第二十九話 虎金寺 弐

 雪思路は、夜の街だ。

 灯りが灯された門を潜り抜けると、道沿いに置かれている石灯篭に灯りが灯され、店の中から、女がなまめかしく男を誘う。人通りも多く、先日の閑散とした感じとはうってかわり、まるで祭りのような賑わいである。

 晃志郎は、龍之介とともに渋い顔で、桃楼郭へと向かう。

「しかし、夜の街で、そのような渋い顔をすることもあるまい」

 龍之介は、苦み走った晃志郎をからかうようにそう言った。

「……この街は、夜は常に、虚冥の危険にさらされています。快楽と欲望が常に渦巻いていて、強い憎悪も生まれやすいです。なんというか、落ち着きません」

 晃志郎は居心地が悪そうにそう言った。

「なまじ、裏を知っているだけに、この賑やかな虚像を甘やかな夢として信じることが出来ないのです」

「晃志郎は真面目だな」

 龍之介はニヤリと笑った。

「いいじゃないか。ここは、金で夢を買う場所だ。そこにあるのは『商売』で、欲望はむき出しで単純だ。ほんものの男女の色恋のごたごたよりは、話がわかりやすいと俺は思うね」

「そう言う考え方も、ありますか」

 晃志郎はそっと首をすぼめた。確かに、大岩屋の夫婦のような男女関係というのはより複雑で、花街の事件よりずっと解決が難しい。そう言った意味では、この街の色恋はある意味、はっきりとしている。

「この街で虚冥が生まれたら、膿を撤去すればよい。他の場所では、そうはいかん」

 龍之介の言葉に、晃志郎は頷く。ここでは際限なく生まれる虚冥ではあるが、いくつもの要因が折り重なっていることはマレだ。いくつもの要因というのは、たいてい『外』の世界から持ち込まれるものであろう。

 ようやくたどり着いた桃楼郭は、ひときわ明るく感じられるも格式高い店のため客引きはおとなしい。

「おや、晃志郎さまじゃ、ありませんか」

 声をかけてきたのは、弥吉であった。

「まさか、遊び……ではなさそうですね」

 晃志郎の隣に、龍之介の姿を認め、弥吉は、そっと裏口へと二人を案内する。

「だんな様を呼んで来ますので、こちらでお待ちを」

 何も聞かないまま、弥吉は奥へと走っていた。ほどなくして、がらりと裏の戸が開き、出てきたのは、主人の庄治郎であった。

「どうぞこちらへ」

 庄治郎は、奥の座敷へと二人を案内する。

「すまんな、忙しい時間に」

 龍之介の言葉に、庄治郎は、「お二人なら構いませんよ」と、答え、主自ら、座布団に座るように言った。

「ご用の向きは、先日の常和の件ですか?」

「いや、お蝶の件だ」

 晃志郎がそう言うと、庄治郎は、びっくりした顔をした。そういえば、前回、庄治郎に、お蝶の話はしていなかったな、と思わず苦笑する。

「お蝶が、勘助という男に殺害されたというのがわかった。その件で、いくつか確認したいことがある」

「お蝶の死を、お役人がマトモに調査しているとは驚きましたね」

 庄治郎は少々意地の悪い笑みを浮かべた。

「頭の良い犯人でね。お蝶が死んだのが、雪思路の中であったら、もっと速く調査が出来たであろうに、こちらとしても残念だ」

 龍之介の言葉に、庄治郎は驚いたような顔をした。

「と、いうことは、何か呪術がらみなのでありましょうか?」

「俺と、水内さまがここに来るということは、そういうことだな」

 晃志郎がそういうと、庄治郎は納得したようであった。

「お蝶の遺品は、どんなものがあったのだ?」

 晃志郎がそう言うと、庄治郎は首をひねった。

「私物はほとんどありません。化粧道具ぐらいでしたね……お待ちください」

 庄治郎は、人を呼び、書類を持って来させた。

「これが、お蝶の弔いの時に整理したものですね。化粧道具は、女郎たちで分けたはずです。絵を一枚持っていましたのでそれを売って、弔いの費用はそこから出しました……ああ、そういえば、お蝶は信心深くて、木彫りの観音像をよく拝んでおりました……いっしょに棺に入れてやりました」

