃げた。片手落ちと言われても仕方ない。
「過ぎたことは仕方ない。悪いとは思ったが、赤羽どののことも、調べさせてもらった」
龍之介は盃を傾けながらにやりと笑った。
「
少し褒められすぎな気がして、晃志郎は頭を掻いた。
「そうそう。『後家殺し』だとも聞いた」
「はあ?」
「赤羽殿に、仕事を頼んだ後家さんはみんな赤羽どのにゾッコンらしいぞ」
面白そうに龍之介は笑った。
「待ってください。誤解です」
晃志郎は耳まで熱くなるのを自覚した。
「確かに後家さん相手の仕事が多いのは事実ですが、客に手を出してなどいません」
くっくっと、龍之介と源内が笑った。
「そこじゃ、その生真面目さじゃの」
「風来坊のようななりをしておるのに、妙に礼儀正しく、品があり、目元涼やかで貴公子のようだと評判だ」
「やめてください。客に手を出すなどと妙な噂が立ったりしては信用にかかわります。誰ですか? そんなことを言う輩は」
晃志郎はむっとした。
「口入屋の手代だよ。モテるくせに、女に興味がないのかと思うくらい、奥手だとも言っておったぞ」
「善太だな。あのヤロー」
晃志郎はやけになって、盃をあおった。
「まあ、締め上げるのはやめてくれ。本人は褒めちぎっていたつもりらしいから」
龍之介は面白そうに笑う。
「実際、赤羽殿に今日会って、得心がいった。女どもが騒ぐのも無理はない」
言いながら、龍之介はポンと晃志郎の肩をたたく。
「冗談はやめてください」
晃志郎は迷惑そうにそう言った。
「俺などより、水内さまのほうがよほどおモテになるでしょう」
どう見てもボロをまとった浪人姿の晃志郎より、パリッとした若侍の龍之介のほうが貴公子の名に相応しい。
「ま、それは置いておくとしてだ。明日、熊田屋に行く。付き合わぬか?」
龍之介は、真顔になった。
「例の若旦那ですか?」
「まだ、病といって床に伏しているらしいが、
「封魔四門」
和良比の市民達を魔から守るのは封魔奉行の役目であるが、封魔四門というのは、奉行の手に余る巨悪や、和良比に留まらず、この
「龍之介は、四門の探索方におっての」
源内が横から口をはさむ。晃志郎は頷いた。封魔奉行の息子が四門に所属していても何の不思議もない。将来、奉行職を継ぐならなおのこと、和良比市内の事件にとどまらぬ四門で見識を深めるにこしたことはないのだ。
「親父が、手を焼いて四門に投げてよこした。夢鳥という絵師、どこに潜ったか、さっぱりわからんそうだ」
「お奉行でも、御無理でしたか……」
「赤羽殿の反転の術が見事であったのは、残った痕跡からもわかったのだが、そこから逃げた夢鳥は、恐ろしいとしか言いようがない」
龍之介は首を振った。
「それほどの術者を野放しにはできん。手を貸してほしい」
「しかし……」
「実際に対峙したのは赤羽殿だ。単純に残った痕跡だけ追う我らとは違う感触をつかめるやもしれぬ」
暗い鋭い目をした若い男。反転の技で返した力は相手を捕えることなく霧散した。
「俺は、一度、惨敗しております」
苦々しく晃志郎は応えた。
「次は、ひとりではない」
力強く龍之介が言い切った。
「もちろん、ただでとは言わん。助太刀とはいえ、四門の仕事だ。つまらぬ用心棒をしているより、賃金は出るぞ」
「俺を手伝いにというのは、水内さまのご判断ですか?」
「いや、探索方の目付、
言いながら龍之介はにやりと笑った。
「職を欲しがる浪人なら、すぐにも我が家におとないを入れただろうが、赤羽殿はいっこうに訪れぬ。おかげで手をまわしていろいろ調べる羽目になった」
晃志郎は何と言って良いかわからず、肩をすくめた。
「ようやく住居を確認して、人となりもつかめたところで、そちらのほうから来てくれたというわけだ」
「しかし、浪人の身で探索に加わったりしたら、ご迷惑をおかけするかもしれません」
「四門は密偵を生業とする者も多い。浪人のなりの人間が混じったところで、違和感はさほどない」
龍之介の誘いは熱を帯びる。晃志郎は天井を仰いだ。逃がした呪術者への口惜しさと、仕事への責任感。そのすべてを無視して断ることは難しい。即答できないのは、未だ見えぬ自分の求める道が、閉ざされるような不安を感じるからだ。
