第十六話 穢れだまり 四
「これは単なるひとさらいではありません!」
詰め所に帰った晃志郎と龍之介は、いつになく大きい土屋の声に驚いた。
人が出払っている詰め所は、とても静かなだけにその声は際立つ。
晃志郎と龍之介は思わず顔を見合わせた。
土屋がこれほどまでに強く何かを主張するというのは、珍しいことだ。
奥に入っていくと、座敷の奥で、穴平がタバコ盆を引き寄せて、渋い顔をしながらキセルをふかしており、その前に土屋がこちらに背を向けて座っている。
吐く煙が、暗い天井にのぼりながら消えていき、重苦しい空気がそこに立ち込めていた。
「どうしたのですか?」
暮れ始めた部屋の中に灯された行灯の光が、少しずつ明るさを増してきて、ゆれる灯が穴平の渋面にさらに影を落としている。
「水内に、赤羽。帰ったのか。ちょっと来い」
穴平に手招きをされ、晃志郎と龍之介は、土屋の隣に座った。
土屋の生真面目な横顔が、さらに硬くみえる。
「土屋が市井奉行所で聞いてきたのだが、昨今、若いおなごが何人か、さらわれているらしい」
穴平に頷きながら、土屋は手元の書類を広げた。
「何人という話ではありません。ここ数か月のうちに、十件以上です。調べによれば、すべて『魂鎮め』の儀を行って帰る途中の武家娘ばかりです。未遂を含めると、さらに多い。役所に届けていない例もありましょう」
土屋の言葉に熱がこもった。美和のことで、市井奉行所に届けに行った土屋は、『人さらい』の数の多さと、狙われた場所、狙われた女性が修行中であることから、ただならぬものを感じたのであろう。調べ物をするときの土屋の勘が非常に鋭いことは、短い付き合いではあるが晃志郎にもわかってきている。
土屋が引っかかったのであれば、それは間違いなくただの「ひとさらい」ではないのであろう、と思えた。
「しかしなあ」
穴平は、キセルをもったまま渋面を崩さない。
「それはどう見ても市井奉行の管轄だ。人さらいをしようとした者たちの風体を見ても、ただの無頼の輩。術が行使されたわけでもない。由々しき事態ではあるが、四門が勝手に口をはさんでよいものではない……と、思うのだが、水内と赤羽はどう見る?」
四門はあくまで、『呪術』にかかわることにのみ、権限がある。その権限はすべての役所より上ではあるが、一般的な事件に対して、調べる権限は持っていない。
穴平の声が苦いのは、調べることで他の役所への越権行為にならぬか、ということなのだ。四門は特別であるがゆえに、逆に、慎重でなければならない。
「……穢れだまり」
晃志郎はふと、なつめの言葉を思い出した。
『最近、穢れだまりが多いという報告があって……』
もちろん穢れだまりというのは、呪術によるものではない。日々の感情のよどみの中から生じるものだ。
意図的に穢れだまりをつくることは、まずありえない。だが——。
「どうした、晃志郎?」
「最近……寺社奉行のほうで、穢れだまりが多いという報告があると、聞いております」
晃志郎は、土屋の持っていた書類に目を落としてから、穴平のほうを見る。
「もちろん、おなごをさらうことと、『穢れ』は、直接は関係ないでしょうが——」
「……予兆か」
ぽつり、と穴平が呟いた。
「はい。どこかで大がかりな呪術を仕掛ける途中、ということもあり得るかと」
術そのものは発動していなくても、虚冥の力を借りた大きな術を行おうとすれば、負の力は蓄積されていく。その蓄積された力が、寺社が持つ浄化能力を超えてしまえば、それは穢れだまりとなって表面化するのだ。
「市井奉行所のほうでは、人さらいの目星はついているのか?」
「いえ――同心たちは、はっきりとは口にはしませんでしたが、目下のところ、お手上げに近いのではないかと」
龍之介に土屋はそう答え、顔をしかめた。
「何しろ、寺社がらみでやりにくいところをもって、未遂で助かった娘たちに聞いても、全く面識のない無頼の輩だったそうです」
魂鎮め、と聞き、晃志郎はふと思い出す。
「沙夜さまのときも、そうでしたね」
「ああ、そうか」