「亡八というわりには、随分と手厚いな」

 遺品の内容や、弔いにかかった費用などが事細かに記述されていた。

 その書類を見ながら、龍之介がニヤリと笑うと、庄治郎は肩をすくめた。

「変死の女郎を捨て置いては、祟ります。しかも、他の女郎たちも怯え、商売にさしつかえます」

 庄治郎は、虚冥というものの怖さをよく知っている。人の憎しみ、悲しみ、苦しみ、怯えが、それを招くことも知っているからこそ、無視をしない。桃楼郭で女郎たちの扱いが、他よりもマシなのは、庄治郎が、合理主義だからである。

「絵、とは?」

「お蝶の似姿でした。大方、よく通っていた絵師が描いたものでしょう。描かれていたのが、お蝶でしたし、絵師も無名らしくて、残念ながら、それほど高くは売れませんでしたね」

 お蝶は桃楼郭でも、それほど器量が良かった部類ではない。固定客がいなかったわけではないが、『身受け』を望まれたりすることはなかった。

「お蝶がここへ来た時の話をしてはくれ」

 龍之介の言葉に、庄治郎は少し苦笑した。

「正直、ひとりひとり、覚えてはいられないのですが……お蝶は、泣きも叫びもせず、こちらにやってきました。来た当時はとても、痩せた小娘でね。しかしとても、気が強そうな目をしていた」

 覚えていない、という割には、鮮明によみがえる記憶があったらしい。

「お蝶を売った木野の家は確かに貧しかったらしいが……それにしたって、身売りまでさせる必要はなかったはずです。武家娘であることを捨てさせ、商家に奉公に出すことだってできた……どうやら、お蝶が自分で、そう、と決めて身を売ったようでしたね」

 向こうが売るというのだから、買った、と庄治郎は続けた。

「お蝶になじみの客は?」

「夢鳥という絵師くらいでしょうか。お蝶はせっせとその絵師をゆきずりの客に紹介していたようです。特に問題はなさそうだったので、黙認しておりましたが」

「その客の名はわかるか?」

「さあて。そこまでは」

 庄治郎は首をひねった。その表情から、隠しているのか、本当に知らないのかは、判別をつけにくかった。

「お蝶と親しかったのは、お連と聞いたが、お連と話をしたい」

 龍之介がそう言うと、庄治郎は、人を呼び、お連を呼ぶように言いつけた。

「時に、お二人は、『羅刹党らせつとう』というやからの噂はご存知ですか?」

 庄治郎は、声を潜めてそう言った。

「いや。知らぬ」

 龍之介の言葉に、庄治郎は、首を振る。

「最近、ちまたで、流布している噂ですよ。なんでも、依頼すればどんな呪術でも請け負うという輩らしいです」

「ほう」

 ギラリと龍之介の目が光る。

「こんな仕事をしていると、そういう噂が耳に入ります。つきましては、晃志郎さまに一枚、札を書いていただけないかと」

「相変わらず、商売上手だな」

 晃志郎は苦く笑った。

「他に何を知っている?」

 札の用意を持って来させるように言うと、庄治郎は満足げに笑う。やけに協力的であったのは、最初からそれが目的だったのであろう。

「よくはしりませんが、なんでも、和良比の星蒼玉をかき集めているという噂です。私も商売敵が多くてね。念には念を入れたいと思いまして」

「ならば、護身用の札を書こう」

 晃志郎がそう言うと、丁度、お連がやってきた。

「では、私は席を外します。札のこと、くれぐれもお願いいたしますよ」

 庄治郎はすうっと席を立ち、お連が緊張した面持ちで部屋に入ってきた。この前よりも、化粧が濃い。ほっそりとした首を強調するかのように、衿もとが大きく開いている。客を寄せるために引かれた紅の色が行燈のひかりで見ると、妙に艶めかしい。