「あの、おかわりをお持ちしました」
沙夜の柔らかい声がして、ふすまが開いた。
一礼して、銚子を取り換える。
「沙夜、お前からも赤羽殿に俺の手伝いをしてくれないかと言い添えてくれ」
びっくりしたように沙夜が晃志郎を見る。黒い大きな眸に見つめられ、晃志郎は思わず目をそむけた。
「兄が何をお願いしたかは存じませんが、意に染まぬことでしたら、遠慮なくお断りください」
そういって、沙夜は静かに頭を下げた。
「……」
「おい、沙夜……」
言葉に詰まった晃志郎を、ひたと見つめ、沙夜は微笑む。
「ただ。もしお断りになることで、ひとかけらでも心が残るようなお仕事でしたら、ぜひ、兄をお助け下さいませ」
胸の奥の迷いを見透かされ、晃志郎は苦笑した。
「沙夜さまには、敵いませんね」
もとより、乗りかかった船である。
「お受けいたします」
龍之介はほっとしたようにうなずくと、事務的な話を始めた。
材木問屋『熊田屋』は、かなり大きな店であった。和良比の西側では知らぬ者がおらぬほどだ。
待ち合わせ場所で、晃志郎は、龍之介に、
しかし、晃志郎としても、「今回だけの助っ人」という気楽さもあったから、特に反感も感じなかった。
龍之介は、土屋の不躾な態度に眉をひそめたものの特に何も言わずに、『熊田屋』の暖簾をくぐった。
店内は、明らかに澱んだ空気に覆われている。
「平太殿にお会いしたい」
龍之介は、番頭に声をかけた。あらかじめ来ると告げていたこともあり、三人は、何事もなく奥の住居へと案内された。
まだ若い番頭の案内で、うぐいす張りの廊下を歩いていく。風邪を引いているのであろうか。番頭は、時折、苦しそうに咳をした。
豪商の名に相応しく、奉公人も多い。活気あふれると表現すべき光景なのに、どこか重々しい。
「これは……かなりマズイ」
晃志郎は思わず口に出す。廊下を歩くたびに、足の裏がチリチリと痛む。
土屋が晃志郎を睨む。迂闊だと言いたいのだろう。
しかし、だ。
「番頭さん。若旦那の他に、体調を崩しているものはおりますか?」
「へぇ。最近は、旦那様も、奥様も伏せりがちです」
ポツリ、と番頭がこぼす。
「あなたは?」
晃志郎の問いに、番頭は頭を掻いた。
「私も、風邪気味でして。申し訳ありません」
「あなたは、住み込みですか?」
「いえ。私は、
晃志郎は眉をひそめ、龍之介を見やった。
「平太は、意識はあるのだな?」
龍之介は番頭に確認する。
「一応、ご自身でお食事等はできますが、夢うつつと言った感じです。お医者様にもおいで頂いておりますが……」
番頭の表情が曇る。悪夢に苛まれ、床に伏せっている若旦那を心から案じているようだ。
その様子に、晃志郎はホッとした。このような者が傍にいるのであれば、平太は立ち直れる可能性がある。
もとをただせば、平太を苛む悪夢は、晃志郎が還したものだ。
自業自得とはいえ、この状況に責任がないとはいえない。
「こちらです」
番頭は、襖の前で立ち止まった。
「若旦那さま、お客様をお連れしました」
声をかけるも、返事はない。返事はないが、気配はある。
「開けろ」
龍之介が、番頭に命じた。
番頭は、遠慮がちに襖をついっと開いていく。
昼間だというのに、部屋は閉め切られ、闇が淀んでいるように漂っていた。部屋の中央には、目を開けたまま、仰向けに布団に寝ている若い男。壁には、鳩屋のおあきと思われる女性の姿が描かれた絵があった。
「入るな」
部屋に進み出ようとした番頭を龍之介は、後ろに下がらせた。
「土屋、結界を張れるか」
「はい」
龍之介の言葉に頷くと、土屋は袂から扇子を出した。
ひらり、と扇子を開くと、赤銅色の光の粉がこぼれ出る。こぼれ出た粉が、壁に溶け込むように消えていく。
「あっ」
結界が帯となって張られていった瞬間、グワっと平太が跳ね起きた。
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