晃志郎に、龍之介が頷いた。封魔奉行所で内密に調査はしたが、それこそ市井奉行所には届け出はしていない未遂事件のひとつだ。
未だ、沙夜をさらおうとした奴らがどこの誰か、わかっていない。
「腕こそたいしたことはなかったものの、明らかに誰かの命をうけ、しかも煙玉を使った……そうだったな」
龍之介に、晃志郎がうなずくと、土屋も「やはり」と頷いた。
「杉山道場のご息女の時の奴らも、煙玉を使いました」
「煙玉か……」
穴平は顔をさらにしかめた。
「煙玉、それ自体は珍しくないですけど、通りがかりの人さらいが常備するものではありませんね」
「羅刹党の可能性があるのでは?」
晃志郎と龍之介の指摘に、穴平は大きく息を吐いてから、ふむ、と唸った。
「捨て置くことはできぬか……殿に言上しよう」
穴平は、土屋から書類を受け取り、懐にしまう。
市井奉行の持ち場に踏み入れるには、それなりに準備がいる。それはある意味、四門の力が強力ゆえに、仕方のないことだ。
「水内、そちらはどうであった?」
「進展いたしました」
穴平の質問に、龍之介は姿勢を正した。
「女房の須美が死んだのはおそらく
「寺社奉行所か」
穴平は「またか」という顔をした。役所を越える仕事というのは、何かと面倒なのだ。
「そちらについては、晃志郎にアテがあるそうです」
「赤羽に?」
「ええ、まあ。何とかなると思います」
晃志郎がうなずくと、穴平は「そうか」と頷いた。「アテ」について、問いただすつもりはないらしい。
「北浦の弔いは宝千寺。鳴上村出身の九兵衛という男が、栄治郎と最後に会ったのが冬の宝千寺だったと言っておりますので、おそらく、墓もそちらにあるのではないかと……これは、木野の家に確かめればすぐわかることですが」
龍之介は大きく呼吸した。
「一番は、北浦が寺社奉行所の仕事に就くときに住んでいたと思われる場所がわかりました」
「どこだ?」
穴平は膝を乗り出した。
「
「俵町か……比較的、出入りの激しい場所だな」
そうでなくとも、北浦が亡くなったのは十年も前。当時を知っている人間がいるかどうか、微妙なところだ。
「大家なら何か知っているかもしれません」
「そうだな。それにしても……よくやったな」
穴平はにやりと笑う。
「三人とも、今日はあがっていい。明日までに殿の許可をもぎ取ってこよう」
「穴平様」
土屋の顔が、ほっとしたように緩んだ。
「羅刹党の影がある限り、我ら四門、退くわけにはいかん」
穴平の力強い言葉に、三人は頭を下げる。
二度と後手に回らない——それは、四門の総意だった。
緑坂町の雪原堂に顔を出し、なつめとのつなぎを頼んでから、晃志郎は一軒の飯屋に入った。
こじんまりとした小さな店だ。店の床は三和土になっていて、机といすが置かれていて、草履を脱がなくても良いようになっている。
行灯に照らし出されている店内は、かぐわしい食べ物のかおりに満ちていて、きびきびとした動きで女中が注文の品をはこんでいた。
晃志郎は、無難な日替わりの定食と酒をたのむと、そっと奥の席に座った。
緑坂町は、武家屋敷が多いのと役所が近いこともあり、店の客も身なりの整った二本差しが多い。もっとも、二本差しと言っても下っ端役人であって、店の料理はごくごく庶民的なものではある。
晃志郎も今や『役所』づとめの二本差しではあるが、どうにも『場違い』な気がしてならないのは、長年の浪人暮らしのせいであろう。
運ばれてきた盃をかたむけるふりをしながら、晃志郎は飯を口にする。酒はともかく、飯は食える時に食っておかねばならない。
「待たせたわね」
にこり、と微笑みながら晃志郎の前の席に座ったのは、なつめであった。
今日のなつめは、武家娘そのものの出で立ちである。
この前の仕事とやらは終わったらしく、下手な小細工はいらぬ、ということなのだろう。
もっとも、例の若衆姿は、なつめの意図に反して、かなり目立っていた。素のままの格好のほうが、かえって印象に残らないな、と晃志郎は思う。
「お姉さん、私、お茶漬けをお願いしますね」
なつめは、女中に声をかけ、晃志郎の手元にあったお銚子を手にした。