「すまぬな、仕事中に」

 龍之介が頭を下げると、お連は複雑そうな顔で龍之介と晃志郎を見た。

「お蝶を殺した下手人が捕まった」

 長い説明を省くように、晃志郎はすっぱりとそう言った。

「本当ですか!」

 お連の陰鬱な顔が少しだけパッと華やいだ。

「それで、一つ訊ねたいのだが……」

 龍之介は言いながら懐のものを並べた。簪と巾着袋である。

「あら、それ二つともお蝶ちゃんのものよね?」

 お連は、そういうと懐かしそうに二つの品を見た。

「とても、大切にしていたわ。その袋の中は、艶紅よね? 絵師が持ってきてくれたって喜んでいたわ。そういえば、形見分けのとき、見当たらなかったもの。変だと思ったわ」

「二品ともお蝶のもので間違いないか?」

 龍之介の言葉に、お連は頷いた。

「たぶん。その巾着の紅、とても大切にしていたの。弟がくれたんだって。その簪も、お蝶ちゃんのもので間違いないと思います」

「お蝶は、本当に弟を大切に思っていたのだな」

「ええ。本当に」

 お連は、ふうっとため息をついた。

「弟以外の肉親について、聞いたことはないか?」

 龍之介の問いに、お連は首を傾げる。

「そうね。お蝶ちゃんのお母さまは、お蝶ちゃんを産んですぐに亡くなったらしいです。弟さんとは腹違いだそうです。ただ、その義理のお母さまも、お父さまが亡くなる三年くらい前になくなったと聞きました」

 晃志郎は顔をしかめた。木野の家の話によれば、北浦の妻は須美。つまり、お蝶の弟、木野栄治郎は、北浦と須美の子供で、お蝶の母は、さらに違う誰かということなのだろう。

「そのサンゴの簪は、お蝶ちゃんの本当のお母さまの形見だそうです」

 お連はそう言ってホッとしたような笑みを浮かべた。

「その簪だけは、絶対に売らないって、義理のお母さまと約束したのですって。だから、形見分けの時に見当たらなかったから、てっきりあの絵師に巻き上げられたのかと思ったわ」

「お蝶の、母親……」

 土屋の話では、この珊瑚の簪は、最高級品らしい。これがお蝶の母親のものだとするならば、北浦の最初の妻は相当に身分の高い女であったのであろう。

「北浦誠治朗の過去を洗う必要もあるかもしれぬな」

 厄介ごとが増えた、というように龍之介がふーっとため息をついた。



 桃楼郭を出ると、外は霧雨が降っていた。

 晃志郎と龍之介は、大門を出る。お蝶の浮かんでいた堀がしとしと水音を立てているが、暗い夜の闇に沈んで、水面はよく見えなかった。

「身を売るまでして、弟を守りたかったのに、弟は、その姉の気持ちを知らず、利用されるだけされて、殺された。あまりにも、むごいな」

 龍之介が、ぽつりと呟いた。

「勘助が狙われる理由は、おそらく、あの艶紅だと思います。あれの出所を探れば、術者の根っこは抑えられるのではないでしょうか」

 その言葉に、静かな決意を感じて、龍之介は晃志郎の怒りの大きさを知った。

「珊瑚は、関係ないか?」

「あの簪が誰のものかわかったところで、おそらく、お蝶が死んでしまった以上、意味がないと思われます」

 晃志郎は、そう言って、視線を水面に向ける。

「簪は、お蝶が『何者か』を示す証でありましょう。もちろん、北浦の死につながる何かがあるのかもしれませんが、勘助を狙う理由にはならない、と、俺は思います」

「北浦の死、か」

 龍之介は空を仰いだ。冷たい霧雨が降り注いで、頬を濡らしていく。

「虎金寺で、何があったのだろう」

 ふーっと龍之介が息を吐く。

「俺が、栄治郎を救えていたら、話は変わっていただろうな」

「この仕事で、『もしも』は、禁句ですよ」

 晃志郎は自分に言い聞かせるように、きっぱりと口にする。

「悔いても、何も解決はしません」

「……そうだな」

 雨粒が次第に、大きくなりはじめた。

「桜は、これで終わりですね」

 晃志郎が思い出したように呟いた。


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