第二十八話 虎金寺 壱

 美和と別れて、沙夜は谷本とともに雑踏を歩く。

 美和は、晃志郎が沙夜の為に仕官したと思っていたようだが、そうでないことは、沙夜が一番よく知っている。晃志郎は、正義感が強い。兄とともに事件を追っているうちに、引くに引けなくなってしまったのだろう。もとより、兄、龍之介は熊田屋の事件以降、晃志郎をなんとか四門に仕官させようとしていた。沙夜の護衛に晃志郎を強く推したのも龍之介である。護衛に雇うことで、晃志郎を説得する時を稼いだのであろう。

 沙夜と晃志郎の関係といえば、白恋大社でのわだかまりは解け、以前と変わらぬものになったものの、親密になったわけではない。むしろ、兄、龍之介と晃志郎の友情が深まるにつれ、沙夜と晃志郎の関係は直接的なものではなくなり、晃志郎にとって自分は、龍之介の妹という位置づけに変わってきたように思える。

「赤羽晃志郎どのというのは、『無弦流』なのですか?」

 突然、谷本が声をかけてきて、沙夜は思わず顔を上げた。先日、美和は晃志郎とともに歩いていたし、美和は『無弦流』の道場の娘だと名乗っているのである。当然の質問、なのかもしれなかった。

「よくは存じませんが、師範代だと兄が言っておりました」

 沙夜の言葉に、谷本は納得したようだった。

「なるほど。道理で隙がないわけですな……『四門』だというのも、納得です」

 谷本はニヤリと笑う。

「一度、手合わせを願いたいものです」

 口調は穏やかではあるものの、目の奥に本気の鋭い光を捉えて、沙夜は戸惑った。

「……男の方の、そういうお気持ち、私にはわかりません」

 剣豪ならば、少なからずそういった気持ちを抱くものなのかもしれない。しかし、血なまぐさい仕事より、子猫を捜す仕事の方が楽しいと言っていた晃志郎の微笑みが脳裏に浮かぶ。谷本の今の鋭い眼光を見たら、晃志郎はどうするのか。やはり、谷本と同じく手合わせを望むのだろうか。

 沙夜の中で、晃志郎がどこか寂しそうに微笑んだ。

「沙夜さまに、そのようなお顔をさせるとはね」

 谷本は沙夜の顔に何を見たのか、肩をすくめてみせる。

「正直、そのことだけでも、勝負を挑みたい気分になりますな」

「どういう意味でしょう?」

「その通りの意味ですよ」

 谷本はふっと笑う。

 沙夜は、谷本の言葉の意味を測りかねて、口をつぐんだ。

 親しげな口調で谷本が話すたび、沙夜の心はどこか落ち着かない気分になる。晃志郎といるときに感じる浮き立つ感じとは全く違う、居心地の悪さ。

 ――どうして、このひとの笑顔は、私を不安にさせるのかしら。

 沙夜は、谷本から視線を外す。

 そもそも谷本は、好きで護衛をしているわけではない。父に命じられた仕事であるから、沙夜についているのである。嫌だと感じたりするのは、筋違いだ。そして、沙夜を襲った輩も、未だ特定されていないのだから、否も是もない。

 ――恋のお守りなど、買わなければ良かった。

 何度目かの後悔を沙夜は、胸の中で呟いた。



 日が落ちるころ、龍之介と晃志郎が、四門の詰所に戻ると、まだぼんやりとした明かりの行燈のそばで、穴平が渋い顔で書類の束を繰っていた。囲炉裏には火が入れられており、黒い炭から朱色の炎が透けている。

