第十七話 穢れだまり 五

 障子ごしに柔らかい日差しが部屋に差し込んでいる。

 夏本番を間近に控え、この時間でも気温はかなり高く、狭い部屋の中に大人数が詰め込まれた今の状態だと、汗がにじむ。

「昨夜、和良比で起きている武家の娘のかどわかしについて、殿に言上した」

 穴平の言葉に、一同がシンと静まり返って息をのんだ。

 四門の勤務は時間に不規則ではあるが、一応、基本的には朝に出仕して、できうる限り全員で打ち合わせを行うことになっている。

 ゆえに、朝の詰め所はいつもに増して人が多い。

 狭い座敷には、様々な風体の男たちが背を正して穴平を見つめていた。

「結論を言う。市井奉行所とともに、さらわれた娘および、その娘たちが儀式を行っていた寺への調査をせよ、とのことだ。もちろん、寺社奉行所とも、連携せよとのことだ」

 穴平はにやりと笑った。

「『穢れだまり』の件は、寺社から報告があり、前から不審に思っておられたそうだ。もし、羅刹党のくわだての『予兆』だとしたら、捨て置くことはできないと、殿は仰せだ」

 予兆という可能性があるとしても、穢れだまりそのものを消したところで、何の手掛かりにもならない。

 ならば、表層に見える事件を少しでも解決に導いていくしか道はないのだ。

 羅刹党は、星狩りで、術者をさらい、そして育てていることは間違いない。組織がかりの呪術を行っても不思議はないのだ。彼らが何を狙っているかは知らないが、瑠璃の方の事件のように、何事かが『おきてから』では遅いのだ。

「穴平様」

 かなり後列に座っていた晃志郎は、そっと手を挙げた。

「昨日、虎金寺で会った『すず』をみかけました」

「逃げた女か」

「はい」

 穴平に、晃志郎は頷いた。

 すずの行方は、現在、まったくわからない状態である。

 状況から見て、同じく逃走した夢鳥の居場所を知っている可能性も高い。そして、それは羅刹党のねじろを探る手掛かりになるはずだ。

「緑坂の飯屋で、男と会っていました。男を脅していたようにみえました」

「脅し?」

 晃志郎は昨晩の様子を思い出しながら、言葉を選ぶ。

「相手の男は、藍前町の鳥飼という家に入っていきました。裕福な身なりから見て、使用人ではないと思います」

「藍前町の鳥飼? ああ、勘定組頭の鳥飼殿でしょうか」

 龍之介が口を開いた。

「鳥飼殿か……直接知らぬが、実直なおひとだという噂だな」

 穴平が眉をよせた。

「勘定組頭……」

 晃志郎は昨晩の男を思い浮かべた。

 かなり身なりの良い四十代の男だった。屋敷も大きい方である。組頭といえば、奉行に次ぐ役職だから、違和感はない。

「虎金寺から逃げた女と勘定組頭の組み合わせは、シャレにならんな」

「失礼ながら、勘定奉行所そのものも怪しいのではありませんか?」

 土屋が口を開いた。

柳甚内やなぎじんないを調べる際、さんざん、抗議やら制約を受けました。穢れた星蒼玉を持ち、呪術を仕掛けたことがはっきりしている咎人とがにんだということを、まるで認識してはいないようでした」

