第十五話 穢れだまり 参

 青坂町の亀甲長屋に行き九兵衛の女房に会い、再び藪裏町に戻ったころには、すでに昼を回っていた。

 晃志郎が住む長屋より、すこしだけ賑やかな場所にある彫り物屋は、なかなかに大きいものであった。

 親方の名前は太兵衛たへい。声が大きく、体格が大きく怒りっぽいため誤解されがちではあるが、面倒見も良く腕が良いと評判である。

 近所の評判も、版元の評判も悪くない。弟子は九兵衛をふくめて五人。

 九兵衛に話を聞きたいと龍之介が御用の向きを伝えると、太兵衛は「手短にしてくれ」と言いながら、九兵衛を呼んだ。

 急ぎの仕事が入っているンだ、とぼやきの声を隠そうともしない。馬鹿正直な職人気質な性質が見て取れた。

「あっしに、四門さまが何の御用で?」

 いくぶん不安に顔を曇らせながら、九兵衛は仕事場から外へと出てきた。

 ひょろりとした三十くらいの男だ。男のわりに、いささか顔が白いのは、部屋仕事の職人であるからだろう。

「いや、ほんの少し、昔語りをしてもらいたいだけだ」

 龍之介は、安心させるように、通りの向こうに見える小さな茶屋を指さす。

 仕事場からは大きな太兵衛の声がとんでいる。

 どうやら、若い弟子が九兵衛の様子に気を取られて、仕事の手が止まったようだ。

 ――厳しい親父という評判は、本当のようだ。

 晃志郎はくすりと笑いがこみあげる。

 九兵衛は不安そうな顔で、職場のほうを振り返る。四門に呼ばれたという不安も当然であるが、職場を抜けるという後ろめたさも大きいのだろう。

「茶と、団子をみっつ頼む」

 茶屋の毛氈の敷かれた椅子に座り、龍之介は娘にそういうと、九兵衛にも座るように言った。

 晃志郎は二人とは離れた位置にある椅子に座る。

「話というのは、鳴上村にいた道中奉行の役人だった北浦親子のことだ」

「北浦さま?」

 九兵衛は首をかしげる。

「女房は須美、お蝶と栄治郎という子が二人いた」

 龍之介の言葉に、ようやくに思い出したらしく九兵衛は頷いた。

「村にいたころの北浦家の様子はどんなふうだっただろうか?」

 晃志郎の質問に、九兵衛は記憶をたどるように目を細めた。

「あっしはまだ、若かったですし、かといって、お蝶ちゃんたちと遊ぶ年齢でもありませんでしたから、あまり詳しくは覚えてはいないのですが。そうですね、北浦さまには、和良比のことについてよく教えていただきました。あっしは、十五から和良比に出稼ぎに来るようになったのですが、こっちに来るとき口入屋を紹介してもらいました」

「口入屋?」

「へい。最初は季節雇いの人足をしていたもので。行平町の尾長屋(おながや)さんですよ。武家、商家両方に顔が利くお店で。今の仕事もそちらで紹介していただきやした」

「尾長屋というのは、北浦と親しかったのか?」

 龍之介の問いに、九兵衛は「おそらくは」と答えた。

「道中奉行のお仕事というのは、時に臨時雇いの人足を都合する必要がおありとかで、懇意になさっていたようです」

「ほほう」

 龍之介は目を細めた。

「北浦がなくなったことは、知っていたかね?」

 九兵衛は頷いた。

「尾長屋さんのご主人から聞きました。なんでも事故死だったとか。おこさまは二人とも親類の家に引き取られたと」

「……その後、お蝶と、栄治郎に会ったことは?」

 茶屋の娘がお茶と団子を運んできて、九兵衛と龍之介、そして晃志郎の手元へと置いていった。

 九兵衛は遠慮がちに、団子のくしに手を伸ばした。

「栄治郎……さんには会いました。冬、でした。宝千寺の市で声をかけて下すったのですが、あまり現状を話したくない様子でした。まあ、随分と荒んだ感じがしましたので、私も少しだけ話して、すぐ別れたのですが」

