第三十話 虎金寺 参

 昨日から降り続いている雨が一段と激しくなってきたようだ。

 四門の詰所の屋根を、雨が激しく叩いている。

「勘助から裏はとれたか?」

 穴平は、駆け込んできた土屋に声を掛けた。

 昼過ぎから、詰所にはたくさんの人間が集まりつつある。

 めずらしく、米の甘い匂いがただよっている。

 穴平の女房が、詰所の台所で飯を炊いて握り飯をつくっているのだ。うまそうな味噌汁のかおりもたちはじめた。

 独り身の多い四門の男達に、大事の前に、きちんとしたものを食わせようという穴平の心遣いである。

「はい。その艶紅と簪は、間違いなくお蝶の懐からくすねたものらしいです。あとは、財布や守り袋のたぐいもあったそうですが、それらは売り払ったという話でした」

 土屋は濡れた肩を手拭いで拭いながらそう言った。晃志郎は、そっと立ち上がると、土屋に茶を用意する。土屋は、ホッと一息ついたように、湯呑に手を伸ばして、ゴクリと飲み干した。

「勘助が、大岩屋のお優に心底惚れていたのは事実のようです。とはいえ、くすねた品を惚れた女に渡すという神経は、普通でないと、思いましたが」

 土屋はそう言って、肩をすくめた。

 勘助は高価なものならお優が喜ぶであろうという、ただ単純にそれだけの気持ちで、やったことなのであろう。そのことで、女を『犯罪に巻き込む』ということまでは、頭が回らなかったにちがいない。

「しかし、あの二つが高価な品であるのは間違いない。人間性はともかく、モノを見る目はあるのだろうな」

 穴平は苦い顔でそう言った。土屋と晃志郎、そして龍之介を呼び寄せ、どっかりと腰を下ろす。手にした煙管をぷかりと一度ふかせると、手元の書類を手前にポンと投げ置いた。

「虎金寺の資料に当たったのだが」

 ぱらぱらとめくりながら、ため息をつく。

「お寺社と共同調査であったからな。お互い、突っ込んで調査が出来なかったというのが事実のようだ。何にしても、名門、金山家も噛んでいる。ひょっとしたら、不正な術具を作っていた可能性もあるのだが、うやむやになってしまったようだ」

「四門といえども、金山家は、無視できないということですね」

 晃志郎は苦笑した。

 金山家は、前皇帝の正妻『おらん』の実家である。つまり、今の皇帝の母だ。

 その実家の金山家は、お上の要職をかなりしめており、強い権力を持っている。いくら『四門』が、封魔というものにおいて、最高権力を持っているとしても、なかなかに手を出せる家ではないのだ。

「耳が痛いな」

 穴平は苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「虎金寺には、死者しかいなかったのが致命傷だったな」

 何を調べるにしろ、証拠が足りなかった。虚冥はすでに閉じていたし、星蒼玉も痕跡しかなく、すでに消えていた。

 人が立ち入ることはできなかったし、呪術攻撃を受けたとしても、寺の人間は一般の人間ではない。訓練を受けた僧であったのだ……それに、寺ゆえに、もともとの呪術結界が複雑で、呪術の痕跡をたどることは、不可能であったらしい。

「とりあえず、上の許可はとった。夕刻には、虎金寺に乗り込む。腹にモノを入れておけ」

 穴平の言葉に、晃志郎たちはピンと背筋を伸ばしたのであった。



 夕刻になっても雨は降りやまない。

 足場が悪く、こっそりと侵入したりするには不向きではあるが、かえって、無宿人の数は多いに違いない。

 晃志郎は、破れた傘をさして、とっくり瓢箪を下げ、ひとり、虎金寺の門をくぐりぬけた。

 雨が降っていることもあり、境内には誰もいない。しかし、荒れた本堂のほうからは、人の声が聞こえてくる。砂利道を歩きながら、晃志郎は、ふらりと歩いていく。そのあとから、するりと足早にひとりの町人風の男がかけぬけていった。田所たどころという、四門の人間である。

 晃志郎と、この田所という男が、いわゆる先兵である。

 田所は潜入を得意としていて、穴平の信頼は絶大だ。剣の腕、封魔の腕もさることながら、身の軽さと変装の腕はぬきんでており、四門で彼に並ぶものはない。本来は、田所一人でも構わないのであるが、晃志郎の『外見』であれば、無宿人として潜入も可能であろうということになった。