 土屋は、柳を調べるために何度も奉行所に足を運んだ経緯がある。身に染みて感じているのだろう。

「すみません。ここからは内密に願いたいのですが」

 晃志郎は、挙手をして前置いた。

「寺社奉行所は、勘定奉行と寺社の星蒼玉の横流しの関連を疑っています。このことは、勘定方に手を伸ばす前に、寺社奉行と連携すべきだと思います」

「お寺社がかね? 耳ざといの、赤羽は」

 ニヤリと、穴平が笑うのを、晃志郎は苦笑で返す。

 なつめから得た情報を簡単に口にするのは気が引けるが、安易に手を出して、寺社奉行所の取り調べの邪魔になったら、それこそ問題だ。

「女のほうは、信頼できる人物に調査を依頼しております。一両日中に、ご報告できるかと」

 穴平は、ふむ、と頷いた。

「では、まずは、人さらいのほうからはじめる。赤羽、水内、お前らは宝千寺に行け。土屋、田所は市井奉行所に行ってこい……それから」

 穴平が次々に仕事を割り振っていく。

 四門はゆっくりと、静かに動き出した。



 宝仙寺という寺は、それほど大きなものではない。

 魂鎮めの儀式を行う『格』はある寺ではあるが、訪れる武家娘は、それほど大きな役職のある家のものではなく、檀家も、どちらかといえば商家などが多い。

 寺の裏に小さな墓地を持っていて管理はしているが、商家と比較的貧しい武家の墓がほとんどである。

 ただし、街中にある寺だけあって、規模に反して、場の持つ『力』はかなり大きい寺だ。

「おかしいですね」

 寺に入るなり、晃志郎は眉をひそめた。

 本来なら澄んでいるはずの境内の空気が、どこかくぐもった印象を受ける。

寺の周辺には緑の木々が残っていて、街の喧騒からは隔離されていた。

 境内に人の姿はない。

 どこからか、低い読経の声がしている。それも、多人数のものだ。

「奥の庭のようだ」

 晃志郎と、龍之介は、玉砂利を踏みながら、寺の奥へと入っていった。

 寺はよく手入れされており、荒れ寺ではない。

しっかりと掃き清められ、開け放たれている本堂の床は、磨き上げられていて、修行を積んでいる僧侶たちが、日々務めを果たしているのがよくわかった。

 不意に、グワン、と大気が歪んだ。

 晃志郎と龍之介は、玉砂利の上を走った。

「虚冥だ!」

 叫び声が起きて、読経の声が一瞬止む。

 何かが干渉するような術の気配はない。しかし、肌を刺すこの気配は、まぎれもない虚冥の気配だ。

 ふたりが走っていった先に、虚冥が開いていた。

大きくはない。大きくはないが、勢いよく瘴気を噴き出している。

 本来ならば、静謐な空間であるはずの、枯山水の庭園は、暗い穢れで満たされている。

この世ならぬモノが、小さな暗い穴からはい出そうとしていた。

その、庭の片隅に、三人の僧が膝をついていた。吹き上げた瘴気に吹き飛ばされたらしい。

「ひるむな!」

 一番年配の僧の声がとぶ。

 その声に叱咤され、僧たちは膝をついたまま、再び読経を始めた。

三人の僧は必死である。しかし、一度開いてしまった虚冥が吐きだす瘴気はゆっくりと広がっていくばかりだ。うごめく影が、じわじわとしみ出るように膨れていく。

「術、ではないですね」

 晃志郎は言いながら、笄を抜いた。

「任せて大丈夫か?」

「はい。僧の方々をよろしく」

 龍之介の答えを待たずに、晃志郎は笄を額に当て、僧たちの前に出た。

「朱雀」

 晃志郎の言葉に答え、朱金の光が現れる。

「行け!」

 その言葉に応え、朱雀は穢れの中に舞った。

「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」

 晃志郎は印を結んだ。

「穢れを焼き尽くせ」

 朱雀の羽がきらめいて、金の光が、あたりに降り注いでいく。

 朱雀は、大きく羽ばたいて旋回し、虚冥の穴へと飛び込んでいった。

 大気が、震え、弾ける。

 晃志郎は笄を宙に滑らせ、陣を描いた。

 その陣からまばゆい光を放ちながら、朱雀が再び現れて、晃志郎の肩に舞い降り、くちばしから小さな透明な星蒼玉を吐きだした。

「虚冥よ、閉じよ」

 晃志郎が静かに告げると、辺りには、静寂と、清涼な空気が戻ってくる。

「あいもかわらず、見事なものだ」

 龍之介はにやりと笑う。

「さて、と。封魔四門である。事情を聴こうか」

 封魔の鮮やかな技に見とれている僧たちを助け起こしながら、龍之介はそう言った。


 先ほどの穢れが嘘のようだ。

 晃志郎たちは、枯山水の見える座敷に案内され、住職の話を聞くことになった。

 弟子である僧たちが、吹きだした瘴気で乱れてしまった庭園を整えている。庭園の形そのものが、浄化作用があるのだから、おろそかにするわけにはいけないのだ。

「四門さまがお見えになって、本当に助かりました」

 住職は、宗玄そうげんと名乗り、平伏した。媚やへつらいではなく、本当に心からほっとしたようであった。

 年のころは、五十近いであろうか。あごにたくわえたひげは白い。目元は非常に柔和である。

決して上等とはいえない法衣からみて、清貧という言葉の似あう僧侶であろう。

 宗玄は封魔の技が使えないわけではない。しかし、寺の僧は、神社の神主ほど虚冥に対して攻撃的ではない。

 そもそも、寺の魂鎮めとは、穢れそのものを事前に防ぐ効果のほうが高いのだ。

「虚冥が開くほどの穢れ、いつ気づいた?」

「今朝でございます」

 宗玄は苦々しい顔で答えた。

 寺で、虚冥が開くというのは、僧侶としては屈辱であろう。

「……ここのところ、穢れが非常にたまりやすくなっていたのでございます。寺社奉行所のほうにもお伝えしてはいたのですが、私どもの不徳、と言えばそれまででございましょうが」