 九兵衛の言葉に嘘はないのだろう。

 懐かしさのあまりに声をかけたものの、姉が身売りをし、用心棒のような稼業で食いつないでいた栄治郎にとって、身の上話をする気分にはなれなかったに違いない。

 また、九兵衛も、明らかに風体の悪くなった昔馴染みと語らう気になれないことは自然なことだ。

「あれほど真面目な北浦さまのお子さんが、あのようになられてしまうとは、本当にびっくりでございました」

「須美という女房はどんな女性だった?」

 晃志郎は、九兵衛の感慨に付き合わずに、質問を続けた。

「賢そうな方でしたよ。厳しいひとでした。ただ、人付き合いはあまり良い方ではなかったと記憶しております」

「……そうか」

 龍之介はあえて、栄治郎とお蝶の死については何も言わず、お茶を飲みほし立ち上がった。

「店主、お代はここに置いておく。九兵衛、ありがとうよ」

 晃志郎も、龍之介に続いて立ち上がると、九兵衛が慌てて団子をほおばった。

「団子は、ゆっくり食べて行け。仕事中、悪かったな」

「へ、へい」

 頭を下げる九兵衛にそう告げて、二人は茶店を出た。

「行平町か……」

「すぐ、そこですね」

 藪裏町と行平町は目と鼻の先だ。

「今日は、行ったり来たりだな」

 ふうっと龍之介が息を吐く。

「進展があっただけ、マシですよ」

 晃志郎に、龍之介は頷いた。

 すべての糸が突然切れてしまうということだって、珍しくない仕事なのである。

「尾長屋を知っているか?」

「名前くらいは」

 行平町の『尾長屋』は、それなりに老舗で、評判も悪くない口入屋だ。

「俺は一度も使ったことはないですが、手広くしかも堅実な仕事をあっせんしてくれるという話ですね」

 もっとも、『堅実な仕事』が多いゆえに、晃志郎はあまり縁がなかったとも言える。

 封魔の仕事は、基本とびこみ仕事で、堅実とはいいがたいからだ。

 尾長屋ののれんをくぐると、番頭と思しき男が頭を下げた。店は、それなりに賑わっているようだった。

 ご用のむきで、主人と話したいというと、奥の座敷へと案内された。表で役人と話すのは、商いの邪魔になるという判断であろう。

 ほどなくして。

 案内された部屋に入ってきた尾長屋の主人は、五十くらいに見えた。白いものが混じるその髪に反して、背筋はピンとして、足腰はしっかりしている。

 肌つやも悪くなく、その所作すべてに几帳面さが感じられた。

 評判どおりの、誠実な商売をしていると感じられる風体であった。

「四門さまが、どういったご用向きで?」

「北浦誠治郎について聞きたい」

 龍之介の言葉に、尾長屋は首をかしげた。

「道中奉行の同心だった北浦をご存知とうかがいました」

 晃志郎が横から口をはさむ。

 ほんの少しの間をおいてから、尾長屋はポンと手を打った。

「ああ、北浦さま。これまたずいぶんと、懐かしいお名前ですな」

 尾長屋はそういいながら、お茶を持ってきた手代と少し言葉を交わして龍之介と晃志郎に向き直った。

 二人との話に時間がかかると判断しての、言伝なのかもしれない。

「北浦さまがお亡くなりになって、もう十年以上になりますか。一体、何をお知りになりたいと?」

 尾長屋は、ふうっと息を吐いた。北浦の名を聞いて、尾長屋は、四門が訪れたことに得心がいったようだ。緊張を帯びていた目が、ほんの少しだけ和らいで見える。

「そうですね、知り合われたきっかけなどは?」

「……もう二十年以上まえになりますか。和良比にまだ勤務されていた折、よく人足をご紹介させてもらいました。愛想のいい方とはいいがたいお人でしたが、非常にまじめで、誠実な方でした」

 尾長屋の話は、鳴上村での鈴木の話とも違和感がない。北浦というのは、人付き合いこそ良くはないが、実直な男であったのであろう。

「道中奉行をやめてからのことは、知っているか?」

「さあて。詳しくは」

 尾長屋は苦い顔をした。

「こちらにお戻りになられたのが、亡くなられる一年ほど前でしたかね。仕事を何回かご紹介させていただきましたが」

「仕事?」

「……はい。もっとも、仕官というわけではなく、本当に日雇い仕事や季節雇いのような仕事でして。お子様も二人いらっしゃったのに、どうも定職に就くというおつもりはなかったように見受けられました」