 何しろ相手は、夢鳥である。しかも、場合によっては、不知火や凩と相対する可能性も秘めている。

 用心に越したことはない。

 厚い雲に覆われているため、いつもよりも暗闇がおとずれるのが早いようだ。境内には、石灯篭もあるが、灯を灯すものは誰もいないようで、灯りは、本堂のほんの少しだけ開いた奥の扉から漏れ出てくるだけだ。

 晃志郎はふーぅと息を吐き、本堂の入口へと回った。

 見張り、と思しき男が一人、扉のそばに座っている。

「雨宿りをしたいのだがね」

 男は値踏みする様に、晃志郎を見る。

「誰だ?」

 その男は、不機嫌にそう言った。

「さあて」晃志郎はとぼけた。

「身分証明がいるのかね?」

 ニヤニヤと晃志郎が笑うと、男は「去れ」というように、首を振った。

 晃志郎は、男を無視し、一歩前へと進む。男は抜身の短刀を晃志郎の目の前につき出した。晃志郎は涼しい顔でそれをよけ、男の腕をとり、反対の腕で男の手を強打して、刃を叩き落とした。

「くっ」男の顔が苦悶に歪む。

「お前、運がいいな」晃志郎は、わざと人の悪い笑顔を浮かべて見せる。

「俺は機嫌がいい。首から上を切り落とされなかっただけ、有難いと思え」

 男は手をさすりながら、今度は何も言わずに一歩下がる。

 晃志郎は破れた傘を折りたたみ、男に向かって放り投げ、そのまま、男の脇を通り抜け、本堂へと向かった。

 本堂の扉を開くと、二、三十人の人間がいた。ジャラジャラと駒をまわす音。ため息をつく、声にならぬ声。

 小さな行燈の灯りを囲むように、男達が丁半ばくちをしている。そして、胴元であろう。ほんの少し離れた場所で、妖艶な女が、煙管をふかしており、その女のそばにばくち用の木札が置かれ、小男が座っている。

 晃志郎は、ぐるりと辺りを見回す。わずかに首元がチリチリとする。星蒼玉の気配がする。しかし。

――ここではない。

 晃志郎は、博徒たちに軽く目をやってから、興味のないふりを装いながら、かつては本尊が祀られていたであろう場所に腰を下ろした。手にした瓢箪に口をつけるふりをする。

――どうしたものか。

 ここに術者はいないように見える。奥へ行こうとして、見とがめられるかどうか、微妙な感じだ。

 雨音が、屋根を激しく叩いている。目の前の床には、たらいが置かれ、ぴちゃりぴちゃりと雨漏りの水を受け止めていた。

「お前は、誰だ、何しに来やがった?」

 いかにも柄の悪そうな男が、晃志郎に声をかけてきた。予想通りといえば、予想通りだ。

 賭場の連中たちもじっとこちらをみている。

 晃志郎は、ニヤリと笑った。

「雨宿りをしながら、酒を飲むのに、名乗る必要があるのか?」

「この野郎っ」

 男は、晃志郎につかみかかろうと手を伸ばした。晃志郎はひょいと身体をひねると、男の足に軽く足をかけて、よろめいた男の身体の背を押した。男の身体がぐるんと宙を舞い、床に背から落ちた。

 一瞬、本堂がシンと静まり返った。予想以上に目立ったな、と、晃志郎は思わず舌打ちする。

 辺りにパンパンと、手を叩く音が鳴り響いた。

「いやあ、兄さん、強いわね」

 声をかけてきたのは、妖艶な女性だった。大きく開いた衿。白い首筋をおしげもなくさらし、唇は、淫らに赤い。

 商売で男を誘う娼婦とは違う、自らの意志で男を狂わす危険な香りをもつ女だ。

「お酒を飲むなら、もっとイイ場所でお酌をしてあげるわ」

 女は、晃志郎の腕に柔らかな胸を押し付け、色っぽく微笑んだ。

 賭場の男達は、遠巻きにその様子を眺め、もはや、晃志郎に興味は無くなったかのように、またばくちへと興じ始めた。

「あたいの名前はすず。あたい、兄さんが気に入ったわ」

 すずは、そう言って、晃志郎の頬に白い手を伸ばした。

 むせるような、香の香りがした。

「……俺は、酒が飲みたいだけだが」

 ねっとりと絡めとる女の手を、ゆっくりと外しながら、晃志郎は女を見た。

 そう言えば、『やばね』の甚八が話していた、夢鳥を訪ねてきた『イイ女』は、確か『すず』という名であった。目の前の女は、確かにすらりとして、男の魂を抜きそうな女である。