 日々の務めは朝と夜。いままでは、これで穢れがたまるということはなかったらしい。

「特に術が仕掛けられた痕跡もない。もちろん、あらかじめ星蒼玉の気配があったわけでもなさそうだ……そのような穢れ、どこから『わいた』と、宗玄殿はお考えか」

 龍之介の問いに、宗玄は眉を寄せた。

「この寺は、それほど大きなものではありませんが、和良比の街中に位置しておりますゆえ、寺の規模に反して、力が集まりやすいのでございます。拙僧らは、日々、それらを清め、市中の活力を高めることに尽力しております」

 その言葉は納得できた。寺の作りそのものは、周囲の穢れを収束するための場の力を強めるようになっており、晃志郎が封魔を行った後の事後処理を見ても、宗玄を含め、各僧侶たちの能力も決して低くはなさそうである。

「街中で、大火事や強盗、いくさなどあれば、穢れが突然大きくなることはあるとは思います。しかし、和良比の治安は、以前に比べて特別悪くなったわけではありません」

「まあ、そうだな。人さらいが増えたとはいえ、見ため上、平穏ではある」

 龍之介は頷いた。和良比ほどの都市であれば、多少の犯罪は、どうしたって起こるものだ。

「では、宗玄殿は、この穢れは、和良比の治安以外が原因だと?」

 晃志郎の問いに、宗玄の眉が険しくなる。

「私の杞憂であればよいのですが、過去にこのようなことがございました」

「過去?」

「今から、十五年ほど前。ちょうど、瑠璃の方の事件が起きたころです」

「十五年前……」

 晃志郎と龍之介は顔を見合わせた。

「このようなこと、申し上げたら不敬にあたるやもしれませぬが。陛下近辺がきな臭くなると、市井の常の穢れなど問題にならぬ穢れが起こります。もちろん、ご存知だとは思いますが、和良比の街に張られている巨大な封魔の結界の大本は、皇府のある黄丘(おうきゅう)にございます。ほんの少しの乱れが、穢れとして現れてしまいます」

「宗玄殿は、黄丘で、何事かが起こっていると?」

「……その可能性がある、と申し上げているだけです」

 宗玄は慎重に答えた。

「しかし、一晩で虚冥を呼び寄せるほどの『穢れ』は、拙僧もはじめてでございます」

「もし、宗玄殿の推察が正しいとすれば、間違いなく、大事だ」

 晃志郎はうめいた。

 黄丘は、和良比の、いや、蓮の封魔のかなめである。

 そこが揺らげば、星蒼玉などなくとも、穢れが生まれても不思議はない。

「後ほど、寺社奉行とも相談して、穢れの対策をしよう」

 龍之介は、大きく息をついた。

「実は、今日、我らが訪れたのは、こちらの寺に魂鎮めに来ていた女性がかどわかされそうになったことと、北浦誠治郎という男が、こちらを菩提寺にしているか、ということを知りたかったのだが」

「かどわかしについては、おそらくは、この近くにある空き家に巣くっている浪人どもの仕業ではないでしょうか」

 宗玄は眉をひそめた。

「もともとは、大きな料理屋だったところですが、数年前押し込み強盗で、家人が惨殺されて以降、無頼のやからが好きに入り浸っています。手口があまりに残忍だったために、未だに買い手がつかないときいております」

「なるほど」

 ゲンが悪いところをもって、無宿人たちが巣くっているとなれば、そこを買おうとするカタギはいないであろう。

「それで、北浦さま、というのはどのような?」

「元、道中奉行の役人だ。尾長屋の話では、十年前、こちらで弔いをしたと聞いた」

「少々お待ちを」

 晃志郎の問いに、宗玄は頭を下げ、部屋を出ていき、数冊の帳面をもってきた。

「ああ、これは……木野さまの家の弔いですね。墓も、うちにございますが、いわくつきでした」

 帳面を繰りながら、宗玄の表情が険しくなった。

「遺体はかなり傷んでいましたね。死に化粧がたいへんだった記憶がございます」

 晃志郎と、龍之介は、宗玄の示した帳面をみた。

 変色した肌。苦しんだであろう形相などが、細かに書き込まれている。

「これは……」

「死因はおそらく呪殺だと思われました。しかし、遺体はお上の取り調べは終えた後に遺族に戻されたもの。それ以上のことは存じません」

「北浦は、土砂崩れに巻き込まれて死んだとされているのだが」

 宗玄は苦い顔になった。

「もちろん、土砂に埋まった形跡はありました。爪や髪に土が張り付いていましたからね。ただ、それが死因ではない、と思いました。もっとも、お上の裁定に疑念をはさむことを木野さまは良しとされなかったようでしたので、拙僧もあえて声を上げはしませんでした」

 虎金寺がらみの遺体である。天下の金山家ゆかりの寺が関係している事件に、異議を唱えられるほど、この寺は大きいものではない。

「呪殺か……」

 もしそうであるのなら。

 北浦の死因を隠蔽しようとしたものは誰なのだろう。

 晃志郎は、広がっていくもやのようなものを感じながら、大きくため息をついた。

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