「水内様、お茶をいれましょうか?」

 龍之介が頷くのを見て、土屋が茶の用意を始めた。龍之介が穴平の前にどっかりと座るのを見て、晃志郎は龍之介より一歩だけ、後ろに腰を下ろした。

「成果はありましたか?」

 土屋の言葉に、龍之介は苦く笑った。

「あるような、ないような、という感じだ」

 土屋は、龍之介と晃志郎にお茶を渡し、自分も晃志郎の隣に座る。

「私は、沢桐多門さわぎりたもんに会ってきました……彼は、何も知りませんね」

 土屋はそう言ってため息をついた。

「右近の家に行った時の下役の男は、既に、辞めておりました。なんでも、右近宅へ行った数日後に、田舎から文が届いて、急に田舎に帰ることになったらしいです」

 土屋は声を強めた。

「その男……長次ちょうじという名ですが、どうやら同僚の柳という男からの紹介のようです」

「柳? 柳陣内やなぎじんないか?」

「そうです」

 土屋は頷いた。柳陣内は、桃楼郭の常和に星蒼玉の混じった丸薬を飲ませた男である。

「柳は、桃郎郭の事件の後、封魔奉行の調べを受けておりますので、奉行所の方に面会依頼を出しているところですね」

 土屋は苦い顔でそう言った。役所をまたぐ事件というのは、なかなかに手続きが面倒である。

「柳は、赤羽殿に術をまともに返されましたので、床についた状態です。勘定方の横やりもあるそうで、なかなか捜査は進展しないという話でした」

「それは……申し訳ありません」

 晃志郎は、申し訳なさそうに頭を下げた。

「晃志郎が責任を感じる必要はない。『反転』を食らったというのは、奴が術に関与していたという動かぬ証拠だ。言い逃れは出来ない」

 龍之介は、そう言いながら湯呑を手に取った。

「栄治郎の遺体から、星蒼玉の痕跡が見つかった。殺害時に回収されたようだが、間違いない。水内、そっちはどうだった?」

 穴平が、書類の束をどさりと置いて口を開く。疲労の色が濃い。

 日が落ち夜の帳が降り始め、行燈の明かりが、影をくっきりと映し始めた。

「まずは、これを」 言いながら、龍之介は灯りの下に、簪と巾着袋を並べた。

「勘助が、お優という女に贈ったものです。おそらくは、お蝶のものかと」

 穴平は巾着袋に手を伸ばす。蓋のついた陶器の入れものを手に取りしげしげと眺めた。

「鳳来だな……女郎が持つには高級すぎる……しかも星蒼玉入りとはね」

「まだ、桃楼郭に確認しておりませんが、おそらく夢鳥から渡されたのではないかと推察しております」

 龍之介の言葉に、穴平はうむ、と頷いた。

「そのサンゴ……本ボケですね」

 土屋が玉簪を覗きこみながらそう言った。

「本ボケ?」

 他の三人がキョトンとする中、土屋は笑った。

桃珊瑚ももいろさんごの中でも、最高級品の品ですよ。色が均一で薄い桃色のものというのは、『本ボケ』と呼び、非常に高値で取引されているのです」

「へえ。詳しいな」

「……母が、好きでして」

 土屋は苦笑いを浮かべて、そう言った。

「この玉を魂鎮めの道具で使うというのは、相当、良いお家柄でないと無理だと思います」

「しかし、北浦は職もない浪人で、しかも事故死。お蝶は三年後には身売りをしているのですよ?」

 晃志郎は、疑念を口にする。

「相場はよくわかりませんが、この玉ひとつで、おそらく、身売りの金額の半分くらいは調達できるかもしれません」

 土屋の言葉に、三人の視線が簪に注がれる。艶やかで、均一な薄い桃色の玉。

 もし、お蝶のものであるとしたら。なぜ、彼女は身を売るような境遇でこれを手放さなかったのだろう。

「北浦は、職を失う前は、どこにいたのだ?」

 穴平が龍之介にたずねた。

「木野の家の人間の話では、道中奉行どうちゅうぶぎょうの与力をしていたらしいです。が、職を失った理由は、北浦は頑として口を割らなかったようです」

「北浦の奥方は?」

須美すみという名しか、木野の家のものは知りませんでした。会ったこともないそうです」

 龍之介は首を振った。

「その女性がいつ亡くなったかも、知りませんでした。北浦は亡くなる一年ほど前に、ふらりと木野家に顔を出したらしいのですが、それまで、そもそも妻や子がいたことも知らなかった、と言っておりました」

「随分と、疎遠だったのですね」

 晃志郎がそういうと、龍之介がうむ、と頷いた。

 道中奉行というのは、和良比からのびる、周辺都市をつなぐ街道を管理する役職である。与力であった北浦が、和良比以外の土地に住んでいたとしてもおかしくはない。おかしくはないが、妻をめとったという連絡さえしなかったというのは、かなり疎遠であったに違いない。