「もちろん。静かに飲めるわよ」

 甘い声で、耳元で囁き、すずは、小さな灯りを手にして、晃志郎を先導した。

 本堂を出て、かつては僧たちの居住区であった場所へとすずは誘う。首すじがチリチリとした。穢れた星蒼玉の気配を、肌に感じながら、晃志郎は、女の誘いに乗るふりをしながらついていく。

 居住区の方も荒れてはいたが、こちらはどことなく生活臭がした。破れた障子はそのままではあるが、人の気配がある。

「兄さん、ここから先は、草履をぬいでくださいな」

 よく見ると、女の足は、素足だ。

 晃志郎は迷った。いざというときに、素足というのはまずいが、この先に何かがあることは間違いない。

 晃志郎は意を決し、草履をぬぎ、それを懐に入れた。

「誰も、とりはしませんよ」

 すずはくすくすと笑ったが、晃志郎は肩をすくめたまま、答えなかった。

 薄暗い部屋にたどり着くと、すずは行燈に火を入れた。

 床は板敷きだが、その上にござが引かれている。

――この奥だ。

 晃志郎は壁の向こうを見た。星蒼玉の気配と、複数の人間がいる。

 すずは、盃をひとつ、どこからか取り出す。

「座って下さいな。あたいもくつろがせてもらいますよ」

 ニコリと、そう言って、自分は帯に手をあてて緩めた。

 もともと大きく開き気味だった女の着物の衿がさらにはだけて、白い乳房の半球をさらした。

 晃志郎は迷う。星蒼玉の気配を探るべきだとは思うのだが、単純にこの女を振りほどいて、騒がれでもしたら面倒である。呪術者を確認したら、寺の外に待っている四門の人間に晃志郎か田所が合図を送ることになっているのだが、今の段階でそれをすると、術者に逃げられる可能性もあった。晃志郎は、表情を消したまま、行燈のそばに腰を下ろした。

「兄さん、見ない顔ね……本当、イイ男」

 すずは、晃志郎に盃を渡し、瓢箪から酒を注ぐ。横に倒したように座った着物の裾は、はだけて、白い足をのぞかせていた。

 晃志郎は盃を取り、ひと口、口に入れる。

「ねぇ、どこから来たの?」

 甘くねだるような声で、すずは問う。

――探られている。

 晃志郎は、警戒心を悟られないように表情を消す。男を誘いながら、すずの目は冷静に品定めをしている。愛撫する様に手をなでながら、剣だこをすずが確認したのに気が付いて、晃志郎は、ゾクリとした。

「なぜ、俺を誘う?」

 晃志郎は、すずに盃を渡し、酒を注いだ。すずは、ごくりと、盃をのみほした。

「強い男が好きなの。守ってほしいのよ」

 すずはそういって、晃志郎の膝にからだをあずけて、晃志郎の右手を取り、自らの乳房に導いた。手のひらに吸い付くような乳房の感触が伝わり、晃志郎はびくりとして、手を引いた。

「あら。意外とこちらのほうは、とってもウブなのね」

 くすくすとすずは笑い、晃志郎の膝にまたがりながら、向きなおって首に手をまわす。肩が露わになり、着物の前がはだけた。豊かな双丘の谷間から腰まで、白い肌が、赤く上気している。全裸でないことがさらに艶めかしい。

 晃志郎は、思わず、女の腹に手刀をいれ、突き飛ばした。

「ぐっ」

 女は、吹き飛び、床に倒れ落ちて、意識を失った。

 晃志郎は、大きく息をして、ふと、背後にひとの気配を感じ、柄に手を当てる。

「──据え膳、食わぬは男の恥、と言わないか?」

 クスクスと笑い声がして、扉がすっと開いた。

 田所である。

「見ていたなら、助けてください」

 晃志郎の言葉に、田所は人の悪い笑みを浮かべる。

「三つ先の部屋で、術具をつくっている作業場を見つけた」

 晃志郎は、懐から履物を取り出す。

「中には十人。術者の数は不明だ」

 田所の言葉を聞きながら、晃志郎は、立ち上がった。

「合図は?」

「送った」

 田所はそう言って、部屋の奥の襖を開く。雨の向こうに、淡い燐光が光った。

 田所の合図を了承した証だ。

「合図を送る前に、俺に連絡してください」

 晃志郎はほんの少し恨みがましい口調でそういった。

「お取込み中に、声をかけるほど野暮じゃない」

 田所はそう言って、ニヤリと笑った。

「行くぞ」

 田所の言葉に、晃志郎は顔を引き締めた。

 外の雨が、激しく降り始めていた。


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