晃志郎は盃を手にして、なつめの酌を受ける。
「それで?」
晃志郎は、盃を傾けて飲むふりをした。
「十年前、虎金寺付近でなくなった元道中奉行の役人の北浦誠治郎という男を調べている」
「ずいぶんと、古い話ね」
「寺社の片桐という男に雇われていた臨時雇いらしい。亡くなったのは事故のようだが、役目中のことだったようだ」
「調べてあげてもいいけど……」
その時。晃志郎は、店に入ってきた女の姿を思わず凝視した。
すらりとして、長い首筋。かたぎの町娘のような身なりではあるが、かもし出す雰囲気が妖艶である。
すずである。
晃志郎は盃をあおるふりをしながら、袖で顔を隠した。
すずは、店内を見回して、晃志郎たちからは離れた位置に座っていた男の前に座る。
「未熟ね――露骨すぎよ」
なつめは、さりげなく座りなおした。相手から晃志郎が見えぬギリギリの位置である。
「……すまん」
晃志郎は、なつめの肩越しにすずに目をやる。
席が遠いため会話は聞こえないが、どうやら『偶然の相席』ではなく、待ち合わせのようだった。
晃志郎は、箸を動かしながら、ふたりを観察する。
男の顔は見えぬが、身なりからみて、かなり裕福な武家の男だ。背の感じから見て、四十くらい。虎金寺にいたような無頼のやからではない。
やや、男の背に緊張が見える。「親しい」会話ではなさそうだ。
「それで?」
なつめは晃志郎からさかずきをうけとり、自分も飲むふりをした。
「ご執心のお嬢さんはどこのどなた?」
「俺が死にかけたときに、見かけた女だ」
晃志郎の答えに、なつめは目を見開いた。
「虎金寺で逃げた女?」
「……あいかわらず、いやみなくらい詳しいな」
晃志郎はむぅと唸り、飯をかきこんだ。
「実の弟が、死にかけた事件の調書くらい読むわよ」
なつめは晃志郎をにらむ。
「それに、身内としての心配だけじゃないわ。晃志郎が強いことを私は誰よりも知っている。晃志郎の敵となる相手は、この国にそんなにいるわけがないし、その相手はそのまま、国の脅威よ。役所が違うからで、済ませて良い問題ではないでしょう?」
女中がなつめの注文した茶漬けのどんぶりをそっと置いていった。
なつめは箸を手にとる。
「――身内のかいかぶりだ」
「そうかしら。私、そんなに身内に甘い人間かしら」
くすり、となつめがいたずらっぽく笑う。
「……甘くあってほしいね」
晃志郎は、口を緩める。実際、なつめは人づかいは荒いものの、晃志郎には甘い姉だ。しかし、その考えを教えるつもりはなかった。
「それで? 面が割れているってこと?」
「ああ。それもしっかり」
「あらあら」
その時。
すずが面を上げ、あたりを見回すしぐさをして、立ち上がった。男はそのまま動かないようだ。
なつめは、食べかけた箸をそのまま、そっとおろした。
「残念だけど、食べている暇はなさそうね」
「……頼んだ」
なつめは、懐から銭袋を出して、銅銭を机に置いた。
「さっきのも含めて、お代は高くつくわよ」
「お手柔らかに」
すずが出て行ったのを見て、なつめは立ち上がり、店を出て行った。
晃志郎は、飯を食べながら、男の観察を続ける。男の手は全く動かず、食べも飲みもしていない。
背は、未だに緊張しているようだった。
男はしばらくして、ふらりと立ち上がり勘定を払った。皿の料理は、半分以上、手付かずのようだ。酒は飲んだようだが、ひょっとしたら、飲んだのは男ではなく、すずのほうかもしれない。
晃志郎は、勘定をすませると、男の背をゆっくりと追った。
夜のとばりが落ちて、武家屋敷の多い緑坂町は暗い。
男は酔ってはいないようであるが、足取りが重そうにみえる。
晃志郎は慎重に、男の後ろを歩いていった。
緑坂町を超え、藍前町に入ったころ、男は、一軒の屋敷に入っていった。
ためらいもなく、木戸を開けたところを見ると、自宅であろう。
男が消えた後、表札を確かめると『鳥飼』と書かれていた。
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