「……北浦は、事故死だと言ったな」

 穴平は眉を寄せた。

「はい。確か北浦は」言いかけて、龍之介は、目を見開いた。ごくり、と息をのむ。

「土砂崩れに巻き込まれて死にました……虎金寺近くの道で」

「龍之介さま、ひょっとして」

 晃志郎も身体が震えた。玉簪に刻まれた寺の名も、虎金寺である。そして。

「穴平様……ひょっとすると、虎金寺の変死事件が関係するかもしれません」

 ごくり、と喉を鳴らし、龍之介は拳を握りしめた。


 虎金寺の変死事件があったのは、もう十年も前のことだ。

 虎金寺というのは、和良比の名門、金山家につながる寺であった。場所は山峯町の西のはずれ。それほど町から離れてはいないが、山を背にした場所にある。大きくはないが、格式あるたたずまいの寺だった。

 ある雷雨の夜のことだ。周辺の住民の証言によれば、地鳴りがして、虎金寺の裏山が崩れた。

 寺の建物は無事だったものの、周辺の道は土砂に埋まり、周囲から隔離されてしまった。

 数日後、ようやくに寺にたどり着いたが、住職をふくめ、僧侶十名が死んでいた。明らかに、虚冥のものにのまれたらしく、皮膚がただれ、誰かわからぬ姿のものもいた。その後、念入りに調査はされたものの、『寺で虚冥が開いた』ということ以上には何もわからず、星蒼玉の痕跡はいくつかみつかったものの、術具を作るための事故ではないかと結論づけられた。原因がはっきりしないこともあり、その後、住職を引き受ける僧はなく、金山家も不名誉とばかりに、清めるだけ清めたのち寺から手を引いたため、寺は放置され荒れ放題となり、現在に至る。


「結論を出す前に、一応、勘助に、この艶紅と玉簪の出所を確認が必要かと」

 晃志郎は、冷静に口を開いた。

「勘助は、虎金寺の賭場に出入りしていたようです。お蝶の話と別に、この簪を手に入れた可能性もあります」

 晃志郎の言葉に、穴平は頷いた。

 もともとは金山家につながる寺で、貴人も訪れた寺である。寺のどこかに残っていたものを勘助がくすねたという可能性だって残っている。

「一度、寺を調べてみる必要はあるな」

 穴平は難しい顔でそう言った。住職がいないとはいえ、寺は寺社奉行の管轄である。

「賭場があるとなれば、虎金寺の手入れをするのは当然では?」

 土屋が静かに口を開いた。

「虚冥がかつて開いたような場所で、無宿人が集まるというのは……何が起こっても不思議はありません」

「しかし……賭場の取り締まりも、うちの管轄ではないからなあ」

 穴平は渋る顔をした。賭場の取り締まりは、基本『市井奉行所』の仕事である。『封魔奉行所』なら、やれなくもないが、『封魔四門』は、あくまで『封魔』専門の役所である。何にしろ、四門の専門外なのである。

「賭場を取り締まる必要はありません。寺の管理を取り調べるわけでもないのですから、場所が寺であることも関係ありません。夢鳥が潜伏していないかどうか捜査するだけなのですから」

 晃志郎は、ニコリと笑ってそう言った。残りの三人は、その言葉に顔を見合わせて苦笑する。術者を捜索するという理由であれば、封魔四門は他のどの役所より権限を持っている。文句の言われようがない。

「……晃志郎は、案外、ズルいな」

 龍之介が面白げに晃志郎を見る。晃志郎から見れば、この程度は、市井の封魔士としては当然の処世術の一つであるから、他の三人の気真面目さが、微笑ましいくらいだ。

「確かに、虚冥が開く可能性のある場所に、術者が紛れ込んでいる可能性が高いのだ。虎金寺を取り調べるのは、まさしく『四門』の仕事だな」

 穴平がうれしそうに膝をうった。

「まずは、勘助に確認だ。足元を固めよう。手入れは、早ければ明日、夕刻だ」

 穴平の言葉に、龍之介たちは、顔を引き締めたのだった。

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