「女房は一緒ではなかったかね?」

「いえ……お伺いしたところ、森木陀しんきだのほうで亡くなったらしいです。私は一度もお会いしたことはありませんでしたが」

「森木陀」

 晃志郎と龍之介は顔を見合わせた。

 とすれば。須美たちが向かったのは、風守でなく、森木陀だったのかもしれない。

「住まいは?」

「俵町でした……場所は」言いながら、尾長屋は、手代を呼んで、帳面をとりにいかせた。仕事をあっせんしたときに、住まいは必ず記録しているらしい。

 晃志郎と龍之介は、北浦の影にようやく追いついたような気がした。

「定職に就く気がないと思った理由は?」

 手代が戻ってくるのを待たずに、龍之介は問う。

「北浦さまは、算術も得意でいらっしゃいましたから、前の同心というお役目は無理にしても、お役所勤めを願い出れば、仕官先は必ずおありになったと思います。実際、寺社奉行の臨時雇いに行かれた際、仕官の話があったそうで」

「……それを、蹴ったと?」

「はい。しかし、そうおっしゃったのは北浦さまではなく、寺社奉行所の片桐(かたぎり)さまですから……その臨時雇いのお仕事をお受けになっていた時に、事故にあわれましたので、本当のところはわかりませんが」

「臨時雇いとはどのような?」

「さて。お役目の内容までは、私は存じません。お寺社のほうからは、和良比および周辺の地理に詳しい人材を紹介してほしいというお話でしたので」

「地理?」

 道中奉行同心出身であれば、地理に詳しいのは自明の理だ。

 北浦が虎金寺の近くでなくなったことも考えて、寺社奉行所の役目で周辺にいたとも考えられる。

「北浦が亡くなった時のことで、知っていることはないか?」

「詳しいことは存じませんが……実は弔いのほうには、顔を出させていただきました。喪主は北浦さまのご親族の方がなさいましたねえ。ただ、参列はご近所の方がおいでになったくらいで、寂しいものでしたね。まだ小さい娘さんと息子さんが、随分気丈な様子だったのを覚えております」

「弔いはどちらで?」

「宝千寺ですよ」

 尾長屋はふーっと息を吐いた。

「実は、言いにくいことでありますが、北浦さまがお亡くなりになって二年ほどたった時、お嬢様が突然、訪ねてこられまして、ご相談を受けたことがございます」

「お蝶から?」

「はい。住み込みでできて、かつ外出する必要がない仕事はないかと」

 尾長屋はぶるぶると頭を振る。

「ありていに申し上げれば、女郎の仕事を紹介してくれないかと言われたのです」

「女郎……」

「もちろん。北浦さまのお嬢様にそのようなお仕事はご紹介できませんので、お断りいたしました。しかし、ずいぶん、思い詰めておいでのようでしたね」

 尾長屋は、お蝶たちが養家である木野の家で虐げられていたのではないか、と言って目を伏せた。

「住み込みができて……外出する必要がない」

 探せば、身を売らずとも、条件に合う奉公先は見つかったかもしれない。

 だが、木野の家が困窮していたのも事実だ。お蝶には、選ぶ余裕がなかったのかもしれない。

「職人の家に弟子入りなどなさってはどうか、とご提案は致しましたが……何か金子も必要なご様子で。話によってはお貸ししますよ、とは申し上げはしたのですが」

 尾長屋は、当時のことを悔いているようだった。

「今思えば、もっとご相談に乗って差し上げればよかったのでしょうが、あれ以来、お嬢様がおいでになることはありませんでしたので」

 お蝶は、尾長屋に止められたものの、結局は、自らの身を売った。

 木野の家は困窮していたが、身を売るほどではなかったはずである。しかも、お蝶の持っていた珊瑚の簪を売れば、その場をしのぐことはできたはずだ。

 明らかに、お蝶は何かから『逃げて』いたように晃志郎には思えた。

 龍之介と晃志郎は、北浦の住んでいた長屋の住所を聞いた後、尾長屋を出た。

 傾いた日のせいで、二人の影は長く伸びる。

「寺社奉行か」

 ポツリと、龍之介が呟く。役所を越える探索というのは、どうしても面倒が伴う。

「……俺が何とかしましょう」

 晃志郎は渋面ではあるが、請け負う。なつめへの謝礼が難題になりそうで頭が痛いが、そうもいっていられない。

「せっかく捕まえた北浦の影です。十年前の真実を見つけましょう」

「そうだな――さしあたっては、いったん詰め所に戻って報告しよう。事件が起こっていないとも限らん」

「何か事件が起こったら、穴平さまは、何としても連絡をよこすと思いますよ」

 冗談めかした晃志郎の言葉に、龍之介は苦笑いのまま頷く。

 町は、ゆっくりと朱に染められはじめていた。

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